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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─  作者: 波方 真季


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第1話 最下位カースト


今までずっと漠然と

世界は完成されたものだと思ってた。


教室も。

帰り道も。

窓から見える空の色も。

そこに存在する人たちも。


自分はずっと自分のままで。

周りもずっと周りのままで。

これから先も同じ季節が巡り

関係も、役割も、立ち位置も

ずっとこのまま大人になっていくと思ってた。


そんなモノクロの日常の中で


興味のなかった世界が

急に眩しく見え始めた瞬間。


触れてはいけないと思っていた場所。

目を逸らしていた感情。

存在しないことにしていた想い。


静かに、確かに

胸の奥で動き出した瞬間。


硬く閉じていた蕾が

自分でも気づかないうちに柔らかく膨らんで


気づけば

色を持ち

香りを持ち

やがて花をつけて鮮やかに咲き乱れ



季節は彩りに満ち溢れた。



変わるはずがないと思っていた自分が、変われるという事。


選ばないと思っていた未来を、選んでしまうという事。


見ないふりをしていた存在を、手放したくなくなるという事。



それはもう

次の、新しい季節が訪れるという事。



それが





恋の力。








セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─








午後の光が差し込むリビングで、湯呑みから立ちのぼる湯気がゆらりと揺れていた。

母親がふたり、向かい合って茶をしばいている。


世間話と、子どもたちの進路の話。

変わり映えのしない、いつもの時間。


──ピンポーン。


インターホンの音に、腰を上げた一人の母が何気なくモニターを見る。


「あ、さくだ」


そう言って、玄関へと向かった。


玄関のドアが開くと同時に「お邪魔しまーす」と声が響き、廊下を進む足音がする。


「母ちゃーん。友達とカラオケ行くから金ちょーだい」


現れたのは隣家の息子、朔也さくやだった。

制服姿のまま、遠慮もなく言う。


「あんた、推薦取れたとはいえ一応受験生なんだから、ちゃんと勉強しなさいよ」


「してるって。模試も志望校S判定だし、もう余裕なの」


「あっそ。…で、いくら?」


「1000円」


呆れたように財布を出す母の背後で、突然二階から騒がしい物音が響いた。


ドタバタ、ドタバタ。


「塾ー!!寝過ごしたー!!もーママなんで起こしてくれないのー!!あと10分で授業始まっちゃうじゃん!!」


階段を駆け下りてきたのは陽向ひなただった。

髪は跳ね、顔は半分まだ夢の中のまま。


自宅に来ていた隣家の親子に気づいて手を振る。


「あ、美紗みさちゃんと朔也!」


陽向の母親はすぐに陽向を会話に戻した。


「え?今日塾?」


「そうだよー!この前授業の日、間違えて飛ばしちゃった日の振替え!!」


「そんなの知らないわよ。だいたい、こんな夕方に昼寝してるのがおかしいでしょ」


「塾の課題どこー!」


「昨日リビングに出しっぱなしだったから、私が片したわよ…ほら、ここ」


母はテーブルにプリントの束を置いた。


「塾の鞄がないー!鞄鞄鞄ー!!!」


「呼んでも鞄は出てこないでしょー」


バタバタとリビングを飛び出し、すぐに戻る。


「あったー!行ってきます!」


玄関のドアが勢いよく閉まる音。

──かと思えば、また慌ただしい足音が戻ってくる。


「ママ!私のチャリの鍵知らない!?」


「いい加減にしなさい!知るわけないでしょ!」


「じゃあママのチャリ貸して!」


「あんたが昨日事故ってパンクさせたでしょうが!」


「あ、そっか!もういい!走る!!」


陽向はそう叫んで、再び玄関を飛び出した。


残されたリビングに、静寂が戻る。


「……ふふ。ひなは相変わらず賑やかね」


堪えきれないように、朔也の母、美紗が笑った。


「あっ……ひな!塾の課題ー!」


テーブルに置きっぱなしのプリントに気づき、陽向の母は慌てて玄関を出る。

けれど、すぐに戻ってきた。


「……もういなかったわ。全く、なんでひなはいつもこうなの〜」


呆れた声に、美紗はふっと息を吐き、隣に立つ息子を見た。


「朔。あんた今から駅前行くんでしょ?自転車なんだから、追いかけて渡してあげなさいよ」


「は?なんで俺が!」


「どうせ同じ方向なんだから、いいでしょ?」


「ちっ…ざけんなよ、あいつ」


悪態をつきながらも、朔也は無言で課題を掴み、玄関を出た。

自転車に跨り、夕暮れの道へ漕ぎ出す。


──あの慌ただしい背中を、追いかけるために。








駅へ向かう一本道を、陽向は必死に息を切らしながら走っていた。

肺の奥が熱く、足はもう言うことをきかない。


その時。


キィッ──と、鋭いブレーキ音が響いた。


横を追い抜いた自転車が急停止し、振り返る。


「バカ!!ほら、課題!!」


「わー!!神なの!?」


差し出されたプリントをひったくるように受け取り、陽向は慌てて鞄に突っ込んだ。


「あー最悪…授業遅刻、3連チャンだわ」


そうぼやきながら、また走り出す。


──が。


再び、朔也の自転車が追い抜きざまに止まった。


「……ったく……後ろ乗れよ」


「え!? …でも……」


「信号までな!学校のやつに見られたら詰むから、そっからは歩け」


「まじで神っっ!!」


迷う間もなく、陽向は後ろに飛び乗った。


自転車が再び走り出す。

夕方の風が、頬を撫でる。


「…お前さ、学校であんだけ静かにできんだから家でも少しは落ち着けよ」


「私は虚無の戦術の使い手だからな!」


「俺にもその戦術使えよ」


「なんでわざわざ朔也に?戦術エネルギーには限りがあるのっ!」


間髪入れず、陽向の声は加速する。


「あ、虚無の戦術といえばさ、“戦術大戦”が映画化するんだってー!大スクリーンでレオ様拝めるとか死亡案件すぎない?もう楽しみすぎてエグいー!てか駅前に新しい映画館できるよね?トゥエンティワンとか入るらしいよ!あ、トゥエンティワンさ、ダブル頼むとトリプルにできるやつ今やってるよね!?あれいつまでだっけ!? 限定フレーバーでさ──」


「はい、信号だから降りて」


陽向のマシンガントークを切り裂くように、朔也の声が遮った。


「わー!! 朔也ありがとうー!!」


勢いよく飛び降り、再び走り出そうとしたその背中を。


「あ……っ!」


朔也が呼び止めた。


一瞬の間。


「……月曜日………柴田達が、罰ゲームでお前に告るとか言ってるから……間に受けんなよ」


陽向は一瞬きょとんとして。

すぐに、いつもの調子で言った。




「…………土日で忘れちゃうから、それまた月曜日の朝に言ってくれる?」




コテッと朔也の首の角度が曲がる。

そして陽向は慌ただしく、またすぐ表情を変える。


「あ! 時間ヤバい!!」


そう言い残して、陽向は賑やかに、騒がしく走り去っていった。


夕暮れの道に残るのは、遠ざかる足音と、自転車の影だけ。

朔也は小さく溜め息をついた後、すぐに自転車を漕ぎ出した。






星野陽向ほしのひなた黒川朔也くろかわさくやは自宅が隣同士に位置する幼なじみ。

物心つく前から同じ場所で育ち、同じ学校に通う中学三年生。


互いの存在が、居るのが当たり前になるほど、長い時間を共有してきた間柄だ。


陽向は昔から落ち着きがなく、思ったことをそのまま口にし、身体が先に動く子だった。

集中したかと思えば突然意識が逸れ、静かにしていなければならない場面ほど、じっとしていられない。



『先天性ADHD(注意欠陥・多動性障害)』



生まれつき脳の前頭葉の働きに特性があり、集中力の持続や行動抑制、感情コントロールが難しくなる発達障害。

本人の努力や性格の問題ではなく、「不注意」「多動性」「衝動性」といった形で日常生活に現れる。


朔也は幼い頃から陽向と関わりがあったので、陽向のADHD特性を当たり前のものと認識している。


騒がしいのも、落ち着かないのも、話が飛ぶのも、うっかりや物忘れが多いのも、すべて「陽向はそういうやつだ」という認識の中に自然と収まっている。


小学校に入学すると、陽向はその特性から授業中に立ち歩いてしまったり、空気を読まずに発言してしまったりすることが多かった。


クラスメイトたちが次第に落ち着き、忘れ物や私物の管理に慣れていく中でも、陽向だけは二年生になってもそれが出来るようにならず、未就学児のような振る舞いのままだった。


そのため、陽向は三年生に上がると同時に通常の学級に在籍しながら、一部の時間だけ校内の“特別支援教室”に通うようになる。

学習や生活の中でつまずきやすい部分を少しでも軽くするための、個別、あるいは小集団での指導だった。


ニ年生の時期に、隣家である二人の家では、発達検査や特別支援教室手続きの過程で母親同士が自宅でその話題を交わすことも多く、朔也はそれを日常の一部として聞いて育ってきた。






陽向を追いかけて、朔也が出て行った後のリビングには、さっきまでの慌ただしさが嘘のように静けさが戻っていた。


湯呑みに注ぎ足されたお茶から、また細く湯気が立ちのぼる。


「……そういえば」


ぽつりと切り出したのは、陽向の母、早苗さなえだった。


「朔は高校の推薦、どこ取れたの?」


一瞬だけ間を置いてから、朔也の母、美紗が答える。


「聖陵国際だよ」


「え……」


早苗は目を見開いた。


「聖陵国際!?ひなの志望校と同じだわ……」


「え、ひなも!?」


声が重なり、互いに顔を見合わせる。


「でも…どうしてそこに?朔なら全教科満遍なく成績いいし、もっと上の高校狙えるでしょう?」


「将来、外資系に進みたいらしいのよ。それに、受験勉強に追われたくないから、聖陵なら倍率もそこそこだし、安牌だって。場所も通いやすいしね。」


少し言い淀んでから、問い返す。


「…ひなは?英語得意だったっけ?」


「いや、苦手だったんだけどね」


苦笑しながら、早苗は続けた。


「なんか、あの子…好きなファンタジー小説の続編が出るって大騒ぎしたと思ったら、和訳版はかなり先だって分かって。どうしても早く読みたくて、英語のオリジナル版をネットで買って、アプリで必死で翻訳して読んでたのよ」


「……想像つくわ」


「でしょ?そこから英語のニュアンスの違いにハマっちゃって。気づいたら英語の本ばっかり読むようになって、中3で英語の内申が……爆発的に上がったの」


「さすがひなね。好きなことへの熱量、ほんと桁外れ」


美紗は思わず笑った。

早苗はそのまま続ける。


「国語と英語はズバ抜けていいのに……それ以外はてんでダメ。聖陵国際は公立なのに国・英・数の3教科受験でしょ?陽向に5教科は…マルチタスクすぎて、とても無理」


「ひな、数学は大丈夫なの?」


「ううん。小学生の算数レベル」


早苗は困ったように言い切ってから、少しだけ声を落とす。


「だから今、都立の過去問使って個別塾で数学だけ試験対策特化。コマ数、限界まで詰め込んでる……入試までにどこまでやれるか…」


湯呑みを指先で回しながら、美紗は答えた。


「まぁ国語と英語で相当点が取れれば、数学が赤点でも…いけるんじゃない?倍率次第だけど」


少しの沈黙。


「それに……」


言葉を選ぶように、早苗ゆっくりと続ける。


「ひなの高校選びは“通級指導”の支援制度があることが絶対条件だから…しかもあの子、電車の乗り換えもろくに出来ないだろうし…路線も一本でってなると、おのずと行ける高校限られちゃうのよね。」


美紗は、そっと視線を落とした。


「……そっか」


「特性と、高校の条件を踏まえると……聖陵国際一択。一応、私立も滑り止めで受けさせるけど…うちはシングルだし、私立行かれたら正直厳しい」


湯呑みの底に残ったお茶が、かすかに揺れた。


「だから…ひなには、何が何でも公立に行ってもらわなきゃ」


その言葉は、決意というより、母親としての祈りに近かった。






カラオケボックスの中は、やけに騒がしかった。

照明は無駄に派手で、歌ってもいない曲のイントロだけが延々と流れている。


「てかさー修学旅行の班に星野陽向いるのまじ最悪なんだけど」


「それなー、あいつさえ居なければまじ神メンツなのにガチめにオワコン」


「いつもマスクしてるけど寝る時までマスクすんのかな?」


「きゃははは!ブス過ぎてマスク外せないだろー」


笑い声が、部屋の空気を軽く、雑に汚していく。

誰も本気じゃない顔で、本気じゃない言葉を投げているふりをしている。


朔也は、ソファに深く腰を沈めたまま、グラスを回した。


ふと、さっきここへ来るまでの道が脳裏をよぎる。

二人乗りした自転車の後ろで、妙に得意げに言っていた声。


──虚無の戦術の使い手だからな!


意味不明で、自分ワールドで、相変わらずズレてる。


(……虚無の戦術エネルギー、あいつ2泊3日いけんのか?)


「フッ……」


思わず、鼻で笑ってしまった。


「あー朔也笑ったー!朔也もウケるよねーあのブス」


振られる同意。

求められているリアクション。


朔也は顔を上げ、特に考えもせず口を開く。


「あぁ、そうだな。ウケるわ」


自分でも驚くほど、感情は乗っていなかった。

肯定でも否定でもなく、ただ、その場をやり過ごすための一言。


女子たちは満足そうにまた笑い声を上げる。

次に男子が会話を続けた。


「てか柴田、マジで月曜星野陽向に告んの?」


「うわ、そうだったー!最悪ー!」


「まさかのOKだったら爆笑だろ」


「そしたらお前、付き合えよ」


「無理無理無理無理!死んでも無理!」


笑い声が弾ける。

男子も女子も交えて、軽く、雑で、いつも通りの空気。


しかし次の柴田の言葉が、朔也の耳に落ちた瞬間──




「あんな障害者。」




胸の奥で、水に石を落としたみたいに、静かな波紋が広がった。


音はしない。

表情も変わらない。


その一言は、怒号でもなければ、悪意を誇示するものでもなかった。

ただ、雑談の流れの中で、当たり前の単語みたいに投げられただけだった。


朔也自身、なぜ今、それが耳に残ったのか分からなかった。


(……別に)


そう思おうとして、思い切れなかっただけだ。


「今からさ、男子それぞれ自信ある曲歌って、一番点数低かったやつ、罰ゲーム代われよ」


「は?お前、自分がマリカーで負けたんだから、それは無しだろ!」


笑い声がまた重なる。

話題はすぐに切り替わる。


クラスでは、星野陽向はいつもそういう存在だった。

誰かが言い出して、皆が乗っかって、深く考えられることもなく、ネタとして消費される。

朔也は、それに加わる理由も、止める理由も、持っていなかった。


ただ、胸の奥に広がった波紋だけが、消えきらないまま、静かに揺れていた。







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