第18話
ルナを連れ立って買い出しに出た隆也は、早々に衆目の的となっていた。
それも仕方がないだろう。隆也の服装は日本でも特に珍しいものではない。動きやすさを重視したシンプルな作業服である。確かに汚れはひどいものだが、それでも街中でよく見かける仕事着だ。
しかし隆也のとなりを歩く少女は違う。芸能プロダクションのスカウトを受けてもおかしくない容姿は人目を引き、栗色の髪をまとめ上げてむき出しになったうなじが歳不相応の色気を醸し出す。
身にまとうのはファンタジー世界のメイドを思わせるエプロンドレス。しかもコスプレではなく本職の侍女だから立ち振る舞いにもさりげなく気品がにじみ出ている。注目を浴びるなと言うのが無理な話だろう。
当のルナは見たことのない光景にキョロキョロと視線を巡らせながら、隆也の後を歩いていた。
「リュ、リューヤさん。なんでこんなに人が沢山いるんですか!?」
「ああ、ここは人が多い街だからね」
「あ、あの灰色の塔は何ですか? 何であんなに沢山建っているんです!?」
「あれは事務所やお店が入っている建物だよ。人間が多いからこうやって高い建物にしないと土地が足りないんだ」
立ち並ぶビル群を見て驚くルナへ、隆也は丁寧に答えていった。
「すごい……。よほど高名な建術士が携わったのでしょうね……」
「いや、魔法使って建てたわけじゃないんだけど……」
異世界で城などの大きな建築物を造る際は、大抵の場合魔力を駆使して行われるらしい。その中でも魔力配分を含め、労働者たちを束ねて全体を監督する人物を建術士と呼ぶ。日本で言う親方みたいなものだろうと、隆也は考えていた。
当然ルナにしてみれば、王城よりも遥かに高い塔を建てるからには高名な建術士が指揮をとったのだろうと考える。だが建築に魔力を使うことがない日本で、そんな職業の人間がいるわけもない。
次々と驚きに包まれるルナの耳は、隆也のつぶやきにも気がつかない。
「リューヤさん! なんか箱がいっぱい動いています! すごいスピードですよ!」
「あれは自動車って言うんだ。えーと、人を運ぶための馬車みたいなもんだよ」
ルナの疑問へ丁寧に答えながら、隆也は近場のお店を思い起こす。まずはエルシィたちの着替えだが、これは何も高級なものである必要はない。動きやすくて目立たない、そんなありふれた服でいいのだ。
「えーと、ルナ。まずはエルシィ様たちの服を買いに行きたいんだけど……、あれ?」
頭の中でこれから行こうとするお店のめぼしをつけ、隆也がルナへと声をかける。だがそこにいるとばかり思っていた当の侍女が見当たらない。
「ちょっ、いきなり迷子とか……」
一瞬隆也は焦る。携帯端末を持っている者同士であれば、リアルタイムで連絡が取れるためお互いはぐれるということはまずない。だがルナがそんなものを持っているはずもなく、ましてやこの世界の人間ですらないのだ。いくら目立つ格好だといっても、一度はぐれてしまえば再び見つけるのは難しい。
そんな隆也の心配はすぐに解消される。意識を集中してみると、こちらの世界でも魔力を感じることが出来たからだ。数百数千の中に、隆也はこれまで何度も感じたことのある魔力をすぐに見つけ出した。そよ風のふく静かな草原を思わせる穏やかな若草色、ルナの魔力だ。
隆也は魔力を頼りに雑踏をかき分けていく。そして十メートルほど道を戻った位置にルナを見つけた。だがホッとしたのも束の間、見ればルナは三人の若い男に囲まれて困惑の表情を見せていた。
隆也はあわてて駆け寄っていく。
「ねえねえ、それってコスプレ? かわいいねー」
「俺達と一緒にお茶でもしない?」
「ひとりなの? 友達とか一緒に来てるんなら、合流しようぜ」
近付くにつれて男たちの言葉が耳に入ってくる。単なるナンパっぽい。
「ルナ!」
「あ! リューヤさん!」
隆也が声をかけると、それまで戸惑いを浮かべていたルナの表情が途端に明るくなる。
「あん? なんだよテメエ?」
突然割り込んできた隆也へ、男たちが敵意の視線を送ってきた。
面倒なことになった。そう思った隆也はさっさと勢いのまま場を立ち去ることにした。人通りの多い場所だから、相手も強引なことはしてこないだろうと考えたからだ。
「ああ、すみません。この子、俺の連れなんです。それじゃあ――」
「おい、待てよ」
「きゃっ」
素早くルナの手を引いた隆也がそそくさと逃げようとしたとき、男たちのひとりがルナの腕を乱暴につかむ。
「放してもらえますか……?」
それでも事を穏便に済ませたい隆也は丁寧な口調でそう伝える。
「まあ、そうあわてんなよ。俺たちは別にお前に用はないんだから」
「そうそう、俺たちが話したいのはこのお嬢ちゃんなんだよ、お前はすっこんでろ!」
「この子、ちょっとだけ俺たちに貸してくれない? 二、三時間ですむからさ」
隆也の外見と控えめな物言いに、取るに足らぬ相手と判断したのだろう。隆也を無視した男たちは口々に言いながらルナの体を引っぱりはじめた。
「放してくれ」
隆也の顔から表情が消える。できる限り騒ぎを起こさないようにと考えていたが、男たちは引いてくれないようだった。
「なんだ、その目は? 女の前だからって格好つけてんじゃねえよ!」
「だっせえグローブなんかはめやがって、それで強くなったつもりか!?」
そのセリフに隆也が一瞬怯む。男の気迫に押されたからではない。自分のうっかり加減にめまいがしそうになったからである。
てっきりルナの容姿が人目を引いているとばかり思っていたが、よくよく考えてみると隆也自身も目立っていたのだ。有翼獅子の刺繍が入った黒い指ぬきグローブ、しかも左手だけなんて、どこからどう見ても重度の中二病患者だ。穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。隆也の人生に黒歴史がまたひとつ刻まれた瞬間であった。
だが今はそんなことに気をとられている状況ではない。隆也は泣きたいくらいの恥ずかしさをいったん胸にしまい、気を取り直して男たちへ立ち向かう。
「ルナを放してくれと言っている」
「いいから、ガキはとっととすっこんでろ!」
弱そうなくせにいつまでも食い下がってくる隆也が気に障ったのだろう。男のひとりがとうとうその拳を振り上げて隆也へと突き出してきた。
ひと月前の隆也であれば、それは避けることの出来ない一撃だった。だが異世界で命の危険を何度も経験した隆也にとっては、とるに足りぬものだ。すさまじい速度で突進してくる三本足の黒い獣や、隙をうかがい前後から襲いかかってくるコルの動きに比べればあくびが出るほど遅い。
迫り来る拳を眺めながら隆也は他のふたりへも注意を配る。ひとりはルナの腕をつかんだままだが、もうひとりが隆也の死角を狙って移動していた。それを確認した隆也は、ひとまず前方の男に対処する。
殴りかかってくる右腕を首の動きだけでかわすと、カウンター気味に足を引っかける。向かってきていた男はバランスを崩して自らの勢いそのままに倒れこんだ。
次いで隆也は振り向きもせずにヒジ打ちを側面へ叩き込んだ。あてずっぽうでくり出されたかに見えるそれは、死角から襲いかかろうとしている男のアゴへ見事に直撃する。魔力感知で周囲の状況を把握している隆也にとってそれは狙い通りの一撃であったが、タネを知らない人間にとってはまるで達人の妙技と感じられただろう。
「くそっ!」
最初に殴りかかってきた男が立ち上がろうとしたところへ、隆也の足が勢いよく踏み下ろされる。
「ぐあっ!」
男の肩が隆也に踏みつけられて乾いた音を立てた。骨にヒビが入ったか、あるいは肩が外れたか。いずれにせよ、うめき声をあげる男はすでに戦意を失い、怯えた目で隆也を見ることしか出来なかった。
「まだやるの?」
隆也の声が冷たく響く。
「い、いや、しません! 助けてください! 許してください!」
男にも隆也が自分より遥かに強い相手だとようやくわかったのだろう。さぞ痛みはひどいだろうに、その顔は苦痛よりもむしろ恐怖でゆがんでいた。ものすごい勢いで首を左右に振りながら後ずさっている。
隆也がルナの方へ視線を転じれば、最後に残っていた男がルナから手を放しあわてて逃げていくところだった。
「あ……、その……、リューヤさん、ありがとうございました」
「ごめんな。すぐに気がつかなくて。警察が来ると面倒だからさっさと移動しようか」
隆也はルナの手を取ると、そそくさとその場を後にする。
「すみませんでした。手を出して良いものかどうか判断がつかなかったもので……」
手を引かれながらルナが言った。
「ああ……、殺したり血を流したりしなければ、少々痛めつけるくらい大丈夫だよ。骨を折るくらいなら、まあ正当防衛が認められると思うけど……、警察に事情聴取とか受けている時間はないんだよなあ」
本来あの程度が相手ならルナひとりでも十分対処できるはずだ。だがまるで別世界の――実際そうなのだが――異国で下手な対処をして問題になるのはまずいと、ルナなりに自重していたのだろう。あれがアルフだったら止める間もなく大騒ぎを起こしていたに違いない。エルシィでも身を守るためにとっさの反撃をする可能性があった。連れてきたのがルナで良かったと、隆也は心底ホッとした。
そのまま隆也たちは近場にあるファストファッションのお店へ入り、エルシィたちの着替えを見繕う。店内一杯に並べられた服の数と種類に、ルナは興奮しきりだった。おしゃべりとスイーツ、そしてファッションが女にとってこの上ない楽しみであり、生き甲斐であるというのは、地球も異世界も大して変わりがないようだ。
これまで見たことのないテンションで、楽しそうに服選びをするルナを見た隆也は安心した。村での一件以降、気落ちしたルナに隆也も少なからず気を揉んでいたのだ。
着替えを買った後、ふたりはそのまま食糧の買い出しに向かった。大型の食品スーパーへ入ると、その品揃えにルナがまたも驚嘆の声をあげる。
道中の味気ない食事にうんざりしていた隆也は、荷物になるのを承知の上で調味料や保存食品を買い込んでいった。
服と一緒に購入した大きめのボストンバッグが限界にふくらむまで詰め込むと、ようやく廃工場への帰路へつく。
太陽が天頂を通り過ぎてしばらくしてから、衣服と食糧の調達へ出かけた隆也たちが戻ってきた。
「戻りました」
弾んだ声で帰着を告げるのはエルシィの幼なじみだ。
「うむ、ご苦労。どうだった、ルナ? リュウヤの故郷とやらは?」
「それがすごいんです! 見たこともない箱が沢山走っていて、建物も王城に匹敵するほど高いものがあちこちに!」
村の一件があってからというもの、意気消沈した様子を見せていたルナだったが、隆也と共に物資調達から戻った彼女は本来の快活さを取りもどしていた。そのことにエルシィは少しだけ安堵する。
「服飾店に行ってまたびっくりしました! 一流の職人が作ったと思わしき品が見渡す限りこう、ずらーっと! 食料品を買いに行けば、こちらも大広間より広いスペースに見たこともない珍しい食材があふれんばかりに積み重ねられて! しかも日が暮れているわけでもないのに魔法の灯りがふんだんに使われて、屋外よりも明るいくらいなんです! 建物の中は全部涼しくて、外の暑さとは全然違うんですよ!」
「お、落ち着けルナ。気持ちはわかるが、さっきからリュウヤが笑っているではないか」
窓に叩きつけられる大雨のごとく、ルナの口から次々とくり出される言葉は息つく暇もない。隆也の故郷を見て受けた衝撃がいかほどのものか伝わってきた。
「も、申し訳ございません。つい……」
「ああ。……まあ、なんだ。楽しんだようで何よりだった」
落ち込んで元気がないルナに、少しでも気分転換をさせようと隆也へ同行させたのはエルシィの心配りである。そんな自分の判断が間違いではなかったことをエルシィは喜んだ。
隆也たちが調達してきた衣服は、見たところ耐久性が心許ない薄手の作りだ。隆也が言う「街中で一般人が着るもの」であるからには、それも仕方ないことだとエルシィは考えた。しかしその点を引き替えにしても質感の方はすばらしく、その縫製を見れば職人の腕が並ではないことをうかがわせた。熟練の業を思わせる歪みのない縫い目はエルシィたちを驚嘆させる。
しかもそれらは全て、人が袖を通したことのないおろしたてだという。王族であるエルシィや貴族出の騎士であるアルフにとっては当たり前のことだったが、それを興奮気味に語るのはルナだった。彼女は貴族の令嬢であるが、生まれながらの貴族ではない。幼少時は孤児院で育った身であり、新品の服を買うということが平民にとっていかに大変なことか知っていたのだ。ルナに言わせれば、新品でこれだけの服は平民が一年間に稼ぐ賃金を全て合わせても買えるかどうか、というところらしい。
そんなものなのか。と王宮育ちのエルシィは思ったが、少なくとも隆也にかなりの金銭的負担を強いてしまったことは理解できた。まあ事前に十分な報酬を払っているのだから、隆也としても懐には余裕があるだろう。エルシィは自分をそう納得させる。
だが――。
「どうにも足もとが心許ないのだが……」
そうは言っても不安は抑えられない。なにせ隆也たちが買ってきた服のデザインが、ずいぶん変わっていたからだ。
上半身に着る服はまだ良い。清潔な印象を与える純白の色、シンプルながらもところどころにつけられたフリルのアクセントが上品な装いを感じさせる。半袖なのは暑さ対策だろう。エルシィの故郷でも夏季に半袖の服を着ることはある。
問題は下半身にまとう方だ。腰から裾にかけて広がっていくデザインのスカートはエルシィの故郷にもある。実際ルナが着ている侍女服がそうだ。だが隆也が買ってきたスカートは明らかに丈が短い。短すぎた。その裾はヒザ上にかかるあたりで途切れてしまい、以降エルシィの素足がむき出しになっているのだ。
「これで……、本当に間違い無いのか、リュウヤ?」
「ああ、ばっちりだ」
隆也曰く、故郷においてはごく平凡な装いだとか。エルシィは初めて隆也へ疑念の目を向けることとなった。
横を見ればアルフも着替えが終わっている。彼は白を基調としたシンプルなシャツ――なにやらよくわからない図と文字が書いてある――と、青くてゴツゴツとしたズボンを身につけている。これも隆也の故郷では目立たない格好なのだとか。
いつも聞き慣れたアルフの抗議だが、今回ばかりはエルシィも同意せざるを得なかった。




