第五部:忠誠
「それまで!勝者、ロア・ヴァムアス!」
グレイスの合図で模擬戦は幕を下ろした。
観客席にいる騎士や貴族などはどよめきを隠し切れていない。誇りあるエルメリア騎士団の総団長と、国王直属の親衛騎士が二人同時にかかって傷一つ与えられないまま敗れたのだ。その動揺は当たり前ともいえる。
周りが驚いている中、ロアはこの世界の実力者と呼ばれる人間の実力があまり高くない、という事を認識していた。
相手が人間である分、瞬殺したキマイラなどよりはずっと手ごたえはあったのだが、それも大したことがなかったとロアは思った。
この程度でそんな高い地位につけるのだろうか、という考えはあまりにも卑屈なので心の中にとどめておく。
直径十五メートルの巨大な火球が目前まで迫るという殺されかけた、というに相応しい状況を味わったアルフレッドはいまだに唖然としている。負けたという事も、実力の差がありすぎたという事も、暗殺者クラスの人間が自分を殺さなかったという事もどれも信じられないといった顔だ。
その反対側で倒れていたゴルベスも意識を取り戻していた。自慢の空間転移魔法もあっさりかわされ、為すすべなく倒された事は当然信じたくない事実ではある。だが、それ以上に相手の本気を出させるまでもなかった、という事が一番ショックだったのだ。
片膝をついて何とか立ち上がろうとするゴルベスにロアは手を差し出した。
「大丈夫ですか? まさかミスリル聖銀の鎧を砕いてしまうとは思わず、申し訳ありません」
そう言って好意的な顔で手を差し出す青年は決して人を笑って殺すような暗殺者クラスの人間とは思えないものだ。
それに礼はわきまえているし、模擬戦とはいえ他人を気にかける事の出来る余裕、どれも騎士としては申し分ないものだった、とゴルベスは自分の間違った認識を恥じる。
「いや、こちらこそ申し訳なかった。まさかここまで手も足も出ないとは思っていなかったのでな。少々侮ってしまっていた。騎士として慢心は最大の罪であるというのに、これでは親衛騎士失格だな」
ロアの手をとり、疲れた顔で笑いながらゴルベスは立ち上がった。
「結果はどうあれ、手合わせ出来たことを光栄に思おう。有難う」
一方的に打ちのめしただけというのに礼をされてロアは気恥ずかしくなってしまった。
「私からも礼を言わせてほしい。まだまだ鍛錬しなくてはいけないという事がよくわかった。有難う」
二人の騎士から握手を求められ、順番に握り返していった。
「お父様、これでもまだロア様を親衛騎士に任命する事を拒絶なさりますか?」
「……まさかあの二人をこれほどまで圧倒するとは。想像もしてなかった。それにあのものの人柄もつかめたような気がする」
今見たロアの人間像は、非常に礼儀正しく、人に対する気遣いも出来、常人とは思えぬほどの実力を持った青年という感じだ。
これのどこが騎士に相応しくないと言えるだろうか。むしろあれほどの人間なら相応しいと言える。
後心配なことと言えば貴族たちからの反感だ。いくら実力を身につけていようと、騎士に相応しい人間であろうとクラウンが求めているのは親衛騎士への任命だ。それなりの身分でないと大きな反感を受けるような気がしていたのだ。
少し反応が気になって周りを見てみると、誰もがロアの実力と礼儀正しさに釘付けになっていた。これならもしかすると問題なくいくかもしれない。懸念していた一番の問題はあっさり解決しそうだ。
実のところクラウンの親衛騎士を早くつけたい、と考えているのは国王だけでなく城に住む者ほぼ全員だった。
好奇心が強く、縛られることを嫌うクラウンは幼いころからよく勝手に庶民街へと逃げ出しては家臣を困らせることも多かった。
時には危うく誘拐、という事件もあったのだ。さすがに侍女であるアリアをつけてからはそんなことはなくなったが、以前の例からの不安は誰もが感じていて、親衛騎士がつけばもう少し安全に行動させられるのに、という考えを誰もが持っていた。
「親衛騎士の件はクラウンの方から直接話をしてほしい。親衛騎士の任命とはそういうものだ。もしどちらの方向でも決定すれば共に報告に来るように。明日には使者が来ることもあるから出来るだけ今日中に決めてもらえるとありがたいのだがな……」
そう簡単に引き受けるのだろうか?そもそも今日知り合ったばかりの人間に従属しろ、と冒険者であるロアに話を持ちかけるのだ。断られても何もおかしなことはない。
気になることと言えば今日知り合ったロアをどうして親衛騎士に任命したいとクラウンが思ったのかだ。あのグレイスやアルフレッドを推薦したときでさえ断ったというのに。
しかしその理由は聞いても教えてくれそうにはなかった。娘の考えは父としてよくわかっているつもりだ。
「では、夕食の後にロア様に直接話をしに行きますね。引き受けて下さるといいのですが……」
やはりクラウンもその点は心配な様子だった。
模擬戦が終わった後は大変だった。
訓練場を出ると、多くの騎士に囲まれてその剣術はどこで磨かれたのですか?とか、本当は手を抜かれていたのではないのですか?とか、その若さであれだけの魔法を扱えるという事は賢者の弟子なのですか?とか、あなたの鎧は一体何製の物なのですか?とか趣旨のわからない質問までされたのだ。
それに加えてアルフレッドなどは是非一度我が騎士たちに剣術を教えに来て下さい、などという始末だから周りの騎士もそれに同調して我先にと予約を取ろうとしてきたのだ。
騎士として強さや知識に貪欲な事は素晴らしい事だとは思うのだが、素性のわからない人間にそんなことを頼むのはどうなのだろう、と思ったりしたが、この数時間でそれだけの信用を勝ち得たのだろうか、とも思う。
ベッドの上でそんなことをつらつらと考えているとアリアが食事を運んできてくれた。
「本来なら大広間にてお礼を兼ねて食事をしてもらうはずなのですが、明日公国からの使者が来ると言う事で準備ができなかったのです。申し訳ありません」
別にそんなお礼をしてもらうつもりではなかったし、忙しい時期なのだから仕方ない、とは言ったのだが、恩を返さぬのは……という昼間にも聞いた言葉を言われてしまいかならずこの埋め合わせはします、と断言していた。
アリアはそれだけ言って退室しようとしたのだが、思い出したように
「それと夕食の後なのですが、クラウン様からお話があるという事なので出来るだけこの部屋の中にいるようにしてください」
と笑顔で言った。
「クラウン様がわざわざ来られるのですか?お話と言う事なら此方から伺いますが……」
とロアは言ったのだが、アリアいわくクラウン様が此方に来るとおっしゃってるのですから、お待ちくださいませ。と頭を下げた。
わざわざ客間に来てまでの話と言うのは一体何なのだろう、とロアは用意された豪勢な食事をとりながら考えていた。
しかしただの一般庶民として暮らしてきたロアには何一つ思い浮かぶ事はなかった。
それなら待つしかない、と目の前の食事に意識を集中させることにした。
「これは、確かにうまいな」
用意されたのはフルコースのように並べられた料理で、温かいスープや色とりどりの野菜が並べられたサラダに、おそらく鶏肉だろう肉の蒸し焼きのようなもの、デザートまでがある。
思えばゲームに幽閉されている間は現実の体はどうなってるんだろう、っていうくらいに飲み食いの必要はなかったし、ここへきて生身の体を得てからは何も食べていない。おなかがすくのは当然だ。
一口、一口と進めるごとに増していく食欲に身をゆだねて目の前の料理を黙々と平らげていった。
出された量はかなりの物だったが、空腹も手伝って三十分ほどで食べ終わった。皿には何も残っていない。
いっしょに運ばれてきていた紅茶を口にしながらクラウンが訪れるのを待っていた。
ほどなくして、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
そう言って入ってきたのは昼間にあった時以上に身なりをきちんと整えたクラウンだった。
「アリアさんから話は聞いていたのですが、何かご用でしょうか?」
「ええ、実は頼みたいことがあって来たのです」
頼みたいこと、王族が一介の冒険者へ頼み事とは一体何が起きたのだろうか、とロアは勝手に想像を飛躍させる。
実力を見込んで、という事だろうと思ったからだ。
「私のような冒険者にできることであれば、お力になります」
精いっぱいの誠意を示したのだが、何やらクラウンの顔がこわばっている。一体どんな頼みごとなのか……。
何やら決心を固めたような様子を見せたクラウンは意を決して口を開いた。
「ロア・ヴァムアス様。私の親衛騎士になっていただけませんか?」
「……え?」
思わず疑問符をそのまま口に出してしまった。
いま目の前の王女様は何と言っただろうか、私の親衛騎士になってもらえないか、と聞こえたのだが・・・。
「すみません、突然の申し出ですものね。戸惑うのも無理はないかと思います。私は今日森の中であなたに命を助けられ、出会いました。少し会話を交わした程度だったのですが、あなたほどの実力を持ちながらそれを誇らず、驕らず、その態度を見て是非親衛騎士になっていただきたいと思ったのです」
親衛騎士、とは王族直属の騎士ではなかったのか。それならばもっとふさわしい人間がいるはずだ。と正常に動き出したロアの思考回路が最初に出した結論だ。
騎士団内にも優秀な騎士がいるだろうし、そういう人物ではだめなのだろうか……?
「お言葉ですが、私のような冒険者ではとてもそのような大役は務まらないと思います。それに親衛騎士と言うのは王族直属の騎士だと聞きました。それならばもっとふさわしい人物がいるのではないかと思うのですが」
ロアの言葉を聞いたクラウンはそう言われるのは分かっていた、と言うように言葉を紡ぎだした。
「確かに騎士団外から、それもその日知り合った者を親衛騎士に任命する、と言うのは今までなかった事例ですし、反対も多いのだと思います。ですが私はあなたならその役目が務まると考えて頼みに来たのです。親衛騎士になれば以前のように各地を冒険する事も、自由に生活する事も出来なくなるのは承知の上です。それでも、わがままだと分かっていてもあなたのような礼節をわきまえた強い方にこの任をお願いしたいのです」
クラウンはそれだけ言うと頭を深く下げた。
はっきり言って明確な理由は述べられていない、とロアは思った。それでも彼女から自分に向けられる信頼は本当の物だ。何がそこまで彼女を信頼させたのかは分からないが。
ロア自身はそう言った忠誠を誓うなどと言うことは好きではなかった。そもそも何かに縛られて生活するなんてまっぴらごめんだと思っている。
だが、これほどまでの信頼を寄せられて断れるほど心を鬼にできる人間でもなかった。あれだけ人を斬ってきて今更何を言うかとも思うのだが。
もしこの話を受けたとして、本当にクラウンに心から忠誠を誓えるのかどうかもわからなかった。接した時間があまりにも短すぎる。
それでももしかしたら、この相手と接していくうちに信頼できるようになっていくのではないのか、とも思っていた。どちらにせよそんな経験のないロアにとって今判断できることではなかった。
今ここでどうなるか分からないのであれば、この世界に来て当てもなくさまよう事になるのならば、たった一人の王女を守るための騎士になって生きても、悪くはないんじゃないか、とも思い始めている。
……そうすることで償う事が出来るかもしれないから。
この世界に来て、最初に救った相手を一生支える仕事。そう思うと親衛騎士になるという事はなぜか魅力的な事に思えた。
そして、決心をする。
「クラウン様、頭をおあげ下さい。王族である方が庶民に頭を下げる道理はありません。はっきり言わせていただくと、あまりそう言った大役には興味がない、と言うのが本心です。とはいえ、人に必要とされることがうれしくないわけではありません。もし、クラウン様が絶対に後悔をされないというのであればお引き受けしたいと思います」
出来るだけ笑顔で、そう答えた。
頭を上げたクラウンは少し驚いているように見える。引き受けてもらえるかは一か八かという考えだったのだろう。
「ですが、私もあまりクラウン様の事を知りません。これから先、親衛騎士としている上でより深くクラウン様の事を知った上で忠誠をつくすに値しない方だ、と思った時にはクラウン様の元を離れることもあるかもしれません。それでもよろしいですか?」
なんて偉そうな発言なのだろう。これから仕える相手にこんな口を利いてはすぐにクビになってもおかしくないな、と思った。
しかし、クラウンは笑顔になって
「それは騎士として当たり前のことだと思います。もしあなたがそう思う事があれば、すぐに私を斬り捨てるくらいの考えでいてもらたいとも思っています。ですが、心配には及びません。絶対にあなたの忠誠を裏切るような行為は致しませんから」
と、自信ありげに断言した。
その言葉はとても頼もしいものに聞こえた。なぜだかは分からない。
そしてロアは、これから仕えることになる相手へ片膝をついて頭を下げた。きっと大丈夫だ、という確信を得た上で。
こうして、エルメリア王国第二王女の親衛騎士が誕生した。