第四話「クソババア」
辿り着いたのは、普通の教室とは違う、鉄製でドアノブが施錠付き、しかもゴールデンという無駄に豪華仕様になっている扉の前。
俺が、この明らかに他とは一線を画する部屋に来た理由。それは、テストの件で抗議をする為だ――ふざけた教頭にな。
担任とは既に職員室に行って話をした。結果、担任はただ答え合わせをしただけで、最終的に零点宣告を出したのは、システム整理ばかりの校長に代わって実質的にこの学校の教育方針の決定権を所持している教頭ということが分かった。
で、早速矛先を教頭に変え、同時に進路もこちらに変更したという訳だ。
さて、じゃあ――
「いよいよ行くんだな、吉野」
「ああっ。……って、うおっ、瀬良!」
突然横から瀬良に話し掛けられた。
何で、こいつが今ここにいるんだ!? 教室で弁当食ってたんじゃないのか!?
「おいっ、瀬良。お前、何でここにいんだよ? ていうか、いつからここに……?」
「いつからって、最初からだよ。お前が教室出ていった時から後を着けてたんだぜ。なんだか、面白そうだったからな」
爽やかスマイルで喋る瀬良。
なっ、マジかよ! こいつ、さらっと凄いこと言いやがったぞ!
……あっ、ていうか、
「面白そうって……あのな、これは遊びじゃねえんだ。俺はここにテストの点数を掛けて抗議に来たんだ、抗議! こっちは真面目なんだよ」
「でも、抗議って……教頭に? さっき先生にしたんじゃねえの?」
扉の上にある、教頭室の文字が印刷されたプレートを見上げながら言う瀬良。
「担任とはただ話しをしただけだ。で、実際に俺のテストに零点勧告を出したのは、ここにいる教頭らしい」
「ふーん。なるほどな」
「まあ、そういう訳だから教室に戻ってろ、瀬良」
「嫌だね!」
こっ、このヤロー! 大事な決戦だというのに邪魔する気か!?
「ここまで来たら、最後まで見届けたいし、何よりそれなら俺も教頭に話したいことがある」
なっ! こいつも話したいことがあるだと!?
……んー、それなら仕方がないのか。それに、一人より二人の方が気持ち的には楽か。
「しょうがねえ。じゃあ、さっさと行くぞ」
「よし来た!」
俺は瀬良から扉に向き直し、その鉄の板を軽くノックする。
音は然程大きくないが、中に聞こえるには充分だろう。
「誰だい?」
その声と共に、鍵穴からガチャっという音がした。
そのまま、扉が開く。
「あんたら、誰だい? なんか私に用かい?」
歳は雰囲気からして五十代前半といったところだろうか。ただ年齢の割には顔にしわは少なく、白髪がちらちらと見えるその髪は後ろで丸く束ねられている。
入学式でも見たそんな老婆教頭は、俺達の顔を行き来させながら、面倒くさそうにそう問うてきた。
「はい。今日は話があって来ました、多田野教頭先生」
「ほぉ……話ね。私には無いんだけどね」
相変わらず面倒くさそうに喋る教頭。
お前のことなんか知らねえよ! 俺があるって言ってんじゃねえか。ったく、面倒くさいババアだ。
「こっちにはあるんですよ、教頭先生」
「そうですよ。俺も話があるんですよ。えっと……教頭先生」
突然瀬良が話に入ってきた。
今の間は、教頭を名前で呼ぼうと思ったが思い出せなかったってところか。
十秒前に俺が言ったばかりなのにもう忘れるとは、こいつは本物だ。
「あんた教頭の名前も覚えられないのかい! ったく、バカだねえ!」
言われてるのは瀬良のことだとしても、腹立つな。
いちいち悪態をつかないと生きていけないのか、こいつは。
「はぁ……ったく。仕事中だし面倒くさいけど、話を聞かないで帰らして後で文句言われても面倒だからね。あんたら二人共、入ってそこのソファに座りな。しょうがないから話を聞いてやるよ」
「「失礼します」」
俺も瀬良も最低限の礼儀としてお礼の後にそう言ってから部屋に入る。
まず目に入ったのは、奥にある多数の賞状やトロフィーの飾ってある棚だ。トロフィーは随分古そうなのもあるが、光に当てれば輝き出しそうな程真新しさを残存しているものもなかなか多いので、それらはおそらく改装後に増えた生徒が取ったものがほとんどだろう。
他には部屋右側の窓の前に置いてある観葉植物、左側にある、本が所狭しと並んでいる本棚、部屋中央の長机にそれを挟むように置いてあるソファー二つぐらいしか無い。
質素というかもの寂しいというか。そんな部屋だ。
で、俺達はババアに言われ、そのソファーの内の入口に近い方に並んで座り、向かいのソファーに教頭が座る。
「さて。じゃあ、バカ。お前から話な」
手を組んだ教頭は、それを机の上に置く。
「ちっ、どうやらお前が先のようだぜ、吉野」
「いや、お前だよ」
「おいっ、お前、ちゃんと聞いとけよ。今、バカが先って言ったんだよ」
「だから、お前が先なんだろ」
「ああ、なるほど……って、それ俺のこと遠回しにバカって言ってんのかよ!?」
「お前も同じようなこと言ってただろ」
それに、ババアは直接的に言ってたしな。
「ごちゃごちゃうるさいね! 話は無いのかい!? 無いのならさっさと出ていってくれないかい」
ったく。下手に出りゃ、うるせえな。
「いえ、ちゃんとありますよ」
「そうです。待ってください。えーと……ババア教頭先生」
「あんた、名前思い出せないからって、何見た目から連想して名前呼んでるんだい!? それじゃ、ただの罵倒だよ!」
「あれっ、違いました?」
「当たり前だよ!」
少し思案顔になる瀬良。どうやら、必死に名前を思い出そうとしている……いや、考えているようだ。
「あっ、なるほど。すいませんでした。名前間違えてました」
思い出したらしい。瀬良にしては頑張った方だ。
「全く、ようやく思い出したかい。本当にバカな――」
「――クソババア教頭先生ですね」
「それ、さっきより酷くなっただけじゃないかい!?」
「で、話なんですが、」
「あんた、人をクソババア呼ばわりしといて、話聞いて貰う気かいっ!?」
訳でも無かったようだ。
だが、見直したぜ、瀬良。天然とはいえ、よくぞクソババアと言ってくれた。スッキリしたぜ。
っと言っても、これじゃ話は進まない。
「瀬良。この人は多田野教頭先生だ」
「おっ、マジで! それはすいませんでした」
「ったく、もういいから早く話を――」
「――ただのババア教頭先生」
「最早、たたのババアなのか教頭なのか分からないよ! というか、いい加減ババアから離れたらどうなんだい!」
「……すいませんでした、教頭先生」
瀬良は、不服そうな顔をしている。何故だ?
「もう遅いよ! あんだけ馬鹿にされたんだ。話を聞く気なんかとっくにないよ」
「そんな!? それじゃ、俺はどうやって今日野球部へ本入部すれば良いか分からないじゃないですか!?」
「そんなの顧問と話さないかい!?」
話ってそれかよ。これだけは、流石にババアに同意だな。
「おおっ、なるほど! それは盲点だった」
というか、よく最初に教頭に話すという結論に至ったな。ある意味素晴らしい思考回路だ。
「……はぁ。あんたもそんなくだらない話かい? もういい加減仕事に戻りたいんだけどね」
ババアが俺の方に向き直して言う。
「待ってください。俺は、真面目ですよ。……テストについてですから」
「テスト? もしや、採点に間違いがあったから点数上げてくださいとかだったら、ぶっとばすよ。そんなの担任に話な」
「すいません。その通りです。でも俺の場合、採点、間違いなんかじゃ済まないレベルだったんですよ」
「そんなの知らんよ。十点でも二十点でも、間違えたのは担任なんだから担任に話せって言ってる――」
「――全部、八十点以上じゃー!」
あっ、ついうっかり大声を出してしまった。
しかし、あまりにも他人事のように嫌味くさく話すクソババアに腹が立ってしまったのは許してほしい。誰でも、当事者になれば分かるだろう。この殺意に似た憎しみを。
「急に大声出してなんだいっ!? あんたも私をバカにするのかい!?」
「そんな訳ないじゃないですか、多田野ババア教頭先生」
「ババア教頭とか呼ばれながら否定されても、説得力皆無だよ!?」
マジ、面倒くせえな。別に本当にババアなんだから良いだろ。
「そんなことよりですね、教頭先生――」
「あんたら、何でさっきから教頭のことババアとか呼んで、軽く済むと思ってるんだいっ!?」
「――俺のテスト、明らかに全部八十点以上は確実なのに全部零点にされていました。教頭先生が真崎先生に指示したんですよね?」
「しかもスルーかいっ!? ――って、零点? ……ああっ! 吉野って聞いたことあると思ったら、あんた、一年Bクラスのあの吉野叡かい?」
「はい、そうですけど……」
あの、って何だ?
「ふーん……あんたがねえ……」
急にマジマジと顔を見てくるクソババア。
何だ、一体?
「……教頭先生?」
「あっ! おっ、えっと、何だったっけか?」
今度はハッと我に帰る教頭。
ったく、ちゃんと人の話聞けよな。
「だから、教頭先生が真崎先生に零点にするように言ったんですよね、って話です」
「ああ。そうだよ。でもそれについては、テストに名前書き忘れたのはそっちなんだから、こっちは文句言われる筋合いは無い筈だよ」
何とも罪悪感無しに言い切るクソババア。
文句言われる筋合い無い、だと?
大ありじゃ、ボケー!
「いやいや! 名前書き忘れたぐらいで零点は酷すぎですよ! しかも、全部! 本来なら、学年上位は確実な点数だったのに!」
「酷くないよ。当然だろ。他の生徒はちゃんと名前書いてたのに、あんただけ書いてなかったんだから。最低限やらなければならないようなことも出来ない奴には、罰を与えなきゃいけないんだよ」
こんの、怪奇ババアめ! 妖怪図鑑に載っていても違和感が無い顔しやがって。
「だから、その罰が厳し過ぎですって! というか、まずこんなことで罰とかおかしいですよ! 今までずっとこうやって来たんですか?」
俺と同じでババアの魔の手にかかった奴がいたとしたら、同情を禁じ得ない。
「そんな訳無いだろう」
「クソババア!」
「なに大声で、今度こそ間違いようの無い罵倒をしてるんだい!? しかも最終的にはただのクソババアになったよ! もうせめてもの敬意も無くなってしまったよ!」
喚く教頭。なんか言ってるがそれどころじゃない!
「何でですか!? 俺だけペナルティとかそんなの差別じゃないですか!? 俺、入学早々教頭にいじめ紛いされたってことじゃないですか!?」
新学期始まって早々、教育委員会もビックリの事例だろ、こんなもん!
「うるさいね。ちゃんと全部話を聞いてから騒いだらどうだい?」
全部話を聞いてからって、まさか何か弁解する気か?
クソババアは一回溜め息を吐いてから、再び口を開く。
「確かに私だって、今まで名前書き忘れた奴がいたって、そいつらを零点にしたなんてことは無かったさ。でも、そいつらが忘れたのは高々一ないし二教科程度だったんだ。でも、あんたはまさかの全教科。嘗めてるとしか思えなかったからね。だから、全部零点にしてやったんだよ」
くっ。なかなか正論だ。そう言われると上手く言葉が返せない。
だが、やはり納得はいかない。いくら何でも零点はやりすぎだ。
「それでも、零点は流石に酷いと思います」
その言葉は俺の隣から聞こえてきた。
しばらく静観していた瀬良が、クソババアに意見してくれたのだ。
「せっ、瀬良……」
やっぱり、分かってたよ、俺は。お前は、並大抵ではないバカだが友達想いの良い奴だってことぐらい。
よし、瀬良がせっかく作ってくれたチャンスは無駄にしないぜ。
俺は間髪容れずにババアに追撃する。
「瀬良の言う通りです。やっぱり、これは厳し過ぎる。それに次の授業、システムの実戦なのに零点だと何も出来ません。教頭ともあろうものが自ら生徒の教育環境を破壊するというのはどうなんでしょうか」
「ほう……そう来たかい」
多少感心した感じでそう呟く教頭。
……これは効いたか?
「まあ、確かにあんたの言う通りだ。授業をまともに受けることが出来ない状況にさせるというのは、流石に問題があるね。よし、それじゃあ――」
おっ、遂に説得成功か!? いやぁ、かなり苦労したが、その甲斐も――
「学園長に頼んで、輪ゴムぐらいはつけてやろうかね」
こいつの前ではある筈が無かった。
「ダメだ、瀬良。こいつには人の気持ちが理解出来ないんだ。こいつは教頭でも人間でもない。ただの、クソババアだ」
「あの、クソババアだと言うのか!?」
「あんたの言ってることの方が理解出来ないよ! 人間じゃないただのババアってどんな生物なんだい!? それから、あんたに至ってはクソババアの何を知ってるっていうんだよ!」
いやいや、輪ゴムってなんだよ。ぶつけて、ダメージ与えるのか!? 目当たれば痛そうだな、程度の武器じゃねえか!
そんなんで勝てる訳がねえ!
「それじゃ、ダメなんです。どうか、本来の点数でやらせてください、クソBABAA!」
「どうか、こいつの願いを聞いてやってください、クソBABAA!」
「ちょっとかっこよく言っても、結局クソババアじゃないかい! あんたら、真面目に頼む気ないだろうっ!?」
失礼なっ。こんな真面目に頼んでいるというのに、なにが気に入らないというんだ、このクソババアは。
「真面目に頼んでますよ。どうかよろしくお願いします」
「吉野、お前。こんなババアに頭まで下げるのか……」
「いいさ。今の俺にはこれくらいしか思い付かないんだ。だから、いくらこんな人類の負の極致のようなクソババアにも、頭を下げるしかないんだ!」
「お前、そこまで……」
「いい加減にしないかい! あんたら、なにさっきから二流青春ドラマ演じつつ、さりげなく人をバカにしてんだい!?」
「なら、俺も一緒に下げてやるぜ」
「しかも、まだ続けるのかいっ!?」
「「お願いします」」
「ああ、もう! 下手な仕事よりあんたらの方がよっぽど面倒だよ!」
あまり時間をかけると昼休みが終わってしまう。その前に決着をつけないといけないが、今はこの根気作戦しか無い。
さっさとその骨ごと気持ちを折りやがれ、クソババア。
「何度言ってもダメなものはダメだよ!」
クッ、クソババアァァァ!
「と、いつもなら言ってるところだが、その調子だとあんたら何言っても諦めてくれそうにないからね……。それに、あんたらの担任にも言われたよ。流石にこれは酷すぎじゃないですかってな。何とか言いくるめたが」
あの担任……。
「だから、しょうがない。チャンスをやろうじゃないか」
ニヤリと子供っぽい笑みで言うクソババア。
チャンス?
「もう一度テストを受けさせてくれるってことですか?」
「そんな訳ないだろ。あんたの為だけにわざわざテストを作り直すなんて、時間の無駄も甚だしいよ」
くっ。相変わらず、口からは酸素と嫌味しか排出しねえな。
「じゃあ、条件って一体何なんですか?」
「明日ある、システムの大会。それにあんたの点数で万が一優勝出来たなら採点をし直してやるよ」
大会の優勝だと!? これはまた意外な提案だ。……でも、それは俺には分が悪いどころか不可能な条件だ。
「でもつまりそれって、最低でも明日の大会が終わるまでは零点ってことですよね。それじゃ、魔法を使えないのに勝てる訳が無いじゃないですか。困難とかいうレベルではなく、どう考えても勝利は不可能です」
「だから、輪ゴム付けるって言ってるだろう」
「そんなんで勝てる訳ないでしょう!」
そんなの銃持っていって良いからそれ使って戦車に勝てと言ってるのと変わらない
「いやいや、無理ではないだろう。第一、本来はあんたが悪いのにチャンスを与えてやるだけでも感謝されても良いはずだけどね」
「そっ、それは……」
否定出来ないが……。
システムで作り出した輪ゴムなら確かにダメージは与えられなくは無いだろうが、どう考えても水や氷なんかと比べて低いに決まっている。やはりかなり無理がある。
「それに、魔法だけじゃ無いんだよ。相手にダメージ与える方法は。詳しくは次の時間、体育館で説明するけどね」
魔法だけじゃない? それはとても気になる。が、次の授業でどうせ分かるなら今は詮索してる場合では無い。
勝てる見込みが出てきたなら、問題はない。
「分かりました。その条件でお願いします」
「おいっ、本当にいいのかよ、吉野!?」
驚愕の顔で俺を見てくる瀬良。
確かにな。確かに優勝しなきゃいけないのに、現状なら優勝は難しいからな。 だが……
「大丈夫だ、瀬良。優勝する」
「えっ、お前魔法使えないのに優勝って――」
「よし、決まりだね。じゃあ、さっさと出ていってくれよ。とんだ時間割かれたからね、こっちは」
「はい。ありがとうございました。それじゃ、失礼します」
「えっ、あっ、失礼します! って、おい待てよ、吉野!」
瀬良の声を振り切って俺は部屋から出ていく。
その後、少し経ってから瀬良が追い付いてくる。
「お前、本当に優勝出来んのかよ!? 今からでも教頭に頼んで条件変えて貰った方が良いんじゃねえの?」
「いや、大丈夫だ。確かに勝つのは難しいが不可能では無いなら充分だ。寧ろそのぐらいのハンデがあった方が面白いぜ」
確かにあのババアは、どうやれば人間あそこまで嫌われる要素を揃えれるのだろうか、という程ウザかったが、唯一条件だけはありがたかったぜ。
さっきより燃えてきた。
「そっか。なら、何も言わねえよ。それに、まっ、確かにな。気持ちは分かるわ。そっちの方が面白いだろうな」
「そういうことだ」
「……勝てよ」
「任せとけ」