宇多法皇は冤罪を食い止めたい
道真は宇多法皇に和歌を奉った。
「流れゆく我はみくづとなりぬとも君しがらみとなりてとどめよ」
「流れゆく我」は冤罪による人生の変転を象徴する。「みくづとなりぬ」で個人の存在が無常であることを示する。道真は自らの存在がはかないものであることを自覚している。道真は、宇多法皇によって冤罪が明らかにされることを望み、その絆を頼りに自分の存在をとどめようとした。
この和歌は、道真の謙虚さと絆への信頼を表している。道真は自分の存在の儚さを認識しながらも、宇多法皇との絆によってその価値と存在感を確かめようとした。そして、この和歌を通じて、宇多法皇に自らの冤罪を解明してもらうよう願った。
「何だと!?」
宇多法皇は道真の流罪に驚いた。道真が無実であることを確信した法皇は、彼の冤罪を明らかにするために動き出した。醍醐天皇に会って左遷を止めようとしたが、藤原菅根が阻んだ。
「朕の命に従わぬというのか?」
「……申し訳ございません」
「朕の命令に逆らう者は死刑だ!」
「お待ちください! どうか考え直してくださいませ!」
「何故、お前が朕を阻む?」
宇多法皇は信じられなかった。
「私は法皇の圧制に耐えかねたのです」
「馬鹿者め!朕がいつ、お主に圧力を加えたというのじゃ」
宇多法皇は激怒した。
「それは……」
菅根は言葉に詰まった。しかし、宇多法皇を内裏に入れることを頑として拒み続けた。
「わかった。そこまで言うなら、朕が自らの手で罰してやるわ!」
宇多法皇は自ら兵を率いて内裏へ攻め上ろうとした。
「法皇様、どうか落ち着いてくだされ!」
「落ち着けるか!」
「どうか、お願いします。この通りですから」
菅根は土下座した。
自己の御所に戻った宇多法皇は側近と共に悲しんだ。彼らは道真の運命を嘆き、その無念と不条理を痛感した。
「道真は、もう二度と故郷に帰れないんですよ? そんなのあんまりじゃないですか」
側近は心情を口にした。
「そうなのだよ。世の中は理不尽なことばかりだ。どうして、こんなことになったんだろう? 誰かが間違っているのではないだろうか」
宇多法皇は沈んだ表情で同意した。
「その通りです。しかし、それが誰なのか分からないのです。道真が冤罪に苦しむことなく、正当な評価を受けようになることが私達の信念です」
「うん、そうだよねえ。道真は優れた人間です。それなのに、何故このような運命が与えられるのだろう」
宇多法皇は、ますます落ち込んでしまった。
「道真がいなくなれば、醍醐帝は好き放題やります。恐らく道真のような優れた人材はいないと思います。法皇は大変なお立場になるかもしれません」
「そうか……、覚悟はしているけどね」
宇多法皇は暗い表情をした。
昌泰の変は宇多法皇派と醍醐天皇派の対立という側面があった。醍醐天皇と時平は基経の娘で時平の妹の穏子の入内を望んでいた。これに対して宇多法皇は阿衡の紛議の過去から基経に好印象を持っておらず、入内を拒否していた。道真の失脚で宇多法皇の反対も通りにくくなった。実際、道真の左遷後に穏子は女御になった。
天皇と上皇の対立という点では後の保元の乱と似たような対立構造である。この時代は朝廷の陰謀で敗れたものが敗者になり、それで政争は終わった。ここは保元の乱と異なるところである。院政期になると摂関家が権門となり、国家権力とは別に独自の武力を持つようになった。このため、藤原頼長は朝廷の政争で敗れても終わらず、武士を使った戦争で決着をつけることになった。




