中納言は菅原道真を慕いたい
宇多法皇は中納言から菅原道真の話を聞いた。
「道真殿は、私にとっても恩人でございます。私も道真殿のことを慕っておりまして、道真殿が大宰府へ左遷されると聞いた時は、大変驚きました。道真殿は、私のような無学な者に、熱心に勉強を教えてくださいました。道真殿の教えがなかったら、今の私はなかったでしょう」
中納言は悲しげな表情を浮かべた。
「道真殿とは、近くの屋敷に住んでいたこともあり、親しくしておりました。道真殿は、いつも明るくて、元気でした。道真殿は、自分の才能を鼻にかけたりせず、誰に対しても優しく接してくれました。そんな道真殿を見ているうちに、いつしか、私は道真殿に憧れを抱くようになったのです」
「道真殿は、自分より身分が低い人にでも、礼儀正しく接する方でした。道真殿のそういうところが、多くの人から信頼される理由だったのでしょう。道真殿が左遷されたと聞いて、多くの人が悲しみました」
「道真殿の左遷の話を聞いた時、なぜ左遷されなければならなかったのかと、不思議に思いました。道真殿は無実だと信じて疑いませんでした。しかし、政治の世界では陰謀と野心が渦巻き、時には名誉ある者が不当な扱いを受けることもあります」
「道真様が無実なことは、もちろん分かっています。しかし、誰が道真様の左遷を画策したのかについては、まだ分かりません。おそらく、道真様の左遷は、権力者・藤原氏の差し金によるものです」
「そうか、分かった。ありがとう。引き続き、道真のために力を貸してほしい」
宇多法皇は、道真に対する人々の感謝と敬意を目の当たりにし、その存在の重要性を改めて認識した。道真は人間の価値を身分によって決めることなく、誰に対しても公平で優しい態度を持って接した。その姿勢が多くの人々から信頼される理由であった。
道真の左遷後に中納言の生活は一変した。これまでは学問に励むために、一日の大半を費やしていた。しかし、今は、学問よりも、和歌を作る時間の方が長くなった。道真が左遷されてから、中納言は歌を作ることばかり考えるようになった。
かつて学問への情熱を注いでいた彼が、道真の姿を思い浮かべながら詠む歌は、一層深みと感動を秘めていた。道真の姿と教えが心に灯りをともし、中納言の和歌はますます美しさを増していきました。彼は自身の歌作りに没頭し、その才能はますます磨かれていった。
ある日、宮中で催される歌会に中納言が招かれることとなった。この歌会は高貴なる歌人たちが集まり、その才能を競い合う場であった。中納言は自身の歌が道真への感謝と敬意を込めて詠まれたものであることを心に留めながら、自信と謙虚さを持って参加した。
中納言は他の歌人たちの作品を聴きながら、緊張と興奮が交錯していた。やがて自身の歌を披露する番がやってきた。中納言は心の底からの感謝と道真殿への思いを込め、その歌を詠んだ。その歌が会場に響き渡ると、その美しさと深みに会場は静まり返った。誰もがその歌に魅了され、道真への敬意と感謝が込められた言葉が心に響いた。
多くの人々が感動し、その歌の美しさと深みに心を打たれた。道真の左遷の不条理な出来事が中納言の歌を通じて広く知られるようになった。人々は道真が無実であることを信じ、彼の名誉回復のために声を上げ始めた。その声は徐々に大きくなり、国中に広がっていった。




