第17話
真っ白な視界に少しずつ暗色がにじんでいく。やがて意識がはっきりしてくると、エルシィたちはここが建物の中であることに気づいた。
四人全員の顔を見渡し、さらに獣たちが周囲にいないことを確認して、ようやく危険が遠ざかったことを知る。
「ふう……」
誰ともなく安堵の息が聞こえた。あるいは全員の口から出たものだったのかもしれない。
「それでリュウヤ、ここはどこなんだ?」
「再びようこそ、我が故郷へってとこかな?」
落ちつきを取りもどしたエルシィが問いかけ、隆也はそれに軽い笑みを見せながら答える。
エルシィもアルフもうさんくさそうな目であたりを見回した。
それもそうだろう。隆也は故郷と言ったものの、あたりには人影が全くない。見えるのは周りを垂直に囲んでいる無機質な壁と、それを追った視線の先にある高い天井。灯りは無いらしく、壁の高い位置にところどころある窓からわずかな夕陽が差し込んでいるだけだ。地面はむき出しのコンクリートで、あちこちに何かの設備らしき物体がうち捨てられていた。それらの設備が既に本来の機能を果たさないであろうことは明らかである。
エルシィたちにとっては見たことも無い建築物の内側、隆也にとってはただの廃工場で一行はようやく落ち着くことが出来た。
「さて」
全員が一息ついたのを確認して隆也が切り出す。
「これから俺の故郷を通って、次のポイントまで移動するわけだが……」
「何をそんなに言い辛そうにしている」
「えーと、まあ……。その前に色々と注意を促しておかなきゃならないことが多くてね」
前回はひとけのない山奥を歩いたから問題がなかった。だがここは東京のどまんなかである。地球の、そして日本の常識を知らない異世界人が何も考えずふらふらできる場所ではない。
「まず、俺の故郷ではこういった刃物を持ち歩いているだけで警察――治安維持をする衛兵みたいなものなんだが、その衛兵に捕まる」
「なに!? 持っているだけでか?」
エルシィが驚きの声をあげた。
「そう、持っているだけで。料理用の小刀くらいならまだしも、戦闘用の刃物を持って街を歩くとまず間違いなく捕まる」
料理用の包丁ですら、これ見よがしに持っていたら通報されてしまうだろう。武装した傭兵や騎士が街を闊歩している異世界の常識では考えられないことである。
「しかし我々は王族とその護衛だぞ!? 犯罪者と一緒くたにされるなどあってはならぬことだ!」
アルフの反応は予想していたのだろう。隆也は淡々と説明を続けた。
「我が故郷では王国のことを知っている人間はいません。多分俺だけですよ、知っているのは。だから王族とか護衛とか言っても、聞き入れてもらえないと思いますよ。第一、目立つのは避けたいのでしょう?」
「む……、確かにそうだが……」
「武器を隠すのは絶対条件ですが、それと同時に服装も変えてもらいます。俺の故郷ではアルフさんやエルシィさんの格好が目立ちすぎるんです」
「ルナの服装は良いのか?」
自分の格好にダメ出しされた形となって、ポニーテール美人が少々ふてくされ気味に疑問を投げかける。
「えーと、ルナの服はギリギリ大丈夫かと。目立つのは目立つんですが、皆無というわけでもないので……」
歯切れの悪い物言いも仕方がない。ルナの装いは侍女風の――、いや侍女そのものである。普通に考えれば現代日本でそうそうお目にかかるような格好ではない。だが絶対に見かけないと言い切るほどでもなかった。とある街のごく限られた地区においてはむしろ頻繁に見かけることすらある。本当にごく狭い地域においてのみだが……。
人目を引くことは確かだろう。しかしエルシィやアルフよりはまだマシだと隆也は考える。
「わかった。故郷のことはリュウヤが一番よく知っているだろう。できる限りその流儀に合わせる」
仕方ないといった風にエルシィが了承する。
「助かるよ」
とはいえ、エルシィにとっては右も左も分からない土地のことだ。今後の方針を決める上でも聞くべきことは他にもある。
「で? これからどうするのだ?」
「とりあえずは明日の朝、俺がひとりで洋服や荷物を入れる袋を買ってくるんで、この場所で待機していて欲しい」
「ここでか?」
あたりを見回すポニーテールが、その名の通り尻尾じみた揺れを見せる。多少顔に不満が浮かんでいるのも仕方ない。今は旅人とはいえ、元は王族の姫君である。得体の知れぬ、しかも一見廃墟にしか見えない建物で待機せよというのは、例えそれが必要なことだと理解していても喜ばしいことではないだろう。
「服を着替えるまでは我慢してよ。その格好で外に出たらものすごく目立ってしまう」
「むう……、仕方あるまい」
渋々と隆也の提案を受け入れるエルシィ。
一行はそのまま廃工場で一夜を明かした。隆也が火をおこさないよう言ったため抗議の声が上がるが、幸いここは夏の東京である。夜でも凍えることはなく、また窓から差し込む街灯りで最低限の視界は確保できた。問題があるとすれば食事が妙に味気ないものとなってしまったくらいだろう。
明けて翌日。衣服と食糧の補充をするため、ひとりで廃工場を出ようとする隆也へエルシィが待ったをかける。
「じゃあ、行ってくる」
「ちょっと待て、リュウヤ」
「なに?」
「ルナの格好はここでも不自然なものではないのだろう? だったらルナも連れて行ったらどうだ?」
「ルナを?」
隆也がルナに目をやると、彼女はきょとんとした表情で小首をかしげていた。
「ああ、装備を調達するのなら、持ち運ぶ手は多い方がいいだろう」
「それは……、そうなんだけど……」
エルシィの言うことはもっともである。衣服と食糧、言葉にすれば簡単だが、三人分の服だけでも結構な荷物だろう。ましてこの先必要とする食糧を考えれば、確かに隆也一人で持ち運ぶのはつらいかもしれない。だがしかし、ルナが着ているのは王宮侍女のエプロンドレス。某オタク街ならいざ知らず、一般の食料品店では悪目立ちしすぎる。
しばしそのメリットとデメリットを天秤にかけ揺れていた隆也が結論を口にした。
「……うん、わかった。手伝ってもらおうか。ルナ、いいかな?」
「あ、はい。ではエルシィ様、私はリューヤさんの付き添いでお側を離れますので」
「ああ、頼んだぞ」
こころよく承諾したルナが、荷物の中から何か取り出そうとする。それを見て、支払いに必要な路銀でも持っていくつもりだろうかと、隆也は考えた。
「ん? ルナ? 別に何も持っていかなくて良いよ?」
「え? あ、はい」
声をかけられたルナだったが、口ではそう答えながらも荷物から袋を取りだして腰に吊す。隆也の目にはそれが路銀を入れた財布としか見えなかった。
「どっちみち王国のお金はこっちじゃ使えないんだし、身軽な方が良いんじゃない?」
「いえ……、その……、大丈夫です」
奥歯に物が挟まったような、すっきりとしない返答がルナから戻ってくる。
その反応が多少気にかかったものの、隆也としては「そうか」と言うほかなかった。だが彼らから引いた場所には、いつもにも増して険しい表情を浮かべ、侍女へ視線を向ける騎士が無言で立っていた。
隆也たちが物資調達へ出て行った後、廃工場ではエルシィとアルフがふたりの帰りを待っていた。
隆也からは「ここを出ないように」と前もって言われている。エルシィとしては体がなまらないようアルフと手合わせでもしたいところだ。だが現状では大きな音を立てるのも避けるべきだと判断し、良い機会だからと装備の手入れを始める。
「姫様、昨日の襲撃どう思われますか?」
「突然なんだ?」
アルフが話しかけてきたのはそんなタイミングだった。
「昨日だけではありません。その前の村で襲われた件にしろ、不自然すぎます」
それはエルシィたちが受けたふたつの襲撃――村での襲撃と、獣繰りの襲撃――である。
「何が言いたい」
「襲撃の背後にいるのは帝国。それは間違いないでしょう」
アルフの言わんとするところはエルシィにも理解できた。敵の正体がハッキリとしたわけではないが、昨今の情勢を考えても、もっとも可能性が高いのは帝国である。
もちろん王国には他の仮想敵国もある。表面上は友好関係を築き、テーブルの上で握手をしていても、テーブルの下では蹴り合うのが国同士のつきあいというものだ。しかし獣繰りの存在が確認できた今、敵の所属は『もしかしたら』ではなく『おそらく』でもない、『ほぼ間違いなく』というレベルで推測が可能だ。
「だろうな。昨日襲ってきたのは明らかに調教された獣だった。獣を兵士として使役し、しかもあれだけの数と練度を誇るのは帝国以外にあるまい。とすれば村の襲撃も背後にいたのは帝国……、いや、リュウヤの言うように子供が全く見当たらなかったことを考えると、村人全員が帝国兵の偽装だったということも考えられる」
「問題はそこではありません。なぜ我々の通るルートが帝国に知られていたかという点です」
アルフが言おうとしているのは、敵が誰かということではない。なぜ自分達がピンポイントで襲われたか、である。
「昨日の襲撃にしてもそうです。わざわざ通るルートを予測されないよう迂回したにもかかわらず、見事なまでに待ち伏せされていました」
「我々の位置が帝国にもれている、そう言いたいのだな?」
「ご明察恐れ入ります」
エルシィはアルフの言いたいことがわかった。わかったからこそ、苦々しい感情が心を締め付ける。
「しかも、このタイミングで話を切り出すと言うことは……、ルナかリュウヤ、どちらかを疑っているのだろう?」
「両方です」
「馬鹿なことを」
アルフの言葉をエルシィは一蹴する。
「何をおっしゃいますか。片や得体の知れぬ平民の運び屋。片や貴族とはいえ、元は捨てられた孤児ですぞ」
「黙れ」
エルシィの目に鋭い光が宿った。
「ルナは私が幼少の頃より側に置いていた、もっとも信頼する側仕えだ。リュウヤについては確かに知らぬ事は多い。だが私も陛下もリュウヤがそのような人物ではないと判断して仕事を依頼した。短い時間ではあるが、共に旅をしてきてその判断は間違いではないと確信している。アルフは私の目が節穴だとでも言うつもりか?」
「そうは申しておりません」
「そもそも我々の旅路を知っている者は王都にも大勢いる。具体的な場所は知らずとも、壮途の地がいずこにあるか、大まかな位置はわかっているのだ。むろん裏切り者がいるとは思いたくないが」
――王都にいる者達から情報がもれている可能性もある。エルシィは暗にそう匂わせた。
「最初の襲撃だけであればそうかもしれません。ですが昨日の襲撃はどう説明するのです? あのルートを通ることは、我々以外誰も知らなかったはずです」
「……」
それを言われるとエルシィとしても反論に窮する。
エルシィたちが壮途の地へ赴くことは、王国のしかるべき役職に就いた者であれば知っているだろう。正確な場所はわからないまでも、隆也へ告げたように大まかな位置なら分かっていた。だから村で受けた襲撃は理解できる。
しかしその後にルート変更をしたことは、共に旅をする四人以外知る者は居ない。もちろん尾行されていた可能性はある。いくら隆也の魔力探知が広範囲をカバーすると言え、その精度には限界があるし、その距離も無限ではない。隆也よりも遠方からこちらの動向を探る術が帝国にあるかもしれないのだ。
「もうよい。アルフの心配はもっともだし、今の話も忠告として聞いておこう。しかし私はふたりを信じている。だからふたりを疑うような事はもう言うな。この話はこれで終わりだ」
「……はい」
アルフとしてはエルシィからそう言われれば、反論することができないだろう。だがその表情は決して納得したとは言いがたいものであった。
2015/11/23 誤字修正 ルナが来ているのは → ルナが着ているのは




