花守る氷の魔女は、ただひとりで祝福を待つ
――あなたが咲かせた花だから
どうかどうか、枯れないで
『花守る氷の魔女は、ただひとりで祝福を待つ』/未来屋 環
「――フィリア、起きて」
落ち着いた声音が、私の耳を震わせる。
ゆっくり瞼を持ち上げると、そこには穏やかな表情でこちらを見下ろす幼馴染みの顔があった。
「……おはよう、クライブ」
クライブも「おはよう」と言って、その顔を優しく綻ばせる。風が吹いて、金色の前髪が静かに揺れた。
「できたよ、フィリア。見て」
クライブのその言葉を聞いて、私はぱちりと目を見開き、慌てて起き上がる。
そして視界に入った光景に、思わず感嘆のため息を洩らした。
先程まで緑一面だったはずの野原が、色鮮やかな花たちで埋め尽くされている――振り返ると、彼は照れくさそうに笑った。
「なかなか上手くいかなくて、随分と時間かかっちゃった。退屈させちゃってごめんね」
「ううん、さすがクライブ。すごく綺麗でびっくりした」
「まぁ――フィリアと違って、僕にはこんなことしかできないからさ」
そう言ったクライブの顔が、少しだけ寂しげに曇る。
――出た、いつもの自虐。
私は口を尖らせて、クライブの青い瞳を見つめた。
「何言ってるの。使える魔法はひとりひとり違うんだから、比べたって仕方ないじゃない」
「……そうなんだけど、僕はフィリアみたいに強くないから」
「強さがすべてじゃないよ。私はクライブの魔法が好き――あたたかくて、幸せな気持ちにしてくれるから」
そう告げると、目の前の気弱な幼馴染みは驚いたようにこちらを見つめ返す。
そして、やがて根負けしたように、優しく微笑んだ。
「――ありがとう。僕も、フィリアの魔法が好きだよ」
――はっと目を覚ますと、薄汚れた天井が視界を埋め尽くしている。
何だ、夢か。
私は古びたベッドの中で、深くため息を吐いた。
身体を緩慢に起こし、洗い場に向かう。ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗って鏡を見ると、そこには冷たい表情をした目付きの悪い女が映っていた。
幸せだった頃の記憶から一気に現実に引き戻される。
――今更あんな夢を見たから、何だというのだろう。
鏡に映った女は、自嘲するように口元を歪めた。
――もう、とうの昔に、クライブは死んでしまったというのに。
固くなったパンをぼそぼそと咀嚼し、水で流し込む。最低限生命活動を維持するためだけの食事を終え、私は住んでいる小屋の出口に向かった。
今日も私は、終わる当てのない仕事に従事しなくてはならない。
そう――この辺境にたったひとり、生き残った魔女として。
壁にかけた無骨なガスマスクには、私の魔法で『延命』された花たちが飾り付けられている。
我ながら悪趣味だと思いながら、仕事道具であるそれを着用して、私は小屋を出た。
***
――もうあれは、10年程前のことだ。
両親に先立たれた私は、幼馴染みのクライブとその家族にお世話になりながら、辺境の村で暮らしていた。
普段は村の中で育てた作物を食べて生活をしているが、どうしても入り用なものは月に一度誰かが街まで買い出しに行く。行きで1日、帰りで1日かけて街と往復するその役回りは、大人たちだけでなく13歳になった私にも与えられた大切な仕事だ。
そして、その月はたまたま私が当番だった。
必要な買い物も終え、あとは明日帰るだけ――そう思いながら宿の近くで夕食を摂っていると、周囲で神妙な顔をした客たちがひそひそと話をしている。
――曰く、魔王が復活したらしいと。
そんな噂を聞きながら、私は自分には関係のない話だと思っていた。
魔王が復活したところで、どこかの王国が勇者を任命し、討伐に行くだろう。私たちにできることは何もない。
温かいココアを飲み干して、私は宿に戻ってそのまま眠りに就いた。
――あの時、すぐにでも村に戻っていたなら。
あれから幾度の夜を越えても、後悔しなかったことなど一度もない。
ただ、薄暗い森の中を奥へ奥へと進んでいく。
朝の時間帯であろうが、この森には光がうっすらとしか届かない。
それは、私にとっては救いでもあった。
何故なら、見たくもないものを直視しなくて済むからだ。
ふと、周囲に気配を感じて、私は足を止めた。
――『やつら』のお出ましだ。
ゆらりゆらりと煙が立ち昇った後――やがてそれは実体を伴って私を取り囲む。
『魔物』と呼ばれるそのものたちは、10年前の魔王の復活と共に突如として世界各地に現れた。
その全身から立ち昇る瘴気は、それを吸った人間たちの身体の自由を奪い――その後どうなってしまうかは、説明するまでもない。
このガスマスクがなければ、私も同じ末路を辿るだろう。
そいつらの顔にあたるであろう場所には穴がぽかりと空き、見様によっては口のようにも見える。
その穴をにやつくように横に広げ、魔物たちは私を品定めするかの如く佇んでいた。
――なめられたものだ。
私はため息を吐き、右手を掲げる。
その手が青く光った次の瞬間――端に居た魔物が切り裂かれた。
血のように赤い液体を吹き散らしながらも、その身体は空中に溶けるように霧散していく。
大地に死体を残さないのは、やつらに残された最後の良心だろうか。
両隣の魔物が戸惑ったように蠢く間に、同様に私の魔法の餌食となり――放たれた刃と共に消えて逝った。
慌てて反対側に立っていた魔物が逃げようとするが、遅い。
私が左手を薙ぐと、そいつの足元が凍り付く。
動きを封じられてもがくその魔物を、私は他のやつらと同じく切り刻んだ。
そう――私は氷結魔法を操る魔女。
あらゆるものを凍らせ、もしくは創り上げた氷の刃で攻撃する。
一方的に魔物たちを屠りながら、私の脳裏にはあの日見た光景がよみがえっていた。
「――なに、これ……」
村に帰り着いた時、すべては終わっていた。
視界の至るところで火の手が上がり、人々が倒れている。
慌てて駆け寄ってはみたものの、絶命していることは明らかだった。
私は燃え盛る炎を魔法で鎮火させながら、クライブの家に急ぐ。
しかし――そこには既に家はなく、ただ残骸だけが在った。
とうに燃え尽きてしまったのか、それとも魔物に破壊されてしまったのか――間に合わなかった私には知る由もない。
クライブの両親の亡骸は周辺に横たわっていたものの、クライブとその妹は痕跡すら見付けられなかった。
私はその時――二度とクライブに逢えないことを、理解した。
『僕はフィリアみたいに強くないから』
クライブの言葉が脳内に響く。
――強いから、何だというのだろう。
肝心な時に戦えなければ、何の意味もないじゃないか。
ふらふらと彷徨っている内に、私はクライブと遊んでいた野原に辿り着いた。
あの日クライブが咲かせた花たちは跡形もなく焼き尽くされ――いや、わずかではあるが、何本かは生き延びている。
私はそっと、包み込むように花たちを凍らせた。
――せめて、クライブが咲かせてくれた花だけでも、守りたかった。
「――やっと終わった」
ガスマスクを飾る凍った花を撫でて、私はぽつりと呟く。
魔物たちは一掃され、ただ目の前には赤く塗れた地面だけが広がっていた。
毎日毎日飽きもせず生まれてくる魔物たちを魔法で屠っていく――それは私にとって、ただの『作業』だ。良心は欠片も痛まない。
――だって、おまえたちは私の大切なひとを奪ったのだから。
それでも、目の前に広がる血のようなその色を見ていると、気分が滅入る。
クライブは花々で大地を彩ったのに、私はこうやって大地を穢すことしかできない。
『――ありがとう。僕も、フィリアの魔法が好きだよ』
クライブの言葉が、私の中で虚しく響いた。
***
そして今日も、私は辺境に住まう魔女としての責務を果たす。
ガスマスクに手を伸ばしたところで、不意にドアをノックする音がした。
――誰?
私は怪訝に思いながら、ガスマスクを着用してドアを開ける。
すると、そこには同じくガスマスクを付けた人間が立っていた。
それ自体は何の違和感もない。街中ならまだしも、この辺りまで来るとどれだけ瘴気が漂っているかわからないので、ここを訪れる数少ない訪問者たちは皆ガスマスクを付けてやってくる。
しかし、定期的に報酬を持ってくる王国の役人でもなく、食料を売りにくる行商人でもない――その人間に、私は心当たりがなかった。
「こんにちは。あなたが氷の魔女、フィリアですか?」
穏やかな男性の声が、マスク越しに私の耳に届く。
どうやら、きちんと私の素性を知った上で訪ねてきたようだ。私は警戒しつつも、無言で頷いた。
すると、その男は「そうですか……」とだけ言って、口を噤む。
そのまま無言の時間が流れた。
「――私に何か用?」
たまらず私が口を開くと、彼ははっとしたように「あ、はい」と返事をして、唐突にぐっと私の腕を掴んだ。
「えっ!?」
「――僕と一緒に来てください」
そのまま、彼は私の手を取って走り出す。
一体この男は何者なのだろう。
怪しいやつなら魔法で応戦することも考えるが、不思議と悪意は感じられない。
私はただ、わけもわからず付いて行った。
そして――辿り着いた場所に、私は思わず目を見開く。
「ここは……」
目の前には、緑一面の光景が広がっていた。
忘れるはずがない――ここはかつて、クライブが花を咲かせた場所だ。
あれから10年が経ち、ようやく草が生えるようにはなったのだろう。
それでも、未だ花を付けるまでには至らないのか――この辺りを覆い尽くす瘴気は、それだけ強力ということだ。
男は私の手を離し、野原の中心にまで歩いていく。
そして――そこで、ガスマスクを取ろうとした。
「! ちょっと、何して――」
瘴気を吸えば、あっという間に身体の自由を奪われ、そしてその先に待つのは――死だ。
慌てて彼に駆け寄り、止めようとした瞬間、私の目の前でガスマスクが取り去られた。
その下から現れたのは――きらきらと太陽の光を反射して輝く、艶やかな金髪。
思わず私の足が止まる。
「――大丈夫、もう魔王は滅びた。こんなものがなくても、僕たちは生きていける」
落ち着いた声で、彼が言った。
そして――両手をゆっくりと前に広げる。
その時の光景を、私は一生忘れないだろう。
緑に塗り潰されていたはずの大地に、ぽつりぽつりと色が芽生え始めた。
赤、黄、白、青――最初は数えられる程だったその色たちは、ゆっくりと、しかし確実にその数を増していく。私は息をするのも忘れて、その光景に見入った。
やがて、彼は広げた手を静かに持ち上げていき――その動きと連動するように、色彩が一気に広がりを見せる。
音もなく、私の目に映るすべてが輝きを増した。
――それは、世界が祝福に彩られていく様にも見えて。
彼が両手を天に掲げたところで、ぴたりと動きを止める。
目の前では、色鮮やかな花たちが風に揺れて踊っていた。
そう――クライブが魔法をかけたあの日のように。
「――やっと、ここまで戻ってこれた」
マスクを取った彼が振り返る。
その顔に、私は言葉を喪った。
もう二度と逢えないと思っていた――そのひとが、成長した姿でそこに立っている。
彼は私に歩み寄り、ガスマスクに飾られた花を手に取った。
「あの日からずっと、花を守ってくれていたんだね――フィリア」
そして、優しく私のガスマスクを取り外していく。
完全に取り払われた時、私を捉えたのは穏やかな青色の瞳だった。
10年振りに触れた世界の空気は澄んでいて、優しく私の頬を撫でる。
どんな顔をすれば良いかわからなくて、私は思わず口を尖らせた。
「――仕方がないでしょう。だって、ここには私しか居なかったんだから」
私の台詞に、目の前の幼馴染みは少しだけ困ったように微笑む。
その笑顔は、私のことをあたたかく、幸せな気持ちにしてくれた。
「――おかえり、クライブ」
クライブが「ただいま」と答える。
透き通った風に吹かれて、花びらが私たちを祝福するように優しく舞った。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
こちらはウバクロネさんが描かれたイラスト『ピースフル』をテーマに書かせて頂いた作品です。
素敵なイラストはこちら↓
このイラストだけで物語が完結しているようにも思えて、結局自分なりの作品に落とし込むまで、2ヶ月以上かかってしまいました。
結果的に、自分としては珍しいファンタジーな世界観の物語が生まれました。
月曜の朝から読んで頂くのはどうかという少しダークな感じの作品になってしまったのですが、たまにはこういうのもいいかなと思いながら書きました。
ちなみに、この作品を書く上ではもうひとつ、自分が過去に書いた『恋をするひと』という詩をモチーフとしています。
いつか物語に繋げられたらと思っていたので、今回それができて良かったです。
(ランキングタグの所にリンクを貼っておきますので、もしよろしければご一読ください。ラストの4行詩です)
お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。
【追記】
越智屋ノマさんとウバクロネさんに、素敵なイラストを頂きました!
フィリア(by越智屋ノマさん)↓
キリッとしつつも優しげな表情のフィリアの周囲を氷とお花が舞っているのが素敵です。
クライブ&フィリア(byウバクロネさん)↓
手にガスマスクと散る花を持ちつつも、しあわせそうな表情で穏やかに微笑むふたりが本当に綺麗で……(´;ω;`)
背景のグリーンもとっても素敵です!
越智屋さん、ウバさん、ありがとうございました(´ω`*)