第13話
翌日の出発をひかえた隆也たちは、宴もたけなわといった酒場を後にして自分達の部屋へと引き上げた。
村人たちはというと、例え旅人という主役がいなくなろうとも関係ないのだろう。旅人の来訪は単に飲むための口実と言わんばかりに、その後しばらく馬鹿騒ぎが隆也たちの部屋まで聞こえてきた。
やがて宿の外へ騒ぎの元凶達が散っていった後、隆也は簡素なベッドへ体を横たえて眠りにつこうとする。
だがいざ眠ろうとすると、なかなか寝付けない。体は十分以上に疲れ果てているはずで、横になればすぐ眠気がやってくると思っていた。だが実際には酒場の喧騒で気が高ぶっていたのか、それともアルフという同室の存在がいらぬ緊張を強いているのか、隆也はなかなか眠りにつくことができないでいる。
「まだ起きているのか?」
突然となりのベッドから声がかけられる。声の主は考えるまでもなくアルフだ。
「え、ええ。ちょっと……」
また何かトゲのある言葉でも投げつけられるかと警戒する隆也だったが、アルフの言葉は意外なほど穏やかなものだった。
「眠れるときには眠っておけ。この先屋根のある場所で眠れる機会がそうそうあるわけではない。しっかりと睡眠をとり、体の状態を整えておくのも、戦う役目を負った者の義務だ」
「……はい」
俺は戦士でも騎士でもないんだけどなあ、という反論を飲み込んで、隆也は最低限の返事をした。なにもこの状態でアルフの反感をわざわざ得る必要はないだろう。
もちろんアルフの言うことにも一理ある。せっかく体を休められる機会を無駄にするのは、戦士でなくとも旅人としても失格だ。とはいえ頭では分かっているのだが、どうにも気にかかることがあって仕方ないのだ。
この村に来てからずっと抱いてきた違和感。
村に到着したときには感じなかった。
だが昼下がりの村を歩いているときに何かが引っかかった。
日が傾きかけた村を見て、やはり何かが気にかかる。
酒場で村人たちが騒いでいるのを見ていても、何か妙な感じを受けた。
何かが足りない――。
そんな意識が芽生える。
隆也はこれまで仕事で行ったあちこちの村を思い浮かべる。閉鎖的な村が多かった。最初はうさんくさげな目で見られるし、いきなり捕縛されるようなこともあった。それでも最終的には友好関係を築くことができたし、悪くても無害な人物として最低限の対応はされるようになった。
よそ者を警戒するのはどこでも老人達だ。そして村の中核を担う年代の人間達。若い村人たちはわりと柔軟な考え方をしていることが多い。
老人達に言わせればそれは無知と経験不足による軽率で浅はかな考えらしいが、しかしそのおかげで隆也のようなよそ者が受け入れてもらえる余地も生じるのだ。若い世代になるほどよそ者への警戒心は薄れるようで、大抵の村では最初に隆也と親しくなるのが子供達である――。
――子供達?
隆也の思考が瞬時に活性化し、この村に到着してからの記憶を呼び起こす。
一瞬の後、隆也は自分が抱いていた違和感の正体に気付く。
「子供!?」
そうだ、子供だ。この村に来てからというもの、子供の姿を見ていない。それが隆也の脳裏にこびりついていた違和感の原因だった。
突然起き上がり声をあげた隆也へ、アルフが訝しげな視線を送る。
「アルフさん!」
「なんだ運び屋?」
アルフもベッドの上で上体を起こし、隆也へと顔を向けた。
「この村に来てから、子供を目にしましたか?」
「子供? そんなものいくらでも……、ん?」
隆也の問いかけに、仕方ないといった風でアルフが答えを返そうとして、そこで言葉を途切れさせた。
「この村、おかしいです。見た目は普通の村ですけど、子供がひとりも見当たりません」
「たまたまではないのか?」
「いいえ、ありえません。貧しい村では小さな子供だって貴重な労働力ですから、十歳にもなれば大人に混じって働くのが普通です。まして人口の少ない辺境ではなおさらです。それに母親達にしても、幼子がいるからと家に閉じこもっていられるような余裕はありませんよ。いくら小さな村と言っても、子供を背負った女性がひとりくらいは居てもおかしくないはず」
考えてみれば、酒宴の席にも子供はひとりとしていなかった。
娯楽もない辺境の村である。珍しく旅人が来たとなれば、好奇心旺盛な子供がその話を聞こうとやってくるのが普通だろう。
「そういうものなのか……?」
貴族の家に生まれ、ずっと王都暮らしであったアルフには、辺境の村がどういった暮らしなのかは知るよしもないのだろう。
その点隆也は仕事柄、方々の村を訪ねている。その経験を軽視するほどアルフも愚かではないはずだ。
「そういうものです。事情によっては子供が居ないということもあるでしょう。でもそうだとしたら村に悲壮感が漂っていないのは奇妙です」
子供がいないというのは、こういった辺境の村にとって死活問題である。一年、二年くらいでは影響がないかもしれないが、十年、二十年とたつにつれその問題は深刻化する。単に親子や家族の問題に限らないのだ。村全体で子供が少ないというのは、村自体の存在を脅かす問題となる。
「……姫様の様子を見に行ってくる」
隆也の深刻な話しぶりから異常な事態を読み取ったアルフは、すぐさま自らの護衛対象を保護すべく武具を身につけ始める。
「俺も行きます」
「……勝手にしろ」
隆也自身、エルシィやルナの身を案じ、アルフへ同行することを申し出た。逡巡した後、アルフもそれを承諾する。
「おや? こんな夜更けにどちらへ行かれるのですか?」
階下へ降りた隆也たちを迎えたのは宿の主人であるホルトだった。村人たちがさんざんに散らかした店内を夜遅くなってもひとり片付けていたのだ。
「ああ、エルシィ様へ相談しておかねばならんことがあるのを思い出してな」
「もうこんな時間です。明日の朝になさっては?」
ホルトの言う通り、既に夜は更けている。王都のような都市部ならばいざ知らず、この村のようにほとんどが農業従事者で占められた土地ではこんな時間に出歩く者はいない。下手をすれば野盗の類いと間違えられる可能性すらある。
「いや、朝では遅いのだ。すまんが少し出てくる」
無愛想にそう言うと、アルフは正面の扉へ向けて歩き出した。だがその歩みは扉を前にして止まることとなる。アルフの前にホルトが立ちふさがったからだ。
「……どいてくれぬか?」
言葉だけは丁寧な物言いだったが、その口調は明らかな怒気をはらんでいる。なぜなら立ちふさがったホルトの発する雰囲気が、決してアルフ達を気遣うものではなく、その行為を妨げようという悪意を感じさせたからだ。
「アルフさん、外にも」
「ああ、わかっている」
隆也が魔力で探ると、宿の周囲にも人間の気配がした。それもひとりやふたりではない。二十人以上の気配が、建物をぐるりと囲むようして円形に広がっているのだ。
「もうしばらくここに居ていただきますよ」
笑顔を浮かべながらホルトが言う。それは宿の主人として先刻まで見せていた人当たりの良い笑顔ではなく、獲物を追い詰めた狩人が浮かべる捕食者の笑みであった。
「突破するぞ!」
アルフの声に、隆也も魔力で体を強化する。
渾身の突きがアルフの剣から放たれたが、その正面に立つホルトは宿の主人とは思えないほどの軽やかな動きで突きをかわす。次いで突きから横払いに変化したアルフの剣もバックステップで回避して距離をとると、小さな棒状の笛を口にして吹いた。
それを合図にして、正面のドアから、そして宿の窓をから、さらには建物の裏口からも武器を持った人影が入ってくる。いずれも見覚えのある顔だ。つい先刻まで酒を飲んで騒ぎ、隆也たちへ親しげに話しかけていた村人たちだった。だが今その顔に笑顔はない。全員が無表情な顔で冷たい目を隆也たちに向けていた。
無言のまま、村人のひとりが短刀を逆手に持って襲いかかってくる。隆也は腕に魔力を込めると、その武器を狙って思い切り小剣を振り抜いた。
細身の体を見て敵は隆也を侮っていたのだろう。予想以上の強い衝撃を受けて、村人の手から短刀がはじき飛ばされる。乾いた音を立てて短刀がテーブルに突き刺さったとき、村人の気配がより険しいものに変わった。油断して良い相手ではないことが分かったのだろう。
今度は別の方向から村人が襲いかかって来た。同じように短刀を逆手に持って、隆也の死角から襲いかかろうとする。ただ魔力で周囲の状況を常に把握している隆也にとって、それは死角でも何でもない。振り向きざまに小剣を相手の肩へと突き出すが、村人は身をよじって突きをかわすと短刀を下から切り上げて、隆也の体勢を崩しにかかる。
小剣を弾かれた隆也は、強化された握力のおかげでなんとか手放さずにはすんだ。しかし小剣と共に打ち上げられた腕はすぐに元に戻らない。ガラ空きとなった隆也の体に向けてふたりの村人が同時に襲いかかった。
物理的な防御が間に合わないと判断し、隆也はルナ直伝の技で対応する。
「吹き飛べ!」
グローブをはめた隆也の左手から衝撃波が飛び、襲いかかって来た村人のひとりを吹き飛ばす。同時にもう一方からやってくる村人とは逆の方向へ体重を移動して刹那の時間を稼ぐと、打ち上げられた小剣を上段から切り落とす。だがその一撃は村人に悠々と避けられてしまった。
「リュウヤ! 貴様やる気がないのか!?」
「そんなこと、あるわけ、ないでしょう!」
アルフの言葉を受けて、隆也は攻撃を避けつつ答える。
だが隆也にしても決して余裕があるわけではない。騎士から初めて名前で呼ばれたことも気がつかないくらいだ。
「ちっ! リュウヤ! 先に行け! 姫様たちを、……くそ!」
「この数を、ひとりでって、無理ですよ!」
「どうせ貴様がいても敵の数は減らん!」
「それは……!」
隆也は言葉に詰まる。アルフの言っている意味が理解できたからだ。
いくらルナから剣術の手ほどきを受け、魔力を使えるようになって身体能力が上がったとはいえ、隆也は現代日本で育った高校生である。例え戦いに慣れたとしても、人間相手に剣を振るうという事実が体の動きを鈍くしていた。
これがコルのような獣相手ならまだ良い。戸惑いがあったとしても自分たちの身を守るために危険を排除するという本能が勝ったからだ。
しかし人間相手はそういうわけにいかない。自分と同じ言葉を話し、自分と同じように食べ、眠り、笑い、泣き、そして生きる人間へ刃を向ける。そのことに対する抵抗感は理性と別の部分で拒否反応を起こす。まして相手はつい先ほどまで笑顔で語らっていた人たちなのだ。
それが隆也の動きをぎこちないものにしていた。敵はそれほど手練れではない。技術的な点にだけ目を向けるなら隆也の方が上だろう。だが無意識に人間を切る事への忌避感がある隆也の剣は、読みやすく避けやすい。アルフも、そして相手もそれに気がついた。
アルフの言う『やる気』とは戦う気持ちではなく、相手を殺す覚悟という意味だ。敵を殺せない人間がこの場に居ても、アルフの負担はさほど減らない。だったらエルシィの安全を少しでも確保するべく合流しろと彼は言っている。
「行け!」
「……わかりました」
自分には目前の人間を殺す覚悟がない、そう認めた隆也はアルフの言葉に従う。
「吹き飛べ!」
牽制のために魔力で衝撃波を放ち、空いたスペースを縫って出口へと走る。
開いたままのドアから隆也が飛び出す直前に、後ろから店内の椅子がひとつ外へ向けて飛んでいった。どうやらアルフが投げ込んだようだ。
周囲から放たれ椅子へと突き刺さる矢を横目に、隆也は魔力で体を強化して突き抜ける。目指すは村長の家。エルシィたちとの合流であった。




