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金魚掬い

 彼女は金魚掬いを食い入るようにして眺めた。

 金魚達は少女の滾る視線など少しも気にならないようで、緩慢な動きでぼんやりと水中を漂っている。

 しゃがみ込むとその場を離れなかったので、ぼくが「やるかい?」と訊ねた。すると、彼女は見るだけでいいと素気なく、短く応えた。


「……うち、ペットとか駄目だから」


 そう言うと、少女は瞼をぎゅっと閉じた。両手を腰に回して、寂しそうな横顔をするので、ぼくのこころにも急に暗くなったような気がした。

 圭くん探しに入ったのは、そろそろ八時になる頃になってからだった。

 夏だというのに随分夜が更けたと思ったら、それはもうもうと立ち込める黒雲だった。一度雨粒が降れば、短い間に激しく降り注ぎそうな嫌な雲だ。


「きみは、門限とか大丈夫?」

「圭くんと一緒に帰るつもりだから」


 その時の彼女の視線が、意味深だった。

 言葉がなんだか上滑りしているみたいで、彼女の真意はまたどこか別のところにあるような気がした。


「きみと圭くんって、仲いいの?」


 そう問うと、彼女は驚いたようにしてぼくを見た。


「……お兄さんには、関係ない」


 そう言うと、彼女は困ったようで小さな肩を竦めた。


「結構、冷たいことを言うんだな」


 そして、なんとなく彼女と圭くんの関係がわかったような気がした。

 一緒に夏祭りに行く程仲が良いけれど、些細なことで喧嘩でもしてしまったんじゃないだろうか。

 この子に加えて、年端も行かない男の子のコンビでは、きっと保護者の方も大変だっただろうな、なんて思った。


「お兄さん、わたしに気があるの?」

「……はい?」


 えっ、いきなり何を言うんですか、あなたは。


「なんで、わたしと圭くんのこと、訊くの?」

「訊いちゃ駄目だったの?」


 彼女は柔らかそうな頬をほんのり薄紅色に染めた。そして、痩せた身体をもじもじと揺すり始めた。


「……わたし、まだ六歳」


 えっと、なんの話なんだろう。

 彼女が六歳なのはすでに存じておりますが。


「なのに、お兄さん。わたしのこと、気になるんだ……」

「いや、そういう意味じゃ」


 そういうと、彼女は頬をぷうっと膨らませた。


「酷い。わたし、まだ六歳だけど、女の子なのに。眼中にないんだ……」

「えっと。眼中にない、とかまた難しい言葉知ってるんだね、偉いねー」

「……そうやって、すぐ子ども扱いするし」


 あれっ、なんでぼく咎められてるんだろう。

 というか。

 興味があるっていうと、自分はまだ六歳の子どもだと言う癖に、興味がないっていうと自分だって女の子なんだって言うのは、ちょっと卑怯じゃないか。


「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだよ。許して」


 ぼくはそう言いながら、額に滲む汗を拭った。

 夜となり日中の照りつけるような日差しがないとはいえ、温度は依然として高い。なんせ湿度が高いので、体感温度も自然と上がっているように感じる。

 さっきまではあんなに気にならなかった暑さが、今では明瞭に感じられた。

 今夜もまた熱帯夜になって、息苦しくなりそうな予感がした。

 先ほどまでは平然としていた少女の頬にも、少しずつ朱が差してきた。


「大丈夫? 疲れてない?」


 浴衣が段々と着崩れてきたせいもあって、随分疲れているように見える。


「ううん、平気」


 そう言ってはにかむ彼女は、明らかに強がっているように思えた。

 もともと日に焼けていない白っぽい顔から血の気が引いていた。それ故、頬の赤さが暗がりから浮き上がってくるようで背筋が凍った。


「ちょっと休もう」

「えっ? でも、圭くんは……」

「いいから」


 ぼくは仮設の白い樹脂製のベンチに彼女を座らせると、何か飲み物を買おうとその場を離れようとした。


「えっ!? ど、どこ行くの……」


 彼女は急にぼくの服の裾を強く引っ張るもんだから、身体を大きく反らしてしまう。

 コントじゃないんだから。

 そう言おうとしたが、彼女の顔があまりにも真剣そのものだったので、ぼくはそのまま口を噤んだ。

 ちょっと間を置いてから、改めて言った。


「いや、きみに飲み物でも買ってきてあげようと思って」

「じゃあ、わたしも……」

「大丈夫だよ。きみはここで休んでて」

「……嫌」


 当初はあれほど不遜で不敵だった態度が、まるで嘘みたいだった。

 撫で下ろしたような肩を落として、背中を小さく丸めているせいで、より縮んで見えた。

 眉が下がっているから余計に気弱そうな印象で、まるで今し方捨てられた子猫が、飼い主に対して必死に追い縋ろうとするような視線だった。


「大丈夫だって。ほら、ここはぼくを信じて」

「でも……」

「困ったな」


 ぼくは後頭部を掻いた。

 急に子どもっぽくなってしまった彼女を前に、一体どうすればいいのかわからなくなる。


「どうしたら、きみは信じてくれる?」


 そう訊ねると、彼女はますます困り果てたようだった。


「戻って来て」

「うん」

「絶対だよ?」

「わかった」


 彼女は小さな両手で、ぼくの右手を挟み込むようにしてぐっと力を込めた。

 まるで、それが誓いの印だと言われているようだった。

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