★飛び散れ、僕のビーム!
生臭い風と共に、豚人間としか形容できない醜悪な怪物が向かってきた。
「人間ごときがアッ! 我ら『偉大なる種族』に敵うわけガねぇだろうギャ! ブッ殺してやるプッギャアアア!」
身の丈3メートルはあろうかというブタ顔の怪物は、奇声を発しながら襲いかかってきた。
知性の欠如した顔と血走った目線の先には、華奢な身体つきの黒髪の少年と、細くやせこけた赤毛の少女がいた。
「僕は……、負けられない!」
黒い瞳に燃える炎、キリリとした顔立ちの少年――星園キラリ――は、恐ろしい咆哮をあげながら向かってくる豚人間を強く睨み返した。
ボロ布を腰に巻いただけのおぞましい豚人間は、白い地面を踏み砕きながらキラリへと猛進する。互いの距離は既に20メートルを切っていた。
「……食ってやるア! テメェの肉を……ッ! 骨を……生きたまま食らってやるャァア!」
ブシャァア! と、卑猥に伸びた赤黒い舌先から悪臭を放つ息と粘液を散らし、黄ばんだ牙をむき出しにする。
豚の足元で乾いた音を立てて砕けているのは、すべて人間の骨だ。丘の斜面を埋め尽くす無数の白くしゃぶりつくされた骨、骨、骨――。
すべてこのブタが食らったのだ。
ここがもし普通のファンタジー世界なら、相手は『オーク』とでも呼ぶべき低級の怪物だろう。
だが、ここでは人間を支配する『偉大なる種族』の一翼を担う高位存在だ。
だが――。
少年は怯む様子を見せなかった。
傍らの少女を守るかのように、凛然と襲ってくる怪物に対峙する。
だが、その手には剣も銃も、武器らしいものは何も持っていない。
死を覚悟しているのか、あるいは揺ぎ無い自信があるのか、その様子は静かに落ち着き払ったものだ。
まるで抜き放たれる直前の日本刀のような、怜悧な迫力を全身から漂わせてさえいる。
制服だったはずのブレザーは、激しい戦いを物語るかのように赤黒い血で汚れ、ところどころが擦り切れている。
すっと、傍らの少女に静かに右腕を差し出す
「こすって、ミュウ」
「……うん」
ボロを着た赤毛の少女――ミュウ――が静かに頷く。
少女の茜色の瞳には、迷いも恐怖も浮かんではいなかった。
あるのは、信じている者だけが持つ揺ぎの無い強い意思の輝きだ。
空は不穏な鉛色の雲が垂れ込めて、地表を埋め尽くした骨の白さを際立たせている。丘を死臭混じりの風が吹きぬけて、枯れ果てた木々に残った僅かな葉を散らしてゆく。
絶望的ともとれる状況の中、ミュウは目の前に立つキラリを信じているのだ。
髪を指先で耳にかきあげると、ミュウは白い手を伸ばしキラリの右腕をそっと抱き寄せた。
そして――真剣な顔つきで腕を上下に擦り始めた。
ゆっくりと、愛しい物を感じるように、上へ、下へと擦り上げる。
「……もっと、もっと早く、ミュウ!」
「んっ、んっ!」
ミュウは、発育途上の胸にキラリの腕を大事そうに抱きしめて、身体全体を使って、一生懸命に動かしてゆく。
――パリッ!
電光が、キラリの左手の指先で輝いた。
青白い光は、腕をミュウが擦るほどに強くなってゆく。パリ、パリリと青白い稲妻が左手から幾筋も発せられる。
「ミュウ、いいよ、いくよ!」
「う……んっ!」
ミゥが慌ててぱっと身体を離す。
「キラリ、勝つ?」
「あぁ! おかげで充分に……漲った!」
パリ、パリッと青白い放電が球状に、キラリの左腕に収斂してゆく。
だが、異変を目にしてもなお豚人間は突撃を止めない。
キラリは間近に迫ったブタの化け物に左手を突き出すと、ぐっ……と腰を落として身構えた。
「何をゴチャゴチャ言ってるブッピャァアアア!?」
目を血走らせた豚人間は、巨体とは思えないほどの跳躍をみせた。
地面を勢い良く蹴りつけて、宙を舞う。放物線の先にいるキラリとミュウを、その肉体の超重量で押しつぶすつもりなのだ。
「潰れっちまいなぁアアアッ! 人間ッンンッ――」
豚の怪物が飛翔し、放物線の頂点に達したその刹那。
「くらえ、――白射閃光ッ!」
目の眩むような一条の白い光が、豚人間の身体を貫いた。
それは、キラリの左腕から放たれた荷電粒子ビームだった。
左手の先から発射された眩い輝きは、まるで地上に太陽が出現したかと思う程の鮮烈な光を伴って豚を包み込んだ。
並進する荷電粒子が持つ超エネルギーが、空気中の分子をイオン化させる事によって生じた電荷を帯びた「光の柱」、それが人間が目にする事の出来る「ビーム」の正体だ。
光が細くなり糸のようになって消えたとき、豚の身体に穿たれた穴の向こうに、空が見えた。
「ガッ……バカ……な!?」
信じられない、という驚愕の表情を浮かべた豚人間は、次の瞬間――内側から風船のように膨らむと猛烈な勢いで粉微塵に爆裂四散した。
体内で生まれた膨大なジュール熱によって細胞内すべての水分が沸騰、内部構造がその瞬発的な圧力に耐え切れず、わずかカンマ0.1秒で超圧力爆発が起こったのだ。
ザァッ……と、周囲に真っ赤な肉と血の雨が降り注ぐ。
「……いつ見ても、汚い花火」
キラリは吐き捨てるように言うと、すっと腕を下げた。
左手から放たれた眩い光は、気がつくと、上空に厚く垂れ込めた雲を貫き、円形の青空を生み出していた。
青く、澄んだ空の向こうからは、太陽の光が燦燦と地上照らしはじめた。
「キラリ、すごい! 沢山、出た!」
赤毛の少女が嬉しそうにぴょこぴょことキラリに抱きついた。
「うん。ミュウのお陰だよ、ありがと」
「――うん!」
キラリはミュウの頭を慈しむように撫でる。
と、指先ほどの赤い結晶体が空から地面に落下してきたかと思うと、キラリの足元にポトリと転がった。
「これで、108個……っと」
キラリは地面に落ちた結晶体『ドロップス』を拾い上げると、ミュウの手をとって、乾いた白骨で埋め尽くされた丘を下り始めた。
「行こう。ここはもう大丈夫だよ」
「うん! 行く。キラリと……どこまでも」
ミゥが陽光をまぶしそうに見上げながら、白い歯を見せて微笑む。
不意に透明な風が吹いて、その赤毛をさらりと揺らす。
星園キラリは可愛らしい相棒の笑顔を見つめながら、ここに来るまでの困難と苦しい闘いを、静かに噛み締めるように思い返していた。
この世界にやって来た「あの日」の事を――。
<つづく>