第一部:罰
最初に覚えた感覚は地面に背中から激突した感覚だった。
あまり高い高さから落ちたわけではないのか、痛みはそれほど大きくはない。すぐさま上体を起こし、周囲の様子を見る。
「ここは……どこだ?」
次元の渦に飛び込み、現実へと帰還したはずならば目の前にあるのは狭い自分の部屋だったはずだ。しかし今目の前のある光景は全く覚えのない場所だった。
おそらくは森の中だろう。緑が生い茂っていて、見回しても木々や草花しかない。
そんな不可解な状況であっても冷静な判断を下せるのは彼の凄いところなのだろう。まずは自分の置かれている状況を把握しようとする。
「……武具を装備した状態だ。それにアイテム袋もある。」
はっきりいって、まだゲームを続けているようにしか思えない。それならば≪次元の扉≫で帰還できるというのは嘘の情報だったのだろうか。
しかし体を動かす感覚がさっきまで体験していたものとは異なっていた。ゲームの中では頭で体を動かすという事をイメージするだけでキャラクターは動いたのだが、今は実際に自分の足を動かし、手を動かすという行動にしなければ体は動いてくれない。
つまりこの体は生身の物だという事だ。
しかし、先ほどの≪アビスナーガ≫との戦いで負った傷は跡型もなく消えている。
(一体何が起こった。考えろ)
目を瞑り思案する。思考回路は決して悪い方ではない彼は数十秒でいくつかの可能性に思い当った。しかしすぐに頭が否定したがる。
(なにはともあれここがどこなのかを特定しないと)
現段階はまだゲームの続きをやっているという考えで行くことにした。そうでなければ装備品を身につけていることなどの説明がつかないからだ。
(と、考えるとスキルも健在なのか)
その疑問を解消するためには試してみるのが一番だと考え、簡単な魔法を使ってみることにした。
「我が影、敵を貫かん【シャドウスピア】」
短い詠唱をつぶやくとロアの影が広がり、それが槍の形となって前方にある巨木をいとも簡単に貫いて見せた。
(やはりスキルは使える。という事はここは≪グラン・ディア≫のどこかなのか)
スキルが使えるという事からゲームの続きである可能性は非常に高まった。だが、まだ他の可能性も捨て切ってはいなかった。
ここに落ちてきて十分ほどしてようやく森の中を歩き始める。そして歩きながら広大な森がある場所を考えていた。
(森が多いのならばフェレミア大陸だが、森自体はほかの大陸にもそれなりに数はある。断定はできないな)
何か、モンスターの一匹や町が見えれば大陸くらいは特定できるのに、と思ったが今のところモンスターや町どころか生物の存在すら感知できなかった。
暗殺者クラスは【気配察知】のスキルを身につけているため、数百m以内に何か生きている物の存在があれば把握できるのだ。
とはいえ、ここでとどまっていては何も変わらない。ロアは当てもない森の中を歩くことにした。
歩くこと数十分、ようやく生き物の気配を察知した。
距離にしておよそ二百m。数はおそらく七~十だろう。群れでいるという事は下級のモンスターである可能性もある。
【気配察知】だけでは強さまでは分からないため念のため愛剣を抜いておく。
一歩、また一歩と進めていくうちに少し開けたところに出た。
(あれは……人間?)
木々の生えていないまるで開拓したような円形の場所に人間の姿が見える。
草むらに身を隠し、気配を完全に消す【気配断絶】のスキルを使用して何をしているのかを見ることにした。
「クラウン様、本日の紅茶はいかがでしょうか?」
「そうね。香りは好きだけれど、少し渋みが強いわね。」
中央の切り株に腰をおろし、お茶をするためにティーセットを広げている女性が二人、それ以外は鎧の類をつけていることや、周囲を警戒している様子からおそらく警備と思わしき兵士たちだろう。
だが、それだけのことがロアを困惑させた。
(どうみてもプレイヤーじゃない……?)
そう、目の前の人間たちはプレイヤーであるというのには自然すぎた。
まるでこの世界でずっと生活してきていると言うかのような緊張感のなさ、言動がプレイヤーではないという事を示している。
そして、何よりプレイヤーだという事を示すアイコンの表示がなかったのだ。
つまり、ゲームで言うところのNPCに当たるのだろうが、NPCは基本的に町の中にしかいない設定だ。こんな森の中にNPCがいるはずがないのだ。
(ゲームの続きというわけでもないのか……)
とうとうロアは自分の身に起きる中で最悪の状況を想像しなくてはいけなくなってきたようだ。
当然現実に起こりうるようなことではない。しかし、そうでなくては説明はつかないとロアの思考が訴えている。
アイテムをそのまま所持していること、スキルを使えること、そしてプレイヤーではない人間が自由に活動していること、それらの事柄はゲームの続きでないという証拠にしかならない。
つまり、残り可能性は自分が、プレイヤー時代のロア・ヴァムアスとしてこの≪グラン・ディア≫という世界に飛ばされたということ。
もしこれが本当なら現実への帰還、なんてことは言ってられないだろう。どうやってここに来たのかもわからない以上、帰還の手段が見つかるとは思えないし、それ以上にほとんど知らない土地に突然現れた人間、という今の自分の状況はまず生きていくことが難しいと思える。たとえここが異世界だったとしても身分の証明ができないというのは信用されるという可能性を大きく減らしてしまう。
そこまで考えて、先ほどまで現実への帰還に固執していた自分がいなくなっていることに気がついた。どうしても戻らなくてはならないのではなかったのかと、自分に問いただすが、答えなんて返ってくるはずはなかった。
この世界でうまく立ち回るための色々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。目の前に人がいるのだから確認こそしてみたいが、警備の人間がいる以上突然出ては不審な人間が現れた、と認識されるのが当たり前で、もし目の前の女性が貴族だったりするならばそれだけでこの国にはいられなくなってしまうかもしれない。
慎重すぎる考えだとは思っているが、この慎重な姿勢でいたからこそあのデスゲームの中で上手く生き延びることができたのだ。
目の前の兵士はロアからすればそんなに強くはなさそうに見える。ならば襲われたのなら倒すのも簡単だろうが、そうなれば情報を集めることはできないし、行方不明者が出ると言う異常を作りたくはない。
それならしばらくここで様子をうかがうのが良いのだろう。最高位の暗殺者クラスの【気配断絶】スキルを見破れる相手は早々いないのだから。
「それにしても、いつもにまして森の様子が静かね」
手にしたティーカップを置いた切り株に座る少女が隣に立つ女性へと声をかけた。
「そうですね、普段ならばもう少しくらいはモンスターの気配がしてもおかしくはないものなんですけど……」
「最近はこの森も警備が行き届いているのかもしれないわね。一応城の庭園として扱われているのだし、ここは割と奥だからモンスターの気配がしただけで、お城の方へ近づけばそんな気配はしてなかったし」
ここは城の庭園なのか?それならば目の前にいる女性たちはやはり貴族か何かだろうか、とロアは思った。
それならばこれだけ兵士が警戒しているのも分かるし、身なりがきちんとしているのもわかる。
やはり大胆な行動に出なくて良かった、とわずかに安心した。もし城の庭園などでうかつに出て兵士に攻撃され、返り討ちにしたとすれば大変な騒ぎになっていただろう。
有益な情報を得るため、もう少し会話を聞いてみる。
「クラウン様、もう少ししたら城の方へお戻りください。長い時間庭園で過ごしたと陛下に知られればたちまちお怒りになるでしょう」
「そうね。もう結構な時間がたったものね。明日は隣のフラメル公国から使者が来ると言うし、お父様に心労を重ねさせるのは良くないわ」
フラメル公国、聞いたことがある名前だ。確かフェレミア大陸にある小国の名前ではなかっただろうか。
という事はここがフェレミア大陸にあるという予測は正解だったのだろうか。
それに、女性は陛下と、少女はお父様といった。という事はこの少女は王族という事だろうか。
何らかの方法で取り次いでもらい色々と話を聞かせてもらいたいが、自然に現れたように見せかける方法が思いつかなかった。思わず自分の性格を呪ってしまう。
「では帰りましょう。最後まで警護は気を抜かないように。」
女性が促すと兵士たちが少女を囲むようにして歩き始めた。
まさか歩いて帰るとは思っていなかったが、これはゆっくりついていけば森を抜けることができるかもしれない、長い時間をかけて森の中をさまよう手間が省けたというものだ。
見失わないようについていこうと立ち上がった瞬間だった。ロアが別の気配を感知したのは。
それも、それなりの速さで此方に近づいてくる。まさか、モンスターだろうか。
ロア自体は【気配断絶】をしているため見つかることはないだろうが、目の前の少女たちはどうなのだろうか……。
答えはすぐに出た。
「!!!!! クラウン様っ! お下がりください!」
一人の兵士が前に出て少女を後ろへと下げる。
さっきまでモンスターの気配一つしなかった平和な森で、突然モンスターに遭遇したのだ。驚くのは当然。
しかし、それ以上に動揺を誘っているのは目の前に現れたモンスターがこんなところで遭遇する姿をしたものではなかったからだ。
全長五mはあるだろう体の大きさ、そして何より特徴的なのは胴体の先に獣の頭が二つついているという事。
背中には翼が生えていて、全身の毛は針のように逆立ち、しなやかな鞭のような尻尾を地面にバシバシと叩きつけている。
まるで獲物を見つけた猟犬のように、二つの頭は口から涎をこぼしている。かなりの興奮状態の≪キマイラ≫だろう。
キマイラ自体は中級のモンスターだ。熟練した冒険者の相手になるモンスターではない。
だが今キマイラと対峙している兵士はそう強そうには見えない。おそらくゲームで言うところのレベルは60程度だろう。
対してキマイラはゲームでの設定ならばレベルは112、レベル60の七人程度ではかなう相手ではない。
その証拠に兵士は自分たちを囮にして少女を逃がそうとしている。今のこの状況ではそれしか方法はないのだろう。
「早くお逃げ下さい。クラウン様に怪我をさせたとなれば私達は忠誠を果たすことができません」
その言葉にどれだけの決意が込められているのだろう、とロアは思った。これが本当に異世界で目の前の存在が人間であるのなら恐怖し、今にも逃げ出したいくらいなのだろうと思う。
それでも使える存在に自分たちを見捨てて逃げろ、というのだ。これが勇気ではないのであれば何と呼ぶのだろう。
兵士たちの勇敢な姿を見てロアはなぜか動くことができなかった。突然罪悪感が溢れだしたのだ。
目の前の兵士たちは勇敢だ。自分の命を投げ出してまで他の人間を逃がそうとしている。
それに比べて、自分はどうだろう?
ロアがあのゲームでした事は、自分が現実へ帰らなければならない、という意識の元で多くのプレイヤーを殺めてきた。
キマイラが腕を振り上げ、兵士に攻撃を加えようとしている。それでも兵士は逃げようとはしなかった。
自分だけが生き残るために、周りの物を殺めた。
それは目の前の決死の覚悟でモンスターと対峙する兵士とは全く逆の行動だ。
自分のことしか考えていない、クズのような人間の行動。
なぜ今更こんなことを思うのかなんてわからなかった。でも気がつけばキマイラと兵士の間に立ち、キマイラの攻撃を止めていた。
「なっ……!?」
驚きの声は兵士のものだ。死を覚悟していたというのに、突然目の前に人が現れ、キマイラの攻撃をたった一本の剣で止めているとなれば驚くのも仕方がない。
「そういう、ことか」
当然後ろで少女に逃げることを促していた兵士や女性、守られていた少女ですらその現実を目の当たりにして驚いていた。
黒い鎧に身を包んだ人間が、キマイラから自分たちを守ってくれた。
普通なら黒い鎧に身を包んでいる、という時点で警戒するだろう。それでも今は救世主と思うしかなかった。
自慢の爪を止められたキマイラはすぐに片方の頭でロアを噛み砕こうとする。
だが、黒衣の騎士はそれすら許さなかった。
「黒き炎の制裁を【ブラックフレイム】」
詠唱とともに黒い炎が発生し、キマイラの突き出した頭を一瞬にして焼き尽くす。
黒い炎は呪い炎。その効果はただ焼き尽くす以上の物ですぐさま焼かれた方の頭は機能を停止した。
「なにが……起きてるんだ……」
兵士が絶句する。たった一人の人間がキマイラの頭を一瞬で焼き尽くしたのだ。夢でも見ているのだろうかと自分を疑ってしまう。
だが、片方の頭を失おうとキマイラは生きている。もう片方の頭が追撃をしかけていた。
ロアは冷静な様子で剣で止めていた腕を押し返し、距離を置く。キマイラの牙が何もない空間を噛んだ。
その、一瞬の隙を突くかのようにロアは剣技を発動させた。
「【縮地】」
剣技の名前を告げた瞬間にロアはキマイラへと走りぬく。誰にも知覚できないほどの速さで駆け抜けながら、一つ確信を得た。
――これは多くの人間を殺めたオレへの罰なんだろうか、と。
兵士たちが気がついたときにはロアの姿はキマイラの後ろにあった。
そしてロアが振りかえった時、
猛獣は肉片へと姿を変えていた。
それを見たロアは一つ、決心した。
今更どうとなることではないとしても、多くの人を殺めた罰として落とされた世界で、償える事を探そう、と。
あとがき、たまには活用しようと思ってます。
いきなりシリアスな展開ですけど、多分こんなにシリアスなのはこの章くらいだと・・・思ってます。
一番シリアスなところが一番最初という少し残念な設定でした。