其の二十四
日下部家の座敷。
神妙な顔つきで報告に来た鈴とヒロを見た樹は、リラックスしてもらおうと昨日通した表座敷ではなく、普段自分と家族しか使うことがない奥座敷に席を設けた。
無駄な調度品などはなく、小さ目の分厚い一枚板のテーブルの他、梢が気に入った古い小間物を邪魔にならない程度に置き、季節に合わせて様々な花で時代を感じさせる空間を飾る。
しきりに緊張の面持ちを見せるヒロを尻目に、鈴は淡い紫色に上品な文様が描かれた手毬に感じ入って見とれている。
梢がお茶を持って入室してきたのを合図のように、ようやく席に落ち着く。
鈴に話させると話がややこしくなりそうな気がしたヒロは率先して口を開く。
「心配かけてごめん。まずは昨日のことなんだけど――」
ヒロは昨日、蔵の最深部で枯れ果てた姿の団扇を発見し、蔵を飛び出してからの経緯を掻い摘んで話す。詳しく話したいが、かなり危険な行動だったため、あまり細かく話せば余計に心配をかけてしまうと思い、鼠との戦闘はごく手短に話す。沼の話しは絶対に話せない。それこそ心配かけるどころでは済まない。そして、鈴に告白したことは……何と言ったらいいかわからず口を噤む。
(結局殆ど話せないじゃないか……!)
「結局、天狗様を狙って善くないものが山に入り込んでいたのを、二人で退治したと、そういうことか?」
歯切れの悪いヒロに、確認するように尋ねる樹。
さすがに代々山と社を敬い、子供のころに天狗様に助けられた経験を持つ樹は、思った以上に冷静で、鼠の存在にも疑問を持たなかった。
傍らでは、じっとヒロの顔を見つめる梢。
「しかし、ご先祖はどうして天狗様の大切な団扇を返さなかったんだ」
「そうだよ! 命に関わる物だったのに!」
樹の当然の疑問。ヒロも気になっていたのだが、鈴が何か言いかけたものの、結局鼠の襲来でうやむやになっていた事だった。
「ああ、それには理由があったのさ」
何処から取り出したのか、昨日蔵の地下で発見した小さな巻物をテーブルに広げて見せる。
巻物は、かなり達筆な筆文字で綴られた古い家系図だった。
家系図はヒロも見たことがあり、家に保管されているが、蔵の奥底、しかも天狗の団扇の下に保管されていたことを考えると、何かを直接伝えたかったことが伺える。
少女が指さす一人の名前、ヒロの父、樹から四代も遡る当時の当主 日下部 桑一郎。鈴から団扇を騙すように借用したのは彼だった。
そして、桑一郎は十代後半になる頃には病に臥せり、その後数年闘病生活を続け、この世を去っていた。
幸いにも若くして子を設けていたために、直径の血筋が途切れるようなことはなかったのだが、天狗様の団扇を悪用されることを危惧し、幼い息子に団扇を託した。
家系図には桑一郎の息子までしか記されておらず、桑一郎の息子 桂太が血判を残していた。
その横には、何度も山を訪れながら団扇を返すことが叶わなかった桂太の無念がつづられている。
続いて鈴は団扇の下に認められていた同じく筆文字で書き残されていた一枚の紙を出す。
ヒロには全く読めないが、鈴の説明で桑一郎が団扇を返しに行けないことの謝罪と心残りが切々と綴られているそうだ。
「そういうことだったか……」
「桂太って人、あの桐の箱を持って山に返しに行ってたんだ」
「病気だったなら、責められないね」
それぞれに感想を漏らす日下部家の面々。
「しかし、大切なものをお借りしてお返しできないままになったのは事実。何とお詫びしてよいのか……」
頭を下げようとする樹を鈴が遮る。
「いいのだ樹よ。確かに桑一郎はあの団扇で日下部家の財を一部は築いたかもしれない。しかし、彼はそれ以上団扇を利用していないし、短い生涯だったかもしれないが、その財で奢ることなく自分の才覚で家を盛り立て、村の者に善くし貧しい物には施した。ひょっとすると、私が持っていたよりも人の役に立ったんじゃないかと思うよ」
一口お茶を飲み、小さく吐息を洩らしてから、ゆっくりと茶托に湯呑を戻す。
考えても仕方ないことだが、白い鷹に見えているはずの鈴が今どんな風に両親の目に映っているのか気になるヒロ。
再び三人に視線を向けて静かに続ける鈴。
「日下部家が村の支持を集めたのもそのためさ。日下部家が山を買い取ったのも、小さく壊れかけた社を新しい物に作り替えてくれたのも彼の時代さ。きっと他の者の手に渡らずに済むようにしてくれたんだろう。病に臥せっていた彼が、それが罪滅ぼしだと言うのなら、充分過ぎると私は思うんだよ」
他ならぬ鈴自身がそう言っているのだ。異論を唱える者はなく、樹はむしろ寛大な鈴に感謝しきれないと言う感じだった。
「……でも、桂太って人が何度も山に返しに行ってたのに、どうして受け取らなかったのさ?」
ヒロが率直に聞くと、鈴はふーむ。と唸って返す。
「私は基本的に自分の領地にいて、外とは隔絶されているんだ。そう簡単に姿を見せたりはしないんだよ。何せ山神だからね」
「……竹筒のときは自分から出て行ったんだよね?」
樹が子供のころに山で迷ったときは、一族の者が困っているから、と考えられるが、少し気になって突っ込んでみるヒロ。
「うん? そう言えばそうだね? よく覚えていないよ」
小首を傾げて曖昧な返事を返す鈴。
「どうせ退屈してたところに、珍しい物持ってる人がいたからでしょ」
「そうだったかもしれないが、引っかかる言い方だね」
殆ど話に加わらず、聞き手に回っていた梢がそんなやり取りをするヒロに向かって疑問を投げかける。
「……ヒロ。あんた天狗様に随分気安いんだね? 何かあったでしょ、二人」
ヒロの性格をよく知る、母からの突っ込み。親戚の女の子にも馴れ馴れしくすることはないヒロにしては、距離感が近すぎると感じるのだ。