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疑念

 帰り際。

 黒い夜のなかに沈んだ横浜の街を、幾重にも重なった雲が取り囲んでいる。

 そのなかに一人ぽつねんと浮かび上がる横浜ランドマークタワーは、まるで暗闇の包囲網から天へ逃れようとしているみたいだった。

 まるで、夢を見ているみたいだった。

 彼女の柔らかい笑みが脳裏に浮かんできて、ぼくは無性に嬉しくなった。


「しまった、あの子の名前、訊くの忘れてた」


 ぼくはずっと彼女のことを「きみ」と呼び続けていた。

 そして、自分の名前もまた教え忘れた……と思ったけど、彼女はぼくの携帯でプロフィールを確認しているはずだから、少なくとも彼女の方はぼくのことを知っている訳だ。

 それはなんだか、なおさら悔しい気分だった。

 そんなことを思いながら、一人夜道を歩いた。

 しかし、これでようやく迷子捜しを始められる。もっとも、こんな時間から芦名圭くんを捜すのは我ながら情けなかった。もう、とっくに見つかってしまい、事件は解決してしまったかもしれない。

 一度、本部の瀬奈さんに連絡を取った方がいいかもしれない。

 その時、ふと頭に疑念がよぎった。

 あの女の子と一緒にいる時、瀬奈さんから連絡がなかった。几帳面で仕事の丁寧な瀬奈さんが、長い間ぼくを放っておくだろうか、と思った。

 やはり、電波の状態が未だに改善されてないのかもしれない。あるいは、彼女の携帯になんらかの不具合があるのかもしれない。

 そんなことを思っていると、前方から壮年の男性に肩車されている男の子を見かけた。

 青地に赤と白の線。スポンサーは日産。エンブレムは船の碇。

 その姿は、まさにあの子の言っていた芦名圭くんそのものだったので、ぼくは思わず笑ってしまった。

 ようやく見つけることができた。

 そして、それがあまりにも遅すぎたことには失笑を禁じ得ない。これではなんのための見回り要員だったのだろうか。なんだか馬鹿みたいだ。

 すれ違い様、ぼくは彼に声をかけた。


「圭くん、今度は迷子になっちゃ駄目だよ」


 そういうと、男の子は不思議そうな顔をしてぼくを見つめた。


「……あの、息子に何か?」


 肩車をしている男性もまた、ぼくを見て不思議そうな顔をしていた。

 ああ、そうか。彼らは自分達を探していた人間のことなんて知らなかったに違いない。


「本部から連絡を受けて、ずっと探し回っていたんですよ。でも、こうしてちゃんと会えたみたいで良かったです」


 そう言ってから、ぼくは頭を下げた。

 ぼくはあの女の子に付きっきりになってしまって、結局彼らのことは二の次になってしまった。

 ぼくがその旨を詫びると、二人は顔を合わせ穏やかな笑みを浮かべた。

 てっきり、彼らは帰り際に現れた間抜けなぼくを笑っているのだと思った。あるいは、そんなぼくを許すつもりでそんな表情を浮かべているのだと。


「多分、それはオレじゃないよ」


 少年はそういうと、綺麗な歯を見せつけるようにして笑った。


「……えっ?」

「わたし達ははぐれていません。第一、お名前が違いますから」


 ぼくは目を瞬かせた。

 壮年の男性は「お疲れ様でした。では失礼」と言って一礼すると、男の子を伴って駅の方へと消えてしまった。


 訳が、わからなかった。

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