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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─  作者: 波方 真季


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第18話 うん。だから図書室



夏休み──。


八月を目前にした太陽は、容赦なく照りつけている。

校舎から生徒の気配が薄れ、コンクリートは熱を溜め込み、昇降口に立っただけで、もわりとした空気が肌にまとわりつく季節。

それでも、生徒会役員だけは例外だった。


前期と後期、夏休み中に行われる生徒会役員会議は、七月下旬と八月下旬の二回。

議題の中心は、九月下旬に控えた文化祭。


この日は、その前期役員会議の日だった。


久しぶりに顔を合わせる役員たちの間には、どこか緩んだ雰囲気が流れていた。

夏休みという非日常が、ほんの少しだけ肩の力を抜かせている。


「それでは、本日の会議は以上です」


顧問の声が、生徒会室に落ちる。


「夏休み期間中は、熱中症に十分気をつけてください。部活動のある役員は特に、水分補給を忘れずに。休み中は怪我や病気なく、元気に後期役員会議へ来てくださいね」


その言葉を合図に、会議は締めくくられた。


椅子を引く音。

書類をまとめる音。

「お疲れさまです」という軽い挨拶。


その後、役員達は各々の役職ごとに自由に作業についていく。

張りつめていた空気がほどけ、室内は穏やかなざわめきに包まれる。


その中で──


「俊輔ー♡」


一段高い、よく通る声。


陽向の耳が、反射的にその音を拾った。


「ラピスカフェの新作パインマンゴーフラッペ今日からなの!買いに行きたいから帰り一緒に付き合ってよ」


朝比奈凛佳の声は、あまりにも自然だった。

まるでこれまで何度も二人が一緒に帰っているかのような雰囲気を陽向は察した。


「いつも買ってた俊輔の好きなピーチフラッペは終わっちゃったけどねー。パインマンゴーも美味しそうじゃない?」


その距離感に、陽向の胸が、きゅっと縮む。


言葉にしなくても、わかってしまう。

放課後に、二人で寄り道する光景が、当たり前のように積み重なってきたのだということ。


「あー、今日は帰りに寄るところあって」


俊輔は、いつもの穏やかな声でそう答えた。


「えー!そっかぁ…じゃあ今度ね!」


「うん、今度」


その“今度”が、疑いなく約束として成立している響きだった。


陽向は、何も言えないまま、スクールバッグを胸に抱え直す。


(藤崎先輩ニキ……しんど……)


心の中で、そっと呟く。


先輩を誘うなんて。

下校デートなんて。


自分には、雲の上の世界だ。


そう思えば思うほど、胸の奥に影が落ちていく。

陽向は視線を伏せたまま、書記業務の作業を終えると小さな声で「お先に失礼します」と呟き、生徒会室を後にした。


玄関へ続く長い廊下。

夏の日差しが差し込む窓際を、ひとり歩く。


コツ、コツ、と上履きの音だけが響く。


(先輩へのリアコを自覚したからとは言え……やっぱり住んでる世界が違うんだよなぁ。)


そんなことを考えながら歩いていた、その時。


「星野さん」


名前を呼ばれて、はっと振り返る。

そこにいたのは、小走りで廊下を駆けてくる俊輔だった。


「僕、これから図書室に寄るんだけど……星野さんはもう帰る?」


一瞬、言葉の意味が、頭に届かない。


「え……だって先輩、さっき朝比奈副会長に……帰り寄るところあるって……」


「うん。だから図書室」


俊輔は少し笑って、そうあっさり言った。


「……あ……」


思考が、止まる。


寄るところ。

それが、図書室。


それはつまり──


「星野さんは、寄らない?」


穏やかな問いかけ。

胸の奥で、何かが一気に跳ね上がる。


「よ、寄ります!寄ります!!寄るに決まってます!!」


自分でも驚くくらい、勢いよく答えていた。

俊輔は柔らかく笑う。


「良かった。じゃあ一緒に行こうか」


その一言が、胸に落ちた瞬間。


(き、き、き、キターーーーーーー!!!!)


陽向の世界が、一気に色づく。


夏の廊下。

照り返す光。

少し汗ばむ空気。


その全部が、今はただ、眩しくて。


胸いっぱいの高鳴りを抱えたまま、陽向は、俊輔の隣を歩き出した。



────────。



「高校の図書室って、中学と違って夏休み中も解放してるんですねー!」


書架の間を歩きながら、陽向が感心したように言う。

高い天井。

静かに回る換気扇の音。

運動部の声が、ガラス越しに遠く聞こえている


「生徒の部活動や役員活動、夏期講習とかがある日はね。お盆の期間中は閉まってるよ。」


夏休みの図書室は、思っていた以上に静かだった。

授業中とは違う、時間がゆっくり沈んでいくような空気。

本の紙の匂いと、少しひんやりした冷房の風が混ざり合う。


二人は並んで本棚の前に立ち、それぞれ背表紙を追っていく。


「これにしよっと…」


陽向が一冊抜き取る。


「日本人作家?珍しいね」


「たまにはこっち系路線で行こうかなと」


軽い調子の返事。


「じゃあ僕もそうしようかな…」


俊輔はそう呟いて、同じ棚に視線を落とす。


一冊、手に取る。

ぱらり、とページをめくる。

少し考えて、また戻す。


別の本を引き抜き、今度は少し長めに目を走らせる。


その横顔が、やけに真剣で。

伏せられた睫毛の影が、白いページに落ちていて。


そのひとつひとつの仕草や横顔が、あまりにも美しく陽向の瞳に映り、思わずポーッと見惚れてしまう。


睫毛長いなー

肌めっちゃ綺麗過ぎない?

この透き通るような透明感よ

先輩ってワンチャン外国人の血とか入ってるのかな

純血日本人でこの美しさはありえないだろ

メイクしたら女の子に見えるだろうなー

でも背高いし、顔の割には案外肩幅とかガッシリしてるんだよなー

そんなのもはや二次元にしか存在し得ない最強チート過ぎないか

こんなあまりにも神がかってる核兵──


「星野さんは、誰が好き?」


その瞬間、唐突に陽向は問いかけられた。


「藤崎先輩です」


「は?」


考えるより先に、うっかり言葉が口から飛び出していた。


「え?」


キョトンとする陽向。

空気が、ぴたりと止まる。

次の瞬間、俊輔が慌てて言い直した。


「いや…っ作家だよ!日本人作家、誰好き?ってこと!」


陽向はパチパチと瞬きをした直後、ぱっと笑った。


「あぁ!作家ね!あはは…好きな人の話しかと思っちゃった!」


そのあまりにも無邪気な笑顔。

何も疑っていない声。


俊輔の心臓の音が、急に大きくなる。


「えーとそうですねぇ…私のお勧めは──」


その先の言葉が、俊輔の耳に、うまく入ってこない。

何故か、耳まで赤くなる自分に気がついた。


どうして、そんな何でもない事のようにサラッと言うんだろう。

どうして、何事もないかのように普通に会話を続けていくんだろう。


自分だけが、勝手に。

この空気に、勝手に戸惑って。

勝手に、心臓を乱している。



どうしてこの子は。

この胸の高鳴りを……置き去りにしていくんだろう。



陽向は、何も知らないまま、本の話を続けている。

楽しそうに。

いつも通りに。


俊輔は、手にした本を握りしめたまま、そっと息を吐いた。


この高鳴りを。

この動揺を。


陽向だけが、何一つ知らないまま。


静かな夏の図書室で、俊輔の鼓動だけが、ひとり取り残されていた。



────────。



カウンター越しに並んで立つ二人の間には、ほんの腕一本分ほどの距離があった。

けれど図書室の静けさの中では、その距離がやけに近く感じられる。


貸出管理用紙に、順番に名前を書き込む。

ペンが紙を擦る音だけが、やけに大きく響いた。


「星野さんは、このあと…夏休み期間中も図書室来る?」


俊輔は、視線を用紙に落としたまま、何気ない調子で尋ねた。

けれどその問いには、ほんの少しだけ期待が混じっていたことを、本人だけが気づいていない。


「先輩が来るなら来ます。会いたいので」


迷いも、間もなく。

あまりにも自然に、陽向はそう言った。


一瞬、ペン先が止まる。


「……え」


俊輔の喉が、わずかに鳴った。


さらりと。

まるで「晴れたら洗濯します」くらいのテンションで。

“会いたい”という言葉を、何の防御もなく投げてくる。


「えーと……そっかぁ……」


俊輔は誤魔化すように声を伸ばし、ポケットからスマホを取り出した。

スケジュールアプリを開き、指先で画面をなぞる。


胸の奥が、熱を帯びる。

自分でも説明のつかない感覚。


「じゃあ……来週の火曜日かな。夏期講習あるから、そのあと寄るよ」


「え!私来てもいいんですか?」


陽向の声が、ぱっと弾んだ。


「もちろん」


そう答えながら、俊輔は自分の心が少しだけ浮き上がったことに気づく。


夏休み。

学校に人が少なくなる時間。

その中で、彼女に会える日がある。


それが、思った以上に嬉しい。


「やった!夏休み中に役員会議以外で藤崎先輩が拝めるなんて神!高校図書室解放ブラボー!!」


両手をパチンと合わせてからバンザイをして喜ぶ賑やかな陽向を見て、思わず苦笑する。


……本当に、感情が全部出るな。


でも、不思議と嫌じゃない。

むしろ、その無防備さが胸に残る。


「じゃあ、図書室来る日は連絡するよ」


そう言った瞬間。


「え?」


陽向の動きが、ぴたりと止まった。


「連絡……?」


「うん。何がいいかな……インスタ、とか?」


俊輔は軽い調子で言ったつもりだった。

けれど次の瞬間、陽向は目を見開き、勢いよく首を横に振る。


「い、インスタやってないです!!LINEがいいです!!」


声が少し裏返っていることに、本人は気づいていない。

俊輔は一瞬だけ目を瞬かせて、それから、ふっと笑った。


「そっか。じゃあLINEで」


ポケットの中で、スマホを持つ手に、ほんのり力が入る。

連絡先を交換する。

それだけのことなのに。


夏の図書室の静けさが、少しだけ違って見えた。


この夏は、きっと。

思っているより、ずっと長くて、ずっと特別になる。


——そんな予感が、胸の奥に、静かに灯っていた。




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