其の十四
「て、天狗の団扇が、枯れてる……」
思わず口に出して呟くヒロ。
桐の箱に納められた団扇の柄の部分は磨きこまれ、黒檀のように艶のある木目を持つ差柄。しかし、大きく開いた掌にも似た葉でできたような扇部は、文字通り枯葉としか言えない状態だった。
思わず少女の顔を見つめるヒロ。少女は小さな巻物を広げて手にしたまま、そんなヒロを静かに見つめ返す。ヒロは少女の落ち着いた対応に、先ほどの台詞の意味を理解した。
(近くなったから分かるって、団扇の状態の事だったのか……)
「もう随分経つからね。こうなっているのは当たり前の話しさ。少し考えればわかった事なのに、私のせいで煩わせてしまって、済まなかったね」
何だか情けない笑顔でヒロに詫びる少女。
「そんなのいいよ! そんなことより、これがないと困るんだろ?」
思わずそう口にするヒロの気持ちは苛立っていた。人間に対しておっとりし過ぎな天狗様から、生命維持にも関わるような大事な団扇をだまし取り、返すこともしなかった自らの先祖に。
そして、そのことに怒る事もせず、自分の身が危険に晒されていることに無頓着なくせに、無駄足を踏ませたことに対して謝罪する、このどうしようもなくお人好しな天狗様にも。
少女はヒロの言葉には答えず傍らに寄り、団扇の入っている箱を覗き込む。
巻物を小脇に挟み、団扇を手にする少女。艶めく差柄には緋色の紐に結ばれた小さなどんぐりの根付が取り付けられている。ひび割れた扇部から微かに聞こえる乾いた音。
「……何とか直せないの?」
「完全に力を使い切ってしまっているからね。私の身体から離れている時間が長すぎたんだね」
苦笑いに似た表情で団扇を見やり、団扇の下に何かが書かれた紙片を見つけて手に取る。ヒロも紙片を覗き込むが、筆で認められた文字は達筆過ぎて読むことはできなかった。
少女はその紙を読み、小さく二度頷いて目を閉じる。
ひゅっ、という微かな風切音と共に天狗の団扇は少女の手元から消え去ってしまう。
心配そうに少女を見つめるヒロに少女は微笑んで見せる。
「残念だけれど、直すのはちょっと無理みたいだよ」
その言葉にヒロの表情は曇り、落胆を露わにする。同時に自分の先祖に対する苛立ちも再燃してしまう。
「そんなに怖い顔をしないでおくれよ。……返したくても、返せなかったのさ」
少女は手に持つ巻物をヒロに見せようとする。ヒロも覗き込もうとするが、地下に差し込む光は、いつの間にか酷くか細くなっていた。
光を探すように上を見上げるヒロに気が付いた少女もまた、日が落ち切るまでに残された時間がもう僅かしかない事を認識する。
「……もう少しゆっくり話したかったよ、ヒロ。樹と梢にも伝えておくれ。一生懸命に探してくれてありがとう。嬉しかったよ」
「待てよ! どうする気だよ!」
「済まないが、今晩はこの蔵で眠っておくれ。明日、山に邪な兆しを見たら、すぐに山を手放すんだよ。そして二度と山には入ってはいけないよ。いいね」
「待てって言ってるだろ!」
ヒロは右手で少女の手を掴み、引き寄せようとするが、少女の身体はゆっくりと白い光に包まれはじめる。
「手伝えって、手伝えって言ってたじゃないか! 俺に力を分けてやるから自分を手伝えって! 手伝わせろよ!」
左手の×印を少女に見せるヒロ。
「もう十分手伝ってくれただろ。その手の御印はそのうちに消えるさ。お前の命を少しだけ分けてもらったときに、多少は『混じって』しまったとは思うが、私がそばに居なければじきに元に戻るよ。……お前があんまりかわいいから、少しばかりからかっただけさ。ごめんよ」
その言葉に微かに頬を染め、狼狽えるヒロ。
ヒロの反応を楽しむように、少しだけ意地悪そうにほほ笑む少女の身体は白い光に包まれ、その大きさと形を変えてゆく。
ヒロの手をするりと白い光がすり抜け、気が付けば白い鷹が肩に乗っている。
「今までありがとう」
ヒロに頬に頬ずりする白い鷹。次の瞬間、ヒロの肩から勢いよく階段に向け飛び立った。