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第一章 夫婦雛

序章


 少年の目に、大勢の兵士たちがうつる。

 今自分のいる城を取り囲み、槍の穂先を天に向けている。陽の光が穂先を照らし少し動くたびに、きら、きら、と輝く。

 その輝きがあちこちに散らばり飛んでいる。

 父がだっこして窓からそれを見せてくれていた。

「父上、いくさは負けたのですか」

 少年の言葉に父は力なく頷く。

「そうじゃ」

 それだけ言うと、父は少年を下ろし手を引いて階下へ向かう。狭く急な階段を下りながら少年はこれから何が起こるのかわからないまま父に付き従った。

「これからは」

「はい」

 手を引きながら、父は喉に何か詰まったような声で言った。

「これからは、わしは主ではない」

「?」

 言葉の意味がわからない。今日まで父は「殿」と家来から呼ばれていた。

「いくさに負けたからですか?」

 十一歳(数え年)の子供でもそれくらいはわかる、それが父にはつらい。

「そうだ」

「では、父上のお殿様は」

「いうな」

 いくら我が子でも、受け止めねばならぬ現実を口に出されるのは堪えるようで。渋い顔をして我が子の言葉を止めた。

 そうこうしているうちに大広間にたどり着き、あぐらをかいて深く顔をたれていた家来衆が一斉に顔を上げた。皆ぼろの鎧を身にまとって、刀を投げ捨てるように床に放り投げていた。

 広間の中央には降伏の使者に出した家来が戻ってきていて、他の家来と同じようにあぐらをかき深く顔をたれていた。主に平伏しているのだろうが、かなり疲れている顔をして今にも眠りこけそうだ。

 それから少年は侍女に手を引かれ自室へと連れて行かれ、まだ陽は高いというのにそこで無理矢理寝かしつけられた。

 寝巻きに着替え布団に入る前、侍女は言った。

「若様、今までのことは夢でございます。夢でございました」

 涙目の侍女の言葉がよく飲み込めないけれど、ここで寝て起きればもうその夢は終わるのだとなんともなしに思って。目を閉じた。

 殿の嫡男だったのは夢で、目覚めれば自分は何なのだろうと思いながら眠りについた。

 



第一章「夫婦雛」 その一


 少年、千丸せんまるは父、大高輝種おおたか・てるたねの嫡子として生まれた。それから千丸三つの時、母お志野は突然剃髪し(髪を下ろすこと)出家した。父と上手くいかず、かと言って実家にも帰れず、半ばやけくそであてつけの出家だった。

 念仏者で、常日頃念仏を唱えてばかりで男らしい野心のひとかけらも持ち合わせていない輝種に、お志野はほとほと飽き飽きして見限ったのだ。まだ二十五にの女盛りの身としては、三十も年の離れた年寄りの夫はあまりにも弱弱しすぎた。

 実家はすでに敵に攻め滅ぼされていて離縁して帰ることもかなわなかった。

「わたくしも、あなた様のように毎日念仏を唱えて暮らしとうございます」

 そう言って、夫と我が子に背中を見せて。尼になってから一度も会えなかった。不運というのは続くもので、お志野は出家した寺で流行り病にかかって、亡くなった。

 家を出てゆく母を止めることも出来ず、力なくうつむき加減に母を見送る父の背中は、小さく丸かった。気性の激しい母のこと、実家が健在なら無理矢理でも離縁して出て行っただろう。そしてそこでまた新たなる出会いを用意してもらい、そこに嫁ぐかもしれない。

 「賢婦二夫に仕えず」など、きれいごとにすぎない。この乱世の世、女は政略に使えるならばとことん使う。出戻りであろうと未亡人であろうと十にもならぬ幼子であろうと。

 そして今、その母の実家を攻め滅ぼした中村家に、今度は大高家が負けた。

 母の実家も大高家も、小城ひとつの小豪族の家。いくつもの城を持ち、そこにたくさんの家来を住まわせている大豪族中村家から見れば、蟻にも等しい。

 戦らしい戦も無く、輝種はあっさりと降伏を決め。中村家当主、中村家成なかむら・いえなりはそれを認めた。

 輝種は豪族でも武士でもなく、ほんとうにただの念仏者だった。家来たちが血を流しひとりまたひとりと倒れる最中も、部屋に閉じこもって念仏ばかり唱えていた。

「わしが念仏を唱えるのは家や家来の無事を祈ってのことじゃ」

 と、言い訳しながら何もしない。これでは家来たちもやってられない。家来の一人、津川太郎左衛門つがわ・たろうざえもんは主の不甲斐なさを嘆きながら一人敵陣に突っ込み名誉ある戦死をとげ、それがようやく大高家の名誉を守っていた。

 それがなければ、今頃どうなっていたか。

「主のみならず家来も腑抜け、皆腑抜け、腑抜けの家じゃ」

 と陰口をたたかれてばかりだったろうから。聞けば母の実家はまだ善戦したという。

 それはともかくとして、千丸は父と家来二人とともに中村家当主中村家成の居城である式頭城しきとうじょうに向かっていた。

 子馬にまたがって空を見上げながら、父の後ろについていっていた。空は青く、太陽は光り輝き大きく白い雲が優雅に泳ぐ。そこから目を落とし、父の背中を見た。

 大きな馬にまたがる父の背中は、小さくて丸かった。




第一章「夫婦雛」 その二


「若」

 千丸の横で大人の馬を駆る若者が、背をかがめて耳元で小さく耳打ちした。

「なんだ十兵衛」

 相手の声にあわせて、千丸も小さな声で答えた。父は聞こえないのか聞こえぬふりをしているのか、黙々と馬を歩かせる。

「空を御覧なされ」

 と、津川十兵衛つがわ・じゅうべいは言った。十兵衛はさきの戦で戦死した津川太郎左衛門の息子であった。年のころは千丸より四つ上の十五。背丈は高めだがまだ顔には幼さが残る。しかし戦を経験しているせいかその顔に十分なまでに精悍さをたたえた、年に合わぬ逞しい少年だった。

 ちなみに先年元服も済ませ、初陣も済ませている。その初陣で父は戦死し、仕える家は攻め手に降伏した

「空ならさっきも見た」

「いいえ、もう一度御覧なされよ」

「どうして」

「よいから御覧あれ」

 と促され、仕方なくまた空を見上げれば

「あっ」

 と思わず声を上げた。空で、鷹が舞っている。鷹は晴天の空と白い雲を背に悠々と空を泳ぎ、時折太陽にも背を向けて、千丸は眩しくて手を上げ日差しを防いだ。真っ直ぐ羽を伸ばし、鋭いクチバシをまん前に向けて、鷹は風に乗り、空を駆け巡っている。それはひとこと、優雅という他になく。空の王者の風格十分であった。それを頷きながら見る十兵衛。

「かっこいい」

 と千丸が言えば。

「そうでござろう」

 十兵衛は得意げにうなずいている。すると、うしろで咳払いする声がする。舌打ちしながら十兵衛は背を伸ばし姿勢を正す。後ろを見れば老臣、氏清晴景うじきよ・はるかげが、じっとふたりを見据えていた。

「そちの鷹好きにも困ったものじゃ」

「何を言う。鷹のあの優雅さ、強さに惚れてどこが悪い」

「わしが言いたいのは、鷹を馴らせず飼えもせぬくせに、というのじゃ」

 と言われ、ばつが悪そうに十兵衛は黙り込み。千丸はおかしそうに十兵衛を見やった。晴景はおかしそうにするでもなく、これまた黙って口をつぐんでいた。内心、本心の奥の奥では口には出さぬが、今自分たちがどこに何をしに行くのかわかっているのか、と言いたかったのだ。それを言わなかったのは主の輝種の心情を慮ってだった。しかし若い十兵衛にはわからない。

 息子や家来たちの会話が聞こえているのかそうでないのか、輝種は黙々と馬を進めていた。やがて山道に入り、狭いあぜ道の上り坂を登ってゆく。その先に、式頭城の大手門が見え。そこに、中村家の門番らしき家来が数人たむろしていた。




第一章「夫婦雛」 その三


 家来たちは大高家一行がお城にやってきたのを受けて、馬から下りた一行を待たせてひとり場内に入っていった。ほどなくして、番人の頭らしき髭面の男がやってきて。こちらへ、と太く威圧的な声で一言言って、後ろも見ずにずかすかと城内に導いてゆく。馬は大手門の前で番人が預かった。

 男は降伏した被征服者に礼をつくすような優しさは持ち合わせていないようだ。他の番人も同じようで、皆面白おかしそうに一行を見ている。 

 千丸はその男たちを見て怯えている。まだ十一の少年には、男たちの威圧的な態度はただ怖く。今にも鬼となってとって食われるのでは、と思った。

 十兵衛はそれを見て取って、男たちを睨みつけ、千丸のそばにいてやった。晴景はすすすとさりげなく輝種のそばにいてやった。輝種も千丸同様どこか怯えているようで、思わずため息をつきそうなのをかろうじてこらえた。

 山頂に本丸がある。大高氏の居城、大高城とは規模が違う。大高城は小高い山の上にたち、一応の高塀と空掘をめぐらせた、大農家の館を少し大きくしたようなこぢんまりとした小さな城だが。式頭城は近代的なつくりで、都の貴族、とまでいかぬものの、大富豪が住むような大きさ、それに加えて風情と壮麗さがあった。

「これが城か」

 と思わず十兵衛はうなり、千丸はその大きさに顔を目一杯上げて本丸を見上げている。 

「これ」

 と言う目で晴景は十兵衛を見据え、男に付き従う主の後ろを着いてゆく。やがて案内役が門番の頭から中村家成の直臣らしき侍にかわり、城内にはいり、どこかの一室に押し込めらた。

 ふすまをぴしゃりと閉めた侍がどたどたと足音を響かせ部屋から遠のいてゆく。千丸はまだおびえていた。さっき鷹を見た楽しそうな気持ちはどこへやら、口を真一文字に閉じてただ体を震わせていた。この足音がまた舞い戻って、今度こそ鬼にとってくわれるのでは、という気持ちだけが心の中にうごめいている。 

 晴景と十兵衛は不憫そうに千丸を見て、輝種は無関心を装う。もう、己の命運がどうなろうと知らぬという風でもあった。心の中でひたすら念仏を唱える、最悪の事態になった後に無事極楽浄土へと導かれますように、と。

 それを見る十兵衛の気持ちは穏やかでない。父はこの腑抜けの主のために討ち死にしたのか、とやるせない気持ちでいっぱいになる、おまけにおびえる我が子に声もかけもしない。これでは城を守るために死んだ者も浮かばれねば、子も不憫である。

 これが主でなくば、殴り倒してしまうところだ。拳を握り締め、十兵衛は晴景とともに、ただ不憫な千丸のそばにいてやっていた。




第一章「夫婦雛」 その四


「よう来られた」

 と中村家成に声を掛けられたのは、部屋に押し込められて四半刻ほど過ぎた後のことだった。

 十兵衛と晴景を部屋に残し。広間に連れてゆかれ、左右に家来集、上座に家成。家成は口ひげをたくわえた風格ある壮年の男だった。輝種は縮こまって平伏し、その斜め後ろに千丸が同じようにして座している。

「そのようにかたくならずともよい。面を上げよ」

 といっても輝種は完全に畏縮してしまって顔を上げようとしない、はてさてかくも小心なものかと少し呆れているところ。

「はい」

 という元気な声。千丸だった。面を上げよ、という家成の声に素直に従ったのだ。これには家成も左右の家来集も少しあっけにとられ、やがて、くくくと声を小出しに笑った。

 千丸はどうして笑われるのか不思議な面持ちで小さく首を振ってあたりを見回す。輝種はますます硬くなり、額に脂汗を浮かべた。

「良い声じゃ。ええと、名はなんと申したか」

 物言わぬ輝種を無視し、千丸に話しかける。家成や家来集たちは、輝種を相手にするよりも子の千丸を相手にした方が面白そうだと、みな千丸を見ていた。

 ただ言うことを聞いただけなのに、どうして周囲の視線が父ではなく自分に向けられるのかわからないまま。

「千丸と申します」

 と応えた。やはりどこかおどおどしているが、それは十一の子供である以上仕方のないことだ。

「ほう、千丸と申すか」

「はい」

 再びの元気の良い返事。もうこれだけで、父の存在を打ち消して周りとの会話の中心となっている。

「年はいくつになる」

「十一になりました」

 と、家成は千丸に次々と話しかけ、果ては好きな遊びや食べ物、碁は得意かそれとも将棋が得意かと聞く始末で。完全に征服者と被征服者の会話ではなく、近所のおじさんと子供の日常会話となっていた。

「やあやあ、そちはまこと元気が良いの」

「ありがたきおことば、ありがたきしあわせにございます」

 と会話が一区切り終わって間が空いた。いつしか、家成は千丸を我が子を見るような優しい眼差しで見つめていた。が、輝種に対しては全くの反対の視線で睨みつけていた。本来なら輝種が何か応えねばならぬのに、そうせずに子供の千丸ばかりが喋っている。

 礼儀作法云々以前の問題であり、それで怒りに触れて首を飛ばされても仕方がないことである。

―この男はだめだ。―

 家成はもう、父親ほど年の離れた輝種など知らない。この沈黙の間をもっとも重く受け止めていたのは、他ならぬ千丸であった。鬼に食われるのでは、と思いおびえていたが、家成の意外な気さくさに心がほぐされ会話が弾んでいた。が、それが止んでさっきとは打って変わって張り詰めた空気が広間に漂っている。

 この大人たちの変わりように上手く対応できず、父と同じように平伏しなおして、おどおどしている。それを見て取った家成。次に口を開いたとき、さすがに輝種も思わず顔を上げるほど突飛なことを言い出した。

 

 

 

第一章「夫婦雛」 その五


「ふむ、千丸という名からして。元服もまだか……」

 と言ってしばらく黙って、それからぴしゃりとひざを叩き。

「よし、ここで会ったのも縁じゃ。わしがそちを元服させてやろう」

 と言うのである。さすがにさっきまで黙りこくっていた輝種もこれには驚き、思わず顔を上げた。

「輝種よ、異存はないな」

 もちろん、ありようもない。征服者の言うことには従わねばならない。しかし、元服、いわば成人式である。それが父である自分ではなく、征服者に委ねられようとは。子に対する父権までも征服されてしまったのである。

 家成は千丸が気に入った。はきはきとした元気の良い声に従順な素直さ。征服者を前にして、被征服者の子が父を出し抜いている。

 それを見て、仕込めば将来的に見込みがあると踏んだのだ。

 千丸はわけがわからすぽかんとしている。そこへまた家成の鶴の一声。

「その後で、嫁を娶らせてやろう。よい娘がおっての、その娘をくれてやろう」

 である。

 輝種は、もったいなきお言葉、とだけ言って平伏し続け。千丸はますますぽかんとする。元服も婚姻も、全て家成が取り仕切ると言うのである。しかも、婚姻の相手は家成の娘であるという。これは、征服者が被征服者に対しては寛大すぎるほどの処遇である。

 よほど千丸が気に入ったのであろう。そうと決まれば話は早い、思い立ったが吉日と、家成は立ち上がり。

「もうよいぞ下がれ。沙汰あるまでここでゆるりと過ごせば良い。なに、遠慮はいらぬ。ここを別荘と思ってくれてもよいぞ。千丸」

 と言った。輝種を無視し、千丸に振った。これが何を意味するのか。輝種は平伏している頭をさらに下げ、息子を伴って下がっていった。父親としての役割を分捕られ、あげくにあからさまに無視をされ。齢五十をすぎた老境の身には、命が助かったとは言え、あまりにも慈悲あるようで無慈悲な処遇であった。

 だが、そうだからこそ、今このような目にあっている。乱世の世である以上、致し方なきことでしかなかった。それがいやなら、自分が家成の立場になればよいのだから。それが出来ない以上、被征服者としての道を歩まねばならない。

 これも運命さだめと、輝種は全てを悟り、何もかも諦めていた。そうとはつゆ知らず、千丸は父の後ろについて十兵衛と晴景の待つ部屋へと戻った。




第一章「夫婦雛」 その六


 ふたりは、主と若君が無事もどったことを喜び、家成の言ったことを聞かせると、目を丸くして仰天して驚いていた。

「まことでござるか、若の元服式を!」

「しかも、お姫様おひいさまを頂戴つかまつるとな……」

 と言ったあと、呆然としてなんと言ってよいのかわからない。それこそ、領地の半分を取り上げられるか、他所へ、もっと貧しい土地へと追いやられるか。と思っていたのに。

 それには触れず、ただそれだけを言ったというのだ。これはどういうことか。

「ともあれ、喜ばしく、めでたいことです」

 晴景は咄嗟に、わざと大きな声ではきはきと言った。ここは家成の居城である。余計なことを口走り、家来たちに聞かれてはいけないから。とりあえずそう言って話を止めた。

「晴景の言うとおり、喜ばしくめでたいことじゃ。家成様に感謝しようではないか」

 と輝種は言う。

 この腑抜けの主が心の底からそう思っているかは疑わしいが、ひとまず大高家は安泰である。千丸はわけがわからないのか、ぽかんとしている。

 それもそうだ、まだ十一である。この大人たちの急ぎ足な事態にはなかなかついてゆけないようだ。ただ、家成様というお方が良い人でよかった、と、ほっとしている。

「わたしは、元服するのですか」

「そうじゃ」

 子の問いかけに、父は応える。

「その後で、お姫様を頂戴されるのですか」

「うむ」

「父上」

「なんじゃ」

 千丸はどこかしらうきうきしているようだ。被征服者の子としての自覚がない。それどころか、結婚して妻を持つ、ということもよくわかっていない。まるで新しい友達を紹介してもらえるように、はしゃぎ気味なところまであって、それを見る十兵衛と晴景の目はこころなしか潤んでいる。

 それを見、輝種はしんどそうにしている。人の気も知らないで、というふうに。

「お姫様とは、どのようなお方なのでしょうか?」

「さあのう。それは会ってみねばわからぬな」

「そうですか……、ですが楽しみです」

 父のそっけなさも気付かず、千丸はこれからのことで頭が一杯だった。

 

 


第一章「夫婦雛」 その七


 それから家来と女中が部屋に来て、布団を敷いてくれた。もう陽は落ちあたりは暗くなっている。

「明日、殿が姫君と千丸殿を謁見なさるということじゃ」

 と、輝種以下をぎょろりとした目で見据えながら、そう告げる。三人の大人は、「ははっ」とこうべをたれ、千丸も同じようにして。

「はい」

 と応えた。そのあまりの元気の良さに女中たちや家来はくすっと笑う。女中はともかく、家来も武士とはいえまた人である。子供の無邪気な返事は心が和むようで。

「よきお返事でござるぞ」

 とぎょろりとした目をにこやかにして、思わず応えてしまった。

 家来や女中たちが去った後、今日の用事は全て終わったのだという安堵感が襲い緊張感が吹き飛ばしたせいか、途端に眠くなり。寝巻きに着替えそのまま布団に入って夜を過ごした。

 翌日。

 起床と共に、女中が布団を片付けに来て、昨夜来た家来もやってきた。

「さて千丸殿、それがしについて来てもらおうか」

 と言った。父と一緒ではなく、千丸一人で来いというのだ。十兵衛がそれについてなにか言おうとして晴景に目で止められた。輝種はただ、「どうぞよしなに」と応えた。

 千丸はどきどきしながらも、家来の後を着いていった。昨日の広間ではなく、また別の部屋であった。そこに通されると、家成と、小さな女の子がいた。

 家成はその女の子と鞠で遊んでいたようだ。ふたりの間には赤い鞠がひとつ置かれていた。

「よう来たの、千丸」

「はい」

 平伏して応える。

「呼んだのは他でもない。そこなお雪に会わせとうてな、いやせっかちと思うが早いほうが良いと思ったのじゃ」

「ありがとうございまする」

「ほほ、くるしゅうない」

 と言った後、鞠を拾い上げ、女の子に手渡した。女の子はにこやかに鞠を受け取った。鞠が好きなのだろう、父から受け取って大事そうにかかえている。が、目の前の男の子にやや戸惑っているようであった。

「これ、挨拶をせぬか」

 とうながされて、はっとして。

「おはつにお目にかかりまする、お雪ともうします」

 と、少しおぼつかない声で言った。黒くつぶらな瞳のおさまる目をぱちくりさせて、千丸を見ている。千丸は千丸で、女の子、お雪を前に呆けていた。

 その名の通り、雪のように白い肌をし。それと対をなすような、艶の良い黒髪に黒くつぶらな瞳。緊張のせいか、紅を塗ったように赤い唇を真一文字に締め切っている。清楚さを感じさせる可愛らしいお姫さまであった。

 その『お姫様』という立場のため、同年代の男の子とあまり話すこともないのだろう。が、どこかしら素朴なにおいもしないでもなかった。が、さすがにそこまで気付けない。

「さて」

 と言うと家成は立ち上がり。

「あとは若いもの同士、ゆるりとお互い物語るがよかろう」

 と言って、そそくさと退散してしまった。

 部屋には他に誰もいない。いきなりふたりっきりにされても、幼いふたりにはどうすればよいのかわからない。

 ふたりが固まったまま、時はゆっくりと流れていこうとしていた。




第一章「夫婦雛」その八


 千丸は、こまったなあ、と思いながら。あたりをきょろきょろ見回していた。

 障子は開け放たれて庭が見える、外から涼しげな風が部屋に入り込み初夏の暑さをやわらげてくれる。

 お雪は、鞠を手にしたまま下を向いてじっとしていた。婿になるという男の子を前にして、どうしよう、と思っている。

 十一と九つの幼子では、気の効いた言葉もとっさにはうかばず。しかも、ふたりとも異性の友達というものもなく。特にお雪は恥ずかしがりやなのか、その頬をうっすらと桜色に染めてしまっている。

 せみの声が聞こえた。ふたりが黙りこくるのもおかまいなし、みんみんみん、とやかましく騒ぎ立てる。子孫を残そうと必死に叫ぶせみの声を耳に、これから夫婦めおととなるふたりは終始無言のまま時がすぎてゆく、かと思われた。

「あの……」

 声を掛けたのは千丸。やはりそこは男の子、この状況をなんとかしようと思い切って話しかけてみることにした。

 お雪は少し驚いたように、はい、と小声で応え。うつむいたまま続きを待った。

「鞠は好きですか?」

 という言葉に、声もなく頷く。何も言わないことに、やや戸惑いを覚える千丸。もしかして、嫌われているのでは、と思った。

 なんだかよくわからないけれど、これからこのと夫婦になるのだ、ということだけはわかってる。ならば、嫌われるようなことがあってはまずかった。

 これから一緒に暮らすのだから、仲良くしないと。ただそれだけを思った。

「私も好きです」

 とっさに出た言葉だった。

 うそだった。男の子である千丸は鞠で遊ぶことはなく、同年代の男の子たちや十兵衛と一緒に、泥んこ遊びや合戦ごっこなどの遊びしか経験がない。

 でも、お雪となんとか仲良くしようと、うそをついてしまった。そうとも知らず、お雪は目をぱちくりさせて、うそつきな男の子をまじまじと見ていた。

「ほんとですか?」

「はい」

「でも、男の子が鞠で遊ぶのですか?」

 いくらなんでも男の子が鞠で遊ぶなど、にわかには信じられなかった。もしそうなら、この若様はかなり軟弱な若様だ。などと子供のお雪が思うわけもなく。ただ、変なの、と思った。

 でも、その千丸の妻になるのだ。これは、父からの命令だった。お雪に断る権利はない。もちろん、千丸にも。

「他はわかりませんが…、母と……」

 突き詰められて、応えに窮する千丸。どうしよう、うそがばれたかな、とおどおどしている。じゃあどうすればよかったんだろう、と考えあぐねているところ。

「お母さまとですか」

 お雪が聞いた。どこかしら、さっきと目つきが違う。疑いの眼差しから、どこか哀しさを帯びている。

「はい。母上に鞠を教えてもらって。それから女中たちと一緒に遊んでいました」

 ままよと、千丸は嘘をつき続けようと思ったが、意外な言葉がお雪の口から出た。

「いいな……」

「え?」

「お母さまと鞠で遊べるなんて、おうらやましゅうございます」

「あの……、でも、もう母上はいません。病にかかって……」

 言いながら母のお志野を想ったものの、記憶もほとんどないし鞠で遊んだこともない。乳を飲ませるのも乳母の役目であり、お志野が直接なにかしら子育てに手出しすることはなかった。そのせいか、あまり母親というものに対しこれといった感情を持つことがない。

 お雪は言った。

「わたしも、もうお母様はおりませぬ。千丸様のお母さまと同じように、病にかかり」

 言うなり言葉を止めて、またうつむいて、体が震えだした。亡き母を思い出したのだ。

 生まれて間もなく亡くなって、鞠で遊ぶなど出来っこなかった。子として、せめて一度でも母に甘えたかった、それなのにもう母はなく……。

 大粒の涙がぽたりと、鞠に落ちてはじけた。慌てたのは千丸だった。

「お、お雪どの。どうしました」

 と、急いでお雪のもとまで来て。

「わたしは何かいけないことを言ってしまいましたか? そうなら許してくだされ。お雪どのを泣かせるつもりはなかったのじゃ」

 と、必死になってお雪を慰めるものの、どうして泣いているのかわからない。

「お雪どの、お許しくだされお許しくだされ」

 床に手をつき、何度も何度も頭を下げて詫びる。その様はまるで張子の虎が頭を振っているようで、そんな風にお雪の目にうつったのか。必死に謝る千丸を見て、きょとんとした後。

「うふふ」

 と、目に涙を浮かべながら笑った。よほど頭の下げようが可笑しかったのだろう。

「よかった、許してくれるのですね」

 千丸は千丸で、お雪が笑ったのを見て安堵して、笑った。それからよほどそれが可笑しいのか、ふたりはつられるようにして笑いあっていた。




第一章「夫婦雛」その九


 それから数日の後、ついに千丸の元服の日がやってきた。

 最初お雪と会って以来、お雪とは会えなかった。家成いわく、次は婚礼の儀じゃ、と。

 お雪と気が会って、以来千丸はお雪が好きになった。といっても、幼い千丸にはそれが異性への恋というよりも、新しい友達が出来たという感覚のほうが大きい。

 その日も晴れていた。

「良き元服日和ですな」

 と晴景が感慨深そうに言った。目も潤んでいる。

 中村家に攻められて、一族は存亡の危機に瀕した。だが、滅亡はせず中村家に征服されたとは言え、嫡男の千丸がこうして元服式を迎えられたということが。大高家の家来として何より嬉しかった。

「ようございました、まことようございました」

 と、鼻をすすりながら何度も何度も言っている。

「よしなされ晴景殿。みっともない」

 横で十兵衛が呆れたように言った。この老人の喜びようときたら、若い十兵衛から見ればみっともないことこの上ない。

「何を言うか。おぬしは嬉しくはないのか」

「それがしも嬉しゅうござる。しかし、あまりにも取り乱しすぎではないか。それでは中村家の家来どもにも笑われましょうぞ」

「こわっぱが一人前の口をききおるわい」

 と、ふたりは言い合う。

 輝種はというと。あいかわらず、何の感慨もなさそうにしている。とりあえず、身支度をして。あとは成り行きに任せるといった感じだ。

 その父を、千丸は少しだけ見た。千丸自身、父にはこれといった感情もない。物心つく前から、晴景をはじめとする家来たちが教育をしてくれた。同じ城にいながら、部屋も別々に暮らしていた。

 それが当たり前のご時世だった。

 だから、何も思うことはなかった。でも、少しくらいは喜んで欲しかった。「よかったな」の一言くらいあっても、と思わないでもないが。そう思っても詮無いこと、と子供ながらに思っていた。

 ともかく。この日は千丸の元服式だった。

 やがて中村家の家来が一同を迎えに来た。輝種を先頭に、後ろをついてゆく。

 大広間に着いた。上座には家成。

 千丸は教えてもらったとおり、そのまま上座の前まで来て、正座して平伏した。真ん中で分けた前髪がぶらんとたれる。今日は子供の証ともいえるその前髪を切り落とし、名前も変わる。

 大人になるのだ。今日より自分は大人になるのだ、と胸が弾む。それから、妻を娶る。そう思うと、さらに胸が弾み、頬が赤らんだ。どうしてそうなるのか、とっさにはわからないけれど。そうなってしまった。どうにも落ち着かない。

 脳裏には、しきりとお雪の顔が浮かぶのは、どうしてだろう。

 輝種以下も、隅によって同じように平伏している。

 空気が頬をかすめて流れてゆく、それ以外のことを感じられないほどの沈黙。家成はじっと上座から千丸を見下ろしている。やがて、こほん、という咳払いが聞こえた。

 

 


第一章「夫婦雛」その十


 それから、ほとんど覚えていない。前髪を切り落とし、子供の証とおさらばして。千丸は、いや、大高輝虎は大人になったという感慨を覚えながら、家成に酒を注いでもらった。

 家成はご機嫌だった。

 その家来たちも、家成への忠誠心厚いのか輝虎に慶びの挨拶の言葉を送ってくれた。もちろん、晴景と十兵衛も。父も、「よかった」と言ってくれた。

 それが嬉しかった。父は、自分を子として慶びの言葉と輝の一字を送ってくれたのだ。

 名前に輝の一字があるのは、父輝種の輝の字を送ったのだ。そして、虎。それは家成のあだ名でもだった。

 近隣の豪族や土豪たちは、家成を恐れて虎と呼んでいた。やがて家成は舅になるので、輝虎はふたりの父から名をつけてもらったということになる。

 輝虎、凛々しい名前である。

 家成とて馬鹿ではない。輝の一字を使うことで、輝種の面目を立たせ。そうすることで、服従することに対する不快感を和らげ不平不満を軽減できると踏んだのだ。それがさらなる十年二十年後につながるかもしれない、と……。

 それにまた己のあだ名をつけることで、お前は私の家来なのだぞ、という示しにもなる。そう、名前そのものが隷属の証となるのだった。

 もちろん、本人にそれがわかるわけもないし。教えられることもないだろう。

「よき名を付けていただき、ありがたき幸せに存じまする」

 と、輝虎は素直に喜んでいた。それよりも、気になることがある。

「あの……」

 と、勇気をふりしぼって、家成に問うたことがあった。なんじゃ、よい言うてみいと言われ。それでは、と。

「お姫様とはいつ会えるのでしょうか」

 と、言った。これには家成も家来たちも大爆笑だった。

―かわいいものじゃ、もう色気づきおってからに。―

 誰しもそう思った。

「わはは。まあ待て、やがては毎日会えるのじゃぞ」

 笑いを堪えながら家成は言った。なんとも無邪気なものだと、輝虎を見て、大高家に関しては完全に征服したことをこのとき確信した。


続く

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