其の十一
広すぎる敷地の奥にひっそりと建てられた蔵。それほど広さはないが、高さは六mほどある。造りは堅牢で、蔵と言われて誰もが思い浮かべるような、大きな石を積み上げ組まれた基礎部分の上に白い漆喰を塗られた土壁と平瓦の張られた屋根、分厚く小さな窓のような開口部がある土蔵。
蔵の入り口には、大袈裟なほど大きな閂付きで頑丈そうな飾り付きの錠前を外し、分厚く重い扉を開けようとする樹の姿があった。
ようやくたどり着いたヒロは父に手を貸し、二人がかりで重苦しい蔵の扉を外に向かい押す。
分厚い扉の合わさる部分には階段状に作られた淵がある。ぐぐぐ、という重い感触と共に少しづつ開く扉。
全開にする必要はないため、充分に人が通れるだけ開けた後は扉をすり抜けるように内部に入る面々。準備よく懐中電灯を持ってきているあたり、母はさすがだと感じるヒロ。
通気のために開けられた、高いところにある開口部には内側から梯子が掛けられていた。
(最後に入ったのは、いつだっただろう)
梢ですら年に数回しか入る事のない蔵の中は、さすがに埃っぽく、カビのような匂いもするが、何故かあまり廃れた空気がなく、不気味と感じてもおかしくないはずの薄暗い内部に懐かしさを感じるヒロ。
暗がりに手を伸ばし、後から設置された照明を点灯させる樹。高い天井と広い空間に申し訳程度の数しかない照明は、充分に内部を照らす事はなく、まだまだ薄暗いが、懐中電灯の明かりしかない事と比べれば随分探索しやすくなった。
財を守るために設計された建築物だけあり、頑強さは半端なものではない。火災はもちろん、屋根に直撃しなければ戦時下の空襲にすら耐え抜いたと言われるものもある。
(一体どんな大事なものがしまってあったんだよ)
過去の隆盛時、ときの当主がどれほどの財産を持っていたか興味はないが、いくらなんでも大袈裟なのではないかとヒロは感じるのだ。
日下部家の蔵は外観こそ如何にもな蔵とは言え、特別豪華さを感じることはなかったが、実に厚さ三十㎝を超える土壁の内側の所々に、何故か小さな白い花が描かれていた。
大きな二枚の葉には縦に筋が通り、その葉の間から伸びる茎から下向きに、並んだベルのように小さく可憐な花を咲かせる。日下部家のある地方には、野生しているものも見かけ、特別珍しいと言うわけでもない、初夏を彩る花 鈴蘭。
あまり蔵の中へ入った記憶がないヒロだったが、子供のころに見つけ、秘密の壁画でも発見したように興奮した覚えはある。
(そう言えばこんなのあったな。……どうしてこんなところに?)
土壁の内側に描かれたそれを指でなぞり、目を細めて感じ入ったように佇む少女。
暗くてよく見えないだろうと、ヒロが懐中電灯を向けてやると、にっこりと微笑んだ。
その笑顔に、僅かに鼓動が高鳴るのを覚えるヒロ。今朝のことを思い出しそうになり、頭を振る姿を見て梢が怪訝な顔をする。
先に蔵の奥へと進んだ樹が物色し始めた音がする。
(そうだ。こんなことしていられない)
梢と少女を残し、蔵の奥へと足を速めるヒロは、蔵の中にはあまり物がなかったことに気づく。貴重そうな調度品や無傷ならばいい値の付きそうな古い家具や大きな姿見、かけられた大きな布の形からして、恐らく壺か何かであろう物体も見える。しかし、わざわざ蔵にしまい込むほどの価値ある物なのかは疑問だ。確かに家の中に保管するには大きめの物はあるが、物量自体はそれほどではない。
蔵の奥には、かけられた布を持ち上げて中を覗いてはあてが外れたようにしてもとに戻し、探索を続ける樹の姿があった。
「父さん、何か見つかった?」
「いや、今のところないな。しかし、時間がない。急ぐぞ」
もう日が暮れるまでそれほどの時間は残っていないだろう。そうなれば、確実にあの鼠がここに向かってくるはずだ。
焦るヒロが、壁際に置かれた棚に掛けられた布を捲ると、中には木製の刀台に置かれたあまり飾り気を感じない日本刀だった。
(うわ、こんなのあるのかよ)
今まで見たこともなく、興味もないので手にしたところで本物かどうかもわからない。
しかし、このまま団扇が見つからず日が暮れ、あの鼠が来るとなれば、黙っているわけにはいかない。
絵や写真で見るような、柄や鞘に装飾らしい装飾の見当たらない刀。その飾り気のなさが逆に恐ろしく感じる。
ごくり、と生唾を呑み込み、刀に手を伸ばそうとするヒロ。
その手は刀に触れる前にピタリと止まり、引っ込められる。
(こんなもの、持ったところで俺が使えるわけないや)
布を戻し、他を当たるために振り返るヒロ。その目の前に少女が佇んでいた。
「それでいい。そんなものは物騒なだけで、大した役には立たないよ」
驚くヒロに、考えを見透かしたように少女が声をかける。
再び探索に戻るヒロ。他の蔵など入った事はないが、日下部家の蔵は二階がロフト状になっており、空間の半分ほどは吹き抜けになっている。わざわざ蔵まで建てた割にはあまり物を保管するために都合のよい造りではない。
壁に描かれた白い花や内部構造に感じる違和感は、ここに何かあると感じさせずにいられない。