菅原道真は右大臣を辞退したい
菅原道真の右大臣就任は万人に歓迎された訳ではなかった。右大臣は道真の家柄からは異例であり、門閥貴族の反発は大きかった。道真を嫉妬する中傷や嘲笑が増加し、道真は心を痛めた。
藤原菅根は憤懣に満ちた表情で道真を非難した。
「道真め……。よくも、私に恥をかかしてくれたものだ。私がどれほど苦労して出世してきたと思っているんだ?私はこれまで、学問の道に精進してきたというのに、あの男のせいで台無しになってしまったではないか。どうしてくれる?」
菅根は若い頃に菅家廊下で学んでいた。しかし、道真に投げやりな態度を難詰され、衆前で頬を打たれた屈辱があった。菅根は道真を妬み、道真の成功を自身の努力の否定と捉えていた。
「足ることを知って人生を楽しみなさい」
文章博士の三善清行は手紙で道真に引退を勧告した。手紙には道真に対する諭しの言葉が綴られていた。手紙を読んだ道真は、感謝と興味を持ちながらも、深い悩みに心が揺れ動いた。道真は清行が引退を勧める理由を知りたかった。そのために清行を訪ねた。清行は寝殿で道真を迎えた。道真は不安と好奇心を抱きながら、清行の前に座った。
「清行殿、お時間を取っていただきありがとうございます。私は貴殿の勧告に興味を持ち、話を伺いたいと思って参りました。なぜ、私に引退を勧めるのですか?」
清行は深い呼吸をし、道真をじっと見つめながら言葉を紡いだ。
「道真殿、私は長年にわたり学者としての道を歩んできました。そして、私はあなたの政治家としての能力と信念を高く評価しています。しかし、人生には限りがあります。私は貴殿の引退後は学者としての経歴を最高峰で締めくくりたいと考えております」
道真は驚きを隠せなかった。
「しかし、私にはまだ政治の世界で果たすべき使命があると思っています。公正な政治を追求し、国民の幸福を願っています。なぜ私を引退させて、自身が学者のトップになりたいと思うのですか?」
清行は静かに微笑みながら言った。
「道真殿、私の勧告はあくまで私自身の欲望から来るものです。私は自身の学問を極め、名声を手に入れたいという願望にかられています。しかし、私の欲望があなたの使命や幸福を妨げるものではありません。この道はあなた自身が歩むべきものです。私の意見はあくまで参考までにしていただきたいと思います」
道真は悩んだ末、右大臣を辞退する上申書を提出した。しかし、道真の意向は却下された。宇多上皇や周囲の側近たちは、道真の才能や人徳を高く評価し、彼を右大臣として必要不可欠な存在と考えていた。
道真は宇多上皇のもとに召された。上皇の優れた視点と叡智を持つ目が、道真に向けられた。
「道真よ、なぜ右大臣を辞退したいと上申書を提出したのか。君の才能と信念はこの国にとって大切なものだと朕は思っている」
上皇は穏やかな口調で道真に問いかけた。
「私の家が学問の家であり、家格が低いために出世につけて中傷や嫉妬が増えました。私の出自によって朝廷に不利益が及ぶことも懸念しております。そのため、辞退の意向を上申した次第です」
道真は頭を下げながら答えた。
「お前の心情はよく理解できる。しかし、お前の才能や資質は実際のところはばかることなく素晴らしいものだ。私はお前の能力を高く評価し、右大臣に任命したのだ。辞退願いは却下せざるを得ない」
宇多上皇はしばらく考え込んだ後、道真に対して真剣な表情で答えた。
「私は権勢を求めるのではなく、公平な政治を追求したいのです。家柄や出自ではなく、実力と誠実さが政治の基盤となるべきだと思うのです。しかし、私の立場が多くの人々に認められないならば、私の存在意義は果たしてあるのでしょうか」
「政治の世界は困難と苦悩に満ちているが、そこには希望と変革の可能性も秘められている。政治は常に変化し進化していくものだ。お前の存在と行動は、これまでの枠組みを打ち破り、新たな道を切り拓くために必要なものなのだ。家柄が低くとも、お前の理念と実践によって多くの人々の心を動かし、社会を変えていける。私はお前を信じているし、お前も自分自身を信じるべきだ」
道真は驚きと戸惑いを抱えながらも、宇多上皇の言葉に心を揺さぶられた。




