其の六
ヒロは目を覚ます。
見慣れた自分の部屋。体調はいい気がするが、頭はぼうっとしてはっきりしない。
昨日はいろいろあった。お社に行って、黒い鼠と白い鷹に会って、それから――と考えていたヒロは、仰向けで横になる自分の胸の上に、重みと温もりを感じて視線を下に向ける。
そこには掛布団から覗く長い白髪。ヒロは固まっている。
定まらない思考で何とか状況を判断しようと、更なる情報を求めて少しだけ掛布団を捲ってみる。心地よさそうにヒロの胸の上でうつ伏せに眠る白い肌の少女。
昨日の晩の出来事を夢の延長線のように感じていたヒロは、この状況をすぐに理解できない。
(そうだ。昨日……あれから?)
寝ぼけているのかと思い、布団の中で右手を動かす。とりあえず、胸の上で眠っている少女の背中に触れてみる。
しっとりと吸い付くような肌触り。温かい。
(まさか……)
ヒロは少しだけ下に手を移動させる。柔らかい膨らみに指が当たる。
(おしりです!……いやいやいやいや!)
ほぼ反射的に触れた指を引っ込める。
このあたりからヒロの心臓は、洒落にならないペースで稼働開始する。
少女は、服を着ていない。寝ぼけてはいない事だけには自信が持てた。
頭の横にある左手を動かそうとしたが、布団から延びる少女の右手で、指を絡めてしっかりと左掌を握られている。少女の寝息と重ねた肌の感触。
(嘘だろ――)
寝起きから酷使される心臓の動きとは裏腹に、ものすごい勢いで血の気が引いて行く。
再び布団の中の右手で自分の腰に触れてみる。
履いてない。
「ま……、まさか……」
心臓の鼓動のせいか、思わず口から洩れた言葉のせいか、胸の上で少女が目覚めたらしく、もぞもぞと動き出す。重ねた肌の滑らかな感触が心地いい。
少女は左手で体を支え、ヒロの身体の上で小さく上体を起こす。
その白い肌、落ち着けられたままの薄い胸。寝ぼけたように半開きでヒロを見つめる緋色の瞳。
「や、……や……!」
初めはきょとんとしていた少女は、タラタラと汗をかくヒロの心持を見て取ったように、にいっと口角を上げる。
やっちゃいましたか俺――――
窓に差し込む朝日、昨日はカーテンすら閉じずに寝てしまったのだ。そちらに首を捻り、窓の外を見る。そこから見えるいつもの風景に思わずホッとする。
(よし! 異世界には行ってないな)
かなり狼狽えているようだ。
少女は自分の胸の下で言葉もなくオロオロするヒロを、ニヤニヤとしながら観察する。
「あ、あの、俺……」
少女はできるだけ高圧的に見えるような表情を作ってヒロを見下ろす。
「心配するな。それはそれは、美味しくいただいたぞ」
蒼白となって口をパクパクするヒロ。
「睦言もいいが、とりあえず服を着たらどうだね?」
ベッドの横にはヒロの身に付けていた服や下着が散らばっている。
事に及ぶために(少女に)脱ぎ散らかられたのかと思うと、それだけで顔が赤くなる。
妙に情けない気分だったが、昨日の下着を身に付けるのもどうかと思い、少女の方を向かないように、コソコソとベッドから抜け出してクローゼットへ向かう。
クローゼットの扉で体を隠しながら、急いで下着を身に付け時計を見るが、とっくに登校時間を過ぎていた。よく親が起こしに来ないものだと思いながら、もしも来ていたらと考えると、その後の事を考え頭をブンブンと振る。
(怪我もしてるし、今日は学校休もう)
制服を着る必要はなくなった。適当に見繕って普段着を身に付け始める。
そう考えながら、痛みがないのは鷹のおかげだろうか。と自分で傷つけた左の掌を広げてみる。
そこには既に傷はない。しかし、傷の代わりに掌にあるのは、花を咲かせた山法師のがくのように、先端の尖った大きな×(バツ)印があった。
着替えも途中の状態でベッドの上の少女を見る。少女は布団を被ったまま頭を出して体を起こし、もぞもぞと何かやっている。
ヒロは説明を求めるため、深呼吸してから意を決して少女に声をかける。
「あのさ、ちゃんと説明を――」
それを遮るように、ベッドの上の少女は勢いよくばっと立ち上がり、掛布団はベッドの上にバサリと落ちる。
思わず目を背けようとするが、少女は堂々とベッドの上に仁王立ちしている。
その身体には、飾り気のない白のワンピースを身に付けていた。
布団の中で来たのだろうかと思い、胸を撫で下ろす気持ちのヒロ。
「うん? 何だい。何か期待させたかな?」
意地悪そうな視線を向け、余裕たっぷりに言い放つ少女。
「別に……」
情けない。昨日からハラハラさせられっぱなしだ。
「もう一回言うよ。ちゃんと説明してくれないかな」
(ぐうぅー)
開きかけた口よりも早く、少女の腹が鳴る。情けない表情で壁に寄りかかり、そのままズズズ、とベッドの上に座り込んでしまった。ヒロは訴えかけるように少女に顔を覗き込まれ、溜息をつきながら部屋を出ようとするが、ドアは開かない。ドアの淵にはドアの形に沿って白い光の筋が見えている。
「ああ、そうだったな」
少女が一言そう言うと、音もなく光の筋は消えうせる。
「これも、後で説明してもらうからな」
ヒロはそう言い置いてドアを開け、部屋の外をキョロキョロと見回す。時間から言うと母がいるはずなのだ。無駄に広いため、毎日どこかしらの掃除や手入れをしているので、どこにいるかは分からない。
自分が部屋にいない時に部屋に入られると、非常に面倒なことになる。ヒロは足早に一階に降りていく。