思い出
圭は横浜駅の改札を最後に姿を消した。
瀬奈さんはその一年後、横浜の街を離れてしまった。
圭の母は、とうとう死んでしまった。
息苦しさを感じた。
もう耐えられないと思った。
夏祭りは酷く懐かしかった。
スピーカーから轟く太鼓の音色は、かつての自分が聴いたものとよく似ていて、ぼくは思わず目を瞑った。
二七歳の大人だったはずなのに、この混雑に紛れているうちに、いつしか一七歳に戻ったような感じがした。
そんな訳、あるはずないことは重々承知していた。
なのに、背が縮み、身体は若さと熱さに溢れているような感覚があった。忘れていた胸を燃やす炎が身体の奥で揺らめいているように感じた。
九年前、瀬奈さんに言われたことが不意に頭のなかに蘇ってきた。
あなたはこれからもずっと、あの子のいない夏祭りで、彼女の姿を追うことになるんですよ?
そんなの、あまりにも悲しすぎます……。
この一〇年はまさに、瀬奈さんの言う通りだったと思った。
ぼくは、圭のいない夏祭りのなかをずっと彷徨い続けているんだ。
幻影を追い求めているようで、そんなぼくの姿は瀬奈さんにとっては、きっと悲しく映ったことだろう。
この息苦しさは、きっとそういうことなんだろう。
射的の前を通った時、既視感で頭が左右に揺さ振られるようだった。
一〇年前のあの日。
一七歳だった当時のぼくは、彼女がくじで当てたボストンバッグを託すと、小さな手はしっかりとそれを掴んだ。不意に、彼女はそのなかをごそごそと漁り始めた。
「お兄さん、今日はありがと。これ……」
そう言うと、箱を差し出してきた。
「これは、最初の射的の時の」
「うん、お兄さんにあげようと思って」
「ありがとう」
彼女は顔を綻ばせた。
「毎日、身につけてね。なくしちゃ駄目だから」
「お守りか何かなの?」
「家で開けてみて」
ぼく達は笑顔で視線を交わした。一一歳も年下の相手によもやこんなことをするとは思わなかった。
「また、会えるといいね」
ぼくは祭りの会場から駆け出していた。
見慣れた風景が速度を持って、背後に流れていく。運動不足の身体にしては、やけに滑らかに動いた。日頃の鬱屈を晴らすように、ぼくはアスファルトを蹴りつけた。
かつて、祭りの会場から横浜駅まで走ったことを思い出した。あの時も、こうして一心不乱に走ったんだ。まるで、昨日のことのように思える。走った瞬間は、自分の身に一体何が起きているのか把握していなかったくせに。
自宅のドアに張り付くようにして、足を止めた。
乱暴に鍵を鍵穴に差したせいでなかなか回らなかった。もどかしくて、靴を子どもみたいに脱ぎ散らかした。
自分の部屋に戻るなり、机をひっくり返していた。
圭がいなくなった衝撃で、彼女から受け取った箱のことをすっかり失念していた。
どこかにあるはずだ。
彼女から貰った大切な贈り物なのだ、そんな簡単に捨ててしまうはずがない。
あの子の姿が消えた後のぼくの行動を振り返れば、何かの拍子に忘れてきてしまっていても不思議じゃなかったというのに。
ぼくはこの部屋のどこかに、あの箱はあるのだと確信していた。
というよりも、そう信じていなければ、ぼくは一生この呪縛からは解き放たれないんじゃないかと思った。
ようやく出て来たそれは、記憶の通りの姿だった。
まるで、ぼくの思い出のなかから出てきてしまったかのように記憶に忠実な、小綺麗な黒い箱だった。
ぼくはそれを、危険物を取り扱う様な慎重な手付きで開封した。
何が出てくるのだろうか。
想像するのももどかしくて、逸る気持ちを抑えられなかった。
なかから現れたのは、銀色のネックレスだった。
露店で扱われるものにしては、しっかりとした作りだった。案外、安物の合金ではなく、本物の銀細工なのかもしれない。
不意に、涙が滲んできた。
もう止められなかった。
ぼくはいい歳にも関わらず、みっともなく声を上げて泣いた。




