一〇年の月日
厳しい日差しが陰った。
連日の快晴が今日に限って、大きく天候が崩れた。横浜の街には暗雲がたなびき、今にも雨が降り出そうとしていた。
気がつけば、圭と別れて一〇年の月日が流れていた。あの時、一七歳だったぼくは、今ではもう三十路間近になっていた。
横浜の街は目まぐるしく変わり、行き交う人々もまたそれ相応に変化したが、それでもなお、夏祭りは今日でも行われている。
それは、今もぼくに圭の存在とその喪失を知らせるようにしてやってくる。
今年の七月、圭の母が亡くなった。
一体、彼女がどんな経緯で死に至ったのかは今となっては定かではない。病気なのか、事故なのか、自殺なのか、それとも他殺なのか。
その詳細なディティールについて、ぼくは知ることができなかった。
正直なところ、彼女の死はどうでも良かった。
だって、彼女が死んだところで、圭が戻って来る訳じゃないのだから。
酷い奴だ、自分でも思う。
彼女は圭の母親なのに。彼女もまた自分と同類で、同じ穴のむじなだと言うのに。彼女だけを責めて、ぼく自身のことは棚上げにする。
ただ、気だるかった。
あんなに憎かった圭の母の死は、まるで自分の死のようで身を切られる思いだった。それ故、ぼくは昼近くまでベッドの上に転がっていた。
律義な町内会長は、夏祭り当日の今日、家の方に電話をかけてきた。
これを区切りにしろ、と低い声で言った。彼にとっては、まるで夏の恒例行事のように、ぼくに声をかけてきてくれるのだ。
それを有り難いと思う反面、いつか瀬奈さんのようにぼくから離れていってしまうんじゃないかと思うと、辛かった。
辛いのであれば、ぼくの方から折れればいいのに。
それをわかっていながら、いつまでもこころは圭の笑顔を映し出している。
あの時握り返した小さな掌を、忘れろという方が無理なんだ。そう思い続けて、一〇年が経った。いつしか、ぼくは学制服を脱いでいた。東京の大学に通い、横浜に職場を求め、ネクタイを締めて横浜駅のプラットホームで通勤電車を待つ日々を淡々と送っている。
時が経てば、傷が癒える。
しかし、そんなのは嘘だった。少なくとも、ぼくには当てはまらなかった。むしろ、時が経てば経つ程、記憶のなかの圭の笑顔は鮮やかさを上げていく。
思い出となって、美化の対象となると、それは朽ち果て風化することなく、むしろより一層の存在感を持つようになる。
そして、ぼくのこころのなかを占める割合が大きくなればなるほど、その喪失感も同じように膨らんでいく。
「ごめんなさい。やっぱり、ぼくには無理だ」
「そうか」
ぼくは携帯を顔から離し、電話を切ろうとしたところでふと思い留まった。ディスプレイに小さく表示された着信履歴に、見慣れない電話番号が気になった。
思わず携帯をまた耳に押し当てて、声を発していた。
「……会長さん」
「うん?」
「もしかして、午前中にもお電話してくれました?」
「いいや。今のが初めてだが……」
彼はぼくの真意がわからなかったみたいで、電話の向こうで困惑しているみたいだった。
「それが一体どうした?」
「いえ。ならいいんです」
電話を切ろうとした時、会長が言った。
「それ、瀬奈ちゃんからじゃないのか?」
ぼくがその問いに応えようとした時、会長は電話を切ってしまったようだ。
味気ない電子音が木霊した。
思わず息を飲んだ。
「……瀬奈、さん?」
ぼくは見慣れない電話番号にリダイアルしようとしてやめた。
なにを今更。
そう思ったからだ。




