10 お嬢の噂
作業開始して約3時間。
「終わった~~!」
バッちゃんの歓喜の声が終了を告げる。
「凄いな・・・。」
完成された花時計を見ての感想はその一言に尽きる。
色鮮やかでたくさんの種類の花で埋め尽くされた花時計。
配置と色のコントラストは絶妙で写真に撮って収めたいほどだ。
「上手くいったわね、バッちゃん。」
「うん、2人のおかげだよ。」
「いや、これはバッちゃんの手柄だよ。」
その言葉に偽りはない。
何故なら作業の大部分はバッちゃん一人で行っており、俺とお嬢は手伝い程度の事しか出来ていない。
「じゃあ後は片づけをして終いね。」
3人で後片付け。
道具も元の場所に戻し、お嬢は古賀先生に鍵の返却と作業終了の報告の為、一度生徒指導室へ。
俺とバッちゃんは体操服から制服に着替える為、一緒に更衣室へ。
「それにしてもバッちゃん、花の扱いとか凄く慣れていたよね。」
「昔取った杵柄って奴かな・・・。」
制服に着替え終えた俺がふと零した些細な一言。
しかし、それを受け取ったバッちゃんの表情が瞬時に曇る。
(あ、藪蛇だった。)
気付いた時にはすでに遅し。
俺達2人の間に気まずい空気が流れる。
「さ、イトケン。戻ろっか。
明らかな空元気で場を和ませようとしたバッちゃんの一言。
だが、第三者の登場で空気はさらに重苦しくなる。
「お前、何でこんなところにいるんだ。」
「加藤、部長・・・。」
そう、剣道部の加藤部長。
部活が終わり着替えに来たのだろう、更衣室の入り口で偶然鉢合わせたのだ。
(あわわわわ。)
(チッ、マジかよ・・・。)
この場に居合わせたバッちゃんはオロオロ。
剣道部副部長の柳瀬先輩は軽く舌打ち。
「お前、退学になったはずじゃねえのかよ。」
どうやら加藤先輩は俺が退学処分になっていたと思っていたらしい。
俺は脳内でどう行動するかを考え、その結果「お疲れ様です。」と会釈をしてその場から離れることを選択。
無視してその場を離れるのは何か違う、と思っての行動だった。
しかし、
「何だよお前、その態度は!」
当の加藤部長には気に食わなかったようだ。
「馬鹿にしているのか俺様を!」
胸倉を掴みかかろうとしたが、柳瀬先輩が間に入ったおかげで未遂に終わる。
「おい加藤、落ち着け。こんな所で大事になるのは流石にまずい。」
「イトケン、大丈夫?」
バッちゃんもこの空気は不味いと感じたのだろう、すぐさまこの場から立ち去ることを提案。
俺もそれに賛同する。が、加藤先輩がそれを許さない。
「すかした態度を取りやがって。眼中にないって言いたいのか!」
言い掛かりも甚だしい。
そんなつもりはない、と言い繕うとするが、血眼でガンを飛ばす加藤先輩を見て察する。あの人に何を言っても無駄だ、と。
「おい加藤。お前達、どっか行け。」
「うるせぇ!柳瀬。俺様の邪魔をするな。おい、待ちやがれ!!逃げるな。」
柳瀬先輩の制止を振りほどき、俺に詰め寄る加藤部長。
声量が大きくなるにつれ暴言も増え始め、行く手を阻む。
どうすればいいのか?と悩んでいた時だった。
「どうかしたのイトケン?」
凛とした、お嬢の一声。
声量では加藤部長の暴言が上回っているが、声の迫力はお嬢の方が遥かに上。
たった一言でこの場の空気を掌握した。
「何かありましたか、先輩方?」
お嬢は俺の前に立ち、加藤部長と向かい合う。
「何だ女?この俺様の邪魔をするんじゃねぇ!」
「イトケンは私達の部活の仲間です。彼に何か御用ですか?」
加藤部長の睨みに怯むことなく間髪言い返すお嬢。
先程から後ろで慌てふためくバッちゃんとは違い、度胸がある。
何だが修羅場をくぐり抜けてきている印象を感じる。
平然と立ち向かうお嬢の態度に感服すると同時に相手の加藤部長の事を考えると一抹の不安が。
「お嬢。」
「大丈夫よイトケン。ここは私に任せて。」
で、ご用は何でしょうか?と再度加藤先輩へ向き直る。
その時、俺はお嬢の番傘を握る手に力が籠るのを見逃さなかった。
「うるせぇ女だな。まずお前から―――。」
「お嬢・・・・・・、ってまさか!おいよせ加藤!そいつに手を出すな。」
顔から血の気が引く柳瀬先輩は加藤部長を懸命に止める。
「邪魔をするな柳瀬!」
「いいから辞めろ加藤。そいつはヤバい奴だ。―――――――。」
「っ!」
柳瀬先輩の耳打ちで怒りの表情が真っ青へ一変。
「くそっ!」と悪態を残し、逃げるようにこの場から立ち去った。
「はぁ~~~。怖かった・・・。」
2人の姿が消えて真っ先に言葉を零したのはバッちゃん。
「ごめんねイトケン、助けられなくて。僕、何もできなかったよ。」
「えっ?ああ、ううん、気にしないでバッちゃん。」
ちょっと考え事をしていて反応が少し遅れてしまった。
「イトケンの言う通りよ。気にしたら駄目。というよりもお礼を言う方だわ。」
「それってどういう事?」
「バッちゃんから連絡があったのよ。すぐ来てってね。」
お嬢が自分のスマホを掲げる。
画面にはバッちゃんからメールで『すぐ来て』の文字が。
「私はこれを見て、駆け付けたのよ。」
「そうだったんだ、ありがとうバッちゃん。」
「本当はこの場を止めれたらよかったんだけどね。」
「それは仕方がないわ。適材適所よ。」
お嬢の言葉に納得するバッちゃん。
「さ、私達も戻りましょう。」
そうだね、とバッちゃんを先頭に俺達は部室へ戻る。
その途中、
「ねぇ、イトケン。」
「お嬢、どうしたの?」
「あのね。さっきの、剣道部の人達が言っていた事だけど・・・。」
恐る恐る俺の態度を窺いながら尋ねてくるお嬢。
先ほどまでの――加藤部長に立ち向かっていた強気の姿はそこにはない。
弱々しい、何かしらの戸惑いが見受けられる。
「加藤部長達が言っていた事って?」
「ほら、耳打ちしていたでしょう。その事だけど・・・・・・。」
お嬢が言いたいことが分かった。
柳瀬先輩が耳打ちしていた内容の事だ。
不幸かその内容はお嬢の耳に届いていたのだろう。
そして、
「何の事かな?俺は聞こえなかったけど。」
「・・・・・・・・・。」
俺の答えに行く手を遮り無言で睨みつけるお嬢。
俺の心を見定めるかのように。
「・・・・・・、本当だよ。」
俺は念押しが聞いたのか、ふっ、と肩の力を抜くお嬢。
「そう。ならいいわ。」と俺から視線を外す。
「二人とも、どうしたの?」
「何でもないわよ、バッちゃん。」
遥か前方を歩いていたバッちゃんの呼びかけに再び歩き出すお嬢。
「ありがとう。」という言葉を俺に残して。
(・・・・・・・、誤魔化せなかったか。)
そう俺は嘘をついた。
柳瀬先輩の言葉は俺の耳にも届いていた。
だが、それをあえてお嬢に尋ねることはしなかった。
加藤部長達はもちろん俺の後ろにいたバッちゃんも気付いていないはず。
多分気付いたのは俺だけだろう。
柳瀬先輩の耳打ちが聞こえたお嬢の表情が一瞬だけ変わった。
怒り、憤り、悲しみをかき混ぜられたような、そんな苦しい表情。
だから俺は知らないフリをした。
聞いた内容を忘れることにした。
それがお嬢の為だと、思ったから。
だけど、
柳瀬先輩の、あの言葉がどうしても耳から離れない。
俺の胸に深く刻み込まれる。
『ソイツは傷害事件―――友人を意識不明の重体にした女だ!』
という言葉が。