第12話 君は毎日必ずここに居る
生徒会総選挙の当選者発表が行われた、その日の放課後。
昼休みの教室で起きた歓声と、祝福の嵐と、スピーカー越しに読まれた自分の名前。
その全てがまだ身体の中に残っていて、陽向は落ち着かなかった。
胸の奥が熱い。
なのに、指先は冷たい。
嬉しいのか、怖いのか、分からないまま、心臓だけがずっと忙しい。
それでも陽向の足は、毎日の日課である図書室へ向かっていた。
陽向にとって、そこは逃げ場所であり、呼吸を取り戻す場所であり、そして──
世界の中心が、ひとつだけ存在する場所だった。
陽向が毎日図書室へ行くのに対して、俊輔が図書室へ来るのは毎日ではない。
多くて週三日、少なくて週一日。
そのタイミングも昼休みだったり放課後だったり、まばらで、予測なんて出来ない。
……だけど、今日は会える気がした。
昼休みの当選結果は、当然知っているはずだから。
結果を受けて、きっと先輩は自分へ会いにやってくる。
そう思った瞬間、胸の奥に根拠のない確信が、すっと灯った。
どうしてそう思うのかは分からない。
でも、分からないのに、強く信じてしまう。
それが今の陽向だった。
────────。
放課後の図書室は、いつもと変わらず静まり返っていた。
陽向は席に座り、読書をしながらその時を待った。
来るかもしれない。
来ないかもしれない。
その“かもしれない”が怖いくせに、胸は勝手に期待を膨らませていく。
そして──
ガラッ
扉が開かれた音に陽向は反射で顔を上げた。
視界の先に立つ影を見た瞬間、胸の奥がパンッと弾ける。
「…君は……毎日必ずここに居るんだね」
優しい笑顔に、キュンとした。
いつもの陽向なら、いつ来るか来ないかわからない日々の中で、突然現れる俊輔に毎回焦っていた。
心臓が跳ねて、喉が閉じて、視界が狭くなって、椅子の脚がやたらと鳴って。
でも今日は違う。
とっくに心の準備は出来ていた。
いや、正確に言えば、“会える気がする”という確信が、陽向を支えてくれていた。
「…………。」
陽向は落ち着いて、俊輔に会釈を返した。
そして俊輔は、図書室の入口で立ち止まったまま、柔らかい声を落とした。
「今日は、星野さんに祝辞を伝えに来たんだ。少しだけ“近づいて”もいいかな?」
ドキーーーーーンッッッ
……待て待て待て。
それはちょっと、一旦待てるかな。
予想もしなかった俊輔の言葉に、陽向の心拍数は一気に上昇した。
胸の中で警報が鳴る。
思考が追いつく前に、身体が反応する。
ガタガタッ
そしていつものように、騒がしく椅子の音を響かせて慌ただしく立ち上がった。
違うの、今日は落ち着く予定だったの。
心の準備、出来てたはずなの。
でも近づくって言われたら、話が別なの。
パンパンッ
スー!ハー!スー!ハー!
両手の平で自らの量頬を叩き、腕を広げ降ろしてラジオ体操のように深呼吸をした。
自分の体に、落ち着けと命令するみたいに。
逃げたい本能を押さえ込むみたいに。
「ど…どうぞ!」
俊輔は必死で笑いを堪えながら、図書室へ足を踏み入れた。
一歩一歩、陽向に近づいていく。
その足音が、やけに大きく聞こえる。
床を踏むたび、陽向の心臓も同じリズムで跳ねる。
距離が縮むほど、空気が薄くなる。
無理無理無理無理。
ここは図書室だよね?
静かに本読む場所だよね?
なんで私は今、命の危機みたいになってるの!!
「ストーーーップ!!!!」
叫んでいた。
「……っ!」
俊輔が、陽向から三メートル程の距離まで歩みを進めた瞬間、陽向の手のひらがビシッと向けられ動きが静止された。
「…それ以上は……ちょっと厳しいんで、そんくらいでお願いします………」
言いながら、陽向は息を飲む。
この距離でさえ、心臓が破裂しそうなのに。
それ以上なんて、無理だ。
俊輔の表情が、一瞬だけ固まって──
次の瞬間、口元がふっと崩れる。
「……っぷ……くく……」
まさか静止されるとは思ってもいなかった俊輔は、握った拳の横を口元に当てながら堪えきれないように微かな笑いを零れさせた。
その笑い声が、図書室の空気を柔らかく揺らす。
陽向の胸は、恥ずかしさでぎゅっと縮みながら、同時にどこか安心してしまう。
はぁ──
俊輔は、一度大きく溜め息をついて呼吸を整えると、いつもの穏やかな表情で言った。
「生徒会役員、当選おめでとう。これからは“図書室友達”だけじゃなく、“生徒会役員仲間”として、よろしくね。」
ズドギューーーンッッッ!!!
いつものように安定に撃ち抜かれた陽向。
“図書室友達”て。
“生徒会役員仲間”て。
こんな尊い神様に、そんな、まるでいかにも対等みたいな言葉を言われたら、恐れ多くて申し訳なくてこれから先の人生、生きていけません。
胸の奥が、じんと熱くなる。
嬉しいのに、怖い。
近い言葉ほど、眩しすぎて、息が止まる。
「…あ…りが……と、とう…ご…ご……」
喉が詰まる。
言葉が崩れる。
でも、言わなきゃいけない。
それだけは分かっていて、必死に形にする。
緊張を隠せない陽向の様子に、俊輔はフッと優しく微笑んだ。
「生徒会の役員活動で、いつもみたいに逃げられたら困っちゃうから、6月の最初の役員会議までにもう少し僕に慣れてくれると嬉しいな。」
その優しい笑顔、本当に困るんです。
核兵器なんです。
陽向は笑いたいのに、笑えない。
息を吸うだけで精一杯。
けれど、“困る”の裏にあるのが、責める気持ちじゃなくて、ちゃんと気遣いだと分かるから、余計に胸が苦しい。
生徒会役員になるからには、先輩の言う通り役員活動途中で逃げ出したり、パニック発作を起こしてる場合では無い。
「……鍛錬………します………」
自分でも、なんでそんな単語が出たのか分からない。
でも、今の陽向にとっては、それがいちばん真面目で、いちばん誠実な返事だった。
「あはは、鍛錬って…まるで修行みたいだね」
あぁ…
キラキラ笑顔核爆弾が容赦なく攻撃してくる。
陽向はもう、顔の熱を隠せない。
頬が燃える。
耳まで熱い。
このまま溶けそうだ。
「星野さんが早く慣れてくれるように、次の役員会議までに、僕もなるべく来れる時は図書室に頻繁に顔出すようにするね。」
ズドギューーーンッッッ!!! ※本日2回目
陽向はもう瀕死状態だった。
頭の中では再び小人達の大戦争がくり広げられる。
陽向はスッと片手を上げた。
まるで試合のタイムを要求するみたいに。
「先輩…ギブですっ……先輩の尊さに食らい続けて…ちょ…もう光量が強すぎて眩しくて限界です…逃げたいんですけど……き…今日のところは……この辺で勘弁して貰ってもいいですか……」
言い方も、内容も、全部めちゃくちゃなのに。
陽向の中では、それが唯一の“生存ルート”だった。
一瞬の静寂。
俊輔の目が、ゆっくり瞬く。
そして、次の瞬間──
「……っあははは──!」
俊輔の弾けるような爆笑の声が図書室に響いた。
こんな風に声を上げて笑う俊輔を、陽向はまだ見慣れる事が出来ずにいる。
そのレアすぎる光景に、胸がぎゅっと掴まれて、さらに息が苦しくなる。
「…あー…堪えようと思ったけど無理だったなぁ〜…女の子に逃げたいなんて言われたの初めてだよ〜」
俊輔はまだ笑いが止まらない様子で涙を拭いながら言った。
陽向は、顔から火が出る程真っ赤だった。
恥ずかしい。
死にたい。
今すぐここを立ち去りたい。
「いいよ、行って。ごめんね引き止めちゃって。貸し出し管理用紙はもう書いたの?」
その声は、笑いを含んでいても、優しさが崩れない。
陽向の喉の奥が、きゅっと鳴る。
「来て最初に書きましたっっっ……失礼します!!!」
陽向はドビューーンといつものように嵐の如く去っていった。
扉が閉まる音が遠ざかっていくと、図書室にはまた静けさが戻る。
でもその静けさは、さっきまでの静けさとは違った。
笑いの余韻が、空気の中に薄く残っている。
「…本当に……また意表つかれちゃったなぁ〜…」
笑を含んだまま、言葉を零す俊輔。
俊輔は、窓際の席へ戻りながら、自分でも知らない間に口元が緩んでいることに気づく。
面白い、だけじゃない。
可愛い、だけでもない。
昔から、女の子に囲まれる事や追われる事ばかりだった。
自分に近づきたいと言う目。
振り向いてほしいと言う声。
距離を詰めれば、嬉しそうに笑う子たち。
女の子って積極的な生き物なんだと思ってた。
こんなふうに、避けられて、逃げられて、こちらが近づこうとすると必死で離れていく女の子は、今まで出会った事がない。
その“必死さ”が、なぜか、胸の奥に静かに残る。
刺さったまま、抜けない。
俊輔は、そっと息を吐いた。
そして、ページを開きながらも──
もう一度、さっき扉の向こうへ消えていった背中を、頭の中で思い出してしまうのだった。
そして、次の日。
陽向は、臆病な気持ちを胸の奥に押し込めながら、図書室へ向かっていた。
昨日の出来事が、まだ体の内側に残っている。
来るかもしれない。
来ないかもしれない。
……でも、来る気がした。
それが希望なのか、覚悟なのか、自分でも分からないまま、陽向の手は、いつもより少しだけ重く扉に触れた。
ガラッ。
扉を開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは──
いつもの席。
いつもの窓際。
そして、まるで最初からそこに居るのが当然みたいに、こちらを見つめていた俊輔の姿だった。
「待ってたよ。大丈夫そうであれば…良かったらどうぞ。」
(ギャーーーーー!!!!“待ってたよ”!!??”)
穏やかな声。
耳を疑うような台詞。
俊輔は、自分の席のテーブルを挟んで向かい側、正面の席を、手のひらで指し示した。
──そう………来たか。
心臓が一気に臨戦態勢へ切り替わる。
陽向は背筋を正し、内側で気合いを入れる。
これは修行だ。
生徒会役員たるもの、ここで怖気づいてはならない。
高鳴る鼓動を必死で抑え込みながら、俊輔の指し示す窓際のテーブルへと歩みを進める。
床を踏むたび、音がやけに大きく感じる。
距離が縮むほど、空気が薄くなる。
ふぅ──。
大きく深呼吸をひとつ。
よしっ、と気合いを入れて、俊輔を視界に入れないようにして、正面の席に腰を下ろした。
「心、頭、滅、却!」
胸の前で両手を合わせ、
自分に言い聞かせるように放ったその言葉。
「…ぶ…っ」
俊輔の喉が、不意に鳴った。
「心の声出てるよ?笑」
「はっ!!!」
自分の失態に気づいた瞬間、陽向の血の気が一気に引く。
「星野さんて、心の声隠せないタイプだよね」
「すいませんすいません!!本当に申し訳ありません!!」
勢いで頭を下げると、前髪が揺れた。
「いや、いいよ。面白いから。そーゆう子、信頼出来るしね」
その一言が、胸の奥に、静かに落ちる。
そんな評価を、こんな近距離で、この神様から受け取るなんて。
「………〜〜〜〜っっっ」
陽向は耐えきれず、逃げるようにスクールバッグから本を取り出し、勢いよく開いた。
紙の匂い。
インクの色。
視線を文字に落とすことで、ようやく呼吸を取り戻す。
「そー言えば星野さんって、外国人作家が好きなの?」
「……えっ…!?…あ…あ、はい?」
不意に投げられた問いに、肩が小さく跳ねる。
「貸し出し管理用紙見ると、外国人作家の本が多いなーって思ってて」
見られてた。
自分がどんな本を借りているか。
どんな世界を選んでいるか。
胸の奥が、むず痒くて、落ち着かない。
「あー…そう…ですね…まぁ…日本人作家も普通に読みます…けど……」
「僕、外国人作家だと、ノア・ウィンチェスター、ベンジャミン・ローウェル、あとエヴァン・ミラーあたりが好きなんだけど、読んだ事ある?」
「ベンジャミン・ローウェル!?『星に触れるまでの距離』大好きですよっ!!!」
一瞬で、陽向のスイッチが切り替わった。
緊張も、距離も、全部置き去りにして、言葉が、感情が、先に飛び出す。
「本当?いいよね、主人公がさ、星に触れないって分かってるのに、それでも観測をやめないところなんか。」
「そーなんですよっ!!普通、ああいうファンタジーって“いつか触れる”前提じゃないですか!?でもこの作品、最初から世界観のルールとして”星には触れられない”って明言されてるのが最高で!!」
気づけば、身振り手振りを交え、言葉はまくしたてるように止まらなくなっていた。
つい早口になってしまうのも、いつもの事だった。
「星に近づくほど身体が壊れていく設定もえげつないし、観測塔の高度が上がるたびに、視力が落ちたり、手が震えたり、最終的には自分の名前すら曖昧になるじゃないですか!?それなのに主人公、“触れられないなら、距離を測り続ければいい”って発想に切り替えるの、あれ天才すぎません!?諦めじゃなくて、再定義なんですよ!!」
言葉に熱が宿る。
瞳が、キラキラと輝く。
まるでひとり劇場をくり広げているかのように、表情をくるくると変えてマシンガントークが止まらない。
「しかも観測理由が、“星の正体を解き明かしたい”とか“世界を救いたい”じゃなくて、ただ『この光を、好きだって言える自分でいたい』なのがもう……あぁ…無理…エモい…尊いーっ!!!」
はっっっっっ!!!!!!
「………………。」
またやってしまった。
「……くく…っぷ………」
俊輔の肩が震えているのが視界に入った瞬間、爆語りをピタッと止めたが既に遅かった。
「あははは…!」
俊輔は、また子供みたいに笑った。
「…は〜ごめんごめん…笑うところじゃないよね!いやー百面相見てるのかと思ったよ!」
カァァァッッッと一気に、熱が顔へ集まる。
無理。
耐えられない。
ガシッ。
スクールバッグを掴んだ瞬間、陽向の身体はもう逃走ルートを選んでいた。
そのまま、勢いよく図書室を飛び出す。
扉が閉まる音が、静けさの中に吸い込まれていく。
「…あーあ。また逃げちゃった。」
俊輔は、図書室の時計に視線を移した。
秒針が、静かに進んでいる。
「10分か…初回にしては頑張ったんじゃないかな」
そう呟いた声は、どこか楽しそうで、そしてほんの少しだけ、優しかった。




