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傷跡

 ぼくが傍を離れた後も、彼女はベンチの上からぼくの背中を目で追っているようだった。

 すぐに露店に走ってスポーツドリンクを買うと、一目散に彼女の元へ舞い戻った。

 時間にしたって、せいぜい二・三分の短い時間だったというのに、彼女は顔を強ばらせて待っていた。ぼくの姿を見て、思わず緊張を解いた時の顔は、携帯の待ち受け画像にしたいくらい可愛かった。

 その小さくて赤い頬にペットボトルを押しつけた。彼女は短い悲鳴を上げた。なんだか、計画通りの反応にぼくは笑った。


「冷たい」


 小さく呻くような声が、ぼくのこころに響いた。

 その時になってはじめて、ぼくがついていながらなんて不甲斐ないんだろう、と思った。迷子捜しの協力者を熱中症に追い込むなんて、いくらなんでも配慮が足りない。

 そう思うと、彼女に対して申し訳なかった。

 ぼくが隣に座ると、彼女は心底ホッとしたようでそっと身体を伸ばして、横にした。

 息が荒い。

 静かな手付きで胸を触ると、小さな心臓が彼女の身体のなかで暴れ回っているように、小刻みに脈を打ち続けていた。

 その鼓動は、まるで太鼓の連打のように大きく激しくて、ぼくの表情は自然と険しくなってしまう。


「無理しちゃ駄目じゃないか」

「でも……」


 彼女は目をぎゅっと瞑り、苦しそうに胸元をかきむしった。

 浴衣がはだけて彼女の白い素肌が露わになる。木目細かい肌にはうっすらとだけど汗が浮き出ていた。

 ぼくはそれをタオルで丁寧に拭いてやる。

 段々と、彼女の表情が穏やかなものに変わっていく。最初は眉を曲げて熱い息を吐き出していたのが、徐々に緩く落ち着いたものになる。

 それに合わせて、ぼくの口からは思わず安堵の溜息が零れた。


「ごめんね」

「いいんだよ。むしろ、ぼくの方こそごめん」

「こんなつもりじゃ、なかったのに」


 大きな瞳が潤みだして、少しでも揺らせば彼女は泣き出してしまいそうだった。


「わたし、ただお兄さんに構って欲しくって」


 ぼくの服を握る、彼女の力が一層強くなる。

 ぐずっと鼻をすする小さな音がした。

 つうっと彼女の柔らかそうな頬の上を、大粒の涙が転がっていく。それは仮設の夜間照明の明かりで、刹那激しく光り輝く。しかし、すぐに目映さを失ってしまい、暗がりへと落ち消えていく。


「わたし、一人っ子だから」


 そういうと、彼女はぼくのお腹に顔を埋めて、胸に込み上げて来た悲しみを押し殺すようにして泣き出してしまった。

 一体、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 泣き疲れたのだろうか。それとも、落ち着いてくれたのだろうか。しばらくすると、彼女はよろよろと弱々しく顔を上げた。


「ごめんね」

「もういいって。それよりも、凄い格好だよ」


 かろうじて肩にかかっているけど、何かの拍子に浴衣が脱げてしまいそうだった。ぼくの足を枕にしてベンチで横になっているというのに、無理な姿勢をしたからだろう。

 彼女はおぼつかない手つきで赤い帯を解き始めた。その仕草がとても心もとなかったので、ぼくは彼女の手に自分の手を重ねた。

 帯をさっと解いた時、露わになった彼女の身体を見て、ぼくはぎょっとなった。

 青々とした痛々しい痣が、うっすらと色素の薄い白い肌に浮いていた。

 それだけじゃない。

 赤い線となった切り傷や擦り傷が、彼女の身体に生々しく、まるで彼女の華奢な体躯に這うようにして刻まれていた。

 ぼくは思わず彼女を見た。

 彼女は唇をぎゅっと噛み締めて、押し黙っていた。

 健康的なピンクの唇が、今は力を込めているせいで白っぽくなっている。


「きみ、もしかして」


 ぼくが上擦った声でそう言うと、彼女は首を振った。

 短い黒髪がふわっと揺れて、彼女の優しくて甘い香りが周囲の暗がりに漂った。


「大丈夫。痛くないから」

「いや、そういう問題じゃないだろ……」


 彼女は顔を歪めた。

 無理矢理取り繕うとした笑顔は、一向に形にならなかった。目、口、眉がそれぞれまったく別の感情を表そうとするものだから、ちぐはぐな表情を浮かび上がらせただけだった。


「わたしが悪いの。全部」

「いや、だからって、こんな……」


 激しく狼狽して取り乱すぼくを尻目に、少女は弱々しく首を振っていた。


「お兄さん、今は何も言わないで」


 何かを必死に言おうとしたぼくは、その言葉に遮られてしまった。

 彼女はぼくの胸に両手を置くと、ごつんと小さな額を押し付けた。その酷く疲れた声音と所作に、ぼくの方が驚いてしまった。

 大人達の反応にいちいち応答することに疲れてしまった、と言いたげな仕草に、ぼくのこころは悲鳴を上げた。

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