第25話
ホルトの剣を脇腹に食らい、大量の血を流しながら隆也は地へ倒れこんだ。既に痛みは限界をこえ、口をついて出るのは苦痛のうめきのみ。
「ぐ、あ……。痛ってぇ……」
かろうじてホルトから距離をとったものの、既に隆也は意識を保っているので精一杯だった。今ホルトがとどめを刺しに来たらひとたまりもない。そんな恐怖すら苦痛の前では薄れてしまう。
「無理だよ……、動けるわけねえ……」
隆也の目に赤い色が映る。それが自分の体から流れ出した血液だと頭では理解しているが、あまりにも非日常的な色に現実感が伴わない。
無意識のうちに傷口を押さえていた左手にはべっとりと血がついていた。有翼獅子の刺繍が施された指ぬきグローブも濡れてしまっていた。
新月の夜を思わせる漆黒は、隆也の血にまみれてもその色を変化させることはない。だが借り物のグローブを汚してしまったことにかわりはなかった。
謝んなきゃな……、と隆也はグローブをこころよく貸してくれた雑貨屋の店主を思い浮かべる。
彼にとって友人との大事な思い出の品である。それほど大切な物を馴染みとは言えタダの宅配人である隆也へ無担保で貸し与えてくれるなど、よく考えてみればおかしな話だった。
雑貨屋の店主はきっとわかっていたのだろう。近いうちに帝国の脅威が王都へ襲いかかってくることを。
そうなれば自分達が無事でいられないことを。いや、雑貨屋の店主だけではない。あの時感じた王都の暗い雰囲気、それはきっと来るべき帝国の足音を感じていたからだと今ならわかる。
エルシィの目的がこの地へ継石を持ち込むことならば、あの時既に国民の魔力を継石に集める作業は終わっていたはずだ。
帝国の攻撃にさらされれば、命を落とすかも知れない。王都が蹂躙されるかも知れない。継石でもしもの保険をかけるくらいだ。おそらくその可能性が高かったのだろう。
だからこそ、雑貨屋の店主も帝国に奪われるぐらいならと、グローブを隆也へ託したに違いない。
『普段お世話になってるからね。ボーナスみたいなもんだと思ってくれれば良いよ』
『それくらいトキモリさんには感謝しているって事さ』
『そのグローブの銘は『黒絶の守護ミーレイ』と言うんだ。確か持ち主を守る加護があるとかなんとか言っていたなあ』
『いつもありがとうね。キミのおかげで助かっているよ。……本当にありがとう』
『ああ、それじゃあまたいつか』
気の良い笑顔を浮かべる雑貨屋の店主が脳裏に浮かぶ。
「……『またいつか』とかなんだよそれ。勝手に今生の別れみたいなこと言って……、そんなの知らねえって……」
何も知らなかった隆也は脳天気に手を振って別れたのだ。それを見送った彼は一体どんな気持ちでいたのだろうか。
仕事で顔をあわせる、ただのクライアントと配達人の関係。だが『ただの』と言い捨ててしまうには、割り切れない想いがこみ上げてくる。
隆也は既にこの異世界へ強く関わりすぎていた。何度も顔をあわせ、親しげに声をかわし、時には冗談を飛ばす……。雑貨屋の店主は隆也にとって確かに知り合い以上の存在となっていたのだ。
だからこそ、仕事上においても当然ながら、隆也個人としても彼との約束を破るわけにはいかない。
「借りたもんは……、返さなきゃ、だよな……」
そのためには彼の命をつながなくてはならない。異世界の人々は死んで世界に溶け込んでもいずれ再び生まれ出でる。
エルシィがここで儀式を行いさえすれば、いつかあの店主も生まれ変わるのだ。その時まで隆也はグローブを預かり続けなければならない。こんなところでくたばるわけにはいかない。
彼の命をつなぎ、自分も生き抜く。そのために必要なことは明らかだ。目の前にいる帝国人を退けてエルシィを守る。至極単純だ。
「でも……」
――どうする? と隆也は自問する。
隆也の力量はあのホルトという男に及ばない。まして深手を負って身動きも取れないのだ。そんな自分に一体何ができるというのだろう。
自分の無力をかみしめながら隆也はすがる。
「頼むよ……。神様でも精霊でも、なんでも良いから手を貸してくれよ……。こんなの悲しすぎるじゃねえか」
それはただの泣き言かもしれない。それでも願わずにはいられなかった。こんな納得の出来ない結末を覆してくれる何かを。
『そのグローブの銘は『黒絶の守護ミーレイ』と言うんだ。確か持ち主を守る加護があるとかなんとか言っていたなあ』
店主の言葉が思い浮かんだ。そして護ってくれるなんて嘘っぱちだ、と心の中で悪態をつく。現にこうして隆也は致命的な傷を負って倒れているのだ。
「何が……、『黒絶の守護』だ。……なにが『ミーレイ』だ。ただの中二病じゃねえか……」
そんな文句が口をついた時だった。
《呼んだかい?》
男の子とも女の子とも区別がつかない、愛らしい声がどこからともなく聞こえてきた。
「な……、んだ?」
《さっさと呼べば良いものを。なんでそうなるまで我慢するのかなー? いつお呼びがかかるのか、ずっと待っていたのに》
幻聴ではなかった。確かに声が聞こえてくる。
「誰だ……、お前は?」
《ええー? 自分で呼んでおいて『誰だ?』はひどいよー》
隆也にはさっぱり覚えの無い話だった。だが、つい先ほど名前らしきものを口にしたのは確かである。
「ミー、レイ?」
《そだよー。ちゃんとわかっていて呼んだんじゃないか。僕ちょっとあせっちゃったよ》
どうやら声の主はミーレイという名らしい。隆也は左手に装着した黒い指ぬきグローブへ視線を向ける。漆黒に塗れた表面が、心なしか淡く光っているように感じた。
《ねえねえ、君ってマゾなの? 被虐趣味者なの? そんなに追い込まれるまで我慢するなんて僕には良くわかんないけど、楽しいの?》
「そんなわけ、ねえだろ……。痛えのは、嫌だし……」
《だったら治しちゃう?》
ミーレイを名乗る声は、こともなげにそう言ってきた。
「治せる、のか……?」
《簡単だよ。ちょっと魔力食べさせてもらうけど》
若干不安を感じさせるセリフだが、このままでは確実に助からないことが隆也にだってわかっている。命が拾えるなら少々のことは目をつぶるつもりであった。
「なら、頼む……」
《うん、じゃあいっくよー!》
弾むような声と共に、隆也の体から何か抜き取られる感触がした。
「なん、だ……?」
次の瞬間、体が温かい感触に包まれる。希薄になっていた意識がハッキリと戻り、休むことなく訴えかけてきた脇腹の痛みが引いていった。
「痛みが……取れていく」
それは正に奇跡と言えよう。致命傷を負い、遠からず黄泉へと旅立つはずだった隆也の体は、先ほどまでの痛みが夢だったかのように活力で満ちていく。
雑貨屋の店主が言っていた『所有者を護る』というのはこのことか? 活動しはじめた思考が店主の言葉を思い出す。
《ついでに失った血も増やしておいたからね。これはサービスだよ》
隆也は手のひらを開いては閉じ、力が戻っていることを確認する。意識も鮮明になり、けだるさも感じない。
「これなら……」
そこまで考えて隆也はハッと息をのむ。ミーレイの力があればルナの傷も癒せるのではないかと。
「ミーレイ。ルナの……、あの子の傷を俺と同じように治してくれ」
隆也は地面に横たわるルナに視線を向ける。
《……あれはもう手遅れだよ。僕だって万能じゃないんだ。君だってけっこうギリギリだったんだから》
「……そう、か」
ミーレイの答えに表情をゆがめる隆也だが、次の瞬間には思い直したように表情をひきしめる。今は悲しんでいる時ではないのだ。
ぐるりと周囲を見回し、自分の剣を見つけると隆也はすぐに飛び出した。
視界の端では岩に座ったまま驚きに目をむいてこちらを見る帝国女と、相変わらず棒立ちとなったままのアルフ、そしてホルトの剣に押されつつあるエルシィが映る。
隆也は瞬時に優先順位をつける。帝国女の意図するところはわからないが、現状は警戒しつつ放置。アルフはひとまず危険にさらされていない。だがエルシィには助勢が必要だろうと判断した。
《手を貸そうか?》
「……頼む」
一対一ではホルトに勝てないことが隆也にもさきほどの攻防でわかっていた。
ミーレイがどうやって援護をするつもりなのかはわからないが、先ほどと同じ結果になっては意味がない。怪しかろうが不安だろうが、使えるものはとことん使ってやろう。そうしなければ勝機はないのだ。隆也は開き直っていた。
《んじゃ、魔力で身体を強化、っと。お? けっこう魔力あるんだね、君。ふんふん……、これならシールドにも回せるねー》
隆也の体に魔力で強化された力が満ちる。隆也自身が魔力強化したときよりもずっと大きな力だった。
地を蹴る隆也の体が、瞬時にその位置を変えた。それはもはや走るというより低空で飛ぶと言った方がふさわしいかもしれない。耳の横を風切り音が通りすぎていった。
そうして今にもエルシィへ振り下ろされようとしている剣を弾くため、斜め下から斬り上げながら彼女の前へとその身を差し込んだ。




