菅原道真は竹取物語を執筆したい
菅原道真は『竹取物語』を執筆した。かぐや姫の物語として伝わる日本最古の仮名文学である。この『竹取物語』は空想の御伽噺ではなく、道真の冤罪を踏まえた告発書であった。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむ言ひける」
道真は竹取物語の文章を書き始めた。竹取の翁の名前を讃岐造とした。道真は讃岐守であった。
「竹取の翁は讃岐の人間が相応しい。この物語は冤罪を明らかにする告発書として、歴史に刻まれねばなりません」
竹取の翁が竹の生い茂る野山で竹を切っていると突然、竹の中から明るい光が輝き、なよ竹のかぐや姫が現れた。
「なんじゃこりゃ」
竹取の翁は驚いた。
「ありがとう、讃岐造。私を助けてくれたこと、忘れませぬ」
かぐや姫は神秘的な雰囲気で語った。
「な、なんと仰せられるのですか? どなたなのか?」
讃岐造は畏敬の表情で言った。
「私はなよ竹のかぐや姫。あなたのお心遣いに感謝いたします」
かぐや姫は竹取の翁の家で育てられた。かぐや姫は美しい女性に成長し、五人の貴公子が求婚した。かぐや姫は貴公子に結婚の条件として難題を出した。
「私を得たいのであれば、それぞれ私に難題を解かせねばなりません。その難題が解けない限り、私はどなたにも嫁ぎません」
五人の貴公子の一人に車持皇子がいる。かぐや姫から自分と結婚する条件として東方海上にあるという「蓬莱の玉の枝」を取ってくるように言われた。ところが、車持皇子は航海に行かずに職人に偽物を作らせ、だまそうとした。
車持皇子は藤原氏をモデルとし、だまして権力を得た藤原氏への批判を込めた。藤原不比等の母は車持氏である。藤原氏は皇子ではないが、皇室と一体化して冤罪を作っている実態への批判になる。
もう一人の貴公子の大伴御行は、かぐや姫から「龍の首の珠」を求められ、船で探索する。自分が船に乗って航海するだけ車持皇子よりは誠実である。御行は航海中に嵐に遭って重病になってしまう。当時の外洋航海の危険を表現した。車持皇子が偽物を作らせた理由も自分が船に乗って航海することが危険であるためである。道真は航海の危険を理由に遣唐使の廃止を提言した。航海の危険について現実的な恐れを持っていた。
結局、五人の貴公子は皆、かぐや姫の難題を解くことに失敗した。帝も、かぐや姫を召した。
「かぐや姫、お嫁になってください。国中があなたを待っています」
「心から感謝いたします。しかし、私の心はもう一つの世界にあるのです」
「どうかお考えください。どうか私と共に人間界で幸せに暮らしましょう」
帝は、かぐや姫を引き留めようとした。
「お許し下さい。私の選ぶ道は違います。私は月の世界に戻らねばなりません。私の使命はそこにあります」
かぐや姫は八月十五夜に月の世界に去った。
道真は物語の最後の文章を書き終えた。
「これが竹取物語の真実です。冤罪を明らかにし、伝えるべき物語です」
道真は物語を書き上げた誇りを感じながら、満足げに微笑んだ。
『竹取物語』は作者不詳のため、誰が作者であるか後世で推測されることになる。作者候補の一人に吉備真備がいる(船山信次『毒が変えた天平時代 藤原氏とかぐや姫の謎』原書房、2021年)。真備は藤原仲麻呂に左遷されており、藤原氏を批判する動機はある。真備は遣唐使として実際に唐に渡っており、道真以上に航海の危険を実体験として理解している。これに対して道真は唐に渡った実体験はないが、遣唐使廃止を提言しており、真備以上に航海の危険を深刻に受け止める立場であった。
真備作者説は、かぐや姫のモデルを真備が仕え、または仰ぎ見た藤原宮子、光明皇后、孝謙天皇、楊貴妃という高貴な女性達とする。『竹取物語』に女性崇拝的な要素を見出すならば真備説に説得力が出る。ここは道真では説明しにくい。これに対して、かぐや姫を存在感の乏しい無機的なキャラクターと見るならば、道真らしい作品になる。




