表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/30

第1話

「あ、じゃあここにサインもらえますか? ……はい、確かに」


「今回も助かったよ。時森さんの配達は相変わらず早いねえ」


「これがうちの売りですからね。じゃあこれで。今後とも時森配送をごひいきに!」


「ああ、また急ぎの時は頼むよ」


 どこかの大学にある研究室だろう。部屋の中には盛大な音を立てて冷却ファンを回すコンピュータや、机の上に所狭(ところせま)しと並べられた書類、それとは対照的に緻密(ちみつ)なまでの整然さで棚へ並べられたビーカーやフラスコなどが見える。

 部屋の中にいるのは人数にすればわずかと言える程度。いずれも自分の作業に集中しているため、不自然なほどの静寂が室内を支配していた。


 作業着に身を包み、帽子をかぶった細身の男は、相手の中年男性に小包を手渡すと、頭を下げてそそくさと部屋を出る。どうも部屋の雰囲気に居心地の悪さを感じたらしい。

 妙な緊張感が(ただよ)う部屋から解放されたからか、それともひと仕事終えた達成感からか、『時森さん』と呼ばれていた男は安堵(あんど)の息をつくと、廊下を歩きながら手帳を取り出して次の予定を確認する。


「えっと、今日はあと二件か。東京からニューヨークへが一件と、カーソン村からスクリア村へが一件か。ニューヨークはともかくとしてスクリア村は面倒だな……。晩ご飯までに終わればいいけど」


 誰に言うでもなくつぶやきながら建物を出ると、中庭では各々ファッションセンスの(おもむ)くままに身を(いろど)った若い男女達が日陰でくつろいでいる。

 それらと比べて見ると、『時森さん』と呼ばれた男はいささか若い印象を与えた。それは決して錯覚(さっかく)ではない。事実、彼の年齢は周囲の男女よりも下である。

 若いと言うよりむしろ若すぎると言う方が正しいだろう。ツバ付きの帽子で隠れたその顔は、まだ成長の余地を残した少年と言っても良いくらいだった。


 浮き世離れした感のある中庭を抜け、入口の警備員へ退出のあいさつをすませると、少年は敷地の外へと歩いて出て行く。


 車に乗るでもなく、バイクにまたがるでもなく、宅配業者のドライバーとは思えないほど身軽な『手ぶら』で歩いていく少年。


 その少年の持つ端末が唐突に着信音を(かな)でる。メールの着信を知らせる音だった。

 少年は立ち止まってウエストポーチから端末を取り出すと、届いたメールに目を通す。



 送信者:魅惑の美女亜美っち♪

 宛先:隆也

 件名:こんばんの、お・か・ず♪

 本文:豚ロースが特売でいつもより三割引きだったから、今晩のメニューは隆也の好きな豚の生姜焼きだよー。



 豚の顔文字混じりで送られてきた本文の最後は、ウインクする顔文字で締めくくられていた。

 内容を確認して端末をポーチにしまおうとした少年――メールの宛先からして隆也と呼ばれているらしい男――は、再びの着信音に手を止めて端末へ目を向ける。



 送信者:魅惑の美女亜美っち♪

 宛先:隆也

 件名:追伸

 本文:あ、そうそう。休み明けには試験があるんだし、あんまりぶらぶらしないで早く帰りなさいよ。うかうかしていたらあっという間に置いてかれるんだからね! わかんないところは教えてあげるから、少しは試験勉強しておきなさいよ。



 今度は悩ましげな猫の顔文字が並んだメールだった。

 それを見た少年は、無表情に端末を操作して返信を打ち込む。



 送信者:隆也

 宛先:魅惑の美女亜美っち♪

 件名:無題

 本文:わかった



 メールを送信して再び歩き始めた少年だったが、ものの数秒も経たずに足を止めることになる。三度(みたび)鳴り始めた今度の着信音は、メールではなく通話を知らせるものだ。


「もしも――」


「ちょっと隆也! 何よあの返信は! 四文字ってひどくない!? 四文字って!」


 応対した少年の第一声をさえぎるように、甲高い女の子の声が耳を貫いた。


「せっかく隆也の好きな豚の生姜焼きにしたんだから、もうちょっと喜びの声とかないわけ!? 『ヒャッホー! ナイス亜美! さすが大人の女はひと味違うぜぃ!』くらい言ってくれても良いんじゃないの!?」


 まくし立てる電話の声にも動じることなく、隆也と呼ばれた少年はすまし顔で応対する。


「俺がメール嫌いなの知っているだろ? 返事しただけでも俺にしては上出来じゃないか。っていうか電話してくるくらいなら最初から電話して来いよ。二度手間だろうが」


「もしかしたら電車の中とかお店の中かもしれないと思って、隆也を思いやった私の気配りを踏みにじるその発言はギルティ!」


「あと亜美。お前また勝手に俺の端末いじっただろ? なんだよこのアドレス帳に登録された名前?」


「えー? だって名前だけだと味気ないじゃない。ちなみに私の端末に登録してある隆也の名前、教えてあげよっか?」


「べつに」


「うわっ、一文字減った! 幼なじみに対してちょっとあんた冷たくない!? 今日の生姜焼き、隆也のだけ生姜抜きにするわよ!」


 それじゃ生姜焼きじゃなくて照り焼きだっての、と心の中で突っ込みを入れながらも、隆也は言葉を飲み込む。自棄(やけ)になって実行されてはたまらないからだ。

 補給線を握られた者の立場はいつの時代も弱い。


「仕事の途中だからもう切るぞ」


「え、バイト中だったの? ごめん!」


「まあ、今は周りに誰も居ないから別に良いけど、このあと二件配達があるからあんまり時間ねえんだよ」


「うん、わかった。帰りの時間どれくらいになりそう?」


「うーん……」


 隆也は(うな)りながら頭の中でシミュレートをする。

 ニューヨークは良いんだが、もう一件がなあ、と心中でつぶやきながら。


「八時……、くらいには終わると思う」


「わかった、じゃあ八時半くらいにあわせて準備しとくね」


「悪いな」


「じゃあまた後で」


「ああ、後で」


 電話を切って、ティスプレイに映し出されたデジタル時計を見る。現在時刻を確認すると、隆也は眉をしかめて先ほど自分が口にした言葉を悔やんだ。


「八時までに終わるかなあ……?」


 ジリジリと焼け付く日差しを受け、こめかみから流れた汗が頬を伝って地面に小さな染みを作る。早回し再生のようにみるみる乾いていくその様子は、この国に夏本番がやってきたことを告げていた。






 三十分後。隆也の姿はオフィス街にあった。


 一部上場の大企業。テレビCMでもおなじみの社名を掲げたビルから手荷物を持って出てきた隆也は、乗り物に乗るでもなく、徒歩で街中を歩いて行く。やがて人通りの途切れた場所へたどり着くと、裏路地を歩き、時代から取り残されている古びた神社へと足を踏み入れた。

 ボロボロで手入れもろくにされていないお(やしろ)の横を通りすぎ、裏手へとまっすぐ進む。


 そこにはあるのは一本の大樹。大人三人が手をつないでようやく一回りできるような太さの幹が、古木(こぼく)の積み重ねた年月を物語る。

 隆也は迷いもなく大樹の側まで歩み寄ると、そこにある何かを確認するように視線を落とす。そしてかすかにうなずくと荷物を持ったまましゃがみ込み、片手を地面に差し出した。


 次の瞬間、隆也の姿が蜃気楼(しんきろう)のようにゆがみはじめる。

 湯気が立ち上るように周囲の空間にひずみが生じ、隆也の立つ位置にテレビ画面のノイズを思わせる線が無数に走った。


 ひさしから水滴が地に落ちるほどの短い時間を()て、何事もなかったかのように異変が収束(しゅうそく)する。

 そこに数秒前までいたはずの隆也の姿は無くなっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ