第26話
「させねえよ!」
突然現れた隆也にホルトは驚愕の表情を見せる。
「どういうことだ!? 浅い傷ではなかったはず!」
「なんでだろう、なっ!」
隆也が復活してくることなど完全に予想外だったのだろう。それまで常に余裕を失わなかったホルトの顔に動揺が浮かぶ。
反対に主導権を握った隆也は機を逃さずたたみかける。ミーレイの強化によって、重く鋭さを増した剣撃が次々とホルトを襲った。
「くっ!」
ホルトは困惑を隠せずにいた。深い傷を負ったはずの隆也が平然と剣を振りかざしていることも、先ほどは優位に立っていたはずの相手におされていることも、彼にとって理解不能な事実だった。
「リュウヤ、私も――」
「いや、エルシィは下がっていてくれ。大丈夫、やれる」
後ろからかかってきた声に、隆也はハッキリと答える。
ミーレイの助力によって、隆也の身体能力は格段に向上していた。本来であれば格上のホルトに対し、膂力で圧倒し、剣速で凌駕する。今度はホルトの方がじわりじわりと追い詰められる番だった。
多少落ち着きを取りもどしたホルトが、負けじと袈裟懸けに斬りかかる。鋭い太刀筋は、だがしかし隆也に届かない。
「こうか?」
誰に教えられるでもなく、隆也は自分の周囲に張り巡らされる硬質の膜を操った。
「なんだ? 剣の軌道が……、それるだと?」
何もないところでホルトの剣が弾かれる。深い角度で切り込んだ剣身が不意に揺れて狙いを外れる。
《もう少し……、硬くしとこっか!》
隆也の頭に直接声が響いた。
ホルトの剣が隆也の体に届きそうになると、不意に何かで弾かれた。
「馬鹿な! こんな小僧がシールド展開を!?」
その存在に気づいたホルトが悲鳴にも似た叫び声をあげる。
現れたときに浮かべていた笑みも、宿屋の主人然とした丁寧な言葉遣いも、今のホルトには見る影もない。そこにいるのは、ただ身の危険に直面したあわれな男だった。
「くっ! レノア! 手を貸せ!」
隆也におされる一方のホルトが、岩に腰掛けて見物している女へ向けて焦りを隠さず言う。
「どうして?」
だが女の方はそれがどうしたとばかりに興味を示さない。むしろこの状況を楽しんでいるようですらあった。
「良いから手を貸せ!」
「だって手助けはいらないって、あなたが言ったんじゃない」
その声には明らかな侮蔑が込められていた。
「第一、脚本家が舞台に上がるなんて、みっともないわ。お断りよ」
レノアと呼ばれた女にとって、ホルトの身は取るに足らぬモノなのかもしれない。どちらが勝っても構わない。どちらが死んでも楽しければ良い。そんな表情を浮かべている。
「ふざけるな!」
余裕を失ったホルトが、激高して叫ぶ。それは斬り結んでいる相手、隆也にとってこの上ない隙となった。
「ふざけてんのはお前だよ!」
「しまっ――!」
隆也の剣が一閃し、ホルトの腕を浅く切り裂いた。一瞬とはいえ柄を握る力を弱めたホルトは、次の瞬間打ちつけられた隆也の剣撃に思わず剣を取り落としてしまう。
「……動くな」
隆也の剣がホルトの首筋にあてられる。
命のやりとりになれた戦士なら、先ほどの隙を突いて致命傷をたたき込むのかもしれない。だがいくら怒りに突き動かされているとはいえ、現代日本で育った隆也に人間の命を奪う覚悟はなかった。
殺したいほど憎んではいる。それでも殺人という一線を越えることに躊躇してしまう自分が確かにいるのだ。
決して穏やかとは言えない空気ではあったが、ようやく周囲に静寂が訪れる。
そんな束の間の静けさを打ち破ったのは、ホルトが観客と称した女だった。
「あーあ。今回は結構うまくいったと思ったんだけど、期待はずれだったわね」
それまで傍観を決め込んでいたレノアが岩から腰を上げて、服についた砂を手で払う。剣を突きつけられたホルトを一瞥すると、肩をすくめて何でもない事のように口走った。
「もういいわ。あなたはもう『降板』よ」
その言葉を聞いた途端、ホルトが糸を切った操り人形のように崩れ落ちる。
「え……?」
剣を突きつけていた隆也ですらとっさに反応できないほど、あっという間のことだった。
「また演出家育てなきゃいけないじゃないの、まったくもう」
あさっての方向を見て、ふくれっ面でぼやくレノア。そこにホルトに対する情と言ったものは全く感じられない。
「それ、返してもらえる?」
レノアはそう言うとホルトを指さし、微笑みを浮かべながら首をわずかに傾ける。事情を知らない者が見れば、魅了されてしまいそうな笑顔だった。
「……はいどうぞ、と言うとでも?」
隆也はレノアの動きを警戒しながら答える。
どういうつもりかはわからないが、少なくともホルトよりも危険な人物であることは間違いない。そう隆也の直感が告げていた。
「あら、そう。じゃあ良いわ。あげるわ、それ。どうせもう使い道もあんまり無いし、代わりも手に入ったしね」
予想外にあっさりした様子でレノアは言うと、今度はアルフに視線を向けて嬉しそうに笑う。当然それを黙って見ていられないのはエルシィだ。
「アルフをどうするつもりだ!?」
「もうこれはアルフとかいう騎士じゃないの。ただの抜け殻。配役前の単なる俳優よ」
レノアが幼子へ諭すように言う。
「アルフはアルフだ! 抜け殻などではない! 我々の大事な仲間をそんな言葉で汚すな!」
「うるさいわね……。あなたの感情なんて別にどうでも良いのよ」
感情を爆発させるエルシィをうるさそうに見ると、レノアは不機嫌な表情で言い捨てる。
「リュウヤ、アルフを取り返すぞ」
「わかってる」
この場に動ける人間は三人。そのうちふたりは味方である。数的優性は隆也たちにあった。
もちろん相手の実力がわからない以上、楽観は出来ない。だがそれでもみすみす旅の仲間を帝国の手にゆだねるわけにはいかないのだ。
隆也とエルシィが身構えた。レノアとアルフ、そして隆也たちの位置関係はちょうど正三角形の頂点にあたる。
ミーレイの力で身体強化をした隆也ならば、レノアが手を出す前にアルフを護れるだろう。
そんな根拠のない自信は、レノアの言葉であっという間に覆されることとなった。
「あらあら、面倒はごめんよ? そうね、せっかくだから最後に配役をあげるわ。荒れ狂う魔獣、なんてどうかしら?」
そう言ってレノアがなにやら唱えはじめる。攻撃をしかけてくるのかと、体をこわばらせていた隆也たちは、目の前で起こる変化に唖然とした。
力なくその場へ倒れこんでいたホルトの体が、ぴくりと動いたかと思えば、次第にふくれあがりはじめたのだ。
「な、なんだ?」
エルシィが動揺の声をあげる間にも、ホルトの様子はみるみる変わっていく。
腕が、足が、その腰回りが、体中がはち切れんばかりにふくれ、まとっているローブを内側から圧迫していた。
やがて膨張し続ける体を押さえきれなくなったローブが裂けると、その下から毛に覆われた四肢が現れる。
言葉を失ったふたりの前で、ホルトであったものが異質な何かへと変化していく。
体表がどす黒く色を変え、それを覆うように太い体毛が無数に生えはじめる。留まることを知らぬ変化は、体長が隆也の倍ほどに達するまで続いた。
腕は隆也の胴体よりも太くなり、体中を黒い体毛が覆い尽くす。その顔も既に毛で覆われてしまい、表情すらうかがい知れない。
「ぐおああああぁぁぁぁ!」
もはや人間の言葉すら失ったそれは、両手両足という人間の面影を残していながらも、明らかに人間以外の種として雄叫びをあげる。
そこに理性の存在を求めることはできない。もしかすると敵味方の判断すら出来ないのかもしれないが、今この瞬間、目の前にいるのは隆也たちだ。ホルトであった化け物は、当然のように手が届くふたりへと敵意をぶつけはじめる。
丸太のような腕が振り上げられ、隆也へと落とされる。予想以上にしなやかでスピードに乗った一撃は、隆也の目測を誤らせた。間一髪で飛び退いた隆也は、乾いた音を立ててはじけ飛ぶシールドの存在を知覚する。
《うわっ! あれを粉砕しちゃうのかー。なかなか単純な力で壊すのは難しいんだけどなー》
隆也の頭に感心するような声が響く。
「あなたはとりあえず私の荷物持ちにでもなってもらいましょうか」
化け物によって足止めされる隆也たちを横目に、レノアはアルフのもとへ悠然とたどり着いていた。立ち尽くすアルフに向けてレノアが何やら唱えると、それまで微動だにしなかったアルフが動き始める。まるでレノアに長年つきそった従者のごとく。
「それじゃあ、さよなら」
レノアは隆也たちに向けて軽く手を振ると、アルフを連れて蜃気楼のように消え去った。
「なっ!? ど、どこへ……!? アルフ! 戻ってこいアルフ!」
突然のことにエルシィが一瞬うろたえる。
すぐに我を取りもどし、忠実であった騎士の名を叫ぶも、その呼びかけに答える者はもう居ない。
「エルシィ! 来るぞ!」
このままアルフたちを行かせたくはない。だが目前に荒れ狂う化け物がいる以上、それを壮途の地へ放置しておくことは出来ないし、そもそも突然姿を消したアルフ達を追いかける術もないのだ。
隆也たちは歯がみをしながらも化け物の相手をするしかなかった。
2015/11/23 誤字修正 突然姿を消したしたアルフ達 → 突然姿を消したアルフ達
2021/04/04 誤用修正 主人然り →主人然
※誤用報告ありがとうございます。




