第二五話 タックネット・フィッシャリー 虎口
タイトルの意味は「追い込み網漁業」。文字通り、ヒイロが追い込んでいきます。
「……あ、敵だ!」
そんな声がメイクピースの耳を震わせると同時に、それをかき消すような轟音が響いた。
ノットが一瞬の間に魔導砲を構え、引き金を引いたのだ。
その光景に、メイクピースはため息をついた。
ドミニク=ノットは早撃ちが自慢の名ガンナーであるが、直感で敵と認識した対象を問答無用で撃ち抜くという悪癖を持っている。あまりの問題児っぷりに、レッド・アース送りとなったのだ。
『龍焔の重砲』というドラゴンの骸から造られた魔導砲が火を噴き、遥か遠方から己たちを見つめる何かを撃ち抜く。
「モンスターか?」
「……微妙です」
「はぁ?」
何とも煮え切らない返答に、ハボックは思わず間の抜けた声をあげた。彼が反応していなければ、恐らく代わりにメイクピースが同じような声をあげていただろう。
「オレの視力がとんでもなく高いの、御存じでしょ? 何か、モンスターっぽい人間がいるんですよ。いや、人間っぽいモンスターかな?
何かこっちに、“妙な敵意”を向けていたっていうか……野生のモンスターの視線と、ちょいと違っていたんですよねぇ…………」
「――――ハボック、後ろの連中に伝えとけ。厄介なのに見つかったかもしれん。仕留めたか?」
「おう、任された」
「あー……墜ちたか? あ、いや、何か仲間っぽいのが連れていきました」
片目を瞑りながら遠方を見て、ノットは振り向いた。
その顔は、獲物を見つけた狩人のそれだった。戦闘モードに入った証拠だ。
「……放置しておくのも問題がありそうならば、排除する必要もあるな」
そう言って、メイクピースは自分の武器に手を伸ばした。
「……ぐほぉ!」
口から機械油が漏れ、エンジン・ポットは推力を失う。235号の身体はバランスを崩し、ゆっくりと下降していった。
「うぇいっと! 大丈夫かい?」
その身体を、飛び出してきた236号が支える。
返事をしようにも、ヒュウ、と微かな息が口から洩れるのみだった。
「ほら、一気に飲んじゃいなよ」
そんな傍目から見ても命が燃え尽きる寸前の235号の口に、236号はまるで面倒みている幼子が目の前で転んで泣きだしたかのような困った表情を浮かべながら、無慈悲に回復水薬瓶の口を押し当て、瓶を逆さにひっくり返した。
一方の235号は、見るからに苦しそうな表情を浮かべつつ、容赦なく喉に流れ込んでくる液体と格闘する羽目になった。
「……ぐ、う、えぼっ!」
「ほら、堪えて堪えて。総帥閣下の持ち物であるボクたちが、あっさり死んじゃあ駄目でしょうよ。
ここで死んだら恥晒しとして、第四総督に殺されるよ?」
「ファイト!」と無茶苦茶な理由で(本人は大真面目だが)根性論を強要する236号は、235号が飲み干すのを確認すると、ポーション瓶を放り投げてスクラップ寸前だった同僚を両腕で抱え、背中のエンジンを一気に最高出力にする。
「237号、任せた」
「おう、236号。さっさと戦傷者連れて引いとけ、監視は俺がしとくぜ……。できそうにないがな」
いつの間にか二体の横まで来ていた237号は、冷汗を拭ってスピーカーの標準を鳥車に向ける。
[……退け]
「は?」
どうしたものかと考えていた矢先、通信石から聞こえてきた平淡な声が237号の聴覚を刺激した。
それは紛れもなく、上官の声だった。
[邪魔になるから退け。味方殺しとして主に糾弾されるなど死んでも御免]
「……やっべえな」
その言葉の意味を瞬時に把握した237号は、先に退いた236号たちを追い抜くような勢いで、脱兎のごとく飛び出した。無論、後ろに。
直後、爆音とともに周辺に巨大な火球が出現した。オレンジ色に輝くそれは、人のような姿をとる。
頭は巨大でまるで水牛のような三日月の角を生やしている。左腕には炎の斧、右腕には炎の長方盾を構え、ゴリラのような筋骨隆々のシルエットを持っていた。
ヒイロが持つ魔法では殲滅を目的としない数少ない魔法である“炎眷属召喚魔法”により生み出される眷属用モンスターである“火焔狂戦士”。
その実力は上級モンスターに相当する。
簡単な命令しかできず、効果にしては消費魔力もかかり、加えてレッド・バーサーカー自身の実力もヒイロにしては雑魚同然で、彼女の持つ魔法では「使えない」部類に入ること確実な魔法だ。
しかしレッド・バーサーカーは攻撃力もさることながら、最大のウリはそのタフネスっぷりである。防御力が高いのではなく、単に体力が多いのだ。言い換えれば、「壁役」にはこれ以上ない程適任であった。
そしてそんなレッド・バーサーカー出現に、鳥車の連中は揃って目を剥いた。
何しろ遠いとはいえ(常人離れしているが)人間が視認できる距離に、突然厳つい顔した炎のモンスターが出現し、此方を睨みつけているのだ。
歴戦の戦士であるレッド・アース、そしてグリーン・リバーの面々は、ほぼ条件反射の勢いで戦闘態勢に入った。そして、その結果、ヒイロが放ったもう一つの魔法への対処が遅れた。
「――――“火焔断頭台魔法”」
鳥車よりもさらに高い位置に灼熱の光源が出現したかと思うと、それが拡散してオーロラのように広がり、一気に鳥車めがけて落下していった。
それはさながら、炎のオーロラがギロチンの刃のように落ちるようであった。
ヒイロの十八番である広範囲殲滅魔法の一つである。
超巨大なギロチンは、鳥車を飲み込み、地上に突き刺さって其の儘大地にバターを切るかのように深く食い込み、炸裂した。
まるでケーキにナイフを入れるような、そんな光景が火山地帯丸ごと相手に繰り広げられる。
深い傷跡が大陸に刻まれた。
「……逃げられた」
獲物を仕留めそこない、ヒイロは蜥蜴のように無機質な瞳を細め、長い舌をチロチロと伸ばした。
発動までに長い時間がかかるのが、この愛用魔法の数少ない欠点である。それ故に、使えないデブを召喚してまで気を逸らさせたというのに。
魔力の流れが僅かながらに感知された。流石にこれほどの大魔法を、他の魔法師に気取られることなく発動させるのはヒイロと雖も難しいし、そもそも気取られようが気取られまいが、どの道敵は消滅させるスタンスをとっているヒイロは、自身の魔力の流れを消す努力など全くしていなかった。
ヒイロは用済みとなったデブを杖の一振りで吹き飛ばす。
彼女はいつの間にか空中まで飛び上がり、まるで空に立っているかのように静止していた。
そしてその姿を確認したワーカーたちは、くるりと引き返してヒイロの後ろで静止した。
しかしワーカーたちは、直ぐにそれを後悔した。
上官の様子が、途轍もなく恐ろしかった。
黒煙をあげ、芸術的なまでに直線の傷跡を造られた大地を冷徹な瞳で見下ろしている。
灰の塊と化したペリュトーンと共に燃え落ちる鳥車になど目もくれずに、雪原を只管に見つめていた。まるで、何かに憑かれたかのように。
「……逃げられた」
その声は平淡でしかなかった。
後悔も、屈辱も、憤怒も、何も感じ取ることができない。唯、自分の放った攻撃の結果を端的に語った。唯、それだけのように思えた。
……いや、それだけならば、どれだけいいだろう。
235号を四本の腕で抱えたまま、236号は隣の237号と視線を交わした。
アイコンタクト終了。結果、貧乏くじを引く羽目になった236号は、精一杯愛想笑いを浮かべながら上官の背中に言葉を投げかける。
「あ~、第四総督? あんな魔法を繰り出すということは……あー……始末するってことですか?」
それは些かマズイのでは? そんなニュアンスを込め、236号は質問という名の意見具申をした。良い意味で空気を読まずにスルーした彼は、誕生以来真の意味で己の勇気をフル動員していた。
あの遠距離から、貧弱とはいえ装甲を持つワーカー一体に致命傷を与える奴が乗り込む鳥車であるし、それ以前に連中の実力把握していた。少なくとも、ワーカーよりは遥かに上の存在であると理解できた。
何者かは知らないが、あんな仕立ての良い鳥車を唯の軍馬ではなくペリュトーンに曳かせている時点で、そこそこ地位のある者か、地位のある者をバックにしている可能性が非常に高い。傭兵団とかが装備できる限界を超えている。
それはすなわち、非常に使える情報源となるのではないか? 総督であるヒイロならば、実力者とて生きたまま捉える事は容易いはずだ。
ここで連中を殺しては、総帥閣下が求める大魚を逃がすようなものではないか? それは、あまりに勿体ない話である。
そしてそんなことは自分が進言するまでもなく、目の前で小さい背中を見せている第四総督はわかりきっているはずだ。
236号は疑問に思うと同時に、ヒイロがそれを忘却の彼方にブン投げる程キレているという最悪の可能性を無理矢理頭に浮かべ、タラリ、と汗を流した。鳶色の髪がじわりと汗で濡れていく。
「……いや、これでいい」
かえってきたのは、予想以上に冷静さを含んだ声だった。
どうやら、この上官はまだ正気らしい。
キレたヒイロの恐ろしさを先輩たちから聞きかじっていた236号は、安堵の表情を浮かべ、ずり落ちた235号の身体を慌てて持ち直した。
「これで向こうは焦る。焦らなくとも、危機感を抱く」
ぐるん、と少女の首が動き、眠たげな視線がワーカーたちを捉えた。
彼女の心境を窺い知ることなど、彼らには出来るはずもなかった。
「ところで、そっちは……。もういい、ソイツを安全圏まで連れて、退避」
「わかりました。第四総督は?」
「観察」
熟語一つで返され、236号と237号は揃って敬礼すると、我先に逃げ出した。当然だ。一体誰が、龍の口の中に永住したいと思うのだ。
傷を負った同僚へと視線を落とすと、ポーションの効果が出てきたのか、すでにオイルは止まり、傷口は再生へと向かっていた。
「……偉大なる総帥閣下の微笑みが共にあらんことを」
去り際にヒイロの耳に、部下からの声が届いた。
「……逃げられた」
ヒイロは、去っていった部下たちの姿を目で追うこともせず、只管に雪原を見つめていた。
そこには、常人ならば視認できない程の高速で雪原を駆けるか、低空を飛ぶ二〇前後の影があった。
彼らを確認し、ヒイロは僅かに表情を崩した。口元が二ミリほど動く。
それは憤怒ではなく、寧ろ歓喜に近かった。
「…………面白い」
間違いない。彼らはかなりやる。
炸裂寸前に威力を大幅に落としたとはいえ、自分が持つ高位魔法を鳥車に乗った状態で、大部分が逃れるとは。
カーキの持ち物である軍団員を傷付けたことは許し難いが、その点は素直に称賛できよう。
故に、勿体ない。
彼らをあっさりと始末するのは、あまりにマイナス点が多すぎる。
部下がほざいたとおり情報をそれなりに持っているだろうし、その死体は研究材料にもなる。
何より彼らがどのように戦い、どのような戦法を使うかは、じっくり確認しておけばこの先判断材料のための強力な武器となるだろう。
フローラは怒りにまかせてそこそこの実力者であるエルフたちをあっさりと殺してしまったが、生きている彼らを観察し、行動パターンを把握することも大切だ。
そのためには程良くタフで、長く使えて、そしてこの世界基準で言うと最高位に近いであろう彼らは実に都合のいい存在だった。
そうだ、例えばこんな攻撃をされた場合、彼らはどう対処するのだろうか?
ヒイロは眠たげな表情を浮かべたまま、軽く杖を振った。
たちまち、彼女の周囲を何千ものの野球のボールほどのサイズの火球が覆い尽くした。
「“蛍火舞踊魔法”」
ヒイロの呟きを合図に、火球は豪雨の如く地上へと降り注いでいった。
「……褒められる」
結果を愛する主に献上した時の事を思い浮かべ、ヒイロは明るい未来に酔いしれるよう、熱い息を吐いた。
「きた、きましたぁ!」
先程の獰猛なハンターのような表情はどこへやら、ノットは悲痛な叫びをあげた。その一方で、かなりの遠距離から放たれた火球の嵐を愛用の魔導砲で次々と撃ち落としていく。
「くそっ、何なんだあの化け物は!!」
一方、そんなノットを筋骨隆々の肩で持ち上げながら、常人なら着込むだけでその重さにダウンするような鎧をまといながらも、猛ダッシュしているハボックが悪態をついた。
そしてノットは、ハボックに抱えられながら(それもそのハボックが猛ダッシュしている)という狙撃には最悪の環境で、喚きつつも正確な迎撃を行っていた。
シュールというか、演劇でもないような滑稽な光景であるが、それを平然と行うのがレッド・アースである。
人間自走高射砲と化したハボックとノットを尻目に、メイクピースは愛用の槍である『蛆王の槍』を構え、おどろおどろしい黒の大槍の先から魔法を放ち、ノットの取りこぼしを消し飛ばしていた。
彼は同僚二人を先導するように、人間自走高射砲のやや前を走っている。その速さはハボックの剛脚に劣るものではなかった。
しかも、脚がとられやすい雪上でこれである。
「ブキャナン!! さっさと隠れるぞ、ここにいる全員をカヴァーしろ!!」
メイクピースは彼にしては激しい怒声で、自分のさらに先を低空飛行している一八人の集団に言葉を投げかけた。
全員が黒ローブを着込み、顔を蟲の顔を模したような仮面で隠している。
妖しげな宗教団体にしか見えないような面々であるが、これが緑の川の標準装備だった。仮面もローブも、彼らが手に入るもので最高位の装備品だ。
「わかっている!」
ブキャナンと呼ばれた男――――グリーン・リバーのリーダーであるフレデリック=ブキャナンは、蜂の顔を思わせる仮面越しにメイクピースを睨んだ。
そしてすぐ横を飛んでいる部下たちに矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「合図で一斉に雪中に隠れる。例の儀式に必要な人員は揃っているか?」
「ヴァレンタインとブラッドレーの二人が逝きましたが、他で穴埋めができます」
何でもないように即答した部下に、ブキャナンは小さく呻いた。
流石に全員が、あの巨大な炎の災厄から逃れきることはできなかった。座席配置の問題で逃げにくい位置にいた魔法師二人がすでにその命を散らしていたのだ。
一瞬で優秀な魔法師二人を失ったことに、ブキャナンは軽く苛立ちを覚える。
が、今はあの“災厄”から逃れる方が先決だ。
すでにブキャナンの部下たちのうち四人は、魔法発動シークエンスを終えていた。
その部下たちにブキャナンは合図を送るため、愛用の短杖を天に掲げた。
「「「「“潜行魔法”」」」」
グリーン・リバー一八人、レッド・アース三人の周囲を蒼い光が覆った後、全員がまるで水中に潜るかのように雪の中へ姿を消した。
その直後、迎撃されなかった火球が着弾し、雪を吹き飛ばし、煙をあげていく。
それが晴れた時、そこには荒らされた雪原のみが残されていた。
「姿が消えた……転移? 隠密? いや……」
眠たげな眼を僅かに細め、ヒイロはチロチロと長い舌を動かした。
「雪に潜った?……」
そんな魔法、あったか? そう思い、ヒイロは小首を傾げた。
同時に、ヒイロは胸の中に芽生えた歓喜に打ち震えた。
もし、あれが自分やカーキの知らない、未知の魔法だとすれば?
この世界独自の魔法。それを知ることは、大きな成果になるに違いない。敵の魔法の効果を知っている。それは大きなアドヴァンテージだ。
それをカーキが得る機会がやってきたとするのなら。ますます、逃すわけにはいかない。
やはり、この策はアタリだった。程良く甚振り、もっともっと情報を仕入れるのだ。この先も、未知の魔法を見れるかもしれない。
それを献上出来れば、愛する主はどれ程褒めてくれるだろう?
考えるだけで、ヒイロは全身が蕩けそうになった。
「ん…………あっ…………」
心を落ち着かせるため、胸に手を当て、息を止める。言い様のない興奮に、身体がバラバラになりそうだった。
彼女の浅黒い褐色の頬は、僅かに朱に染まっていた。
緋色の髪を風に揺らし、ヒイロは只管に雪原を見下ろす。
「……地中は、私の庭」
そう呟いた時、ヒイロのオッドアイはキラリと光った。
外伝のネタ、たくさん有難うございます。外伝のネタは随時募集しております。
設定集については賛否両論ありましたので、あげるかどうかはもうちょっと考えてみます。
それとどの道、本編の更新を優先します。
御意見御感想宜しくお願いします。




