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藤原時平は荘園を整理したい

菅原道真を冤罪で追放した藤原時平は独自の政策を追及した。

「荘園整理令を施行することで、荘園の審査をより厳格に行うことができます。不正な取り扱いや横領を徹底的に排除できるようになります」

時平は堂々とした表情で醍醐天皇に提案した。墾田永年私財法で土地の私有が認められた結果、各地で荘園が成立するようになった。荘園が広がりは国家財政の収入減になっていた。荘園を少なくすることで公領を増やして財政再建を目指す大胆な一手であった。


醍醐天皇は時平の提案に深く考えを巡らせながら、彼の表情を見つめた。荘園制度を改革し、財政を再建することは重要な目標だった。しかし、醍醐天皇は同時に時平が道真を冤罪で追放したことにも気を配っていた。

「確かに荘園整理令は政治改革の一環になる。故に荘園整理令の施行には賛成だ。だが、道真への冤罪によって彼の人生が狂わされたことを忘れてはならない。彼は優れた政治家であり、その才能を輝かせる機会を奪われたのだ」

時平は一瞬、顔色を変えたが、即座に自らの政治的な野心を隠して謙虚な態度で答えた。

「私は自らの過ちを深く悔いております。道真殿に対する不当な扱いは、政治的な意図から生じたものです。しかし、私はその過ちから学び、今後はより公正な政治を行う覚悟がございます。荘園整理令の施行においても、道真公の教訓を胸に、公正さと公益を最優先に考えた政策を追及してまいります」


醍醐天皇は時平の態度に一瞬の迷いを感じながらも、朝廷の利益を最優先に考えた。醍醐天皇は政治改革の必要性を再確認し、一歩を踏み出す覚悟を持った。こうして延喜二年(九〇二年)三月に荘園整理令が出された。


この荘園整理令では醍醐天皇が即位した年以降に成立した勅旨田を廃止した。勅旨田は皇室の財源を確保するためにつくった皇室の荘園である。醍醐天皇が率先垂範した。また、農民達が有力な貴族や寺社に土地を寄進することを禁止した。有力な貴族や寺社が、未開の山野を不法に占拠することも禁止した。荘園が脱税目的の不正な寄進と判断した場合、その土地の不輸の権を取り消した。


しかし、時平は政治的な駆け引きの達人でもあった。彼は成立の由来が明確で国務の妨げにならない荘園を整理の対象外とする例外規定を巧みに盛り込んでいた。これによって、藤原氏の既得権を壊さないようにすると同時に、周囲の反発を最小限に食い止めることができた。


道真は荘園整理令の効果を実感した。多くの荘園が整理され、公領が増えたことで、国家財政は一定の改善を見せた。しかしその一方で、藤原氏の勢力はますます強まっていった。大宰府にいても道真の精神力と政治的な洞察力は依然として健在であった。時平の意図を見抜いていた。


荘園整理令は後の天皇の代にも何度か出ている。時平が出したものは最初の荘園整理令で、延喜の荘園整理令と呼ばれる。実効性の強いものは後三条天皇の延久の荘園整理令を待たなければならなかった。延久の荘園整理令では記録荘園券契所を設置して、中央で荘園を審査した。荘園の所在や所有者、管理者に関する正確な情報を集約し、全国的な管理を目指した。



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