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第一章 夫婦雛 頁三

第一章「夫婦雛」その二十一


 十兵衛が言葉を詰まらせ押し黙ってしまって、それを哀れそうに善景が見ているとき。どこからともなく女性の声が聞こえた。

 よく聞けば、少し年の長けた女性と小さな女の子とが何か話しながらこちらに向かっているようだった。

「おや」

 と、耳を澄ませば、それはお雪とお藤のふたりであった。物陰から姿を見せ、手には籠、その籠の中には桑の実がたくさんつめこまれていた。

 お雪とお藤は善景と十兵衛を見止めて、軽く会釈をした。十兵衛はお雪を見止めて少し動揺しているようだった。

「やあ、これはお姫様にお藤殿。桑をおとりにお出かけであったか」

「はい、お腹が空きましたねとおはなしをしてたら。ならば桑をとりにゆこうとおひい様が申されまして」

 お雪は恥ずかしそうに籠を小脇に抱えていた。善景は微笑ましい気持ちだった。大高城のある山、大高山周辺はたくさんの桑の木がなっている。どうやらふたりはその桑の木の実をとってきたのだろう。草ののびる季節、お藤はともかくお雪はいくらか大変な思いをしたにしがいない。

 葉には虫がつき、下手をすればその虫まで一緒にとりかねない。それでも桑の実を採って、虫嫌い以上に桑の実が好物なのだ。

 この小さな女の子の存在が、ある意味大高家の運命を握っていると言ってもいい。それを快く思えない者もいる、時世ゆえなのだろうが、そのせいでひとりの小さな女の子がとばっちりを食らっているのだ。

 それは、お雪にはわからないのだけれども。少なくとも善景は、お雪には、嫁いでよかったと言えるような仕合せな生活を営んでほしかった。

「あの……」

 と、お雪は善景と十兵衛を見て、籠を差し出した。

「家中のみなさまにも、おわけしようとおもって……。おふたりも探しておりました。どうぞ」

 小さな声で、ぽそっと言った。それを見て善景は微笑んで、それではいただきます、と言い。ひとつつまんで口にした。家中のものにもわけようという心配り。

 お雪はお雪なりに、みんなと仲良くしようとしている。

 十兵衛は、少しの間黙っていて、お藤とお雪を少し困らせてしまった。なにやらふたりを見て、おろおろしているようで。どうしてそのような、とお藤はやや困り。お雪はどうしてよいのかわからない。

 そう思いつつも、お雪は十兵衛にも籠を差し出した。

「十兵衛殿も、どうぞ」

 この若者は夫をぼこぼこにしている上に、陰口までたたいていた。ぼこぼこにするのはともかく、陰口や、さっきまで善景に言われていたことは、わからない。 

 だけど、輝虎と兄弟のように接してきたという。なら、それはお雪にとっても兄のような存在だった。

「これは、かたじけない」

 といって、十兵衛は桑の実を取り口に入れる。口の中に甘酸っぱさがひろがる。籠を持つ手も小さい、それもそうだ、まだ十一の幼さだ。

 その少女に対して、どういう気持ちを抱いていたかと思うと、自分が恥ずかしくなってくる。

「美味い、いや、おいしゅうござるよ」

 と、つとめて笑顔で言った。そうすれば、お雪も笑顔で返す。その時、心の中で雪解けでもあったかのように、なにやら軽やかな気持ちになった。

 

 


第一章「夫婦雛」その二十二


 それから、輝虎と十兵衛の稽古を超えた大喧嘩はなりをひそめ。ようやくにして、「普通の稽古」がとりおこなわれるようになった。氏清父子もほっと胸をなでおろせた。が、いまだ家来たちの間には、幼い主に対する不信感がくすぶっていた。厳しいことだが、お雪が一度や二度桑の身をくばったところで、行き先の不安が解消されるわけではなく。

 例の「鞠若子」という陰口も、十兵衛が言わなくなっただけで。他の者たちは、ことあるごとに。あの「鞠若子様」は……、とひそひそ話に興じている。

 それは男衆のみならず、女中や侍女たちでさえ、時折口にするほどに広まっていた。

 お藤もそれは知っていたが、他所の家では迂闊に注意も出来ない。せめて、自分だけでなく、年寄りでもいいから誰か男の家来をつけてほしかった。と思わずにはいられなかった。

 その度に、お雪の母、おさなを思い出さずにはいられなかった。

 侍女として中村家に仕えていたある日、主の家成の夜伽をつとめた。家成の、男としての欲求をみたすこともまた、侍女の役割でもあった。

 そして、お雪を生んだ。だが、それが彼女の命を縮めることになってしまうとは。

 おさなは、家成の激しい愛撫に耐えられず「堪忍」と我知らず叫んでしまった。生まれつき体も弱く、野心燃え盛る武勇の士に身を委ねるにはあまりにも華奢すぎた。

 これでは家成にしても可愛がり甲斐もなく、あっさりと捨てられ。失意のうちにいとまをもらい(侍女をやめること)、生家に帰った。

 帰ってしばらく、子をみごもっている事がわかった。あの一度きりの夜伽で、子種を授かっていたのだ。

 やがて、お雪を生んだ。しかし、産後の肥立ちが悪く、間もなく息を引き取った。享年、十八であったという。

 その、生まれつきの体の弱さのために、主に捨てられ、その上産んだ子の顔もろくに見ずに若くして亡くなろうとは。同じ侍女の出としてお藤は哀れに思えて仕方なかった。

 そのおさなの子、お雪は、家成の子ということで。中村家で育てられることになったのだが……、それは家成がおさなとその娘を哀れに思ったからでなく。

 お雪を政略に使う魂胆で、引き取ったのだ。乳母は、お藤が任せられた。お藤は少女時代から、家成の先代家時に仕えたベテランの侍女でもあった。少し年も長けていたが、母乳も出た。だが、不思議と言うものはあるもので。お藤は今まで子をなしていない。

 先代家時の夜伽を何度かつとめることもあったが、なぜか子は出来なかった。

 それだけに、お雪を我が子のようにいつくしみ、大切に大切に育て上げた。鞠を教えたのも、お藤だった。

 嬉しそうに鞠をつくお雪の笑顔を見るたびに、おさなには申し訳ないが、こうしてお雪を育てられることを天に感謝したものだった。だが、父親である家成はお雪に積極的に会おうとはせず。正室や側室の生んだ子ばかりかまっていた。

 可愛げのない侍女の産み落とした子などに、興味はないようで。そのため、お雪はお藤がいなければ、ほとんどひとりぼっちだった。

 そのお雪が、家成の征服した小さな家の幼い主の嫁になると聞いたときは。

「なんと無慈悲な」

 と思わずにはいられなかった。嫁にやるのなら、同等の家にか、せめて中村家の信頼する家来の誰かの嫁として嫁がせて欲しかった。それが、辺境の小豪族の家に、とは。しかもまだ九つの幼さで。

「捨てられた」

 と思った。おさなに続き、このお雪も捨てられた。捨て駒として、いいように利用されたのだ。もし、その大高家という小豪族の家が反乱でも起こせば、まず間違いなくお雪は殺される。

 そういう危険性も考えられないでもないだろうに、男の家来をつけなかった。さすがに、自分ひとりでは、万が一のときにどうしようもない。己だけが死ぬのはかまわない、だが、我が子のようにいつくしみ育てたお雪が殺されるなど、考えただけでも気が狂いそうだった。それを決めたのは、水より濃いはずの血でつながる父親の家成だった。

 だから、主に対し、「無慈悲」と思ったのだ。

 それは結果的には杞憂に終わりそうだけれども。まだ「終わりそうだ」という域を出たわけではない。

 まだお雪も幼ければ、夫の輝虎も幼くまだ完全に大高家を掌握しきれていなかった。氏清父子や最近仲直りした十兵衛らが良くはしてくれるものの、これからの不確定要素はあまりにも多かった。

 お藤は思わず天を見上げ、お雪の母、おさなに。

「どうか、その空の上から、おひいさまを見守って……」

 と、言わずにはおけなかった。




第一章「夫婦雛」その二十三


 そんなお藤の願いも虚しく、お雪の夜泣きはなかなかおさまることはなかった。今のところ、泣き声はしない。夜泣きのたびに、お雪の部屋に慌ててかけつけ、寝かしつけたものだが。

 さて、今夜はどうであろうか。虫の音を子守唄代わりに、お藤はお雪の身を案じていた。

 せめて同じ部屋で寝られればいいのだが、それもそうそう出来ない。お雪も十を越した。そろそろ自分ひとりで寝られるようになってもらわないと。

 と、それぞれ別室で夜を過ごしていた。もちろん、お藤もなにも思わないでもない。やはり一緒に寝てあげたい。

 布団を並べて、おとぎ話を聞かせてあげたり、子守唄を唄ってあげたりしてあげたい。

 しかし、それではいつまでたってもひとりで寝る事ができない。やがては、夫輝虎と寝なければならないが。その輝虎が戦にゆけば、ひとりで寝なければならないのだ。

 だから、今のうちからひとりで寝られるようになってもらわないと。

 そう思っているうちに、疲れから睡魔に襲われた。お藤ももう若くはない。睡魔に襲われれば、抗うこともできずそのまま眠りについてしまった。

 夢の中で、とろんとした目をするお雪に子守唄を唄ってあげていた。

 同じ時刻、輝虎はなぜか寝付けなかった。

 変に目が冴えて、横になることすらおっくうだった。今日の十兵衛との稽古で、ようやく一本がとれそうだったのに、とれなかった。それがやけに悔しくて、眠ることを妨げてしまって。

 小手を打たれた右手が今もじんじんする。よく見れば、まだ赤みがかっている。

「ええい、もうやめた」

 眠れないのに、無理に眠ることもないと。城内をほっつき歩く。ほっつき歩いて、どうするというわけでもないが、落ち着かないのであてどなく城の中をさまよった。

 最初こそ暗くて怖かったが、たんだんと暗闇に目が慣れてきて。うすぼんやりとだが、廊下が見える。闇の中には、なにもなく、このまま進めば闇に飲み込まれそうだった。

 城中にある家来たちは、みな寝息を立てて眠っている。城全体が眠っているみたいだ。起きているのは、城門にいる見張り番だけだろう。

 足の裏が、床板をすべり。その感触を味わいながら、この、暗闇に包まれた小城が自分のものなのだと。今さらのように思った。

 小さな城だ、小さな輝虎でもそれほど時間をかけずに簡単に一回りは出来る。最後に来たのが、お雪や侍女たち女奉公人のいる奥の間であった。奥の間といっても、大きな名家のように大奥などたいそうなものなどなく。堅いしきたりもないので、輝虎はもちろん、晴景や十兵衛らも自由に出入りできるし、女たちと話も出来る。

 それを思うと、なんと小さな我が家であることか、と思った。

 そこも、眠っていた。

 そろそろ、自分のしたことにも飽きてきて、自室に戻ろうかと思ったとき。何かが聞こえた。

 それは、すすり泣きの声であった。誰かが、泣いているようだ。誰だ、と思いながら聞き耳を立てていると、それはあまりにも聴きなれた声だった。それは、お雪であった。

「お雪……」

 と、足をしのばせお雪の部屋の前まで来れば。やはり、そこからすすり泣く声がする。そっと、ふすまを少し開ければ。布団に包まり、向こうを向いてすすり泣くお雪の姿があった。

「お雪、おい、お雪」

 と、小さな声で呼んでみた。だが、気付かない。仕方ないと思い、そっとふすまを開けて部屋に入り、そっとふすまを閉じた。そこでようやく、お雪はことの異変に気付き、輝虎を見止めた。

「あ……」

 と、声を出そうとしたら。「しー」と、輝虎は人差し指を唇の前で立てる仕草をして、しゃがみこんで。

「泣いているのか」

 といった。布団にくるまるお雪の目は涙で潤んで、頬には涙のつたったあとがあった。輝虎の言葉に、お雪は無言で頷いた。

「いつも泣いているな。夜が怖いのか?」

「いいえ」

「ではどうして、そのように泣くのだ」

「わかりません。ふと、涙があふれてどうにもとまらなくなります」

「もう、寝よ。寝れば泣きやめる」

 輝虎は何と言っていいかわからず、寝よと言って立ち上がろうとしたが。

「いかないで」

 と、お雪が布団から手を伸ばし、袖をつかんだ。




第一章「夫婦雛」その二十四


「お雪、そなた」

「いかないでください。どうか、ここにいて……」

「聞き分けのないことを申すでない。寝よと言ったら、寝ぬか」

「ならば、一緒に寝てくださいませ」

「えっ……」

 さすがに、唖然としてお雪を見やった。うすぼんやりと、暗い部屋の中、その目だけは輝いていた。一緒に、涙も輝いていた。

「さびしゅうございます。お藤もわたしをひとりにして、一緒に寝てくれません。輝虎様も、まだ一緒にねてくれないではないですか。みんな、本当はわたしのことがおきらいなのですか?」

 一言一言話すたびに、涙のつぶが溢れ落ち、頬をつたう。今までたまっていたものが、涙とともに溢れ出ているようだった。

「わたしは、みんなにきらわれるようなことをしてしまったのですか? 家中の方々は、みなわたしをきらっているようです。どうして? どうして、わたしはきらわれているのですか? わたしは、いないほうがいいのですか……?」

  お雪に涙を流させる、不思議な気持ち。言葉では上手く話す事ができなかった。

 大高家に嫁いで早二年と半が過ぎようとしている。それまで、周囲の大人たちは自分をどのように見ていたのだろう。お藤をはじめとする大人たちの心を知らず知らずのうちに感じ取って、それが胸の中でうずくまっていたようだが。

 まだ幼い身でそれがわかるわけもない。

 輝虎も、まだわからない。

 ただ、ふたりがわかちあえる事があるとすれば。共に鞠をつく事だった。その時だけ、大人たちから解放されて。お雪と輝虎はそのまま、子供になれて、気持ちを共有できる。それが、お雪に涙を流させる一因でもあるのだが。

 もちろん、まだそのことにも気付けない。いずれ輝虎と一緒に寝ることだって、ただお藤が添い寝するのとはわけがちがう。まだ早すぎるというのが理由だが、どうしてまだ早いのかがわかっているわけではく……。

「なら、おれが一緒に寝れば。寝るか」

「はい、寝ます」

「そうか……」

 心なしか、輝虎の頬が紅い。白い寝巻きの襟首からみえる白い肌が、そうさせていた。気のせいか、胸元は嫁いだときよりもふくらみが増しているようにも思えた。

 それをなるべく気にしないように、そっと布団の中に入ると。お雪がしがみついてきた。寝巻きの胸元あたりが、その涙で濡れたようで、少し湿り気を覚えた。

 しがみついて、お雪は、輝虎が以前よりも大きく感じられていた。

 どうしていいかわからず、輝虎はお雪の肩に手を触れた。細くて、少しでも力を入れればそのまま折れそうだった。ついでに、鼻をなでてゆくにおい。

 それを感じたとき、まどろみも感じて。

 やがては、ふたり共に布団の中で寝息を立てて眠っていた。  

 

 

 

第一章「夫婦雛」その二十五


「ひえっ」

 という、朝の第一声はお藤のものだった。

 あろうことか、自分の知らぬ間に輝虎とお雪が一緒に、しかも同じ布団の中で寝ていたのだ。

「と、殿。これは」

 お藤の狼狽する声で目を覚ましたふたりは、寝ぼけまなこをこすりながら半身だけ起こした。お藤の声を聞き、侍女たちも続々とやってくれば。その場に立ち尽くし、呆然とする。

 お雪はどうしていいのかわからず、おろおろしながら言い訳を考えていた。だが、輝虎は動じない。今こそ、爺に言われたように、お雪を守るときと。毅然とした態度をとって言った。

「見たままだ。お雪と一緒に寝た」

「そ、それはわかります。し、しかしまだ早いのでは」

「おれとお雪は夫婦めおとだぞ。夫婦が一緒に寝て何がいけない」

「だから、早すぎると……」

「何が早いのだ」

「そ、それは……」

 早いと言う理由を詳しく言えず、あわわわわ、と口ごもりながら。周りの侍女を見回した。侍女たちは目を点にして、事の成り行きを見守っていたが。輝虎優勢とわかると、皆くすくすと笑い出す。

 この事態が、可笑しいらしい。

 内心、軟弱と思われた鞠若子のこの殿様を頂き、これからやっていけるのだろうか。と不安に思うこともあった、が。この毅然とした態度を見て、それがかわりつつあるようだった。

 皮肉にも、鞠若子呼ばわりされることを心配していたお藤がそのことに気付けなかった。

「もうよろしいのでは……」

「そうです。殿の言われるとおり、おふたりは夫婦ですし」

 と、ふたりをかばう。お藤も、今まで輝虎のことを鞠若子と言っていた侍女たちがそう言うことに内心驚きながら。それに従うしかないかと思い始めた頃。

「お藤、ごめんなさい」

 と、お雪が言った。布団から出て、床に手をついて謝っていた。

「わたしが、わがままを言って輝虎様と一緒に寝てもらったのです。悪いのはわたしなのです」

「お、おひい様……」

「お藤の言うとおり、これからひとりで寝ますから。それで許してもらえますか?」

 というお雪に、侍女たちは目を見合わせて、ほほうと頷いていた。てっきり、輝虎が夜這いをかけたものと思っていたのに。

 お雪はお雪で、侍女たちにさとされて少し困った顔をしたお藤に悪いと思ったのかもしれない。そばで、輝虎が少し残念そうな顔をしていたのは気付けなかったが……。

 こうして、お雪の言葉が最終的に通って。このちょっとした「事件」は、侍女たちの間で語り継がれることとなった。

 それと同時に、輝虎とお雪の行く末についての話題も語られることとなった。正直、このふたりこれからどうなるんだろうと、ある意味家の行く末よりも気になっていた。

 まず三人以上の人数(といっても、大高家の侍女はそれほど多くはないのだが)が集まれば。必ず、輝虎とお雪のことが話題になるのであった。




第一章「夫婦雛」その二十六


 戦。

 中村家よりの使者が。

「戦があるゆえ、準備を整え出陣するように」

 と、声も頭も高々と輝虎をはじめとする大高家の面々に告げた。使者は次の中村家に属する家へと急ぎ馬を走らせる。

「相変わらず、威張りくさりおって」

 と、十兵衛はこぼしながらも急いで鎧兜に身を包む。氏清父子をはじめとする家来たちも同じように鎧兜に身を包み。武装した侍たちが大高城の城門前に集まった。

 その数、ざっと二百五十。

 はっきりいって、小勢である。しかし、小豪族である大高家が出せる人数はそれがせいぜいであった。

 しかも、武具もまたぼろといっていいほど、粗末で。十兵衛や晴景らののる数騎の馬もやせ馬で。

 輝虎は、幼い日にみた中村家の軍勢の華麗さを思い出すたび。己の家の小ささを思わずにはいられない。これでは、負けて当然であった。

―どうしておれはこんな小さな家に生まれたんだろう。―

 と、思うこともたびたびある。でも、だからお雪とめぐり合えたのだけれども。

「殿、こたびもまた、お留守番の方をたのみますぞ」

 と晴景。顔にしわの目立つ年齢だが、ベテランらしい威厳と強さを持ち合わせていた。強さといっても槍働きだけではない、領土の統治や兵を率いての戦をし。長年先代輝種を支え十兵衛の父太郎左衛門と共にこの大高家を命がけで守ってきたのだ。

 それはこれからも変わらない。今、戦にゆくために鎧兜に身を包むその姿は。どこか輝いて見えた。

「おれも早く戦にゆきたい」

「もうしばらくのご辛抱でござるよ」

「あとどのくらいだ」

「さて、時が来れば自ずとゆくことになりましょう」

「時が来れば、か……」

 と、少し黙ったとき。自分を見る視線に気付いた、その目は不安げに輝虎を見ていた。

 鞠若子様が戦に出たところで、どのくらいの働きをすることやら……。と、いささか主に対して心細さがあるようだ。

 中村家にこき使われ、その戦場で死ぬかもしれないという不安がありその上。女と鞠をつく軟弱者が主、という心細い気持がないまぜになっているようだ。それを不意に感じ取ってしまった。

 輝虎はため息をついた。実際、自分が戦でどのくらいの働きが出来るのかはわからないし。家来の抱える不安をどう解消すれば良いのかもわからない。やはり、戦しかないのだろうかと思った。

 主がため息をつくのを見て、晴景と善景はどうしたのかとやや戸惑った。しかし、十兵衛はちがった。

「殿、それがしはその時が楽しみでござるぞ」

 と、大声で言ったかと思えば後ろを振り向き、後に控える侍たちに向かって。

「なあ、おのおの方もそうでござろう。我が殿の働きをはようみたいであろう。なにせこの十兵衛が指南したのじゃ。ゆくゆくはおれと首数争いをするのは必定ぞ!」

 と吼えたけった。これには氏清父子も目を丸くしていた、他の連中も同じように目を丸くしていた。

 この十兵衛。最近まで個人的感情から輝虎とぎくしゃくしていた。だが、同僚である善景の言葉と、採った桑の実を配る雪姫の心配りに心を打たれ、それまでの己を恥じた。

 討ち死にした父の想いを受け継ぎ、彼もまた使命感を感じていた。なにより、輝虎は主である以上に、幼い頃より一緒に遊んだ「友垣」であったし弟のようなものでもあった。それを忘れかけていたが、それだけに彼は彼なりに、その償いと輝虎を励まそうと必死だった。

 どこか不器用だが、いざとなったら剛直で頼りになれる頼もしさがある。

「十兵衛……」

 輝虎はその名を口にして、吼えたけった若武者を見る。その肢体から、いやというほどの男のにおいを感じた。すると。

「そういうおのれこそ、おれが戦に行く前に討ち死になどするでないぞ。おのれがいなくなれば、誰と首数争いをすればよい? 他に誰がおれの相手がつとまるのだ」

 と、突っ込んだ。それを聞き十兵衛は笑った。

「なんの。それがしほどのものがむざむざと討ち死になどしましょうや。こたびもまた、この槍で一働きをして、相手に目にもの見せてくれましょうぞ。なあ、善景どの」

 と、ぽんと肩に手を置かれた善景はおどろきややあって、おうよ、となるべく強い口調で応え。隣で少し呆れ顔で見る父の視線をなるべく意識ないようにしていた。

「おのおの方もおなじでござろう。武士として、大高家ここにありと、敵味方に知らしめようぞ」

 ふたたび、少し前まで一緒に陰口を叩いていたものたちに、あらん限りの大声でどなった。輝虎と十兵衛のやり取りに気合の一声、それは不安に駆られるばかりで何かを忘れかけていたものたちを奮い起こしたようだった。もちろん、輝虎も。

「そうだ。武士として、存分に戦ってくるがよい。その時になれば、おれも武士として戦う。おぬしらと共に戦う。十兵衛などに手柄を独り占めさなどさせぬぞ」

 と、言った。それは、皆が陰で鞠若子とよばわっている軟弱な若殿ではない。一人の武士としての、輝虎がそこにいた。拳を握り締め、目を真っ直ぐに、城門にある二百五十の武士に向けている。

 すると、晴景に善景、他の家来たちも次々と声を張り上げだした。我も武士なり、何のために槍を引っさげ刀が腰にさげておるのか、我らの武勇をみせつけてやろう、そして、初陣をお待ちしておりまする、という声。

 陰口を叩いていたものたちもまた現金なものだが、こうした主の一声があるとなしでは、従う家来たちの気合の入れようも違ってくるようだ。

 十兵衛の単純なほどの剛直さがきっかけとなって、みんなをひとつにした。それは、声を張り上げさせる若い主がいたからこそだった。

 この瞬間。もう輝虎は、鞠若子ではなくなった。まだ十三の若さで、家を背負わねばならない重圧をひしひしと感じながらも、潰れることは許されない。

 そうしなければ、この城一つも、お雪も、守れない。

 出陣のほら貝がなる。それを背に、戦場に向かうものたち。

 それを見送りながら、輝虎はまだ見ぬ戦場に思いをはせていた。




第一章「夫婦雛」その二十七


 それから、さらに四年の月日が流れて。

 輝虎とお雪が結ばれて、六年が経って。その間、大高山周辺の色が緑やら紅色やら、白くに染まって。そういった色の移り変わりと共に、輝虎も幼い主でなくなってゆき。お雪も、小さなおひい様ではなくなっていった。

 ふたりとも、見違えるほどに大きくなっていった。

 ついでに言うと、お雪は今ではちゃんとひとりで寝られるようになって。お藤を安心させた。

 それはそれとして、耳をすませば、庭で木刀の叩き合う音がする。輝虎と十兵衛の稽古だった。

 かなり激しく打ち合っているらしい、怒号と共に木刀の音は庭中に響き渡り。稽古の激しさを物語っていた。

 それが終わったかと思うと、今度は馬のいななきの声がして。蹄の音も高らかに、大高山を駆け下ってゆく。

「殿、それでは置いてけぼりを食らってしまいますぞ」

「ぬかせ!」

 と、大声が上がる。輝虎と十兵衛であった。並んで馬を駆って併走しているが、この競争、キャリアで勝る十兵衛がやや有利なようであった。

 あぜ道をはさんでいる、日差しを妨げ影を落とすうっそうと生い茂る木々から、槍のように突き立てられた一筋の木漏れ日が向こうまで幾重にも続いて落ちている。主を乗せた馬は、木漏れ日を蹴破るようにしてその中を突っ切る。

 ふたりの左手は手綱を握り、右手には木の棒がある。輝虎は右手を少し上げて、木の棒をやや掲げ。

「その時、槍でお前の背中を突いてでも先頭に立ってやる!」

 と、まくしたてれば。十兵衛はにっこり笑う。

「あっはははは。どうぞ、その意気でござる」

「茶化すな、おれは本気だ」

「おお怖や。ならそれがしも、本気でお相手つかまつろうぞ」

「望むところ!」

 と言いながら、輝虎も笑っていた。風を切り、頬をなでる風の感触がくすぐったい。

 光が見える、ふたりはその光の飛び込もうとする。あぜ道をはさむ木々が途切れ、陽光が一気に顔をなでれば、汗がにじむ。それ以上に、風を切る。

 馬はいななき、地を蹴り走る。

 下の里を抜けて、里をふたつに割る川原にたどりつけば、こーん、こーん、と何かのぶつかる音。風を切る音。

 男どもの怒号。

 そのころお雪は、自室のふすまを開けて、頭の白いものの増えゆくお藤や連れの侍女と共に、お菓子に舌鼓を打つ。お天道様は恵みの光を部屋に注ぎ込み、恵みを受けた女たちは明るく笑いあっている。

 そのお雪の手には、鞠があった。その鞠は、以前にもまして小さくなっていた。




第一章「夫婦雛」その二十八


 お雪は鞠を持ってふと立ち上がり、城下を見下ろした。

 部屋のふすまは開け放たれ、陽の光が部屋の注ぎこまれて。そよ風が頬をなで、長く伸ばした髪を揺らす。

「いつ見ても、かわいらしい」

 と、お雪は言った。

 緑に彩られた平野に「生えて」いるみたいに、こんもりと小山が突き出し。その間間に、川が山をよけて曲がりくねっている。

 その周りを囲むように、田畑が広がり。小山の斜面にそって、まるで小山に張り付いているような田畑もあった。その中にちらばる、下の里の家々。

 日の光を注がれて、田畑や山が緑色に光っている。

 大高城のある、大高郷で一番高い大高山から。その景色が一望できた。

 お雪はそれを「かわいらしい」と思っていた。一望するたび、のどかな風土がこの大高郷から匂いだすのを感じ、心を優しく撫でてくれる。それが、「かわいらしく」感じられる。

 温暖な気候に肥沃な大地に恵まれて、郷は平和だった。そこの領主である大高家にしてみれば、そのおかげで無理に他郷に押し入り、戦を起こす必要も理由もないのだから。大高家より先代の輝種のような人物が出るのも、頷ける話だった。

 それを、父が侵攻した。だから、こうして今ここにいるのだが。それはお雪に話されることはないだろう。

 それはそれとして。

 一人侍女が立ち上がり、お雪の横に来て。

「今、殿はどのあたりでしょうか」

 と言った。

「えっ」

「いましがた、十兵衛殿とともに馬を責めて(馬を駆って)ゆかれましたが。ここから見えますでしょうか」

「さ、さあ。わかりません。あまりにも、なにもかもが小さすぎて……」

 きょろきょろと、鞠を手の中でころころと転がしながら輝虎の姿を求めるお雪に、侍女のおおりんはくすっと笑った。

 輝虎とお雪のことは、侍女たちの間では、お喋りの中心的話題であった。いつのころも、どこででも、女性にとって男女の仲というのは永遠に興味の対象であり、何よりも強く惹かれるもののようだ。

 お凛はお雪よりも六つ年上の二十一(数え年)で、最近大高家に仕えてだした新人の侍女だった。

「馬鹿十兵衛めが、殿に無礼をせねばよいのですが」

 と言った後、「あっ」と口をつぐんだ。が、後の祭りのようだった。

「これ、いくら幼馴染でも言いすぎですよ」

 と、正座で改まるお藤の一喝の声。お凛は愛嬌のある顔で振り向き舌を出してから、「すいません」と頭を下げた。お藤のそばの同僚の侍女は笑いをかみ殺して、お雪はきょとんとしていた。

「いつまでもお転婆では困ります」

「はい」

「殿方を、しかも家中きっての勇将である十兵衛殿を、馬鹿よばわりなど」

「でも、昔はよく遊んだ仲でございますもの、お互い馬鹿と言い合いながら。十兵衛『殿』はその昔、わたしに剣の稽古で負けて大泣きに泣いたころもございますし……」

 と、幼馴染の十兵衛との昔話を披露する。剣の稽古までしていたそうだが。それは稽古というよりも、チャンバラ遊びに近いものがあった、というよりそれそのものだが。お凛にとっては、今でも剣の稽古と、心の中に留まっていた。ふと、脳裏に泣き喚く子供の頃の十兵衛の面影が浮かび上がる。

 が、お藤がそんなことを知るわけもなく。

「これ!」

 と、ぴしゃりと言った。またもお凛は、今後はさすがにぎくっとして、さっきよりも深く頭を下げた。他の者は、ますます笑いをかみ殺すのに必死だ。

 お雪も、くすくすと笑って。これ以上大きな声で笑わないようにするのが大変そうだった。

 いつものことながら、このお凛の話すことは面白いし、その振る舞いもまた面白い。明るい性格は誰からも好かれて(お藤には説教の対象となったりするが)、どこかおとなしすぎる自分とは大違いだ。うらやましい気持ちと一緒に、内心姉のようにも慕ってもいた。

 なにより、頼もしい。

「何か困ったことがありましたら、どんどんとこのお凛にお申し付けくださりませ。お力になります」

 と、おじぎをしながらも、凛とした声で言ってくれたこともある。

 困ったこと、ではないが、最近お凛に話したい事が出来て。それをいつどこで話そうか。気がつけば、そんなことを考えてもいた。

 



第一章「夫婦雛」その二十九


 陽の光を受けて、きらきらと光る川面に手を突っ込んで。手で水をくみ上げ、輝虎はごくごくと喉に押しがなす。

 川の水の冷たさが、喉を潤し通り抜け胃袋に、きーんと響く。

「かぁ~っ」

 と、手で口元をぬぐいながら声を上げる。

「稽古の後の一飲みは格別だなあ」

 かがめていた腰を上げ、腕を伸ばし背伸びをする。

 そばで十兵衛が、自分の馬と輝虎の馬の手綱を取って。もう片方の手には、木の棒を二本。

「さて、殿。そろそろ帰りましょうか」

「え、もう帰るのか。まだ陽は高いぞ」

「いいえ、帰るのです。稽古は終わりました、次は晴景殿とのお役目もございましょう」

「ふーむ、爺とかぁ。つまらんなあ」

 と、空を見上げる。白い雲が、空を気持ちよさそうに泳いでいる。あの雲に乗れば、どこへでも行けそうな気がした。

 雲には乗れないが、馬がある。その馬で、駆け回りたい気持ちがまだ強く残っていた。

「爺とかぁ、ではありまぜんぞ。それが殿のお勤めでござろうに」

「まあ、そうだがな」

 苦笑し、手綱と木の棒を受け取り。馬に乗る。

 十兵衛は、輝虎に同情するように笑った。気持ちはわかる。部屋に閉じこもっての内政の仕事など、かったるいものだ。

 せっかくの馬もある。その馬で、駆け回ることの楽しさを味わったら、やみつきになる。今まで行けなかった遠いところも、馬があればすぐに行ける。

 馬と共に全身で風を切り、道を駆け抜ける爽快感は格別だ。男児に生まれれば、その爽快感にやみつきになるのは、当然のことである。それなのに、部屋に閉じこもっての仕事とは。

 本当にかったるいものだ。

 同じ男に生まれていながら、晴景にはそれがわからんのか、とさえ難癖をつけたくなってしまう。

 まあようは、外で遊びたいだけなのだが。

 ふたりの『やんちゃ坊主』は、次は負けぬと言いながら馬を並べてお城へと帰る。

 小高い大高山のてっぺんに、ぽつんと建てられた小さなお城へと。

 その道中、ふと、輝虎は思った。

―お雪は、今、何をしているのかな?― 

 今その城の中にいるお雪を思うと、何故か空を見上げたくなってしまって、大きな白い雲を瞳に映し出していた。



第一章「夫婦雛」その三十


 いつのころからだろうか。

 ふたりの体が大きくなるにつれ、今までの距離をあけてしまうようになったのは。

 鞠をつく手が大きくなるにつれ、鞠を触れることも少なくなってゆき。

 気がつけば、つかれるよりも、その手に抱かれることの方が多くなっていった。

 中村家から大高家に嫁いでから、ずっとその鞠はお雪のそばにあった。

 父が、「持ってゆくがよかろう」とくれた鞠だった。これが、唯一の、父とのつながりだった。

 もう、ところどころにほつれが出て、なおすことも出来ない。それをお雪は優しく包み込むように胸に抱いて。

 鞠をつくときは、別の新しい鞠を使うが。実家から持ってきた鞠はずっと離さずに。

 いつもそばに置いて、腕に抱いて。

 今もまた、そうして自室にとじこもっていた。お藤に、「誰も近づけぬように」と頼んで。

「どうしたのかしら?」

 お凛が、仲間の侍女とともにお雪の様子をうかがう。ふすまも障子も締め切り、何か一人で悩んでいるようだ。

 さきほど、輝虎と会ったはずだ。その輝虎と何かあったのだろうか。

 ただ、様子がおかしかった。顔を真っ赤にして、部屋に飛び込んだのだから。

―ははあ。― 

 と、お凛は何かに気付いたようだが。なにも言わずに部屋を後にした。

 ここは、余計な茶々を入れないほうがよさそうだから。

 夕陽が落ちて、空が茜色に染まる。その茜色が、障子紙を通り抜け、お雪の顔も茜色に染めようとする。

 だけど、お雪の顔はもっと、紅かった。

 輝虎は輝虎で、腕を組み、これまた自室に閉じこもり。なにやら考え事をしているようであった。

 さきほど、お雪と会った。お雪に会いに行こうと、奥へと行く途中。お雪とばったりとでくわしたのだ。

 すると。

「あっ……」

 と言うや否や、お雪は脱兎のごとく輝虎から逃げ出したのだ。

 声を掛ける間もなかった。

 その後姿を見送り、右手を少し上げて、何故か輝虎自身も足を止めてしまった。まるで床に根っこでもはっているかのようだった。

「一体どうしたというんだ」

 逃げるお雪におどろいた、それ以上に、それを止められなかった。逃げ出す直前、顔が真っ赤になっていたのを思うと。

 頬がほのかに火照りだしていた。


続く

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