第29話
突然叫んだ隆也に、今度はエルシィが困惑の表情を浮かべる番だった。
「リュウヤ……?」
「ぐちゃぐちゃ、ごちゃごちゃうるせえよ! 重荷になりたくない!? 心残りは無い!? 知った事かよ! 勝手に消えるな! 俺が許さん!」
「許してくれとは言わん。ただ私は――」
「俺は――!」
隆也はようやくこの怒りが何なのか気づく。
それは命を粗末にすることへの憤りではない。エルシィが自ら命を絶つという安易な道を選んだ事に対しての腹立ちでもない。
単に隆也がエルシィに死んで欲しくないだけ。ただそれだけだった。
自分にとってエルシィがいてもいなくてもいい存在なら、きっと怒りを覚えることはなかっただろう。
隆也の感じていた怒りの感情は結局のところ「お前は俺を置き去りにして行くのか」という自分勝手な弾劾であり、同時に「俺をひとりにしないでくれ」という懇願である。
どこまでも身勝手な、隆也だけの都合で彼はエルシィに生きることを求めていた。
それを自覚した隆也は、やけっぱちとばかりに暴走しはじめる。
「俺は! 俺の所有物が勝手な事をするのを許さん!」
「……しょ、……ゆうぶつ?」
いきなり隆也の口から飛び出した予想外の単語に、エルシィが目を丸くする。
「そうだ! 時森配送、宅配サービス約款第二十一条! 『配送先において受取人が荷物の受け取りを承諾しない場合、または受取人が物理的に荷物を受け取ることが不可能な場合は差出人へ該当する荷物を返送するものとします。なお、返送にあたって差出人が荷物の受け取りを承諾しない場合、または差出人が物理的に荷物を受け取ることが不可能な場合は、荷物の所有権を放棄したものとし、該当荷物に関する所有権、廃棄権、売却権は弊社へ移管されるものとします』」
「は……?」
隆也の口から流水のごとく吐き出される文言は宅配サービスの約款である。
約款なるものが何のことか知らないエルシィは、おそらく依頼受領時の約束事だろうと推測した。
とはいえ、このタイミングで隆也がなぜそんな事を口にしはじめたのか、さっぱり理解ができず、半開きにしなったその口から間抜けな声がもれた。
「差出人は王様! 荷物はエルシィと継石! 今回の依頼は受取人が存在しないため、荷物の所有権は差出人である王様に帰属するものと考える! その王様が既に行方不明で荷物の返送が物理的に不可能である以上、荷物に関する所有権は時森配送、つまり俺が保有することになる!」
「え……と?」
なおも混乱の最中にいるエルシィは、疑問符を頭上に満載していた。
「つまり! 既に消失した継石は除外するとして、もうひとつの荷物であるエルシィ! お前は俺の物だ!」
ドーンという効果音が聞こえそうなほど鋭い動きで、隆也がエルシィを指さして宣言する。
「え……?」
あっけにとられるエルシィをよそに、隆也は約款をたてにエルシィの所有権を主張した。
その主張が強引であることは当の本人も自覚している。だが真っ向から説得しても効果がないと判断した隆也は、エルシィの生真面目な性格を利用して『契約による縛り』というひどい論理でその選択肢を奪うことにした。
きっとそれは言いがかりも良いところであり、良く言ってこじつけ、悪く言えばペテンである。
呆然とするエルシィへ、隆也はしどろもどろになりながら必死で言葉をくり出した。例えそれが論理のすり替えだろうとも、他にエルシィを引き留める方法を思いつかなかったのだ。
その論理は無茶苦茶で、端から見ている第三者が居ればきっとあきれ果てていたことだろう。
「物では無く人だけど、所有権があることに変わりはなくて、だからそれをどうにかできるのはエルシィ自身がどうこうじゃなくて俺の判断が必要で、王様から頼まれた仕事はまだ終わって無くて、約款に書いてある以上はすでに同意した物とみなされて――――、ああああ! とにかくお前は俺の物だ! だから勝手に消えることは許さん!」
当の本人にも意味不明な主張を終えた隆也が、息を切らしながら断言する。
思いとどまれ、と説得されることはエルシィも予想していたに違いない。だがまさか所有権を主張されたあげく、命令されるとは想像だにしなかったのだろう。
王女という立場にあったエルシィに命令を下せる人間などほんの一握りだったし、まして彼女を所有物のように扱う者などひとりとしていなかったはずだ。
ある意味新鮮な扱いを受け、場違いな理論を展開されてエルシィはすっかり毒気を抜かれてしまった。
悲壮な決意で臨んでいたはずの表情が緩み、頬がゆがむと、その流れはあらがいようのないものとなる。
「ぷっ……」
気がつけばエルシィの口から吹き出すような声がもれていた。
「ふっ……、ふふふ、……あはははは!」
やがてそれがトリガーとなり、エルシィの口から笑いがこぼれはじめる。
「なんだそれは? くくっ……。メ、メチャクチャじゃ無いか? ひどい言いぐさだ。あはははは!」
何かがエルシィのツボにはまったのだろう。エルシィは先ほどまでの重苦しい雰囲気をうち捨てたかのように、腹を抱えて笑いはじめる。そこにいるのは思い詰めた顔の王女ではなく、衝動のままに笑い声をあげるだけのありふれた少女だった。
ひとしきり笑った後、ようやく落ち着きを取りもどしたエルシィは笑いすぎで痛む脇腹をさすりながら息を整える。そんなエルシィの様子を見守りながら、隆也が優しく声をかけた。
「なあエルシィ。俺には多分エルシィの辛さは完全に理解できないだろうし、たかだか十数年しか生きてない若造だから、あんまり偉そうなことは言えないけどさ――」
隆也は少しだけ気恥ずかしそうに頭をかきながら、間をとった後に続けて言う。
「そうやって笑うことができている間は、もうちょっとだけ頑張ってみないか?」
少しだけ長い沈黙が訪れる。エルシィは目を閉じてじっと何かを考えているようだった。
そのまぶたに映っているのは先ほどまで彼女を包んでいた絶望なのだろう。だが隆也が望んでいるのはそんなものではない。
だから隆也は待った。彼女がそれを振り切ってくれることを。
そして祈った。再び開いた瞳に絶望以外の何かを宿してくれることを。
エルシィがゆっくりとまぶたを開く。その目に宿った光を見てようやく隆也は安心する。彼女の目が出会った時と同じ、強い意志と輝きを放っていたからである。
「わかった……。リュウヤの言葉を信じてみよう」
憑き物が落ちたようにやわらかく、それでいて強い声でエルシィが言う。
その言葉を聞いてホッとした隆也は、続いてエルシィの口から放たれたセリフにドキリと胸を跳ね上げる。
「なにせ私はリュウヤのモノらしいからな」
そう軽口をたたくエルシィの顔は、ニヤリという表現がぴったりな笑みで満たされていた。必死だったとはいえ、自分の言動に今さらながら頭を抱えたくなる隆也だった。
「う……、さすがに物扱いはひどいと自分でも思ったけど……」
「いや、良いんだ。…………ありがとう、リュウヤ」
そんな隆也へとエルシィは感謝の言葉を投げかける。
いろんな意味で居心地の悪さを感じて、隆也は無理やり話題を替えようとした。
「とりあえず、目的が見つからないなら俺の仕事を手伝ってみないか?」
「運び屋の仕事をか?」
「ああ、俺の所有物としてじゃなくて、時森配送の従業員として、だな。街から街へ、村から村へお客様の大切な荷物を運ぶ宅配便のお仕事なんてどうだ?」
隆也の提案を聞いて、嬉しそうに目を細めたエルシィがつぶやくように答えた。
「なるほど……、それは……良いかもしれないな」
《僕もー、僕もやるー!》
突然ミーレイの声が隆也の頭に聞こえてきた。先ほどまでは口を挟まず静かにしていたミーレイだが、ようやく話が丸く収まったとみるやわめきはじめる。
一応さっきは出しゃばらずに控えていたらしい。僕空気の読める子だからー、と自画自賛していた。
その時、ほのかな灯りだけで照らされていた室内にべつの光源が現れ、隆也たちを照らしはじめる。
「ルナ……」
エルシィの視線をたどった隆也は、ルナの体からあふれ出す光を目にする。生命活動を停止したルナの魔力が、今まさに世界へと溶け込もうとしているのだ。
最初は鈍い輝きだったそれが、みるみるうちに強さを増していく。隆也たちがあわてて駆け寄ったとき、すでにルナの体はまばゆいばかりの光に包まれ、その輪郭を失おうとしていた。
やがて光は小さな粒となり、ひとつ、またひとつと宙へと浮かんでいく。風にさらわれる綿毛のように軽やかに、せつなげに光の粒が溶けていった。
「ルナの魂が安らぎの時を得られんことを――」
隆也の横でエルシィは両手を組み、瞑目して祈りを捧げる。ルナの全身を包んでいた光はひときわ強く輝くと、隆也に見守られながら次の瞬間に無数の粒へ分解されて周囲へ広がっていく。
「永遠の別れじゃない。またいつか会える。だから……」
まぶたを開いたエルシィが願いを込めてつぶやく。その言葉と同時に全ての光が宙へと消えていった。
隆也は消えゆく光を見届けると目を閉じた。
光が飛び立ったその後に残るのは、いつぞやの旅人と同じくルナが着ていた服だけだろう。主の消えた服が寂しく地に残された様を見たくなかったのだ。
まぶたに浮かぶのはルナの姿、そして若草色……。安らかで落ち着きのあるルナの魔力。旅の途中でもときおり感じていたその存在感が今この場所にもあふれていた。
当たり前だ、ついさっきまでそこにルナがいたのだから。
こうして目を閉じていても感じる、形がなくてもルナの存在を。
今になって隆也はようやく理解することが出来た。エルシィやルナが言っていた言葉の意味を。
『例え姿形が変わり、記憶がなくなっていても、会えばわかる』
その通りだと思った。例え形がなくても、ルナの魔力を他の人と間違えることは絶対ないだろう。幾百幾千の中からでもきっと隆也はルナを見つけ出すことが出来る。そんな根拠のない自信があった。
現に今もこの部屋には隆也たちを包むようにルナの魔力が漂っているではないか。隆也はそっと目を開き、何もない宙に意識を傾ける。
「見えた……」
神経を集中させ、一心に空間を見つめていた隆也の目に、小さな、本当に小さな魔力の粒が映った。弱々しく若草色に光りながら、ゆらりゆらりと静かに舞うルナの魔力は確かにそこにある。
――おいで。
そっと隆也が手を伸ばす。ルナの魔力がその手へ寄り添うように近付き触れた。
隆也はその向こうにもルナの魔力を見つけた。心の中で優しく声をかけ、魔力を引き寄せる。
ふわりと飛んできたルナの魔力は、先にたどり着いていた魔力と磁石のように引き合うと、接触してひとつに混じり合う。
混じり合った魔力がほんの少しだけ輝きを増す。それは集中して見ていなければ分からないほどの小さな変化だった。
「ん……?」
隆也の口から思わず声がもれる。
再び隆也はルナの魔力を探し始める。
沢山の雑多な魔力から穏やかな若草色の魔力だけを探し出し、招き寄せた。三つ目の魔力が合わさったとき、またも輝きが増した。さっきのも気のせいではなかったのだ。
「これって……、もしかして――!」
「どうした、リュウヤ?」
隆也の様子に気がついたエルシィが問いかけるが、今の隆也には何も耳に入らない。
あたりに漂う魔力の中から、隆也はルナの魔力だけを探して集めはじめる。そして気がついた。ルナの魔力は互いが互いを求めるように引き合っていると。
「ミーレイ! 俯瞰視点で視力を強化してくれ! すぐにだ!」
「突然どうしたのだ、リュウヤ!?」
「静かに! 後で説明するから今は黙って!」
《んー、あんまり濫用はおすすめしないよー? 今日はもうやめたほうがいいんじゃない?》
「構わないから頼む! どうしても今必要なんだ!」
《じゃあ、ちょっとだけだよ? どうなっても知らないからね?》
ミーレイの返事と共に、隆也の体から魔力が失われる。同時に隆也は化け物と戦ったときの視覚を再びとりもどした。
精神を研ぎ澄まし、部屋全体に広がった視覚を目いっぱい使い、周囲からルナの魔力を探し出す。
そのまま見つけた魔力をひとつずつ誘導して一箇所へ集めた。数えるのも馬鹿らしくなるほど多種多様な魔力の中で、隆也はただ一心にルナの魔力だけを探し求める。
宙を漂う魔力の中から、天井に張り付いた魔力の中から、エルシィの肩に乗った魔力の中から、若草色のルナだけを選り分けて集めていった。
どれくらいの時間が経っただろう。気の遠くなる作業の果てに、数千の魔力をかき集めた隆也は、ルナの魔力が目に見える形を成していくのを感じることが出来た。
「これは……、ルナの魔力……?」
地面に置かれたままだったルナの服が内側からふくれ、光があふれ出す。それがルナの魔力によるものだと、エルシィにもきっとわかったのだろう。
「見える限りの全部は集めた……」
《がんばりすぎー。ぶっ倒れちょくぜーん》
疲労のあまりふらつく隆也が見つめる中、ルナの魔力は徐々に輝きを減少させていく。
その輝きが完全に消え去った後、そこに居たのは薄い栗色の髪をもつひとりの少女。その顔立ちは若干幼めに見えたものの、紛れもなく隆也とエルシィが再会を願っていた人物だった。
ルナの胸が上下に動く。小さな口からかすかな息がもれる。
その姿を目に映した途端、エルシィの顔が涙と笑顔でぐしゃぐしゃになった。その目覚めを待ちきれず、なりふり構わず掠れた声で強く呼びかける。
「ルナ!」
声に反応してルナのまぶたがピクリと揺れた。
隆也とエルシィが見守る中、ゆっくりと開いたルナの瞳がふたりを捕らえる。一瞬の戸惑いを見せた後、ルナの顔に浮かんだのは隆也たちがいつも見ていた穏やかな微笑みだった。




