第15話
村で襲撃を受けてから五日後。隆也たちは当初のルートを大きく迂回して道もない山すそを進んでいた。
綺麗に整備された街道とは違い、どうしても歩みは遅くなるし、体力も余分に消費する。だがそのおかげで何者かに襲われる危険を回避できているのだろう。ここに至るまで野生の獣と遭遇することはあっても、襲撃者はおろか人影すら目にすることはなかった。
「リュウヤ、次のポイントはもうそろそろか?」
「ああ。あとちょっとで見えてくると思うよ」
共に旅をして十日以上が経ち、エルシィに対する隆也の口調もずいぶんと砕けてきた。その度にアルフから睨むような鋭い視線が飛んでいるのだが、それ以上の実害がないため隆也もあまり気にしなくなっている。
村を出てから翌日、翌々日と緊張を強いられていた隆也たちだが、五日間襲撃を受けなかったことで緊張が緩んでいたのかもしれない。ようやく目的地が近付いてきたことも気の緩みをもたらす原因だったのだろう。村を出た直後は頻繁に行っていた魔力探知も、無意識のうちにその回数を減らしていた。
だが目的のポイントまであと少しといった距離で魔力探知を行った時、その反応を見て自らのうかつさを隆也は呪った。人間サイズの魔力が多数、隆也たちを円上に囲んでいたからである。
「エルシィさん」
「ああ、分かっている。気付いているか、アルフ?」
「はい。明らかに私達を包囲しようと動いているようです」
「リュウヤ。すまんがルナを――」
エルシィがそこまで言った時、木陰から空気を切り裂く音を立てて矢が飛んでくる。すかさずエルシィが魔力障壁で矢をそらすと、伺うように周囲で待機していた何かが一斉に襲いかかって来た。
「来る!」
隆也の警告と全員が武器を抜き放ったのは同時だった。
木々の影から黒い毛皮の獣が現れる。人間よりやや小さめであるその獣は、三本の足で器用に地を蹴り、ドリルのように尖った角をこちらへ向け突進してきた。
真っ先に激突する正面の獣に対して、アルフが迎え撃とうと立ちはだかる。
「横からも来る!」
隆也がとっさに警告する。
「何!?」
慌ててエルシィは側面からの攻撃をかわし、その黒い毛皮をなで切りにする。
「硬い!」
横からの攻撃に体勢を崩された一行へ、正面からの獣が突進してきた。
アルフの剣が突きをくり出すも、その強靱な毛皮に軌道をそらされて傷を与えることが出来ないでいる。
「くっ! 野生の獣では無いな!」
エルシィの声に焦りが混じる。獣の動きが明らかに不自然であったからだ。
獣の中には群れをなして狩りをするものもいる。追い込み役と待ち伏せ役に別れて獲物を罠にはめるといった風に。だが今襲いかかって来ている獣の動きはそんな本能的なものではない。正面からまっすぐやってきた獣を迎え撃とうと構えた隆也たちに対して、接敵直前でその突撃速度を意識的に抑えたのだ。敵の目前で突進の速度を落とすという獣らしからぬ行動。その狙いはすぐに明らかとなった。
正面の敵に集中していた隆也たちへ、側面から獣が攻撃を加えてきたのだ。もちろん横から獣が向かってきていることは隆也たちも気がついていた。だが距離を考えれば正面からの獣がいち早く突撃してくることがわかっていたため、まず正面に対応し、次いで側面の敵に対応しようと構えていたのだ。
獣の動きはその構えに対して裏をかいたことになる。正面の獣が速度を緩めることで接敵のタイミングをずらし、本来あとになるはずの側面攻撃を繰り上げる。さらに予想外となるその攻撃で体勢を崩したところに正面の獣が時間差をつけて突撃する。
人間の知能、判断を逆手にとった戦い方だった。人間以外にそのような知恵を持っている獣がいないのは周知の事実。であれば、何者かに指揮されていることがうかがい知れるというものだ。
「まさか帝国の獣繰りか!?」
忌々しそうにアルフが言う。
「獣繰り?」
「飼い慣らした獣を操って戦う帝国独自の兵士だ」
隆也の疑問にエルシィが答える。なぜ帝国が、という疑問が生じるが、それを口にしている状況ではないということは隆也もわかっている。それにどうせ話してはくれないだろうという諦めの気持ちもあった。
「リュウヤ、獣達の向こう側に人間らしき反応はないか?」
「……ちょっとわからない」
指揮をしている人間を倒せば、獣たちは制御を離れる。だが獣繰りは隆也たちの視界に見当たらない。獣を操ってこちらを攻撃している以上、おそらく目の届く距離には居るのだろうが、木々や岩場など視界をさえぎる物が多いこの場所では獣の攻撃をいなしながら探すのも無理がある。そうなると地道に獣たちを減らすほかない。結局目の前にいる獣をどうにかする必要があるのだ。
横から、後ろから、そして正面から、黒い体を勢いに任せて獣たちが襲いかかってくる。障害物の多い場所にもかかわらず、たった三本しかない足で器用に避け、その動きに不自由さは感じられなかった。ほんの数歩だけでトップスピードに乗り、そのまま速度を緩めることなく隆也たちの居る場所を突き抜けていく。まともに受け止めるのは危険すぎ、かといって身をかわしながら有効打を与えられるわけでもなく、隆也たちは防戦一方に追い込まれていた。
だが唯一の救いは、同時に襲いかかってくる数と方向に制限があることだった。獣同士が激突するのを防ぎ、突進のスピードを活かすために獣繰りが指揮している結果なのだろう。
「足を止められればな……、正面からあの毛皮を突き破るのは無理か」
エルシィの言葉に隆也も同意した。隆也自身も小剣で突き、払い、なんとかして一撃入れようとしたのだが、ろくに傷をつけることも出来ずにいる。
獣の黒い毛皮は非常にやっかいだった。一本一本が針金のように硬く太いもので、毛皮というよりむしろ無数の針をまとっているように感じられる。頭の先から後方へ向けて均等に並んだその針は、突きの威力を削ぐのではなく軌道をそらして受け流してしまう。
たとえ横から切りかかっても針同士が互いに衝撃を支え合い、その威力が分散されてしまう。まるで天然の鎖かたびらのようである。加えて常に移動し続けているため、切りつけた剣を無数の刃がはじき続けているような状況を生んでいるのだ。エルシィが「足を止められれば」と苦々しく言うのも理解できる。
おそらく前方や側面からの打撃にはめっぽう強い構造の毛皮だが、逆に言えば後方からの攻撃に対してはその特性が生きないだろう。後ろから横なぎに斬りかかれば針の隙間を縫って刃が届く可能性は高い。だがそのためには獣の足を止める必要がある。
「効くかな?」
隆也はそう言うと、村で初めて使った足止め用の技を使う。
「絡まれ!」
その声と同時にアルフへと突進していた獣の動きが目に見えて遅くなった。三本足へ網状となった魔力が絡みつき動きを阻害する。そのうえ粘着性の魔力がさらなる悪意を持ってまとわりついた。
「よくやった!」
先ほどまでより遥かに避けやすくなった獣の突進をかわすと、アルフはそう叫びながら獣とすれ違いざまに横なぎの一撃をくり出す。
鋭く放たれたその剣撃は、勢いの鈍った獣を背面から襲った。本来の速度であれば、その剣が届く前に軌道上から逃れていたはずの獣は、思うように動かない足をじたばたと動かしている間に切り裂かれる。
「よし、いけるぞ! リュウヤはそのままヤツらの足止めを! 私とアルフが迎撃する! ルナはリュウヤに向かってくる獣の牽制を頼む!」
隆也の技によって対処法を確立したエルシィたちは、獣が突進を繰り返すたびに一体また一体と確実に仕留めていく。そうして獣の数を半数ほどに減らした頃、敵の動きが明らかな変化が生じる。
「突進してこなくなったな。このまま引いてくれる……、わけがないか」
「おそらく。単なる様子見というわけでもなさそうですが」
独り言とも思えるエルシィのつぶやきに、アルフが答える。
攻撃の手を休め、距離をとってこちらを伺う獣たちを警戒しながら、隆也は周囲を魔力探知で探った。そしてすぐに驚愕することとなる。
「なんだ、これ!?」
「どうした、リュウヤ?」
突然叫んだ隆也へエルシィが問う。
「デカイのが一体、近付いてくる! ……何だこのサイズ!?」
不吉な物言いをする隆也へ全員の視線が集まったのは一瞬だけ。それから間を置かずして、その意味を隆也以外の三人も理解した。パッシブソナーとも言うべき魔力感知に、ひときわ大きく、強い魔力が反応したからだ。
全員の目が注がれる中、若木をへし折りながら現れたのは、マイクロバスサイズの黒い獣だった。それは今まで隆也たちが相手にしていた黒い獣の特徴をそのままに、サイズだけが大きく異なっている。体高は人間の倍ほど、三本の足はもはや人間の胴体よりも太い。その重量感は圧倒的であった。
「ちょ……、それは反則だろ!?」
隆也が文句を言ったところで目前の現実はなにも変わらない。
「グオォォォォォー!」
どこに発声器官を持っているのか定かではないが、大型獣は周囲の空気を震わせるほどの大音量で叫ぶ。
大型獣はわずかな歩数でスピードに乗ると、その巨体を隆也たちに向けてくる。
「絡まれ! ……って、無理か!?」
隆也の足止めは効果を発揮せず、そのまま瞬時に消え去った。大きな魔力を持つ生物は、外的魔力に対して高い抵抗力を持つからだ。
「散開しろ!」
エルシィが叫び、すぐさま四人が別方向へと散らばる。なにせ先ほどまで相手にしていた獣たちとはサイズが全く違う。体をそらしたり、一歩横に移動する程度ではかわせないのだ。
隆也の横を黒い巨体が通りすぎ、遅れて体を揺るがすような突風が巻き起こった。それは魔力によるものではなく、獣の巨体ゆえに引き起こされる純粋な物理現象だ。大型獣は勢いそのまま進行方向の木々をなぎ倒し、ようやくスピードを緩めると、のっそりとこちらへ向き直して再び突進してくる。その進路をたどった先には栗色の髪をした少女が立っていた。
「ルナ! そっちに行ったぞ!」




