其の二十
互いに話あがると言って向き合うヒロと少女。
「そうなのかい? ならお前から……」
少女がそう言いかけたのを聞き、ごくりと喉を鳴らすヒロだったが、少女の表情は情けなそうな笑顔に変わり、言葉を覆した。
「いや、やっぱり、駄目だ。言い難くなってしまいそうだしな。私から話させてもらおうか」
「あ、ああ。うん。どうぞ」
背筋を伸ばし、すっ、と息を吸い込む小さな音が聞こえた。そして一瞬の無音の後、少女は言葉を発する。
「私は山を離れようと思う。だから家の者に伝えてほしいんだよ」
その言葉に目を見開いて立ち上がり、全身で動揺するヒロ。
「何でだよ! またあんなのが来るからだろ? その時は俺が一緒に戦うよ!」
少女は動じず、静かに取り乱すヒロを見つめながら黙っている。
「それに、あんなのが来たら、俺だけじゃどうにもならないよ。天狗様が一緒にいてくれれば、きっと何とかなるよ! きっと、父さんや母さんだって……」
「ヒロ。昨日の鼠のような者は『流れ者』と言ってね、外から度々やってくる。奴らの狙いは私だよ。力を失い、あんな『流れ者』と戦うこともままならないのに、領地と手厚く信仰してくれる一族を持っている山神。取って代わるには打って付けさ」
ヒロは納得できず、口を挟もうと身を乗り出すが、言葉を続ける少女の声に遮られる。
「私が離れ、日下部家が山を手放せば、わざわざ廃れかけた小さな山を欲しがるものもいないだろうしな。いたとしても、お前たちが出入りしなければ危害までは及ぶことはないだろう」
「だから、そんなのが来たら俺と一緒に戦えば……」
「それはできないよ」
鋭く、厳しい口調だった。思わず言葉を途切れさせるヒロだったが、食い下がるように再び口を開く。
「どうしてだよ! 途中からよくは覚えてないけどさ、ちゃんと勝ったし、二人とも無事じゃないか!」
その言葉に、少女の眉は少しつり上がり、口もへの字に結ばれる。
静かな怒りを感じさせる表情のまま目を閉じ、静かにヒロに答える。
「……無事? ヒロ、お前は気が付いているはずだよ。魂と肉体、お前の根本に起こってしまった変化に」
再び脳裏には沼と赤い瞳の自分が浮かぶ。
「た、助けてくれたじゃないか。もし次もああなったら、また助けてくれるだろ?」
「お前が困っていたら、苦しんでいたら、私にできることなら何だってするさ。けれどね、『混じり者』というのはあんなふうにはならないはずさ。私も自分の力を誰かに与えた事はないが、お前はほんの少し私と『混じった』だけで、私とそうは違わないほどの力を見せた」
戦闘時の事は殆ど覚えていないヒロは、思わず絶句する。
「私の不注意さ。お前を『混じり者』にしてはいけなかった。私と離れていれば、そのうち力はなくなって、目や髪の色も元に戻るはずさ」
「普通じゃないなら、俺は何だって言うのさ」
「生まれながらに私たちに近い者……稀人というやつだろうね」
立ち尽くし言葉を失うヒロに、少女は続ける。
「あんな戦いを続ければ、お前はいつか壊れてしまうよ……だから、聞き分けておくれ」
「……だから、居なくなっちゃうのかよ? ここを出て一人になったら、自分が殺されるじゃないか!」
目を瞑ったままで、小さな溜息と共に口を開く少女。
「前にも言ったね? 私の事は――」
驚いて目を開けた少女は次の言葉が出なかった。立ったままだったヒロは、正座する少女を強く抱きしめていたからだった。
「好きに、なってたんだ。俺は天狗様のことが好きになっちゃったんだ!」
顔を真っ赤にしたヒロの、子供じみた人生初の告白。人にどう思われたとしても、本人は必死だった。
突然のことに焦りは見せるが、姿勢は崩さずに少女は落ち着いた声で返す。
「困ったね……それがお前の用件だったのかい?」
抱き付いたまま、うんうんと首を縦に振るヒロ。
再び目を閉じ少し考えた後、ヒロの背中をポンポンと軽く叩きながら、宥めるように少女は言う。
「ありがとう。……私もお前たちが大好きさ」
「違うぞ! 天狗様の言ってる人類愛とかそんなのじゃない! 俺は今ここに居る君のことが好きなんだ!」
強く目を瞑り、恥ずかしさも擲ってしつこいくらいに注釈をいれるヒロ。
その言葉を聞き、ヒロの必死の告白に平静を装っていた少女も正座は崩さないが、ヒロに負けず劣らずその白い肌を赤く染める。
「そ、そういうのは困るじゃないか……予定外だぞ」
「こ、こっちの台詞だよ!」
上擦った声で奇妙なやり取りをする、抱き付いたまま少女の赤い顔を見ることもできないヒロと、思ってもみないヒロの言葉に焦るばかりの少女。