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第24話

 隆也が口にする苦悶(くもん)の叫びを耳にしたエルシィは、声がした方を振り向いて衝撃を受ける。


「リュウヤ!」


 そこに見えたのは脇腹を赤く染めるひとりの少年。ルナに続いてエルシィの仲間からふたり目の犠牲者が出た。


 エルシィはすぐさま状況を確認するため目を走らせる。アルフと隆也のふたりがかりでもかなわないほど、あのホルトという男は手練(てだ)れだったのだろうか? それとも途中から現れた女の力だろうか? もしかするとさらに新手が現れたのだろうか?


 素早く視線を巡らせたその眼に映ったのは、余裕の表情で笑みを浮かべるホルト、壁際にある岩へ腰を下ろしたままの帝国女、崩れ落ちて赤い染みを地面に広げる隆也、そして立ち尽くすアルフだった。新たな増援が現れた様子も、女が手を出した様子もない。


 ただ、敵を目の前にして何の反応も見せずに棒立ちとなっているアルフだけが、(ぬぐ)いようのない違和感を与えてくる。それは普段のアルフなら考えられないことだった。


「何をしている! アルフ! …………アルフ?」


 アルフにかける声は、すぐに疑問の呼びかけになる。


「ふっふっふ。今の彼に声をかけても無駄ですよ」


「キサマ! アルフに何をした!?」


 急速に不吉な気配を感じ取ったエルシィが、抱えていたルナの体をそっと床に横たわらせると、立ち上がって身構える。


「これは心外な。何もしてませんよ?」


「そのような()(ごと)を!」


 あくまでもひょうひょうとした様子でとぼけるホルトに、エルシィの怒りがぶつけられる。


「戯れ言ではありませんとも。まあ、多少表現が不適切だったかもしれませんが。そうですね……、今現在は何もしていません。いえ、『何もしなくなった』と言う方が正確ですね」


「何を言っている……?」


「何もしてないから彼はこのようになっているということです。むしろこれまでの彼が偽りの存在であり、今の彼こそが彼本来の姿なのですよ」


「本来のだと? あの抜け殻のような状態が本来の姿だとでも言うのか? ふざけた話を――」


「その通り。彼は今まで私の演出に沿って役を演じていただけ。国と王族に忠実な騎士という役をね」


 それはエルシィにとって信じがたい話であった。アルフ自身から隆也やルナを疑うような話を聞かされたときに一蹴したのと同じように、エルシィはアルフの実直な性格とその忠誠心を疑ったことはない。


 確かに身分が低い者に対して高圧的な態度をとることはある。弱き者に対して厳しすぎる面はある。融通の利かないところは明らかな短所であると思う。

 だがその(しん)は常に正道であり、騎士のひとりとしてエルシィの信頼は厚い。帝国に通じていたかのような言われようは、断じて受け入れることが出来なかった。


「……アルフが間者だったとでも言うつもりか? そんな事はあり得ない。アルフの家は代々続く騎士の家系だ。その忠誠には疑いの余地もないし、騎士となる際に身辺調査は徹底的に行われる。帝国の者とつながっている、などという疑いすらも浮かぶことのない清廉潔白の身だ」


「もちろんそうでしょうとも。彼自身は自覚などないはずですからね」


 ホルトの口からはエルシィにとって意外な言葉が吐き出された。


「……どういうことだ?」


「彼は真実、心の底から王国に忠誠を誓っていたはずですよ。そういう風に演技指導しましたので」


「演技指導だと?」


 エルシィの顔に不快感が浮かぶ。ホルトの言う演技指導という表現に、言いようのない()まわしさを感じたのだ。


「そうです。彼は私が抱える役者のひとり。私の指導にしたがって、国へ絶対の忠誠を誓う騎士にもなれば、極悪非道の犯罪者にも、冷徹な外交官にも、お人好しの農夫にもなれる」


「本物のアルフをどこにやった?」


「やれやれ、鈍い方ですね。ですからここに居るのが本物だと言っているでしょう?」


 あきれたように首を横へ振りながらホルトが言う。


「もっとも、あなたの考えている彼というのは、生まれた時にこの体へ宿った意識の事でしょうけど」


「……まるで生まれた時のアルフと今のアルフが違うみたいな言い方だな」


「その通り。生まれた時の彼は七歳の頃に消えてもらいました」


「消え、た?」


「そう。役者というのは元が空っぽであれば空っぽであるほど、役になりきれます。もともと体に備わった意識など邪魔でしかないのです」


 エルシィはホルトの言っていることが全て理解できているわけではない。だがその物言いは本能的にエルシィへ薄気味悪さをもたらした。


 自分の理解が及ばぬ事態がアルフを襲っているのだと、理屈ではなく直感が言っている。

 こみ上がってくる感情に、エルシィは()えた。


「キサマァ! アルフに何をした!?」


「簡単なことです。彼が熱病に冒された七歳の頃、治療師としてもぐりこんだ私がそうしたのです。周囲に気取られぬようじっくりと時間をかけ、少しずつ自我を削り取っていくのですよ。元気な子供の目から次第に光が消えていく過程。段々と鈍くなっていく反応。徐々に薄れ行く様々な感情。そのひとつひとつが、新たな役者の誕生をもたらす過程なのです」


「洗脳か!」


「そんな野暮(やぼ)なものではありません。洗脳は余分な自我が残ったままになってしまいますからね。それは役を演じる際に不要な要素です。己という個を完全に消去しているからこそ、私の演出通りに完璧な演技が可能となるのです。余分な自我を持たない俳優による完璧な演技! いかがだったでしょうか? 私の演技指導による『王国に絶対の忠誠を誓う騎士』を演じた彼の出来は? 素晴らしかったでしょう?」


 それは洗脳よりもたちの悪い話だった。


 思考を誘導させるのではなく本来ある思考そのものを消し去り、空っぽとなった人格へホルトにとって都合の良い思考を植え付ける。


 環境によっては解ける可能性が残された洗脳と違い、例え『演技指導』から解放されたとしてもその後には空っぽの人格が残るだけ。


「外道め!」


「あ、そうそう。取り除いた自我を元に戻せと言われても無理ですからね。彼にとっては自我が無い状態こそ自然な状態なのです。今そこで立ち尽くしているように」


 エルシィの憤りをあおるように、ホルトが無情な種明かしをする。幼い頃に消し去られた自我は元に戻らない。いや、例え戻ったとしてもおそらく七歳の子供に戻るのだろう。ホルトの言うことが本当であるならば、アルフの人生はその大半が空白と化してしまう。


「さて、疑問は解決したでしょうか? それではそろそろ終幕とまいりましょうか。その袋に入っている継石、破壊させていただきますね」


「貴っ様あぁぁぁぁ! 許さんぞ!」


 エルシィは目を血走らせて地を蹴る。その手には鞘から抜き放たれた長剣が握られていた。


 魔力強化した脚力で一瞬のうちに間合いを詰めると、エルシィは渾身の力を込めて怒りのままに剣を振るう。その直線的な太刀筋をホルトは冷静に見切り、軽く剣を当てて受け流す。


 逆に体勢を崩したエルシィへ、ホルトからの突きが襲いかかった。

 エルシィは勢いそのままに体ごと地面に転がって突きをかわしながら距離をとる。立ち上がるまでの短い時間にホルトが距離を詰めて再び突きをくり出したが、かろうじて体勢を整えたエルシィはその突きを下から跳ね上げて再び間合いを広げる。


「ほう……。王宮でぬくぬくと育った王女様にしては、なかなかの腕前をお持ちで」


 ホルトの笑みが変わる。それまでの弱者をいたぶる笑みから、対等な敵手をうちくだす喜びに震える笑みへと。


 エルシィとホルトの腕前は決して互角ではない。

 確かに一国の姫としては抜きんでた剣技をエルシィは持っているであろう。だがそれはあくまでも『令嬢にしては』である。


 ホルトが帝国でどういった立ち位置にいるのかはわからないが、こうやって戦いの現場に出てきている以上は、それを生業(なりわい)にしているのだろう。エルシィの力で圧倒できる相手ではなかった。


 ホルトが隆也とアルフ、ふたりとの戦いで体力を消耗していたからこそ、かろうじてエルシィも互角に戦えているのだ。


 それが正しいことを時間が証明しはじめた。戦いが長引くにつれ、万全の体力でかろうじて互角に渡り合っていたエルシィに疲れの色が浮かび上がってくる。

 その疲れはエルシィの優位性を失わせていき、じりじりと状況を悪化させていったのだ。一合ごとに剣へ込める力が弱くなり、身をかわす動きが鈍りはじめ、エルシィは徐々に押されていった。


 エルシィが横なぎに剣を振るう。だがその剣速は明らかに遅くなっていた。ホルトは悠々と身をかわし、体を外れて横へ流れていくエルシィの剣へ、自分の剣を軽く当てる。

 体力消耗いちじるしいエルシィの体は、たったそれだけのことで大きく体勢を崩されてしまう。ホルトは相手の疲れによる弱体化を見抜くと、一気に勝負をかけてきた。


「なかなかのクライマックスでした。良い舞台でしたよ。では、ごきげんよう」


 攻撃の勢いとそれを利用された一撃で、よろけてしまったエルシィに向かって、ホルトの剣が振り下ろされた。


 避けられない。停止したように感じる意識の中、冷静なエルシィの部分がそう判断する。

 同時に激情の部分が自らを「情けない」と罵倒する。

 まだ倒れるわけにはいかないと、王女としての使命感がくじけそうになる心を鼓舞する。


 父も母も、国民もすでに()った。ルナは自分を置いて逝き、アルフはその存在すら消失させられた。


 エルシィは自分がどうしてこうまで必死なのか、わからなくなった。


 かろうじて残っているのは王族としての義務感。

 帝国人に取り込まれた国民たちが都合の良い糧として虜囚(りょしゅう)の身とならぬよう、何としてもこの地で儀式をとり行わなければならない。

 それだけがエルシィに残された責務であり、なすべきことであり、そして存在意義だ。


 あと少し、あと少しなのだ。自らの血がひかれるままにこの地まではるばるやってきた。

 本来なら数ヶ月はかかろうかという旅路を隆也のおかげで大幅に短縮し、様々な妨害はあったものの何とかここまでたどり着いた。国民の魂とも言える継石は今も自分の手にある。儀式を行うべき場所はすぐそこだ。


 こんなところで全てを無駄にするわけにはいかない。帝国の思い通りにさせるわけにはいかない。あと、少しなのに……。


 そんなエルシィの切なる想いをあざ笑うかのように、ルナの、隆也の血を吸った剣が今まさにエルシィへと襲いかかった。紅い汚れのついた剣身が振り下ろされ、ストロベリーブロンドの髪へと届こうかというまさにその時、甲高い音を立ててその剣が大きく弾かれる。


 驚きに包まれるふたりの目に映ったのは、長剣を手に立ちはだかる隆也の姿であった。


「なに!? いつの間に!?」


「リュウヤ!?」


 脇腹に深い傷を負って倒れたはずの隆也が、傷を感じさせないしっかりとした構えでエルシィを庇う位置に立っている。

 その声は失意の底へ落ちかけたエルシィに、再び立ち上がるための希望をもたらした。


「させねえよ!」


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