16 案内された先
「ねぇイトケン。私と付き合ってくれないかしら?」
お嬢のこの一言にいつも騒がしい部室――ちょうど貧乏神がキングボンビーへと変身して、大騒ぎしていた俺達男子陣は一瞬で静まり返る。
「え?」
俺は何かの聞き間違いだろう、と思い、聞き直すを選択。
だがその前に、
「お嬢の告白、キタ~~~~~~~!!」
と発狂するワトソンを皮切りに部室は一気に騒がしくなる。
「お嬢がついに男子に興味を持ち始めたぞ~!!」
「それもイトケンとは、お嬢も中々猛者じゃねえか。」
「本当に良かったよ~~。僕はうれしい。(泣)」
「うるさいわね貴方達!何を勝手な事言っているのよ!斬るわよ!」
番傘から引き抜いた仕込み刀を振り回すお嬢。
ほんの数秒で部室はカオスと化す。
これが地論部の日常―――正常運転である。
「全く貴方達は・・・。」
数分後、仁王立ちするお嬢を前に正座する男子陣。(ってかなんで俺も一緒に?)
「なんで付き合う=告白になるのよ。それとワトソン、男子に興味を持ち始めた、てどういう意味よ!」
「いや~、お嬢に浮いた話なんて聞いたことがなかったからさ~。てっきり興味がないのだと。」
なぁ?と横のバッちゃんに話を振る。
「言われてみればそうだね。なんでだろう?」とライダーにバトンタッチ。
「お嬢は顔もスタイルも学校内でもかなりの上位に入るしな。イトケンもそう思うだろう。」
「そうだね。気立てもいいし、もっと人気があってもいいと思う――――。」
ここまで言葉を口にして「はっ、」と気付く。
お嬢の顔を真っ赤。
そして背後から阿修羅オーラ全開にしていることに。
「あ、貴方達、覚悟はいいわね・・・。」
「いや待ってよお嬢。これはほんの冗談であって~~。」
このワトソンの言い訳を皮切りに各々が必死に言い繕うもお嬢の耳には届かず・・・。
「天誅!!!!!!!」
「「「「ギャアアアアアアア!!!!」」」」
地論部の部室が静けさを取り戻すのはそれから10分後の事だった。
「さっきニュートから連絡が来たのよ。」
天の裁きを終え、冷静さを取り戻したお嬢。
屍が3体転がっているこの状況下、少し不機嫌そうに自分のスマホを俺に見せる。
「えっと何々『やっほ~、お嬢元気にしている。地論部は楽しんでるかい。ボクは優雅なサボタージュライフを十分満喫――――』」
「声を出して読まなくていいから!」
お嬢に怒られたので続きは黙読。
ニュートから送られてきたメールは長文。
スマホ画面を何度もスクロールしなければいけない文量なのだが、肝心の中身はスカスカ。
文章の99.5%は全く中身のない内容だった。
「―――でどこに案内されるの、俺?」
最後の2文『追伸、イトケンを向井さんの場所に案内してね。よろしく。』に視線が止まり、どういう事か尋ねる。
「それは明日教えるわ。全く、要件を追伸にしないで、ってあれほど言っているのに・・・。本当にあの男は―――。」
小言でニュートへの恨み節を口にするお嬢が怖くてそれ以上、何も聞けなかった。
ということで次の日の放課後。
お嬢に案内された場所は学校から少し離れた住宅街。
新築が多く佇まう中に年数を感じさせる住宅がちらほら。
この数年で住宅の並びが著しく変わった印象を受ける。
「ここよ。」
先頭を歩くお嬢が立ち止まった目の前の建物――住宅街の中ではかなり古い印象を受ける大きな一軒家。
3階建てで大きな両開きの扉、壁に取り付けられている看板には〈向井診療所〉と書かれている。
(内科に外科、小児科に精神科も受け持っているのか。)
「ほらイトケン、入るわよ。」
「えっ、待ってよ。」
躊躇いもなく診療所へ入るお嬢に続く。
「あら、久しぶりね。」
中へ入ると待合室でお年寄りと談笑していた20代後半ぐらいの女性看護師がお嬢へ近寄る。
「お久しぶりです。」
「うん元気そうね・・・てあら?」
そこで隣にいる俺の存在に気付いたらしい。
仕事の笑顔だった看護師の顔がニンマリ。
「見かけない男の子じゃない。もしかして彼氏?」
「違います!(キッ)」
ちょっとお嬢、そんなにきつく睨まなくても。
ほら、看護師さんの顔が恐怖で引きつっていますよ。
そればかりか待合室にいるお年寄りの人達も怖がっているし。
「おやおやおや、どうしたのですか?」
「あ、先生。」
待合室の異変に気付いたのであろう、奥から姿を現したのは白衣を着た男性。
歳は40後半から50代前半ぐらいだろうか。
きちんとした身なりに背筋がまっすぐ伸びた姿勢。
医者としての風格とは違う強者の威圧感をその人から感じる。
その男性が現れた事で待合室の空気も穏やかさを取り戻したようだ。
看護師の表情にも笑顔が戻る。
「向井先生、ご無沙汰しております。」
お嬢が医者に礼儀正しく頭を下げる。
「おや君は。元気にしているようだね。」
「はい、おかげさまで。それで今日なのですが―――。」
「大丈夫。話はあの子―――ニュートから聞いているよ。」
とここで俺と眼が合う。
「初めまして。私の名前は向井達也。ここで開業医をしている者だ。よろしく。」
「よ、よろしくお願いします。」
差し出しれた右手に俺は戸惑いながら握手。
(この人。かなりデキる。)
向井医師の掌には剣を握った時に出来るマメが。
それもかなり振り込まないと出来ない固いマメの感触を俺の右手が感じ取った。
「成程ね。いい掌をしている。」
どうやら相手も同じ感触を得たようだ。
「辰巳君、すまないがしばらくここをお願いするよ。2人とも私についてきなさい。」
看護師に言付けを残し、俺とお嬢は向井医師に連れ立って診療所を後にする。
案内されたのは診療所の裏手、大きな門を構えた道場だった。
「私は開業医の傍ら剣道場を開いていてね。さ、遠慮せず入りたまえ。」
「失礼します。」
神棚に一礼、道場の中へ。
お嬢も後へ続く。
「・・・・・・。」
道場の中心に立つ俺は言葉を失う。
翠成高校の剣道場とは全く違う。
まずは大きさ。
ここの剣道場の方が大きい。だがそこではない。
この道場が醸し出す雰囲気に息を吞んだのだ。
汚れ一つない艶がある床。
壁に掛けられた木刀の数々や姿鏡。
正面に備えられた神棚。
真新しさなら翠成高校の方だらう。
しかし清潔さ、いや違う。神聖さと言えばいいのだろうか。
ガラス窓から差し込む夕日の光と道場の控えめな照明が相まってこの場所が特別な領域のように感じて仕方がない。
さっきから俺の心の奥底から熱い気持ちが滾るのがわかる。
「イトケン君、だったかな。」
突然呼ばれて我に返る俺。
向井医師は壁にかけていた木刀を一つ手に取り、俺に手渡す。
「君の事はニュートから聞いているよ。何でも一人でずっと剣を振り続けていたそうだね。よかったらそれを私の見せてくれないかな。」
「・・・・・・、わかりました。」
向井医師の眼から俺に断る、という選択肢を除去する視線を感じる。
どうやら品定めをしたいらしい。
だが、俺はその視線に不快な気持ちを抱かなかった。
何故なら俺自身がここで振ってみたいと思っていたから。
(この場所でいつもみたいに素振りしたらどんなに気持ちいいんだろう?)
滾る熱い思いが身体全身に駆け回るのがわかる。
俺は神棚に一礼、そして受け取った木刀を構える。
(俺がいつも使っている木刀より少し重いな。)
中段の構えで感じる木刀の重さを確認しつつ、大きく息を吸う。
それを少し離れた位置でじっと見つめる向井医師と心配そうに見守るお嬢。
俺はその2人の事を意識しないようにする。
(いつもと同じように・・・。いつも通り。)
肺に貯めた空気をゆっくり、静かに吐く。
全神経を握る木刀に、そして目の前の架空の相手―――思い描くのは一度も勝てなかった亡き祖父の姿―――へ集中。
張り詰めた空気。
雑念や雑音は消え、この場は俺と見えない敵――亡き祖父と睨み合いが始まる。
(・・・・・・・、ヨシッ!)
「面っ!」
架空の相手へ振り下ろす俺の一振り。
静寂と化した道場の空気を切り裂く音が俺の掛け声と合わさって道場に響いた。
(うん、いい感じだ。)
自分の素振りに好感触を得た俺はこの感触を維持して続けようとしたその時だった。
「そこまで!」
向井医師の鋭い一声で俺の空気がかき消された。
「素晴らしいよ、イトケン君。私の想像以上だ。」
眼をキラキラ輝かせて拍手する向井医師。
子供のような無邪気な笑顔の彼とは対照にお嬢は驚愕。
雷を打たれたみたいに表情をしており、健康的な肌色をしている彼女の顔から血の気が引いている。
「イトケン、貴方は一体・・・・・・。」と呟くお嬢を押しのけ、向井医師が俺の前に立つ。
「どうだろう、君さえよければ私の道場に通ってみないか?」
両肩を掴まれて熱烈な勧誘を受ける。
「いや、是非とも来てほしい。君ほどの逸材をこのまま放っておくのはあまりにも惜しい。」
「えっと・・・。」と戸惑う俺はお嬢にヘルプの視線を送る。が、お嬢は今尚立ち直りを見せていない。
「ああ、部活動――地論部の事を心配しているのだね。それなら大丈夫だよ。私の道場は週に3日。時間も夜8時からだから部活動に影響を与えないはずだよ。」
その後も向井医師の猛烈なラブコールに俺は困惑のあまり、一度参加してみます、と答えることしかできなかった。
「凄いよ!さっすがイトケンだね!」
翌日の朝、登校してきた俺を捕まえたバッちゃんが昨日の事について説明を求めてきたので、事の真相を話したらこのような反応が返ってきた。
「イトケン、向井さんの道場には通った方がいいよ。絶対に。」
「バッちゃんもそう思うんだ。」
実は向井医師の道場を後にした後、お嬢にも「貴方の意思を尊重するけど私は通うべきと思うわ。」と背中を押されていた。
「それはそうだよ。向井道場に通えるなんて中々ないことだよ。」
「えっ?そうなの。」
「そうだよ。」と大きく頷いたバッちゃんが昨日出会った向井達也について説明してくれた。
「向井さんは剣道界ではかなり有名な人なんだ。まぁ医学界でも有名らしいけどね。イトケンは剣道の段位の取り方は知ってる?」
「それはもちろん。」
剣道の段位まず受審審査があり、上の段位に行けば行くほど難しいとされている。
初段は1級を取得しておれば中学2年以上から取得審査を受験でき、二段になると初段取得後1年の修業期間が必要。
三段になると二段取得後2年の修業期間、というように受ける段位が上がるごとに受審条件の経過年数が増えていくのだ。
「で、向井先生は今50歳なんだけど、最年少の46歳で最高位の八段を取得。で、八段取得者のみが出場できる大会があるのだけど、それに出場して以降は負けなしの大会4連覇中。凄いよね。」
「それは凄い・・・。」
八段は剣道の段位の最高位。剣道人口の約0.06%のごく一部の人しか取得できていない。
八段の合格率は0.8%。これは司法試験よりも低いと言われ、日本の中では最も難しい試験と言われている。
「さらに向井さんは称号――『教士』も取得されていてね。年数の問題があるから今はまだだけど『範士』も確実、って言われるほどの人物らしいよ。」
称号とは六段以上取得者が受審できるもので下から順に『錬士』『教士』『範士』が存在する。
取得には各段取得後からの経過年数と実績を得て選考され加盟団体からの推薦を得てやっと取得できる。
その中でも『範士』は八段取得後からさらに年数を重ねて尚且つ全日本剣道連盟会長から適格と認められたものしか得られない。
範士八段とは剣道をしている者としては雲の上の存在と言えるであろう。
「で、各地からいろんな人が向井さんに師事を仰いでほしいって訪れているのだけど、大部分の人は門前払いされているのさ。」
向井道場の入門はかなり厳しいらしく、熱意がない者や見込みがない者は敷地を絶対に跨がせない。
厳しい審査を通り抜けた者のみ門下生として受け持っているらしい。
「だからお弟子さんもほんの一握りしかいないのさ。そんな向井さんから勧誘されるなんてイトケンはやっぱり凄いよ。」
バッちゃんの話を聞いて向井医師の凄さを改めて知らされた俺。
(もしかしたら爺さんよりも強いのかも・・・。)
そんな感情が体中に駆け回り、気が付けば向井道場へ行くことが楽しみになってきた。
「ありがとうバッちゃん。道場に行くのが楽しみになってきたよ。」
「よかった。道場でのこと、また教えてね。」
「了解。」
「と。そうだ。それとだけど・・・。」
突然、何かを思い出したバッちゃん。
声を潜めてこう続けた。
「イトケンが向井さんの道場に行くこと、僕達以外の人には話さない方がいいよ。特に剣道部の人には。」
「どうして?」
「部長の加藤先輩、前から向井さんに師事を仰いでほしい、て懇願していてね。理事長も是非ともって尋ねた事があるらしいのだけど、厄介払いされたんだって。だから加藤先輩の耳に入ったらまた因縁付けられるから気を付けてね。」
「わかった。」
「ヘイ、エブリバリ~。出席を取るぞ。」
担任の中内先生(年齢33歳、男性)が教室へ入ってきたことで、バッちゃんとの会話は終了、自分の席へ帰っていく。
「オッケ~、今日も全員――約1名除いて出席だね。」
奥端の空席――ニュートの席だ。どうやら今日も欠席のようだ。
「まずは連絡からだ。最近ナイト遅くに不審者の目撃情報が相次いでいる。」
―――それってもしかしてあれよね。―――
―――夜な夜なにポストや柵を叩き壊しているってあの?―――
―――撲滅ソルジャーかな?―――
―――え?私が聞いたのは大きなコートを着た・・・・・・――――
「ビークワエット!ミーの話を聞くように!」
中内先生の一喝に噂を囀っていた生徒達の口が閉じられる。
「いいですか?不審者が夜中徘徊しているのでナイトの出歩きは控えるように。アーユーオーケー?では今日も元気に、スタディしていこう。」
注意伝達が終わり担任の授業(日本史)が始まった。