優しさ
無言の時が、二人の間を流れた。
ぼくはそっと、自分の胸に顔を押し付ける彼女の髪を、なるべく丁寧な手付きで撫でた。
「優しいんだね」
「えっ?」
「わたし、お兄さんみたいな人の妹になりたかった」
そんなことを言われても。
ぼくは今の彼女に一体、なんて答えてあげればいいのか、さっぱりわからなかった。
そんなことは一七年間の間に、習わなかったし、たとえそんなものをどこかで学んでいたとしても、今この場で実行なんてできなかっただろう。
「……妹が駄目なら、彼女でもいいよ?」
彼女の笑みは、どこか自分を奮い立たせて、無理矢理作っているみたいで弱々しかった。
「随分、若い彼女だなぁ」
ぼくがそっと彼女の髪を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
「年下の彼女じゃ駄目? それとも、お兄さん、年上がいいの?」
「……きみは、本当に物知りだねぇ」
「お兄さん」
少女は寂しげな表情を顔から消すと、頬を膨らませた。
「早く帯を結んでよ。凄く恥ずかしい」
「ああ、そうだったね」
ぼくはいそいそと、はだけてしまった浴衣を改めて合わせ直して、帯を結んでやる。
「もっとギュっと締めないと、すぐ解けちゃう」
「あー、ごめん」
ぼくは帯を握る手に力を込めた。
「……うっ!」
彼女の背中がびくんと跳ね上がった。彼女の顔に走った痛みに、ぼくは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ごめん。締めすぎちゃった?」
「もうっ、痛いよ」
ドンと彼女はぼくの胸を拳で叩いた。
しかし、痛そうなのは音だけで、ぼくの胸は全然痛くなかった。
加減をして結んでやり、最後に襟などの形を整える。
浴衣についてしまった皺を丁寧にとってやると、彼女は表情を綻ばせた。
「お兄さん、優しいね」
「そりゃどうも」
「でも。お兄さん、わたしの下着、見たでしょ」
「えっ!?」
「酷い」
少女は顔を下に向けて黙り込んでしまう。
「……わたしの身体じゅう、触るし」
「あれは、タオルで汗を拭いてたんだよ!」
ぼくは困り果てて頭を掻いた。
いくらなんでも多感過ぎないか、この子。まだ小学生の癖に、なんてこと言い出すんだか。
ただ、その一方で確かに彼女にやった所作諸々を、たとえば瀬奈さんにやってしまったら確実にアウトだよなぁ、とは悲しいけれど自分でも思う。
「圭くんのことはともかく、きみもそろそろ帰った方がいいよ」
「……えっ?」
彼女の笑顔が途端に凍り付いた。
急に眉を八の字の形にして、ぼくにすがってくる。
そんな小さい身体の一体どこに、そんな力を秘めているのか。彼女が掴んだ部分が痛かった。
「どうして?」
「いや、どうして、って。もう遅くなってきたし、きみも凄く疲れてるみたいだから。これ以上、付き合わせるのも悪いからさ」
「わたしは、全然、大丈夫だよ」
そう言って、彼女は口元に薄く笑みを浮かべた。
「いや、無理しなくていいから。圭くんは、ぼくがちゃんと見つけてあげるからさ」
彼女の顔から笑みが抜けていって、しまいには目に見えて落ち込んでいってしまった。
「わたし、最後までお兄さんと……」
一瞬勢いよく顔をぼくの元に向けるものの、すぐに彼女の笑顔は萎れてしまう。
「気持ちだけで十分だから。早くおうちに帰りなさい」
少女は酷く傷ついてしまったように見えたので、ぼくのこころはちくりと痛んだ。
もっと、ぼくと一緒にいたかったのかもしれない。
でも、これ以上彼女を伴って、迷子捜しをするのは恐らく無理だろう。これで彼女が熱中症で倒れてしまったら、目も当てられなくなってしまう。
「……じゃあ、せめてお兄さんが送って」
「ああ、そういうことなら」
彼女は脆そうな笑みを浮かべてベンチから立ち上がると、ぼくの手を自然な手付きで取った。




