第21話 臆病な恋なんです
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それから三日後──
バンッ
陽向の部屋の扉は乱暴に開かれた。
「おい!お前4時から筋トレって話しだろ!電話も出ねーしLINEも既読しねーで何してんだよ!」
夕方の光が、開け放たれた扉から一気に流れ込む。
薄暗い部屋の中に、現実が押し込まれたみたいだった。
「あー忘れてたー」
陽向は振り返りもしない。
テレビ画面に映る派手なエフェクトを睨んだまま、手元のコントローラーを忙しなく操作する。
ピコピコ。
ズキューン、バキューン。
画面の中では、何かが派手に倒れ、何かが勝利しているらしい。
朔也は一歩、部屋の中に足を踏み入れた。
「………なんだこれ…部屋やべぇじゃん。だらしねーな」
チョコレート、プリン、スナック菓子、炭酸ジュース。
不摂生の塊のような空き容器がそのまま放置されて散乱している。
「ゴミくらい捨てろよ!ダイエットはどうしたんだよ!こんなもんばっか食って」
「…………。」
陽向は何も答えない。
ただテレビゲームを無心でプレイしている。
部屋を見渡す朔也。
返事はない。
陽向はただ、指先だけを動かしている。
感情を切り離したみたいに、無心で。
朔也は視線を巡らせた。
積み上げられた漫画。
読みかけで伏せて開かれたままの小説。
ゲームソフトのケース。
アニメのディスク。
好きなものだけが、無秩序に部屋のあちらこちらで散乱している。
「…夕方なのに部屋着のまんまで…スッピンで頭ボサボサで……」
無意識に、声が落ちる。
朔也は部屋の様子から、陽向が引きこもっている事をはっきりと確信した。
「お前外出てねーだろ」
朔也が何を言っても、陽向は無視を貫いている。
ピコピコ。
画面の中でまた何かが爆発する。
苛立ちが胸の奥に溜まる。
朔也は瞬時にテレビのリモコンを手に取った。
ピッ。
画面が、唐突に暗転した。
「あっ!!!」
「聞いてんのかよ!!」
朔也の声が、少しだけ荒くなる。
「もーうるっさいなぁ!」
そしてようやく、陽向の顔が朔也を見上げた。
「体調悪いんだよ!…食べられるもん食べて…療養してるだけ!」
言い切るようでいて、どこか雑な口調。
「は?風邪?」
「いやー…えーと…夏バテかな……」
言葉を探すみたいに、陽向の視線が泳ぐ。
朔也は一瞬目を細めて、その仕草を見逃さなかった。
一拍。
そして深く溜め息をついた。
「はぁー……」
それ以上、踏み込まなかった。
問い詰めない。
理由も聞かない。
朔也は陽向の部屋のエアコンのリモコンを手に取った。
ピピピ、という機械音と共にエアコンの温度設定を二度上げた。
「来週から学校始まんだから、早く体調直せよ」
それだけを言って、踵を返す。
扉の前で、一瞬だけ立ち止まったけれど振り返らない。
カタン。
扉が閉まる音が、部屋に残った。
再び訪れた静けさの中で、陽向は動かない。
暗い画面に映った、自分の輪郭をぼんやりと見つめながら、コントローラーを膝の上に落とした。
ピコン、と小さな音がして、ゲーム機が待機状態に入る。
何もしていないのに、胸だけがざわざわしている。
布団の端に転がるスマホが、視界の隅に入った。
俊輔からの体調を案ずる返信には既読もつけていない。
画面を開く気にはなれなかった。
陽向は、膝を抱えたまま、部屋の中央に座り込む。
好きなものに囲まれているはずなのに。
逃げ込んだはずの場所なのに。
どうしてか、息苦しかった。
ずっと……二次元の世界で生きていけたらいいのにな──
────────。
長かった夏休みは、音もなく終わりを迎えた。
朝の空気には、ほんのわずかに秋の気配が混じっている。
けれど陽射しはまだ強く、季節だけが先に行こうとしているようだった。
始業式の朝。
久しぶりの制服。
久しぶりの通学時間。
本来なら、少しだけ背筋が伸びるはずの朝。
玄関先で、朔也は陽向の顔を一目見て、思わず口をついた。
「……お前なんだよそのツラ」
言い方は雑で、いつも通りのはずだった。
「ブスだな。化粧くらいしろよ」
陽向は、靴を履きながら、視線も上げずに答える。
「アイテープだけしてるよ」
「何でマスクしてんだよ。髪の毛すら巻いてねーじゃん」
玄関の鏡に映る陽向は、確かに以前とは違って見えた。
髪は適当に研いだだけ。
目元も、どこか影が薄い。
いつもの、あの無駄に元気な空気がない。
「寝坊したんだよ!うるっさいなー」
言葉は強いのに、声には張りがない。
「だらしねーな!新学期なんだからいつまでも寝てんじゃねーよ!」
叱る口調は、いつもと同じ。
なのに、返ってくる反応は違った。
「……チッ」
小さく、短い舌打ち。
それだけだった。
陽向は何も言い返さないまま、乱暴に自転車を引き出す。
ガチャ、と金属が鳴る音が、妙に大きく響いた。
——なんだよ、その態度。
胸の奥に、苛立ちが広がる。
反抗期か?
それとも、何かあったのか。
聞けばいいのに、聞けない。
いつもの距離感が、どこか噛み合わない。
二人は並んで走り出す。
会話は、それ以上続かなかった。
電車に乗るまでの道。
ホームで待つ時間。
同じ車両。
以前ならどうでもいいことで笑ったり、口喧嘩をしていたはずなのに、今日は沈黙だけが間に落ちていた。
吊り革に掴まりながら、朔也は横目で陽向を見る。
マスクの奥。
伏せられた視線。
スマホも触らず、窓の外をぼんやり眺めている横顔。
違和感が、モヤッと胸に残る。
「夏バテ良くなったの?」
「うん」
「そん次風邪でも引いた?マスクして」
「いや?スッピンだから」
「あ、そ。」
学校へ行く、ただそれだけの朝。
元通りのはずの日常。
なのに。
二学期の始まりは、思っていたよりずっと冷たく、二人の間には、はっきりとした“ズレ”が生まれていた。
────────。
二学期初日の教室は、友達との久しぶりの再会を喜び会う声に溢れていた。
生徒たちの笑い声。
机を叩く音。
名前を呼び合う声。
夏を越えた生徒たちは、どこか少しだけ変わって見える。
日に焼けて小麦色になった腕。
短く切られた髪。
ほんのり垢抜けた雰囲気。
それぞれが、夏の間に“何か”を得て戻ってきたことを、言葉にせずとも漂わせていた。
「陽向ー!おはよー!会いたかったー♡」
「あ、おはよー咲!」
教室に入るとすぐに咲が陽向の元へ飛びついて来た。
二学期も変わらず眩しい。
笑顔も、声も、存在感も。
教室に入った瞬間、空気を一段明るくするタイプの女の子。
新学期も圧倒的なマドンナ全開オーラは健在で、初日の男子の視線を攫う。
夏休みを越えても、いや、越えたからこそ。
そのキラキラは、むしろ強くなっていた。
「え、今日ストレートじゃん!清楚系?可愛い♡」
「いや…寝坊しただけ 笑」
陽向の髪に目を留めて咲が声を弾ませると、曖昧に笑って誤魔化す。
「スッピンだからマスクしてんの?」
「そ!なんかだるくて化粧する気起きなかったわー」
軽い調子で言いながら、胸の奥に沈んだ重さには触れない。
「コスメ持ってきてないの?貸してあげよっか?」
「いや、だるいからいい。今日学校午前中で終わるし」
「そか。スッピンでも陽向は可愛いよ♡」
「ははは…ありがとう」
そんな会話を繰り広げていると、そこへ熱い視線を送っている一人の男子。
そう。
鷹井綾真。
(星野のストレート……かわいっ!!!)
いつもは毛先が綺麗にカールして揺れている髪。
今日はただ無造作に下ろしているだけなのに。
それだけで、妙に新鮮で目が離せない。
「おい、見過ぎ見過ぎ。」
「綾真ー返ってこーい」
一緒に居た友達が揶揄うように言った。
「み…見てねーよ!」
慌てて目を逸らし、声が裏返る。
それを見て、周囲がニヤつく。
「話し掛けて来いよ」
「おはよー!元気だったー?俺はずっとお前に会いたかったぜー!」
「おい!殴るぞ!!」
悪ノリの声が飛ぶ。
キーンコーンカーンコーン──
校内中に、澄んだ音が鳴り響く。
二学期のスタートを告げる、最初の予鈴。
教室のざわめきが、少しずつ収束していく。
それぞれが席に戻り、日常の形へと整えられていく。
戻ってきたはずの場所。
けれど、陽向はまだ、完全には戻れていなかった。
机に肘をつき、前を向く。
胸の奥に残る、小さな違和感を抱えたまま。
二学期は、静かに始まった。
────────。
放課後。
「じゃあ陽向、ディンバーで待ってるねー!」
「え?あ…うん!」
咲の明るい声に、反射的に頷く。
以前と変わらない日常。
剣道部の活動がない日、放課後にディンバードーナツに四人で集まる。
それはもう、当たり前すぎるほど当たり前の習慣だった。
いつもなら陽向は、図書室へ寄ってから店へ向かう。
だから今日も、咲は何の疑いもなく先に歩き出した。
(…図書室………か………。)
教室に残されたまま、陽向は座席から動けない。
頭の中に浮かぶのは、静かな棚の間。
本の匂い。
冷房のひんやりした空気。
「……………。」
そして——
藤崎先輩。
会いたいは会いたい。
それは、嘘じゃない。
でも。
(…LINE…スルーしてるし……)
スマホの画面が、脳裏に浮かぶ。
あれからその後既読をつけて、止まったままのトーク画面。
何があったわけでもない。
避ける理由なんてどこにもない。
なのに。
胸の奥に、正体の分からない“引っかかり”がある。
一歩踏み出そうとすると、足首を掴まれるみたいに、進めない。
(なんでこんな気まずいんだ……)
自分でも理由が分からない。
だから余計に、重い。
「…はぁ〜……」
深く溜め息をつく。
しばらく思考を巡らせた後、陽向はようやく立ち上がった。
けれど足取りは、いつもの軽さとは程遠い。
のっそり。
ゆっくり。
まるで歩き出すことそのものが、試練みたいに。
────────。
「え…?陽向!?」
「あれ?図書室は?」
店の扉を開けた瞬間、咲と蒼太の声が同時に上がる。
甘い油の匂い。
カウンター越しの賑やかな声。
いつもの場所。
いつもの光景。
「あー…いや…先輩いなかったんだよねー」
笑って誤魔化す。
あくまで軽く。
あくまで自然に。
でも——
取り繕うその表情を、朔也だけは見逃さなかった。
「居なかろうと、いつも1時間くらい待ってんじゃねーかよ」
低い声。
刺すようでもなく、責めるようでもない。
事実をそのまま投げただけの言葉。
「……お腹すいちゃったんだよね!あはは!」
「もー陽向ー!恋より飯かよー」
「ったく、早く買って来いよ」
いつも通りの会話。
いつも通りのノリ。
咲と蒼太は何も気づいてない。
朔也にだけわかる、陽向の違和感。
まさか藤崎先輩と…何かあったか………
胸の奥が、じくりと熱を持つ。
ただ、陽向の横顔を見つめながら、朔也は小さく眉を寄せた。
その横顔は、笑っている。
声も、調子も、普段と変わらない。
「えっ!咲もバイト始めたの?」
「そー!カラオケー」
「へーカラオケかー。いーなー、私もバイトしよっかなー」
「いや、お前には無理だろ」
即座に返した朔也の言葉は、いつもの軽口だった。
「そうか?朔也と同じコンビニだったらそんな難しい事ないんじゃね?暇だって言ってたじゃん」
蒼太が茶化すように続ける。
「ひななんかに仕事させたら店に迷惑だし、俺に迷惑。」
「えーでもコスメも高いし、美容院代もバカんなんないし、ギャルはお金かかるんだよ!ねー陽向!」
「うーん…小さい頃から貯めてたお年玉も、高校入ってからほぼ使いきってるしなー…」
陽向は困ったように笑って、それから朔也を見た。
「朔也、お願い!店の人に聞いてみてよ!」
「はぁ?何で俺がお前のバイトの世話までしてやんねーとなんねーんだよ!」
声は強めなのに、その奥にある感情はどうにも言葉にならない。
「いいじゃねぇかよ。変なところでバイトして陽向が苦労して大変な思いするくらいなら…今更の付き合いなんだからそれくらい面倒みてやれよ」
蒼太の何気ない一言が、朔也の胸にズシッと落ちた。
「……ゔ……っそれは……」
確かに………
最近の陽向はやたらと男絡みが多い。
天然で、鈍感で、無自覚で、警戒心のカケラもない。
万が一、バイト先で変な男に目ぇ付けられでもしたら……
想像しただけで、胸の奥が嫌な音を立てた。
「次のシフトの時…店長いたら……な…」
そして、渋々。
ぽつりと零れたその一言に、
「まじで!?ありがとー!朔也ー!」
陽向の声が、ぱっと弾んだ。
「でも陽向〜バイトなんか始めたら、藤崎先輩と会える日減っちゃうね♡」
咲の、悪気のない一言。
「…え…あーそうだね」
陽向は一瞬だけ間を置いて、それから笑った。
「まぁお金には変えられないっしょ。てかさーカラオケって忙しい?」
「んー日によるかなー…平日は──」
話題はすぐに流れていく。
声も、表情も、いつも通り。
それが、余計に朔也の中ではおかしかった。
いつもなら、先輩の話題が出れば、目を輝かせていたはずなのに。
今日の会話の中身は——
その“気配”すら、ない。
ドーナツの甘い匂いの中で。賑やかな笑い声の中で。
陽向だけが、少しだけ遠くにいた。




