第22話
「どういうことだ、ルナ?」
どうやらこの場で事情を理解していないのは隆也だけらしい。エルシィたちの表情に疑問を感じた隆也はルナへ答えを求める。
「……姫様がお持ちの継石には国民全員の魔力が取り込んであります。……でも本当は全員では無いんです」
ルナの口からポツリポツリと言葉がこぼれる。静かな洞窟内に彼女の声だけがゆっくりと広がっていった。
「全員じゃない?」
「私は孤児院育ちです」
隆也にとって、ルナが孤児だったというのは初耳だ。旅の最初に「生まれつきの貴族ではない」ということは聞いていたが、おそらく庶子なのだろうと勝手に考えていた。
貴族の令嬢にしては考え方に柔軟性があり、辛い旅でも泣き言ひとつ口にしないのを不思議に思っていたが、元孤児というなら納得が出来る。
「私はたまたま運良くお養父様に拾い上げていただきましたが、孤児院にはまだ大勢の孤児がいます。孤児たちは成人して職に就くまで戸籍が持てません。戸籍が無い者は……、国民とは認められていないんです……」
「……」
「貧民街に住む人たちも同様です。確かに身なりは汚いですし、言葉や振る舞いも粗野かもしれません。犯罪者だって沢山いますし、人を陥れるような人たちだって大勢います。でもみんながみんなそうでは無いんです。貧しくても温かい心を持った人たちもいるんです。薬師のメラニーさん、果物売りのロルフさん、用心棒のイオリアさん、……みんな、みんな私の大事な人たちです。でも、国民とは認められていません。ほとんどが不法居住者だからです」
生まれた時から戸籍を持ち、社会の一員として認められる日本で育った隆也には、それがどういうことなのか実感できない。頭の中では理解できても、それは理解しているだけであって、本当の意味で『わかる』ことはできないのだ。
「でも……、でも、だからといって生きる権利はあるはずです。生きようと願うことは許されるはずです。軍隊に蹂躙されて、取り込まれて、そのままただの力として使役され続けるだけだなんて……、そんなのって……」
ルナの声がかすかに震えていた。そして隆也はようやく知ったのだ。自分が思っていた以上に彼女は多くのモノを背負ってこの旅に臨んでいたことを。エルシィたちにも打ち明けられず、ひとりきりで思い悩んでいたであろうことを。
そうと知れば、襲撃を受けた村へ危険をおしてたったひとり戻っていったことも納得できる。おそらくエルシィの荷物を取りに行ったというのは建前で、実際は継石の入った自分の袋を取りに行くのが目的だったのだろう。
旅の当初、戸惑いだらけの隆也へ優しい声をかけ、さりげなくフォローをしてくれたルナ。その笑顔の裏で、心の内にどれほど深刻な事情を抱えていたことだろう。隆也は自分の鈍さに愕然とする。
「で、その優しいお嬢さんは私財を投げ打ち、裏ルートまで使って継石を集めたというわけです。商品として規定を満たさないクズ継石にまで大金をはたいてね。となればそこでちょいと間に入り込めば、継石に場所を特定するための仕掛けを織り込むことくらいは簡単、っと」
手品の種明かしをするように、明るい口調でホルトが言った。
「そんな、ことって…………」
それを耳にしてルナは真っ青になる。まさか自分の行動が帝国に読まれ、こうしてつけ込まれることになるとは思いもよらなかったのだろう。
「……申し訳ありません、姫様。私の勝手な行動が、こんな……ことになるなんて……」
「…………いや、謝らねばならんのは私の方だ。孤児たちも貧民街の住民も、確かに戸籍こそないが我が国で暮らす民には違いない。彼らに手を差し伸べなかったのは我々王族の不徳ゆえ。ルナが謝ることでは無い」
苦しそうにエルシィが言う。ルナが裏切っていたわけではないことに安堵しつつ、結局突きつけられたのは王族の力不足であるという事実だ。
「孤児や貧民街のことは、王様も気付いていなかったのか?」
「……わからん。もしかしたら気付いておられたのかもしれないが……。ただこうは言っておられた『足りぬ』と」
「足りない?」
「ああ、継石というのは希少物でな。対価を出せば必ず手に入るというわけではない。国中の商会が持っている継石を徴収し、貴族の保有分を供出させ、国宝の装飾や王城の内装に使われている物を全て剥ぎ取ってかき集めても、全国民分には足りなかったのだろう。加えて時間も足りなかったはずだ。国民ひとりひとりが継石に手を触れて魔力を送らねばならない。だが戸籍の無い者がどこに住んでいて、何人存在するのか、おそらく役人も兵士たちも知らぬだろう。それでは周知すら徹底することは難しい。陛下とて……、きっと……」
――苦渋の決断をしたのだろう。と隆也はエルシィが言いたい言葉を察した。
「しかし姫様! 全てを救うことが出来ぬ以上、いずれを助けいずれを切り捨てるかは誰かが決断をせねばなりません! 陛下も姫様もご自身に課せられた責務を全うしただけではありませんか!」
それまで黙って聞いていたアルフが弁護の言葉を口にする。
「だが孤児たちについては明らかな失態であろう。確かに孤児は戸籍を持たぬが、居場所は明らかであるし、人数とて孤児院の長が把握しているはず。もしかすると孤児院からはそのような嘆願が上がっていたのかもしれぬ」
「例えそうだとしてもそれは役人の落ち度です! 陛下や姫様の責任ではありませぬ!」
「それは違う、アルフ。民は役人や兵士を通すことではじめて国家というものを実感するのだ。国家にとって王は頭脳であり、役人は手や足と同じようなものだ。その手で誰かを傷つけたり、守れなかったとして、全て手が悪いと主張するつもりか? そうでは無いだろう。もちろん王とて万能ではない。間違いもあるし守れぬ時もある。だがその責任から逃げることだけはゆるされぬ。全ての責を背負う覚悟がないのなら、最初から王冠など戴くべきではないのだ」
エルシィの言葉にアルフは口をつぐんだ。それでも納得がいかなかったのか、再び口を開こうとした時、場の状況にそぐわない音が流れる。人が手を打ち合わせて立てる音、拍手だ。
「あらあら、ご高説ね。うちの皇族方にも聞かせたいくらいだわ」
馬鹿にしたようなテンポの遅い拍手をうちながら、洞窟の入口から新たな乱入者が現れた。
「ようやくご到着ですか? 遅かったですね」
ホルトが視線を向けた先に歩いてくるのは、年の頃十七、八歳くらいの女。その姿を見た隆也はハッとする。短く切りそろえられた深い藍色の髪と、その顔に見覚えがあったからだ。
その女は隆也たちが襲撃を受けたあの村にいた。ホルトの店で臨時にお手伝いをしていたウェイトレスに間違いなかった。
やはり全員帝国の人間だったのか……。ホルトがそうであったことから多少なりとも予想はしていたが、こんな若い娘までもが無害な村人を装っていたことに隆也は空恐ろしさすら感じていた。
「だって面倒なんだもの。というかまだ終わってなかったの?」
「あなたが来るまで待ってさし上げたんですよ」
「待つ必要なんて無かったのに……」
気だるそうに女が言う。
「せっかくの舞台なのに、観客がひとりもいないのは寂しいですから」
「脚本家は観客じゃないわよ」
「まあ他にあても無かったもので」
隆也たちにはよくわからない会話が続いた。どうやら女はあまり気が乗らないようだ。それが隆也たちにとって、吉と出るのか凶と出るのかはわからない。
「手は足りているの?」
「ええ、私ひとりで十分です。あなたはそこでゆっくりと観賞していてください」
それまで様子をうかがっていたエルシィが、我に返ったように叫ぶ。
「くっ! 増援を待っていたのか!」
ルナの話にしても、『壮途の地』の説明にしても、今思えば数的不利を挽回するための時間稼ぎだったのだろう。そうとは知らず、まんまと相手の策に乗ってしまったことを悔やまずにはいられない。
「貴様がこんなものを持ち込まなければ!」
やり場のない怒りをアルフは継石の入った袋へと叩きつけた。乱暴に袋ごと床へとたたきつけられた継石が、緩んだ口から飛び出してあたり一帯へと散乱する。
「ああっ!」
「アルフ!」
ルナの悲痛な叫びと、咎めるエルシィの声が同時に上がる。
あるものはエルシィの足もとへ、あるものはあさっての方向へと継石が散らばった。当然その一部は明確な敵であるホルトの元へも転がっていく。
「やれやれ、散らかさないでくださいよ。まとめて壊した方が楽なのに」
足もとへ転がってきた継石を、帝国人の男は面倒くさそうに一瞥する。そこから流れるような動きで腰の剣を抜くと、止める間もなくその先端を継石へ突き刺した。
乾いた音を立てて継石がはじけ飛び、オレンジ色の輝きを失った。粉々になった石から様々な色の光がゆらゆらと宙に拡散しはじめる。赤、青、ピンク、紫、水色、橙色……、そのひとつひとつが誰かの魔力なのだろう。
ホルトはまるでゴミを片付けるかのように、淡々と継石を突き刺し、たたき壊していく。 そのたびに彩り豊かな魔力が浮かんでは消えていった。
ルナが悲痛な叫びをあげる。
「ああぁ! みんなが! みんながああぁぁぁ!」
ルナはとっさに駆け出すと、手当たり次第に継石を破壊するホルトの足もとへその身を投げる。
「やめてぇ! お願い! やめてええぇぇぇ!」
ルナにとってその光は姉妹のように育った子供たち、その輝きは兄弟のように慕った仲間たち、その彩りは父や母のようにいつも温かく包んでくれた恩人たちであった。大事な人たちの光が目の前で次々と消えていく。
ルナは発狂せんばかりに声をあげる。喉がつぶれん限りに絶叫する。なりふり構わず感情のままに涙を垂れ流す。それでもホルトの手は止まらない。その剣が振り下ろされ、突き刺される度に次々とルナの大事な人たちが消えていった。
「ルナ!」
我に返った隆也が踏み出したときにはもう遅かった。
散らばった継石を護ろうと、必死で手を伸ばすルナにホルトの腕が向く。
その瞬間、隆也の視界は時間の流れを停止させた。
ホルトの手に握られた剣の先端がはじめて継石のないところへ向けられる。滑るように突き出された刃は、そのまままっすぐに栗色の髪を持つ少女のもとへと吸い込まれていった。
その小さな体をいっぱいに広げて、ひとつでも多くの継石を庇おうとしたルナの背中に剣が突き刺さる。無情な切っ先は、懸命な少女の体をいとも簡単に突き抜けた。
「あ……ぅ……」
「おっと、すみません。飛び出すと危ないですよ」
口にするのは謝罪と忠告。だがその表情は明らかにこうなることをわかっていて実行した者の、確信的な笑みが浮かんでいた。
「あなたにはお世話になりましたからね。痛い思いをさせるつもりはなかったんですが」
そう言いつつ、ホルトが剣身をルナの体から引き抜く。
「か……ふ……」
吐息のような声と共に、ルナの口から大量の血がもれだした。剣が貫いた体からはおびただしい量の血が床へ流れ出す。
「おや、痛そうですね……。せめてものお詫びに、すぐ楽にしてさしあげますよ」
白々しく口にしたホルトは、剣を振りあげてルナの首に狙いを定めた。
「やめろおぉぉぉ!」
地を蹴って猛然と踏み込んだ隆也が、ホルトの剣よりも早く、その怒りを剣に込めて放つ。ホルトはさほど未練も残さずに標的を隆也へと変更すると、隆也の剣を軽やかに受け流しながら宣言するように言った。
「さて、ちょっとフライング気味の開幕でしたが、観客も到着しましたし、開演といきますか」
不敵な笑みを見せてホルトが隆也へ剣をくり出す。
「アルフ! リュウヤの援護を!」
「いえ! 今のうちに姫様は奥で儀式を! 私が命に替えても食い止めます!」
「あのままルナを捨て置いてはおけん!」
エルシィはアルフの返事も待たずに飛び出すと、床に倒れこんで血を流すルナへと駆け寄っていく。
「両方ともせいぜいがんばれー」
視界の端では帝国女がのんきに手を振りながら、応援ともヤジとも取れる声をあげていた。




