後輩と落武者
俺がまだ都内のアパレル会社で働いていた時の話。
日々の業務のあまりの忙しさに俺たちは限界だった。
俺の課は課長になったばかりの先輩と俺と同期の女の子の3人で常時5つのブランドを回していた。
再三に渡って新しく人を入れてくれと部長に頼んでいたのだが、なかなか入って来ない。
「いつになったら入って来るんですか?」
俺は切羽詰まった顔で部長に聞いた。
「ん?色々あたってるけどまだ掛かりそうだな。
大体お前らの条件が厳しいんだよ、経験者希望って。お前んとこの業務経験者なんてそうそういるかよ。」
「そんな事言ったって、未経験にイチから教えてられないですよ。即戦力になる人いないんですか?」
「即戦力?偉そうな事言ってんじゃねえよ。面倒臭いから適当に採るぞ、もう。」
そう言って席に戻ろうとする部長に
「面接に立ち会わせろ、とは言いませんからせめて履歴書だけでも見せて下さいね。」
と声を掛けた。
しばらくして部長がうちの課に来て言った。
「明日から新しい奴来るから。よろしく。」
そんな事全然聞いてない。
焦った俺たちが詳しく聞くと
俺と同じ服飾専門学校出身の2コ下の男だという返答。
「全然条件と違うじゃないですか。っていうか履歴書は?見てませんよ。」
俺たちがやいのやいの言っていると
「新人育てるのも経験、いないよりマシだろ。それにお前とは気が合いそうだぞ。」
と後半は俺だけに伝えると部長はニヤっとして行ってしまった。
こうして俺に後輩が出来た。
次の日、わりかし男前の青年が入社して来た。
簡単な自己紹介を済ませ席に着く。
名前は仮に民生くんとしておく。
民生くんは元気もよく、やや暴走気味ではあったがやる気も満々ですぐに会社に馴染んでいった。
が、多少頭が沸いていた。
後の話になるが、彼が初めてのプレゼンで披露したサンプルを今でもよく覚えている。
彼が自信満々で広げたジーンズは、
「血のような赤黒いシミが広がり、爪で引っ掻かれたような傷がそこかしこに施された汚いボロ雑巾」
だった。
彼曰く、
「ライオンに襲われた人が履いていたイメージです。」
なんだそりゃ。
勿論ボツである、当たり前だ。
が彼は相当自信があったようで、これダメですかねえ?などと言っている。
ダメでしょうよ。
それから後も懲りずに
「ワニに襲われた」
「ワシに連れ去られた」
など「猛獣シリーズ」を次々発表した。
意外なことにそれが社長の目に止まり「猛獣シリーズ」は我がブランドの主力商品になっていった。
なんて事があるはずもなく、当然全てボツだった。
それからしばらく経ったころ、飲み会で終電を逃した民生くんを家に連れて帰ったことがある。
ソファに毛布を掛け、適当なベッドメイキングをし彼の寝床をこしらえると俺はベッドで眠りについた。
その夜に変な夢をみた。
暗い部屋に蝋燭が一本灯っている。
その傍らに作業着を着た男が正座をしていた。
眼鏡をかけ、白髪混じりの頭をしたその男に俺は妙な親近感を持った。
「どっかで見た顔だな。」
などと思っていると、後ろの暗闇から鎧を身に着けた武者が現れた。
落ち武者と言ったらいいのだろうか。
長い髪を下ろし暗い顔をした武者は太刀を抜いたかと思うと、
一刀の下、作業着の男の首を斬り落とした。
転がる首。
残された身体から血が迸る。
その血がかかったせいか蝋燭が消え、部屋に暗闇が満ちた。
気付くとまた蝋燭の傍らに作業着の男が座っていた。
現れた武者が男の首を落とす。
部屋が暗闇に。
これが何度も繰り返された。
まるで何かの儀式のように繰り返される光景に、俺は目を離せないでいた。
目覚めるともう朝だった。
酷い夢を見た。
寝汗で濡れた布団を剥がしベッドを降りる。
まだ寝ている民生くんを起こさないようにリビングを抜けシャワーを浴びる。
シャワーから出ると民生くんは起きていて、コーヒーを淹れている俺に
「先輩、怖い夢見ませんでしたか?」
と聞いてきた。
うなされてたかな?と思い、見た夢の話をすると民生くんは申し訳なさそうに
「それ多分の俺のせいです。」
と言い、話し始めた。
彼には強力な武者の霊が憑いているらしい。
前に付き合っていた彼女の叔母さんだかお祖母さんに言われたそうだ。
強力な上に性悪なその武者は自分より弱い霊を無差別に攻撃し、場合によっては周りの人達にも影響を与える可能性がある、と。
「だから、斬られたのって先輩の守護霊かもしれません。」
民生くんは申し訳なさそうにしながらも、少し笑いながら言った。
いや全然笑えないよ、俺の守護霊さん斬られちゃったの?
え、ちょっと待って。俺の守護霊ってあの作業着のおっさんなの?誰?あれ。
ああ、でも見覚えあんだよなあ。作業着だし、ガス屋やってる叔父さんかな?
でも叔父さん生きてるしなあ。
などと色々考えていると
「部長に聞いてみましょうよ。あの人視えるんですよね?
俺、採用決まった時に『君、凄いの憑いてるね』って言われましたから。」
民生くんが言う。
そう、部長は所謂「視える」人なのだ。
まさか採用した理由ってこれの事じゃないよな?
俺は出社後、部長に聞きに行くことにした。
「部長知ってたんですか?」
一通りの事を話した後で凄んだ俺に、部長は笑いながら答えた。
「守護霊斬られたの?夢で?いやあ、凄え笑える。あ、問題ないと思うよ守護霊とか。あんまり影響ないって。」
「なに笑ってんですか。問題あるでしょうよ。」
「大丈夫だって。そもそも守護霊とかいないし。」
「え?だってよく言うじゃないですか。ご先祖の霊とか。」
「だって守護霊背負ってるやつなんて見た事ないぞ。大体先祖の霊って言うけど、分担とかどうしてんだ?
伯母さんはお前の母親に、曽祖父さんは父親に、死んだ祖父さんはお前にってか。
大変だなご先祖様も。シフト表とかあってローテーションしてんのか?」
「知りませんよ、そんなの。でもあるじゃないですか、事故の時にご先祖様が。みたいなの。」
「有事の際には駆け付けてくれんじゃない?とにかく解んねえよ、守護霊とかは。」
とにかく守護霊はいないらしい。
「じゃあ斬られちゃった作業着の人は?あれ誰ですか?」
「知らねえよ。通りすがりの人じゃない?
ああ、見た事あんだっけか。じゃああれだ、不肖の甥を心配したガス屋の叔父さんの生霊だ。」
「失礼な、心配されるような事してませんよ。
あ、大丈夫かな?斬られちゃったけど。
ってかそもそも叔父さんじゃないし。」
「だから大丈夫だって。気にしすぎなんだよ、お前は。」
なんだか納得出来ないが、取り敢えずは大丈夫らしい。
あ、そうだ。と思い出して俺は食い下がる。
「民生くんのは?視えたんでしょ?あれ守護霊じゃないんですか?」
「あれか、あれは守護霊とは違うよ、だって護ってる感じしねえもん。あれはそうだな、誰にでも喧嘩売るヤンキーだヤンキー。
おうてめえガン付けただろ、斬るぞってな。」
「なんですかそれ。」
「あの落ち武者はあいつのとこが居心地いいからくっついてるだけだ。波長が合うんだろきっと。
あいつもちょっと頭おかしいじゃん?猛獣シリーズとか。」
「猛獣シリーズはいいですよ、もう。で、知ってて採ったんですか?
まさか、それが採用の理由じゃないですよね?」
俺はついに核心に触れてみた。
「ん?違うよ、今度草野球チーム作るだろ会社で。あ、当然お前もメンバーだから。
で、あいつ高校まで野球やってたんだって。
ほら、お前ら欲しがってたろ即戦力。丁度いいじゃんか。」
マジか、そんな理由で採用したのか。
俺はへなへなと力が抜けていくのを感じた。
「あ、あと大事な理由がもうひとつある。」
まだあんのか。
「あいつの名字『原』だろ?原を採らないわけにはいかないだろ。」
そう言って部長は笑った。
そうだった。この人狂信的な巨人ファンだった。
もういいよ、好きにしてくれ。
「それに使えないわけじゃないだろ、よくやってるよ。猛獣シリーズはさておき。」
そうだね、頑張ってるよ。
後日行われた草野球で、民生くんはキャッチャーとして大変戦力になった。
俺が会社を辞めてからも民生くんは頑張っていたようで、何年か前に新ブランドの事業部長になったという話だ。
部長の採用基準も捨てたもんじゃなかったという話。
例の作業着の男は結局誰だか解らなかった。
が、ちょっと気になるのだが俺は会社を辞めて地元に戻り、今は仕事で作業着を着ることもある。
見覚えがあると思ったあの男の顔だが、今の俺に似ているような気もする。白髪も増えたし。
通りすがりの未来の自分だったか?
でも斬られちゃったけど大丈夫か、俺。