第14話
村長の家へ近付くにつれ、星明かりの中を疾走する隆也の耳に金属の打ち鳴らされる音が聞こえてくる。
「やっぱり、こっちも……!」
村人たちの狙いが何なのかはわからないが、隆也たちだけが襲われて、エルシィたちは平穏無事というわけがない。隆也たちがそうであったように、彼女たちにも襲撃が行われているのは間違いないだろう。
隆也はいったん立ち止まって魔力で周囲を探知する。屋内を探知するには向かないが、これだけ距離が近ければおぼろげな情報くらいは得られるだろう。
「外?」
隆也の探知に引っかかった反応は人間サイズの魔力が十数個。そのうちふたつは覚えがあった。黄金色の躍動感あふれる魔力と穏やかな若草色の魔力、エルシィとルナだ。村長宅の入口を出た先の広場にふたりが居る。そしてその周りを他の反応が囲んでいた。
急いでその場へ向かうと、そこは既に十数人が入り乱れる戦いの場と化していた。
「吹き飛べ! 吹き飛べ! 吹き飛べ!」
隆也は囲みの外側でタイミングを見計らっていた敵の一軍へ、魔力による衝撃波を連続して放つ。思いもよらぬ方向から受けた攻撃に、敵が一瞬硬直する。
「ルナ! 今だ!」
「はい!」
その隙を見逃さず、エルシィとルナが囲いの薄い部分を切り開いて突破しようとした。むろん敵とてむざむざ逃してはくれない。一瞬の混乱から立ち直ると、エルシィたちの背後から、側面から攻撃を加えようとする。
「出来るか!? ……絡まれ!」
隆也は敵の足止めと攻撃の妨害を目的にして魔力を放つ。イメージするのは足に絡まる粘着質の網。その形状で足を絡め、その性質で動きを阻害する。
途端に敵の一団がその場で前屈みに倒れこむ。中には飛び道具を投げようとしていた者もいたが、その直前に体勢を崩してしまい、飛び道具はあさっての方向へ飛んでいった。
それを見届けて隆也は囲いを突破したエルシィたちと合流する。
「ふたりとも、無事か!?」
「リュウヤか!?」
「リューヤさん、助かりました!」
ふたりは隆也の顔を見て安堵の息をついた。
聞けば村長の家で眠りについた後、突然窓を割って不審者が襲いかかってきたらしい。隆也たちは直前で異変に気付いたため不意を突かれることはなかったが、あのまま眠っていたら同じように襲撃を受けていたのだろう。アルフだったら察知できていたかもしれないが、眠っているところを襲われて対処できるかどうか、正直隆也は自信がない。
星明かりだけが頼りの今、たとえ暗闇に目が慣れてもふたりの顔がかろうじて判別出来るかどうかといったところである。だが闇に包まれて見えずとも嗅覚は正常に働く。隆也の鼻は血の匂いがただよっていることに気がついた。ふたりのどちらかが傷を負ったのか、それとも返り血か……。
やはり自分はこの世界の人間ではないのだな、と隆也は改めて思った。アルフはもちろんのこと、エルシィも、ルナも、自らを護るためなら人を傷つけることに躊躇しないのだろう。それは非難されることではないし、生物として当然の行為である。だが日常生活で血を見ることすらほとんど無い日本人の隆也には、そこに埋めがたい溝があることを感じてしまう。
「しかし、これはどういうことだ? ただの村人とは思えんが」
異世界とのギャップに意識をとられていた隆也は、エルシィの声に我へ返る。
「わかりません。ですが、一刻も早くアルフさんと合流しましょう。ひとりで敵を食い止めているんです!」
隆也が状況を説明すると、ふたりは短い返事を返し、すぐさま宿へ向かって走りはじめた。
無言で走る三人の前に、宿の方向から人影が向かってくる。その魔力には隆也も覚えがあった。
「アルフか?」
「姫様! ご無事でしたか!」
エルシィの誰何にアルフが答える。まさかあの囲みを突破してきたのか、と隆也は驚きに言葉も出ない。
「私もルナも無事だ。ともかく、いつまた襲ってくるとも限らん。一刻も早くこの村を出よう」
「宿にあった荷物は持って参りました」
確かにアルフの言う通り、彼は宿に置いていた一行の荷物――テントや食料など全員の共有物――を背にしている。
再び隆也は驚愕した。あれだけの人数に囲まれていたのだ。包囲を突破するだけでも至難の業であろうに、アルフは部屋に置いてきた荷物まで回収してきてみせた。アルフを囲んでいた敵がそれをみすみす許すはずもない。となれば敵が妨害出来ない状態にした上で、悠々と荷物を持ってきたということだろう。
「まさか……、あの人数を全部倒したんですか……?」
「ふん、あの程度の技量ならば数を増やしたところで大したことはない」
さも当然のようにアルフが言い捨てるが、隆也は二の句を継げずにいた。アルフがエルシィの護衛に選出されたのは、生まれや血筋といった点もさることながら、その力が認められてのことなのだろう。普段は口うるさい忠誠心過剰の騎士にしか見えない。だがその実力が本物であることをようやく隆也は理解する。
「荷物を既に回収したのであれば、長居は無用だ。すぐに出発しよう」
「ですがエルシィ様、村長の家に残したままの荷物はどうなさるのですか?」
ルナが控えめに訊ねる。全員の共有物はアルフが背負っているが、エルシィやルナの個人的な所有物――身だしなみを整えるための道具や着替えなど――は村長の家に持ち込んでいる。突然の襲撃で荷をまとめる暇などなかったふたりは、装備を身につけているだけで他の荷物を持ち出す余裕がなかったようだ。
「これは肌身離さず持っていたから問題ない」
と、エルシィが腰から下げた革袋を軽く叩く。城で聞いた、運ぶべき『革袋』がそれなのだろう。
「村長の家にある荷物は捨て置く。どうせたいしたものは無い」
「……はい。わかりました」
エルシィが決定したならば、侍女であるルナにそれを覆すことは出来ない。少し間を置いた後、絞り出すようにルナは返事をした。
急いで村から脱出した隆也たちは、追っ手を警戒しながら暗い山の中を進んでいく。本来ならろくに灯りもない夜間に山を歩くなど、危険きわまりない。地球でも異世界でもそれは同様である。
だが状況が状況だけに村の近くで留まるのはどう考えても別の危険をはらんでいる。せめて焚き火の光が村へ届かない場所を確保しなければ、野営もままならないというのが全員の認識だった。
隆也の魔力探知によって、夜行性肉食獣の襲撃を回避できたのは夜間に行動せざるを得なかった一行にとって大きかった。足もとが見えにくいというのはどうしようもなかったが、襲われる危険に比べればまだマシである。
そうして一時間ほど歩き、村から死角となる場所を見つけると、隆也たちはそこで朝を待つ。睡眠時間は短くなるが、念のため見張り番をふたりずつ二交代とした。最初に隆也とルナが、途中で交代してエルシィとアルフが朝まで見張りをする。
隆也はときおり魔力探知を使いながら周囲を警戒する。一緒に見張りをするルナも緊張しているのだろう。いつもなら隆也の故郷について話をせがんだり、王都で人気の食べ物について楽しそうに話すのだが、さすがに今日は無口であった。
何事もなく見張りを交代して眠りについた隆也は、朝を待つことなくエルシィにたたき起こされる。重い体を起こした隆也が目にしたのは、「ルナが戻ってこない」と言う不安げなエルシィの表情だった。
「どういうことです?」
テントの中、簡易な仕切りの向こうを隆也がのぞくと、そこには本来居るはずのルナが見当たらない。隆也はすぐに魔力探知でルナの居場所を探るが、ルナ特有の穏やかな若草色は感じられなかった。
「反応が……、ない」
エルシィは隆也の言葉を聞いて顔をゆがめる。
魔力探知で反応がないということから推測されるのは二通り。ひとつは探知範囲より遠い場所にいるという可能性。もうひとつは魔力が既に世界に溶けてしまった後――つまり死んでしまった――という可能性だ。いずれにしても喜ばしいことではない。
「ルナが居なくなったのはいつですか?」
「見張りを交代してから大して時間は経っていない頃だ。すぐに戻ってくるだろうと思っていたのだが……」
このような状況でも生理現象は避けられない。一時的に野営場所から離れるのは仕方ないことだろうが、さすがに戻りが遅いと感じて隆也を起こしたのだと言う。
「しかし探しに行くとしても、どこに行ったのか見当もつかないのでは……」
エルシィが苦しそうに言った。
本心ではすぐにでも飛び出したいのだろう。彼女にとってルナは単なる侍女ではない。子供の頃から共に育った、姉妹のような存在なのだろうと隆也は見ていた。
しかしここは山中で、星明かりがわずかに照らすだけ。自分の足もとも見えにくい状態だ。加えて村からの追っ手を警戒しなければならないのである。効率を考えれば手分けして探したいところだが、そうすると何かあったときの危険が増してしまう。もともと四方八方を探すほどの人手がない以上、捜索するのであれば全員行動を共にするのが最善だ。隆也が疲れもろくに取れない状態で起こされたのは、そんな判断の結果である。
だが、魔力探知でその反応がないのでは、どこへ探しに行けば良いのかもわからない。全員でこの場を離れて捜索した場合、もしルナがここへ戻ってきたら行き違いになる。だがかといってひとりだけをここに残すのは危険だし、逆にひとりだけで捜索に出るのも危険には変わりない。結局、隆也たちは夜間の捜索を諦め、焦燥感にかられながら夜明けを待ってルナを探すことにした。
「リュウヤ。お前は睡眠を取れ」
アルフが隆也に休息を促す。
「しかし……」
「夜が明けたとしても、ルナの行き先が分からぬ以上、貴様の魔力探知が頼みの綱となる。そんなときに貴様が睡眠不足でフラフラしていては、見つかるものも見つからぬ。ルナのことを心配するのであれば、なおさら貴様は夜明けまでに疲れをとっておくべきだろう」
アルフにしては珍しく多弁であった。そしてその言葉は正論であるがゆえに、隆也も返す言葉を見つけられずにいた。
「わかりました。何か異変があればすぐにたたき起こしてください」
「ふん、心配せずともその時は容赦なく蹴りあげて起こしてやろう」
比喩表現ではなくこの男は間違い無く実行する、そう隆也は感じたが、今は非常時である。アルフの言葉に無言でうなずきを返すと、隆也はテントに入って再び眠りについた。
夜が明けてもルナは戻ってこなかった。
空が白みはじめると共に隆也たちは捜索を開始する。危険は承知の上だが、短時間で広い範囲を捜索するために三方へ別れることになった。村からの追っ手が来る可能性があるため、魔力探知で広範囲の探索が可能な隆也が後方――つまり村に近い方向――を、それ以外の範囲をエルシィとアルフが探索する。探索後の合流地点は野営を行ったポイントだ。
危険度で言えば隆也の探索範囲が最も高い。だが、広範囲の魔力探知ができる隆也なら、追っ手がいてもそれを事前に避けることが可能だ。隆也は注意深くあたりを伺いながら村の方角へと探索を続ける。少し歩いては魔力探知を行い、再び歩いては探知をする。そんな事を繰り返すうちに太陽がひとつ、またひとつと山の向こうから姿を現した。
やがて八つの太陽が全て姿を見せた頃、隆也の魔力探知にようやく覚えのある魔力が反応を返す。
「よかった……」
隆也は安堵の声をもらした。草原を思わせる若草色の魔力。穏やかでゆったりとしたその気配はまぎれもなくルナのものだった。
「ルナ!」
隆也がルナと合流して野営地点に戻った時、既にエルシィとアルフは先に到着して隆也を待っていた。疲れた様子ながらも五体満足で現れたルナを見て、エルシィがすぐに駆け寄ってくる。
「どこへ行っていたのだ!?」
「申し訳ございません。どうしてもエルシィ様の荷物を置き去りには出来なくて……」
聞けばルナは村長の家に残した荷物を回収するため、闇に紛れて単身村へと戻っていたらしい。村長の家へ置き去りにした荷物を布袋に詰めた状態で、その手に持っていた。
「だからといって危険だろう! 待ち伏せされていたらどうするつもりだ!」
「申し訳……ありません……」
仕える主人の身だしなみを整えるため必要な道具、そして主人の身につける衣装や装飾品。当の本人であるエルシィにとっては取るに足らない物であったかもしれないが、侍女として仕えるルナにとっては諦めるに諦めきれない物なのだろう。
「まあ、とにかくこうして無事だったのはなによりだ」
エルシィは荷物が回収できたことよりも、ルナが無事に戻ってきたことの方が嬉しいようだ。
「あ、あの……エルシィ様。これを……」
ルナが手に持った袋をエルシィへと差し出した。
「ああ。無断で単独行動を取ったことは褒められたものではないが、それはそれとして荷物を回収してきてくれたことには感謝している」
「もったいないお言葉です」
「だがもう勝手な行動はしてくれるなよ」
袋を受け取りつつエルシィが釘を刺すと、ルナはうつむきながら返事をした。
「はい……」
確かに結果としてルナは無事帰って来たし、置き去りにした荷物も回収が出来た。だが一歩間違えば村で待ち構える敵のまっただ中に飛び込むことになっていた。――いや、むしろその可能性が高かっただろう。今回の結果はあまりにも運が良すぎたとしか言いようがない。
だが、だからこそ隆也は疑問に思った。その程度のことにルナだったら気がつくんじゃないか、と。
ここに居る四人はそれぞれが個性的な人間である。一国の王女であるエルシィ。堅物騎士のアルフ。戦闘もこなす侍女ルナ。地球人の隆也。ルナは貴族の令嬢で王宮育ちであるとはいえ、少なくとも隆也をのぞいた三人の中で最も常識を持っている。これまでの旅で隆也はそう感じていた。
確かに王女であるエルシィが世間のことに疎いのは当然であろう。そして貴族でもあり騎士でもあるアルフは価値観と視野が凝り固まっているように見えた。そのふたりに比べてルナは考え方も柔軟性があり、人当たりも良い。隆也の見立てで言えば、最も現実的な視点で物事を見ているのはルナだったように感じられる。
その彼女が、自分達が襲われた村にノコノコ単身で戻っていく危険を理解していない、などということがあるだろうか?
普段のルナと今回の行動があまりにもかけ離れすぎている。そんなことを考えながらルナへ視線を向けていた隆也は、彼女が小さな革袋を腰から下げていることに気付く。
「ルナさん。それは?」
隆也が何の気なしに訊ねる。
「え? あ、こ、これは……お、置き去りにしていた私の手荷物です。中身は路銀とか、身だしなみを整えるための道具とか……です」
「ふーん」
いつもと様子が違うルナの返答に引っかかりを感じた隆也だったが、さすがに女性の私物を詮索するのはダメだろうと思い、それ以上追求する事は無かった。これもひとえに幼なじみである亜美が、常日頃から隆也へダメ出しをしながら教育してきた賜物である。
『女子の持ち物をいちいち詮索するなんて男子としてサイテーよ! 女心を理解しないそのデリカシーの無さはギルティ!』
そんなギルティの積み重ねが今の隆也を作っていた。隆也の半分は優しさではなくギルティで出来ているのだ。
「エルシィ様、念のためルートを変更した方がよろしいかと」
アルフが旅のルートを見直すように提案する。
「当然だ。村での襲撃がたまたま旅人を狙ったものというならともかく、あれは我々を待ち構えていたと考えるべきだろうからな」
襲撃してきた者達に心当たりがあるのか、と隆也がエルシィたちに問いかけてみても帰ってくるのは沈黙のみ。その沈黙が暗に示すのは、部外者の隆也に言えない裏事情があるということだろう。
ルナによれば村は既に無人となっており、隆也たちを襲った者達も見当たらなかったということだった。訪ね来る旅人を見境なく襲っているのなら、村が無人になっているというのはおかしい。隆也の「子供が居なかった」という話も踏まえて考えると、エルシィたちを狙う罠であったと結論付けるのが自然だ。
「取りに戻った時、荷物は荒らされていなかったのか?」
アルフが訊ねると、ルナが首を横にふって答える。
「特に手がつけられた様子はなかったです。路銀や装飾品も無事でした。気がつかなかったのか、興味がなかったのかは分かりませんが」
その答えを聞いて、アルフがわずかに目を細める。
「そうか、わかった」
アルフはそれ以上のことを口にせず、改めてエルシィに問題を提起する。
「ルートを変更するのは良いとして、問題はどこを通るかです」
「しばらく街道は避けた方が良いか……。リュウヤ、次に向かうポイントはどこだ?」
「次のポイントは、ここから北へ三日といったところかな。そこから俺の故郷を通って、ルッセンの近くにあるポイントへ行ける。ルッセンに着くまで寄り道無しなら多分五日もあれば足りるけど……」
「ルートを変えるとなるとその限りでは無い、と?」
エルシィの確認にうなずく隆也。
「この山を迂回して、森を進もう。そうすればさすがに我々が北へ向かうとは思うまい。もちろん何も無いのが一番だが」
地図を見ながら変更したルートをエルシィが指し示す。北に延びた街道は通らず、西回りで山の裾にそって迂回して進むルートだ。本来の距離よりも三倍以上の道のりとなり、整備された街道ではないため、おそらく進む速度も遅くなってしまうだろう。だがそれも旅の安全を天秤にかければ、どちらを選ぶべきか議論の余地もない。
「出発の準備にかかれ。尾行がついているとも限らん。各自周囲の気配には十分注意するように」
野営地点を出発した一行は、太陽たちが天頂にさしかかる頃に早めの休憩を取った。本来であれば出来るだけ早く村からの距離をとりたいところだが、昨晩ろくに体を休めていないルナの体力を考慮してのことだった。
一時の仮眠をとって多少体力を回復させたルナだったが、その表情はいまだ暗い。そんな彼女にエルシィがハッパをかける。
「ルナ。反省はしてもらいたいが、いつまでも引きずるな。気持ちを切り替えろ」
「は、はい」
気持ちの落ち込みと身体の疲労、その両方がルナの表情をいつもと違う陰りのあるものにしているようだった。
「ルナ。荷物持とうか?」
「え、いえ。自分で持ちます!」
「そ、そう」
何気ない隆也の申し出は、思いのほか強い調子で拒否をされてしまう。どことなく微妙な空気を漂わせながら、一行は言葉少なく歩き続けた。




