わがまま
ぼくは芦名圭を知る少女と手を繋ぎながら、露店の連なる道を歩いていた。
露店から香る匂いは、単独だと食欲をそそるというのに。風の悪戯でそれが一つに混ざり合ってしまうと、匂いだけでお腹がいっぱいになってしまって、食べる気が失せてしまう。
彼女は自然な手つきでぼくに手を差し出し、ぼくもまたそれが当然のように握り返していた。普段のぼくならば、それが子ども相手でも躊躇ってしまうというのに。
こうして歩いていると、まるで自分に妹ができたかのような錯覚に陥ってしまうから不思議だ。
「お兄さん、警察?」
「いや、町内会のボランティア」
「志願したんだ。……偉いね」
ぼくは彼女の回答に息を飲んだ。
芦名圭の友達なら、彼女もまた小学生だろう。背格好から判断すると、幼稚園児なのではないかと見誤ってしまいそうになるくらいの、華奢な女の子だ。
そんな幼い子どもが、「ボランティア」という言葉に志願、という意味があることをすでに知っているなんて。これには驚かされた。
「よく知っているね」
「英語塾で習った」
そんな馬鹿な、と言いたかったけれど。相手は子どもだったので、ぼくは口に出して言わなかった。ぼくだって、小学校の頃から英語塾は通っていたけれど、そんな単語をその年で習った覚えはない。
提灯の灯りに照らされた彼女の横顔は、輝いて見えた。まるで、自らが光を発しているかのようでぼくはすぐに視線を逸らした。
「横浜・F・マリノスのユニフォーム」
なんの脈絡もなくそう言われたので、一体彼女がなにについて発言したのか、ぼくにはよくわからなかった。
「え?」
「圭くんの服装」
ちゃんとわかってよね、と言わんばかりに少女はちょっとだけ頬を膨らませた。
ぼくが想像するよりもずっと大人びていた少女の年相応の表情に、呆けていたぼくの顔からは自然と笑みが零れた。
「ああ、ごめんね。マリノスかー」
彼女から目を背け、ぼくは明後日の方向を眺めていた。
マリノス。
脳裏に思い浮かぶのは、かろうじてサッカーチームにそんな名前があったかなぁ、というくらいだった。
マリノス、マリノス、マリノス。
こころのなかで連呼しても、ちっとも記憶が蘇って来ない。
ぼくの沈黙を不審に思ったのか、彼女がぼくの顔を窺うようにして見上げてくる。
その時、頭に像が浮かんだので、ぼくは嬉々として口を開いた。
「確か、水色と白のユニフォームだったよね! で、イルカのキャラクターの奴」
少女は形の整った眉をきゅっと寄せた。
予想外の反応に、ぼくは思わず目を丸くしてしまう。
「……それ、川崎フロンターレ」
「あー、ごめん」
はぁ。少女は大仰に溜息をついた。
この人、こんなんでちゃんと探せるのかなぁ。彼女の溜息は言外にそう言っているみたいで、なんだか泣けてきた。
「青地に赤と白。胸にスポンサーの日産のロゴ、エンブレムの船の碇が目印」
「詳しいんだね。きみ、サッカーが好きなの?」
超年下の女の子の苛立ちをかわすため、そんなことを訊ねると「クラスの男の子は、みんな習い事がサッカーだから」と彼女は素気なく答えた。
年上相手にも物怖じしない態度だったから、てっきりクラスでは孤立しがちなのかも、と一瞬思ったが、そんなことはないみたいだ。
人目を惹く容姿に、大人びた言動は同級生からもさぞ求められ、そして頼られているに違いない。
「そっか。じゃあ、圭くん探そうか。えっと、マリノスマリノス……」
ぼくがそう言うと、彼女はその場に立ち止まった。
ぼくだけが構わず先に行くものだから、傍目からはぼくが少女を引きずっているように見えただろう。
「タダは嫌」
眉間に細かい皺を寄せて言う少女に、ぼくは呆気にとられてしまった。
「えっと。さっき協力してくれる、って」
「協力はするけど。タダで、とは言ってない」
そう言うと、彼女はまだ短くて小さい手にぎゅっと力を込めた。
そして、意志の強そうな大粒の瞳で見据えてくる。
子どものくせに。凄い迫力でぼくを見上げてくるので、ぼくは思わずなにも言えなくなる。
有無を言わさず、とはまさしくこのことだな、なんて場違いにも感じた。幼くしてこの眼力となれば、大人になれば月並みな表現で捻りがないけれど、見た者を石にしてしまうメドゥーサになれるかもしれない。
「わ、わかったよ。だから、そんな顔しないで」
ぼくが半ばビビりながら両手をひらひらさせると、彼女の表情は幾分か柔らかくなった。
なんというか。
やっぱり子どもなんだな、と思った。
そして、なんでぼくは一回りも年下の女の子相手に譲歩しているのだろう、とも思った。情けない。




