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其の二

 ――それは人にて人ならず、狗のようでも狗ならず、鳥に見えても鳥ならず、

 足手は人、かしらは狗、左右に羽根はえ、飛び歩くもの――



 二週間前の放課後、ヒロは帰宅途中のコンビニの生菓子コーナーで小さな溜息を一つ零していた。

 (うーわ、饅頭とかないじゃん)


 下校途中、突然携帯に父 日下部くさかべ いつきからの着信があり、何事かと思うヒロだったが、出てみればどうという事はない。

 「ヒロ。悪いけど今日、おやしろのお世話に行ってくれ。急な会議で行けなくなってしまったんだ」

 

 ヒロの家、日下部くさかべ家は、昔は随分と隆盛し、この辺りではちょっとした名家として知られていたらしいが、ヒロの四代前、高祖父の時代あたりには、それ以前ほどの名声もなくなっていた。強いて言えば家の裏にある、価値の知れない小さな山を所有しているくらいのもので、無駄に大きな敷地と古びた家屋を持つだけの家庭。

 父は一応名のある企業の重役を努めてはいるが、本人の努力で築いた地位であって、日下部家のかつての名声は見る影もなく、大きな敷地と家屋の維持に追われるだけの身分だった。

 要するに、慎ましき日常を重ねる庶民なのだ。


 何も知らなかったヒロは、敷地の維持に追われる両親に、山を手放しては?と言ってみたことがあった。

 普段からお道化たところがある父が、初めて見せた絶対的な威厳。


柊兎ひろと、日下部家の一員を名乗る以上、金輪際それを口にすることは許さん」


 ヒロは悪く言えば落ちぶれた日下部家のために、若いころから努力して現在の地位を築いた父、それを支えた母 こずえを尊敬していた。だからその言いつけは守るつもりだ。

 しかし、特に恵みをもたらさず、山に生える樹木を売る事もせず、価値として高額ではないにしろ、三人家族には大きすぎる敷地の税を納め続ける事には疑問を持っていた。

 山林を所有していると言っても、掃除を頻繁に行い、維持するだけ。

 開発のために売却を持ちかけられても相手にすらせず、樹木を売ったりすれば稼ぎにもなると思うのだが、頑としてそれもしない。

 とにかくあるがままに、その小さな廃れかけた山を守る。

(どうしてそこまでして拘るんだか)

 昔は緑も多く、動物もたくさん暮らしていたというその山は、今は枯れかけた樹木が疎らに茂る、力の弱まった小さな山。

 家訓とでもいうのだろうか。その山に、日下部家はあらゆる犠牲を払い固執しているように思えるのだ。


 疑問を持ち続けるヒロに、父は打ち明けたことがある。

「あの山にはな、天狗様が棲んでいるのさ。俺は子供のころに、天狗様に助けてもらったことがある」

 ヒロもまた、幼い頃から山に出入りし、その小さな山の事は知り尽くしているつもりだ。

 当たり前だが、天狗様なんて見たこともない。

(まぁ、父さんや母さんがそれで気が済むなら、いいけどさ)


 ヒロは饅頭を諦め、クッキー生地の大きなシュークリームとコーラを買った。

 父には饅頭とお茶と言われたが、お供えなんて何でもいいだろと思ったのだ。


(たまには、違ったものを食べたいんじゃないの? 天狗様もさ)

 レジ袋をブラブラと手に下げ、目の前に見える相変わらず無駄に大きな日下部家の家の門を通らず、敷地を外回りに迂回して裏手に回り、水路の横道を抜け、滅多に車の通らない砂利道についた小さな轍の周りに生える草を見ながら、山の入り口を目指す。


 『私有地につき、立ち入り禁止』の看板を通り過ぎ、日下部家が守る小さな社へ向かうヒロ。

 社までの道のりは、両親に手を引かれるころから通い慣れ、数百回は通った道。

 大して起伏のない山道を進むだけの道は見慣れ、大袈裟にいえば目を瞑ってでも辿り着くことができるだろう。もちろんそんな事はしないが、ヒロにとっては山道の脇に生える樹木の幹の形や傷すらも見覚えのある、退屈な道のりでしかなかった。

 何の気も無しにその一本の幹に触れてみる。別に樹木に詳しいわけではないが、その樹皮の軽く、乾いた感触に感じる生命力は弱々しく、見上げれば枝も寂しく葉も疎らであり、視線を落とせば下草も少なく乾いた地面を露出させ、夏の盛りも過ぎたというのに、探さなければ咲く花を見つけることも難しい。

(やっぱり、手放した方がいいんじゃ……)

 ヒロは山が憎いのではない。むしろ家族と同じように愛している。

 ただ、子供のころから出入りし遊んでいたこの山の景色は、ヒロにとっても大切なものではあったが、ヒロの成長と共に力を失い廃れゆく姿を見る度、酷く寂しい気持ちになるのだ。

 子供のころのこの山の、今よりも力強い姿を思い出すヒロ。

 どこを向いても草花に覆われ、探さなくとも昆虫や野鳥の姿を見かけた。幼いヒロにとって恰好の遊び場であり、友達と山を舞台に日が暮れるまで毎日遊んだものだ。

 高祖父の時代には、日下部家と同じくもっと隆盛していた山には、鹿や狐などの動物たちも多く、生命力にあふれる美しい山だったという。

 自宅の二階にあるヒロの部屋の窓から見えるこの山は、元々大きな山ではないのに樹木も少なり、一層小さく見えるようになっていた。ヒロはその山の姿を見ると切なくなってしまうのだった。

(こんなに小さくなっちゃって)

 これからも、力を失い枯れゆく山の姿を見続けるのかと思うと悲しくなってくる。


 悄然と山道を進むヒロは、目的地である社の方角に妙な気配を感じ取る。

 気づけば周囲の草や樹木の幹が揺れているように見え、地震かとも思ったが、足元は揺れてはいない。眩暈でもしたのかと頭を軽く振ってみるが、そういった類のものではないように感じる。

 急に感じる胸騒ぎに足を速め、慣れ親しんだ山道を社に向けて進んで行くヒロ。


 社の方角から、不自然に一方向から弱い風が吹き付ける。 

 進んで行くヒロの足元に、何度も小石が投げられる。

 『こっちへ来るな』と言いたげに、力無く、しかし何度も放られる小石。

 体に当たっても痛くはないだろうが、当てるつもりもないように思える。

 その異常な事実が、ヒロの胸騒ぎを加速させ、一刻も早く社に行かなければと感じさせた。


 社まですぐそこ、というところまで進んだヒロの耳に悲鳴が聞こえた。

(なんだ? 人?)

 そう思った途端、周囲はまだ日も落ちていないというのに、一瞬にして薄暗くなる。

 怖くはない。ただ胸騒ぎがする。

(何なんだよ?)

 そう思うヒロの耳に再び聞こえる弱々しい悲鳴。

 それが何であれ、自分はそこに行かなければならないと全力で走るヒロ。


 社に辿り着いたヒロの目には、理解のできない光景が広がっていた。

 季節に見合わない暑苦しいコートを着込んだ太った大男の背中。

 男の背中越しに覗くその手には、薄汚れた白い鷹が掴まれ、辛そうに鳴いている。

 ヒロは考える前に背中を向けたままの男に怒鳴りつける。

「ここは私有地だ! 人んちの山で何やってるんだよ!」

 僅かに首を捻り、ちら、とだけヒロを見やるコートの大男。

 だらしなく、にたりと笑うその口元には、異様に大きな前歯が見えた。

 その異質さに言葉もなく男を見るヒロは、胸に溢れるほどの嫌悪感を感じた。


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