第5話 可愛いは、作れる!
日曜日。
陽向と朱里は、街にいた。
人の波が絶え間なく流れる休日のショッピングモールは、平日とは別の顔をしている。
天井から降り注ぐ白い照明。
ガラス張りの店先に並ぶ、色とりどりの広告。
どこからともなく混じり合う香水と甘いスイーツの匂い。
陽向は、その賑やかさに少し気後れしながらも、朱里の隣を歩いていた。
「このカラコンまじ盛れるから!06番、CDIAが13.8ミリなんだけどめっちゃナチュラルだからスクールカラコンに最強。ガチで裸眼風にデカ目になる。爆盛れる。」
「だから…なに語なの?」
思わずこぼれた素朴な疑問に、朱里は気にする様子もなく笑う。
そのまま棚から商品を手に取り、陽向の手にぽん、と乗せた。
朱里に言われるがまま、陽向は次々とコスメをカゴに入れていく。
自分から選んだことのないものばかり。
パッケージに並ぶ横文字は、どれも異国の言葉みたいで、現実感がなかった。
「コスメはひと通りオッケーだから、ポップハートストア行こ!スクバキーホルダーはJKに鉄板で安定なのはミティちゃん!アークショップも行こ!ノア、それかリラがいいかな。ひなちゃんのスクバ、最強ギャルにしてあげる」
「ギャルに…なりたいわけじゃないんだけどなぁ…はは…」
陽向は乾いた笑いを浮かべる。
けれど、抵抗する術はなかった。
押しの強い朱里に完全に主導権を握られ、気づけば財布だけがどんどん軽くなっていく。
それなのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
朱里の目は、冗談ではなく、本気で楽しそうだったから。
そして陽向は、その楽しそうな横顔につられるように、ほんの少しだけ胸が高鳴っている自分に気づいていた。
────────。
ショッピングモールの女子トイレ。
広々としたメイクルームの鏡の前にコスメを広げ、陽向と朱里は並んで立っていた。
白い洗面台に反射する照明が、やけに明るい。
「朔也に怒られちゃったからね。私がメイクしてあげただけだと意味ないって。同じ学校じゃないから私が学校でメイクしてあげられるわけじゃないし、今から自分で出来るように練習するよっ!」
「いやー…出来るかなぁ…」
鏡に映る自分の顔を見ながら、陽向は不安そうに呟く。
「校則てきにバチバチメイクは出来ないから、ひなちゃんに教えるのは“スッピン風ナチュラルメイク”!軽めのメイクだからそんなに難しくないよ」
「スッピン風ナチュラルメイク?」
「そ!とりま、このボサボサ眉毛は私が今から整えてあげるから、その形はひなちゃんがこれから自分で鬼キープして。コンシーラーとパウダーでニキビや肌荒れ隠して、アイテープで二重、アイシャドウで涙袋形成。目尻だけ薄めにアイシャドウでライン入れて、ビューラーで睫毛あげて、睫毛美容液で地睫毛を地道に育成していく。薄めにチークも入れて、ハイライトとシェーディングで鼻整形、小顔効果。ナチュラルな薄付きリップはオーバーリップで。ここまでは今日自分で出来るようになって貰うよっ!」
「ハードル高っ!!何言ってんのか全くわからんわ!!」
「私が参考にしてるチャンネルのメイク動画、共有するからわかんなくなったらそれ見て。」
「は…はい」
陽向は、半ば反射的に頷いた。
「あと、皮膚科行こうか?ニキビの薬、結構効くよ!私も中学の時悩んでたけど、皮膚科で貰った薬毎日地道に塗り続けたら即効直ったよ!」
「…みんな凄いね。本当に…女子ってそんなに色々やってるの?」
ぽつりと零れた本音。
朱里は、少しも照れず、当たり前のことみたいに言った。
「そりゃそーだよ!何もしないで可愛い子なんてほぼ居ないって!そーやって試行錯誤しながら努力して必死こいてみんな一生懸命、垢抜けしていくんだよ」
その言葉と一緒に向けられた、キラキラした笑顔。
「可愛いは、作れる!」
その瞬間、陽向の心臓は、ぎゅっと掴まれたような感覚に襲われた。
おしゃれなんて、自分とは無縁の世界だと思っていた。
そんなことに何の意味があるのか。
時間の無駄で、お金の無駄で、それなら物語の世界や二次元の世界に浸っている方が、よっぽど自分らしいと思っていた。
だけど。
朱里が語るメイクやオシャレは、虚勢でも、見栄でもなく、心の底から好きで、楽しくて、大切なものなのだと伝わってくる。
その輝きが、素直に素敵だと思えた。
私も……変われるのかな。
こんな私が、朱里ちゃんみたいに可愛くなれるのかな。
喉の奥から、熱い衝動が込み上げてくる。
そんな風になれたら。
きっと、それは、とても楽しいことだ。
「私…頑張るわ!!」
「よし!ひなちゃんは中顔面も人中も短いし、それはチートなんよ。パーツのメイクでスクールメイクでもスッピン風でガチ最強になれる!やるよ!」
朱里は、楽しそうにそう言いながら、手を止めることなくメイク指導を続けた。
話題は自然と、髪型へと移っていく。
「そー言えば、コテ何ミリだった?」
「ママに聞いたら28ミリって言ってた」
「28ミリかぁー…まぁ悪くはないけど、28ミリは平成って感じ。令和は38ミリなんだよなぁ。Y2Kファッションで、ロングの巻き髪作る時は28ミリ良いんだけどね」
相変わらず、何を言われているのかはよく分からない。
「フリマアプリで安く売ってるから38ミリ買いな!」
「は…はい…」
陽向は、素直にそう返事をした。
その声は、ほんの少しだけ前よりも、軽かった。
────────。
火曜日。
ついに、運命の美容院。
放課後の校舎を出た陽向は、胸の奥がそわそわと落ち着かないまま、朱里が予約してくれた美容院へ向かった。
ガラス張りの外観に、間接照明が柔らかく灯る店内。
外から見える鏡と椅子の並びが、どこか別世界みたいで、足を踏み入れる前から緊張が込み上げる。
(……場違いじゃないよね……?)
不安を抱えたまま扉を押すと、軽やかなベルの音が鳴った。
そして──
「今日は、縮毛矯正とカット、カラーリングの予約で間違いないですか?」
明るく、慣れた声。
「あ…はい!」
少し裏返った声で返事をしながら、陽向は小さく頷く。
「カットはどうしますか?」
その問いに、一瞬だけ迷いがよぎった。
自分で決めるという行為自体が、まだ慣れない。
「えーと…あの、これ!この髪型にして下さい」
スマホを取り出し、朱里から送られてきた画像を見せる。
画面の中に写るのは、小顔効果抜群の、今時で洗練されたレイヤーカットのボブスタイル。
「レイヤーボブですね。似合うと思いますよ!任せて下さい。」
その言葉は軽くて、でも迷いがなかった。
その一言に、胸の奥で何かがふっと緩む。
席に案内され、クロスをかけられ、鏡の前に座る。
普段はなるべく見ないようにしていた自分の顔が、真正面に映る。
薬剤の匂い。
シャワーの音。
髪に触れる指先の感覚。
時間が進むにつれて、少しずつ、確実に、いつもの自分が削ぎ落とされていく感覚があった。
そして、終わる頃。
カラン、と店の扉を開くベルの音が鳴った。
「わ…っ!!え、凄ーい!!え!ヤバっ!!可愛い!!」
振り返ると、朱里が店内に駆け込んできた。
目を輝かせ、ハイテンションで声を上げる。
「あ、朱里ちゃん。今ブローしてるんで間も無く終わりますよ」
顔馴染みのスタイリストが、親しげに声をかける。
最後のブローが入り、指先に取られたヘアオイルが、丁寧に髪へ馴染ませられる。
軽く揺れる毛先。
鏡の中で、光を受けて柔らかく動くシルエット。
「はい、どうですか?大丈夫そう?」
その問いに、陽向は一瞬、言葉を失った。
「冴島さん!天っっ才です!最高です!!」
朱里は興奮気味に拍手をして、全力でスタイリストの冴島を称賛する。
「これ、私?えぐ!笑」
思わず口から零れた言葉は、半分冗談で、半分本音だった。
鏡の中には、知っているはずなのに知らない自分がいる。
重たく広がっていた髪は、すっきりと輪郭に沿い、顔の印象まで変えていた。
「ちょっとちょっと!とりまメイクしよ!一旦ガチのバチバチギャルメイクやらせて!冴島さーん!メイクルーム借りるねー!」
「どうぞー」
朱里は待ちきれない様子でそう言うと、陽向の手を引くようにメイクルームへ向かった。
────────。
メイクルームには、ずらりと並ぶコスメたち。
まるで武器庫みたいだ、と陽向はぼんやり思った。
そして朱里は、遠慮も手加減もなく、美容院に備え付けられたコスメを次々と手に取る。
迷いのない動き。
的確な筆運び。
まるで、今まで積み重ねてきた時間そのものを、惜しげもなく注ぎ込むみたいに。
朱里は、陽向に自分の持っている全てのメイク技術と知識を、余すことなく叩き込んでいく。
そして仕上げに、メイクルームに備え付けてある38ミリのコテを手に取った。
「ここ、こう巻いて…そう!毛先は抜く感じで!」
熱を帯びたコテが、髪を通り抜けるたびに、シルエットが完成に近づいていく。
────────。
そして、美容院を出る二人。
ガラス扉に映る自分の姿を、陽向は無意識に何度も確認していた。
「いやーひなちゃんのポテンシャルにはびっくらポンだわ」
「朱里ちゃんのメイクと美容センスにびっくらポンだよ」
笑い合いながら歩くうちに、陽向は気づいていた。
見た目が変わると、心の距離も少しだけ変わる。
喋り方まで、ほんの少し朱里に影響されている自分がいた。
「ふっふ〜♡朔也にLINEしちゃおっ」
朱里は楽しそうにスマホを取り出し、指を滑らせる。
“今からえぐいひなちゃん帰すからお楽しみに♡”
その画面を横目に見ながら、陽向は照れくさそうに視線を逸らした。
やがて駅に着き、二人は改札前で別れる。
朱里に手を振り、陽向は一人帰路についた。
夕暮れの街に、ショーウィンドウの光が滲む。
そのガラスに映る姿を、もう一度だけ、そっと確認する。
胸の奥が、じんわりと熱を持つ。
それは、不安でも、戸惑いでもなく。
確かに前へ進んでいるという、実感だった。
「ただいまー」
玄関に響いたその声は、いつもと同じ調子だった。
けれど、続いた反応はまるで違った。
「おかえ…うわぁっ!!!!」
陽向の母、早苗は娘の姿を視界に捉えた瞬間、手元のザルを取り落とした。
切ったばかりの野菜が床に散らばり、カラン、と軽い音を立てる。
「だだだ誰よあんた!!なに、どーしちゃったの陽向!!」
あまりの衝撃に、声が裏返っている。
「あはは!可愛い?」
冗談めかして言いながら、陽向はくるりとその場で一回転した。
毛先が軽く揺れ、照明の光を反射する。
「可愛い!!え、本当にひな!?すっごく可愛い!!」
早苗の声は震えていた。
驚きと、戸惑いと、そして抑えきれない喜びが一度に溢れ出したような表情だった。
気づけば、目元が潤んでいる。
「あ、朱里ちゃんに朔也に見せに行くよう言われてたんだ。ご飯あと何分後?」
「15分くらいかな」
「ちょっと一瞬行ってくるわ!」
言うが早いか、陽向はもう靴を履いていた。
早苗の返事を待つこともなく、軽い足取りで玄関を飛び出す。
隣家。
「お邪魔しまーす!美紗ちゃーん!朔也部屋にいる?」
「…っっっ!!??」
その声を聞いた瞬間、朔也の母、美紗は完全に思考が追いついていなかった。
玄関先に立っている“誰か”を、脳が処理しきれない。
「あ!ひなだよ!ひ、な!」
「え!?ひな!?えー!!どうしたのー!!」
声のトーンが一気に上がる。
「朔也いる?」
「上にいるけど…ひなの事、誰かわかんないよきっと!」
「だよねー!驚かせに行こっと」
陽向は悪戯っぽく笑うと、そのまま階段を駆け上がった。
トン、トン、と軽快な足音。
そして——
勢いよく、扉が開いた。
バンッ──
部屋の中で、スマホをいじっていた朔也の視線が、反射的に入り口へ向く。
「朔也〜!すごくない?変わったでしょ!」
────────。
「…………………。」
朔也の中で、何かが完全に止まった。
一瞬で、声は喉の奥に引っかかり、出てこない。
部屋の入り口に立っているのは、見たことのない女の子。
いや——
見たことのある “誰か” に似ているのに、どうしても、同一人物として認識できない。
髪は顔まわりに柔らかくレイヤーが入り、暗めのブラウン。
目元はくっきりとして、涙袋に落ちる影が妙に印象的で、頬は光を受けてほんのりと色づいている。
制服姿なのに、まるで別の場所から迷い込んできたみたいだった。
朔也は、数秒間、呼吸を忘れていた。
「…………」
喉が動かない。
頭の中で必死に“星野陽向”という名前を当てはめようとしているのに、何度やっても、ズレる。
陽向は、何も知らずにニコッと笑う。
けれど朔也は、反応できない。
目を見開いたまま、完全に固まり、本当に“声の出し方”を忘れてしまったみたいだった。
「………誰?」
ようやく絞り出した言葉は、それだった。
陽向は、ケラケラと笑う。
「そんな驚くー?やばくない?美容院!!その後に朱里ちゃんにフルメイクして貰ったの!!」
声はいつも通り。
喋り方も、笑い方も、間違いなく陽向なのに。
朔也は、まだ動けない。
頭の中で、目の前の姿を、知っている“陽向”へと必死に再構築しようとしていた。
心臓が、
ドクン……
ドクン……
と、異様な速さで鳴っている。
こんな音、聞いたことがない。
陽向は、そんなことにも気づかず、無邪気に笑っている。
その笑顔を見た瞬間——
朔也の胸が、ぐしゃっと掴まれた。
初めてだった。
陽向を見て、言葉を失ったのは。
「………きんもっっっ!!!!!」
反射的に、口から飛び出した言葉。
「は?キモイって何だよ!」
「怖い怖い怖い怖い!!」
「可愛い過ぎて怖いって事?」
「まじでキモイわー!女子怖いわー!!」
叫ぶように言いながら、朔也は一歩、後ずさった。
自分でも、なぜそんな言葉しか出てこないのか分からない。
分からないからこそ、誤魔化すように、茶化すように、強い言葉を選んでしまう。
朔也は、ただ——
驚き過ぎて、それしか言えなかった。




