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第23話

「ルナ! しっかりしろルナ!」


 エルシィが駆け寄ったとき、ルナは呼吸も荒くすでに顔からは血の気が失せていた。エルシィはルナの頭を腕に抱くと、背中から胸へと貫く傷を確かめる。


「姫様……、申し訳ありません。足手まといに、なっちゃいましたね」


「しゃべるな! 今手当てする!」


 しかし、手当てするとは言ったものの、エルシィは治癒魔法の使い手ではない。


 治癒魔法というのは非常に扱いが難しく、その使い手は世界中でも数えるほどしかいないのだ。残念なことに王国で治癒魔法を使えるものは現在いなかった。いれば当然この旅に連れてきている。


 だからエルシィに出来るのは、町医者がするような物理的手当だけである。血が流れているなら止血をし、薬液を塗って包帯を巻く。そんなことしかできないのだ。


 目の前で大量の血を失い、今も血の気が薄れている人間に対処できる(わざ)など習得していなかった。たとえそんな技術を持っていたとしても、自分の手で息絶えようとしている少女を救うことはおそらく無理だと、もう手遅れだと、エルシィの中にある冷静な部分が訴える。


「継石のこと、黙っていて、すみません、でした」


「謝る必要は無い。ルナのやったことは間違いでは無いぞ!」


「私のせいで、あとを……、つけられて、しまって……」


「返り討ちにすれば良い!」


 痛みも既に感じなくなったのだろう。先ほどまで見せていた苦しそうな表情がルナの顔から消えていた。


「孤児の、私を……、今まで、お側に、おいて、いただいて、ありがとう……、ございました……。姫様の、お側、に、いられて……、私、幸せ、でした」


「まだだ! これからも一緒だ!」


 エルシィは必死に呼びかける。もう無駄だとあきらめる自分の中の理性を振り払い、徒労にも似た会話を懸命に続けた。


 人前で感情の起伏を見せぬよう、野心ばかりが旺盛(おうせい)な貴族たちにつけ込まれぬよう、こちらの隙をつけ狙う他国の外交官たちに口実を与えぬよう、物心ついた頃から体に染みつくまで訓練を繰り返して作り上げた絶対の仮面。王族として人目に触れる場所では外すことのなかったそれがもろくも崩れていくのを感じる。


 彼女にとってルナはただの侍女ではない。たしかに幼少時からエルシィの周りには何人もの貴族令嬢がいた。幾人かは王女の側付きとして共にあった者もいる。


 だが皆エルシィの表面にある王女としての顔には笑顔を向けてくれても、破天荒な本来の顔――エルシィそのもの――には顔をしかめた。流行や恋愛の話題には食いついてきても、城下の市場や街の外にある森の話にはあからさまに迷惑そうな表情を浮かべる。


 そんなエルシィにとって、ルナはただひとりの『自分自身と向き合ってくれる』大事な友人であった。


 立場は侍女だが、表面上だけのつきあいに終始する貴族令嬢などよりもよほどエルシィのことを理解し、そして王女という役割ではなくエルシィ自身へと微笑んでくれた。


 城を抜け出して城下へとお忍びで出かけるときも、門番を出し抜いて森へと遊びに行くときも一緒だった。小言を口にしながらも必ずエルシィの後ろにそっと控え、そして同じ場所で、同じ物を見て、同じ時間を共有してきたのだ。


 友人以上の大事な存在。姉妹のような存在。かけがえのない存在。それが今、目の前で息絶えようとしていた。


 泣きたい。声をあげて泣きたい。私を置いて行くなと叫びたい。エルシィの中を(たけ)る心がかき乱す。


 ルナの声が細くなっていく。呼吸は弱々しく、息を吸うのにも長い時間がかかっていた。その言葉は途切れ途切れで、肺の中に残った空気を使い切るかのようにルナの口から絞り出される。


「最後、の……、お願い、です……。みんな、の……、みんなの、継、石も……、一緒に、儀式で……」


「あたりまえだ! みんな私の大事な国民だ!」


 エルシィの答えを聞いたルナは、安心したようにかすかな微笑みを浮かべると、静かにその呼吸を止めた。


「ル……、ナ……!」


 エルシィは血に濡れるのも構わず、ルナの体を()(いだ)く。幼い頃から共に歩んできたその魂を離さないとばかりに、まるでそうすれば失ったものを取り戻せるかのように、強く、強く抱きしめた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。エルシィにとってはずっと長く感じられた時間も、実際にはほんの短いものだったかもしれない。


 エルシィを現実へと引き戻したのは、洞窟内へ響く苦痛にゆがんだ声だった。


「ぐあぁぁぁ!」


 その声に我を取りもどしたエルシィが振り向くと、そこに見えたのは呆然と立ち尽くすアルフ。そしてその脇腹に深手を負って血を流す隆也だった。


「リュウヤ!」






 エルシィがルナに駆け寄っていくのも隆也の目には入らない。彼はたった今ルナへと剣を突き刺したホルトへ向けて、怒りの限りを剣撃に込めてぶつけていた。


「よくもぉぉぉ! ルナを!」


「おやおや、邪魔しないでいただきたい。せっかく苦しまないようにトドメをさしてあげようと思ったのに」


「ふざけるなあ!」


 隆也は激情のままに剣を振るって面前の敵へとぶつける。旅をはじめた当初、隆也は完全な素人だった。武器を振るったこともなければ、誰かと立ち会って稽古をしたこともない。


 だがこの旅を通じ、ルナから手ほどきを受け、実戦を幾度か経験した隆也の腕は確かに上がっていた。熟練の戦士とまではいかなくても、一人前の戦士と呼んでも大げさではないレベルに至っている。


 だがその隆也をして、ホルトに一撃も入れられずにいた。感情のままに剣を振り回す隆也の単純な攻撃は、簡単に見切られてしまい、受け流されてしまう。

 同時にそれは、攻撃をいなすホルトが隆也以上の使い手であることを示していた。


「リュウヤ!」


 そんな硬直した――ホルトが遊び半分にあしらっていた――戦況を、エルシィの指示で加勢に来たアルフが一転させる。


「おっと」


 横合いからアルフの剣が振り抜かれ、ホルトの腕を剣先がわずかにかする。

 ホルトが隆也以上の使い手であることは確かだ。だがアルフは本職の騎士である。短期間で力をつけたとは言え、にわか仕込みの隆也とは太刀筋の鋭さも比べものにならない。


 加えて数も二対一とホルトに不利だ。手数が多ければそれだけ隆也たちは優位に立てる。


 もちろん単純に数が多いからといってそれが直接戦力となるわけではない。特に近接戦闘においては味方の立ち位置や攻撃動作が逆に邪魔をする事もある。

 長い時間肩をならべて戦った仲間や、軍隊のように連係して戦う訓練をしているならばいざしらず、隆也とアルフではそこまでの関係を望めない。


 だが短いながらも同じ釜の飯を食い、危機を共に乗り越えてきたのだ。一足す一を三とすることはできなくても、一足す一で一.五や一.七くらいにする事は出来る。今はそれで十分だった。


 ホルトの腕は隆也よりも少し上、だがアルフほど戦い慣れているわけではない。であれば、一足す一が一を下回りさえしなければ優位に立つことが出来る。

 そして隆也とアルフは互いが互いの持ち味を殺さない程度には、相手を理解できていた。連係する訓練はしていなくても、相手の性格を踏まえ、そこからどう動くべきかを判断する。


 アルフとホルトの剣がぶつかり合い、生まれた隙をついて隆也が突きをくり出す。隆也が押され気味になれば、その横からアルフが渾身(こんしん)の一撃を見舞う。まがりなりにも連係らしきものが生まれつつあった。

 それはもともと力量がさほど変わらないホルトが追い込まれるのに十分な理由である。


「意外にやりますねえ。ふたり同時に相手するのは無理です、か」


 しかしそんな状況でもホルトの顔には余裕が浮かんでいる。常の隆也ならその表情を怪訝(けげん)に思うはずだが、怒りに心を満たされた今はそんな観察力も失っている。


 ホルトはアルフのいる方を向くなり、()んで含めるようにゆっくりと文言を唱える。


「さあ、『出番は終わり』です。すみやかに『退場』してください」


「何を苦し紛れに――!」


 アルフの後ろという死角から、切り込もうとしていた隆也の動きが止まる。いや、止まらざるを得なくなった。


 それまで流れるような動きで右から、左からと攻撃を加え、常に居場所を変えながら戦っていたアルフが隆也の正面で背を向けたまま棒立ちになっていたのだ。

 アルフの立ち位置が変更することを前提に、正面から切り込もうとしていた隆也の剣が行き場を失って止まる。


「くっ!」


 その隙をホルトは見逃さなかった。彼はあろうことか、敵であるアルフのすぐ脇をすり抜け隆也へ剣を突き出してきた。


「脇がガラ空きですよ?」


 死角を利用して攻撃するはずが逆にホルトに死角を利用され、意表を突かれた隆也の回避が一瞬遅れる。まさかアルフが己のすぐ側を無抵抗ですり抜けさせるとは思わなかったのだ。


 かろうじて身をよじった隆也の脇腹を、ホルトの剣先が切り裂く。急所は避けることができたものの、決して浅い傷ではなかった。


「ぐあぁぁぁ!」


 脇腹をえぐる熱はすぐに痛みへと変わる。これまで体験したことのない激痛に、隆也は獣のような声を響かせた。


 自然と足が動き、後ずさったのは本能的なものだろうか? 痛みをもたらす危険なものから逃げようとして体が勝手に反応したのかもしれない。


 よろよろとふらつきながら、それでも十歩ほど歩いたところで隆也は力なく崩れ落ち、そのまま冷たい地面に横たわった。


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