だって、あなたを好きだった私はもういないから
「エイダ、婚約を解消してくれないか」
レストランの個室で、オスカーは下を向きながら言う。
彼としては、勇気を振り絞った行為だったのかもしれない。
オスカーがそう言いだす事は半ばはわかっていた。
だが私の二十歳の誕生日にする話ではないだろう。
「理由を聞いていい?」
「僕はマリアンを愛してしまったんだ。彼女と結婚するんだ。君には申し訳ないと思っている」
マリアンというのは、とある男爵令嬢だった。
彼女とオスカーがかねてから親しくしているのは知っていた。
私はそれとなく、苦言を呈してきた。
だがそのたびにオスカーは、単なる友達だとか、そんな事で嫉妬するなんて心が狭いと反論してきた。
マリアンの実家は有名な商会を経営しており、オスカーはそこへ婿として迎え入れられるのだという。
彼女は十八歳で、小柄でブルネットの髪、華やかな服装の可愛らしい人だった。
私と違って。
「そう。それがあなたの望みなのね」
「いや、なんと言っていいか……その……君には申し訳ないと思っている。でもマリアンは僕がいないと駄目なんだ。僕だって正直どうしていいか……」
彼はいつもこうだ。
優しいけど何も一人で決められない。
事情を知れば、オスカーの家柄に目がくらんだマリアンにたぶらかされたと、百人が百人言うだろう。
その後もオスカーは、君は僕がいなくても大丈夫だとか、君のためだとか、色々理屈を述べ立てる。
その実、相手の顔色をうかがって、自分が責任をとりたくないだけだ。
「それで、おじさまとおばさまには話はしたの?貴族の結婚は、当人同士の合意だけじゃない。家同士の結びつきですからね」
「父と母なら理解してくれる。理解してくれるように頑張るよ」
「……わかったわ。では、彼女とお幸せにね」
彼の両親の事は何とかなると思っているのだろう。
いつもながら勝手な人だ。
私は彼に背を向けて立ち去る。
恨み事も泣き言も言わない。
だってかつての私はあなたが好きだったから。
私とオスカーは幼なじみだった。
私はスチュアート伯爵家の長女であり、彼はアースキン伯爵家の次男で、同い年だった。
両家は仲が良く、幼い頃から一緒に遊んだ。
家柄が釣り合っていたこともあり、ごく自然に婚約の流れになった。
オスカーは小さい頃から優しい人だった。
悪く言えば、気弱で優柔不断で流されやすい性格だった。
でも私はそんな彼の優しさが好きだった。
私の誕生日に、東の山に咲く高山スミレをプレゼントしてくれ、感動した覚えがある。
ただそれも、使用人にとってこさせたと、あとからわかった。
成長するにつれ、彼の干渉は激しくなった。
男友達といることに文句を言い、服装が派手すぎると難色を示す。
私は彼の言葉通り女友達とだけ付き合い、髪を黒く染め、目立たぬ地味な服装にした。
だが彼はいつも多くの女友達に囲まれていた。
私との約束よりも、彼女たちとの約束を優先することもあった。
私はそういう行為は傷つくのでやめてほしいと言った。
「そんな事で嫉妬するなんて心が狭いよ」
オスカーは眉をしかめて不快そうな表情をする。
彼の周りにいるのは、単に彼の家柄目当ての女だけだった。
彼にはそれがわからないのだろうか?
私はさりげなく、時に冗談に紛らせながら、彼に忠告した。
女友達の件だけではない。
挨拶、服装、時間にルーズな事。
私だってそんな事は言いたくはなかった。
でもいつか彼もわかってくれるだろうと、わずかな希望にすがっていた。
だがとうとうそんな事など起こらず、今日の事態になったわけだ。
私は家に帰ると、父と母に婚約破棄について報告する。
彼からの申し出を私が了承したと言った。
「そんな一方的な!」
父と母は怒り心頭だった。
「もういいのよ、お父さん、お母さん」
父は相手の家に怒鳴り込む勢いだった。
それを私と母が一生懸命なだめる。
だが翌日、オスカーの両親が私の家を訪ねてきた。
ただひたすら平謝りだった。
「あいつは勘当しました。あんなやつは、うちの息子じゃない」
彼はどうするつもりだったのだろう?
両親を説得できると思っていたのだろうか?
だがそんなのは、もはやどうでもいい。
私にはやることがあった。
私は鏡に向かい、髪の毛の染料を落とす。
あらわれたのは、あざやかな金色の髪。
これが私本来の髪だ。
幼い頃は、オスカーも綺麗だと言ってくれていた。
私の金色の髪も、スミレ色の瞳も。
翌日私は職場の王立魔道具研究所にいつも通り出勤した。
「おはようございます」
職員の視線が一斉に私に集中する。
「あ、あの……エイダ……さん?」
「はい。今日もよろしくお願いします」
今日の私はシックなグリーンのパンツにイエローのジャケット。
金髪はハーフアップにまとめていた。
特に派手でもないが、この程度の恰好ですら、今までの私からすれば驚きなのだろう。
就業時間が終わり、私は上司のマクシミリアンに報告する。
黒髪に茶色の瞳、穏やかな貴公子的風貌で、二十五歳の男性だ。
私は元々は結婚したら退職する予定だった。
「ずっとここで働きたいと?」
「はい、もし可能ならば。婚約が破談になりましたので」
「……そうか。ずっとこちらが引き留めていた事だしな。願ってもないことだ。上には報告しておく」
彼は詳しい事は聞かずにそれだけ言った。
私は他の人間には何も言わなかった。
マクシミリアンが言いふらしたとは思わないが、こういう事はどこかから広まるものである。
「ねぇ、聞いたよ。大変だったねぇ」
私の婚約破棄は、その週のうちには、職場の全員が知る事となった。
当然ながら、みんなは私に同情し、オスカーは非難の嵐にあう。
彼や彼女たちの心遣いは、いくぶんかは慰めになった。
だが正直私は早く忘れたかった。
あれ以降、何も言ってこなかったのはマクシミリアンくらいだった。
それ以降職場の男の視線が増えた。
食事に誘われるようにもなった。
全て断ったけれども。
私はそれからひたすら仕事にうちこんだ。
そして、新型の魔導灯の改良プロジェクトに参加する事になった。
従来型よりも魔石から魔力を効率的に引き出さねばならない。
「この計画は国王陛下の肝いりでな。責任者はマクシミリアン、補佐としてエイダだ」
私たちは新プロジェクトに一生懸命取り組んだ。
マクシミリアンと一緒にいる時間が増えるにつれ、徐々に彼の良い所に気づいていった。
どんな時も決して怒りを見せず、穏やかに説得し、無用に部下の過失を責め立てることはない。
だが仕事や製品をよりよくするためなら、時には上司とも対立する。
プロジェクトは成功し、私たちはいつの間にか惹かれ合い、そうして私は彼と結婚した。
彼は侯爵家の三男だった。
結婚に際しては何の障害もなかった。
私の両親は大喜びだった。
「息子をお願いしますね」
彼の両親はマクシミリアンによく似た、穏やかな中年の美男美女だった。
私たちは新居をかまえ、新しい生活を始めた。
正直に言えば、マクシミリアンに対して燃え上がる恋心もなければ、一緒にいてドラマチックな出来事も起こる事は無い。
ただ、一日一日と彼に対する愛おしさが募る。
こんな穏やかな日々が自分にやってくるとは思わなかった。
地味な服装をしろとも言われない。
誰と何処へ行っていたのだと詮索もされない。
「だって自分の奥さんが綺麗にしていてくれたら、誰だって嬉しいだろう?」
マクシミリアンは優しい笑顔で微笑む。
彼と一緒にいると、私は自分が自分でいられる。
そんなものなのだろうか?
私はオスカーしか知らない。
あの人と一緒にいて、心穏やかになった記憶はなかった。
多分ずっと前からオスカーの事は好きではなかったのかもしれない。
そんなある日手紙が来た。
オスカーからだ。
私に会いたいという。
私はマクシミリアンに手紙を見せた。
「幼馴染なの。とても困っているらしいの。どうしても会って話したい事があるって」
「そうか。積もる話もあるだろう。ゆっくりと会っておいで」
「あの……あなたも一緒に」
「そんな必要はないよ」
彼はそう言って微笑んだ。
私を信じているからとすら言わない。
彼はそういう人だった。
そして私はオスカーに指定されたカフェへと向かった。
「久しぶりね、オスカー」
「ああ……君は元気そうだね、エイダ」
オスカーはすっかりやつれていた。
「それで、どうしてうちの家がわかったの?」
「人づてに何とか……実家も出入り禁止で、君の家に聞いてもおしえてくれなくて……でも……」
そう言って彼は弱々しく笑みを浮かべる。
しばらく沈黙の時間が流れた。
その間オスカーはすがるような目で私を見る。
私が事情を察して先に口を開くのを待っている目だ。
「その……マリアンの家の事業が……うまくいかなくて。いくらかでも援助してもらえたら」
私の沈黙に耐えかねたのか、オスカーが話し始める。
この人は何で私にそんな事を言うのだろう?
「そう。それは大変ね」
「僕は馬鹿だった。マリアンは派手好きで、この頃お酒に溺れるようにもなって、しょっちゅう喧嘩ばかりなんだ。今更僕とよりを戻してくれなんて言わない。でも……でも……」
なぜ私にそんなことを。
今まで自分がした事を忘れているのだろうか?
確かにかつての私はこの人を好きだったのかもしれないけれど。
「エイダ、僕と君は幼馴染じゃないか。助けてくれてもいいだろう」
「私が今日来たのは確かめたかったからなの」
私の言葉にオスカーの顔にわずかな希望の光がともる。
この人はずっと変わらない。
自分のやってきた事はとっくの昔に忘却の彼方なのだろう。
そして誰かが何とかしてくれると思っている。
私は彼にずっと忠告してきた。
たとえ嫌われても、いつかは心を入れ替えてくれると思って。
幼い頃からずっと。
だが結局人は人を変える事などできはしない。
自分で自分の運命を選ぶことしかできないのだ。
「さよなら、オスカー」
「エイダ!」
私はオスカーに背を向けて立ち去る。
私はもう振り向かない。
だってあなたを好きだった私はもういないから。
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