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宇多天皇は遣唐使を送りたい

道真は寛平六年(八九四年)に遣唐大使に任命された。

「道真よ。そちに頼みたいことがあるのだ」

「何でしょうか?」

「私が……ですか」

「そうだ。そちにしか頼めないことだ。道真よ。唐へ行ってまいりなさい。朕の期待に応えてくれることを祈っているぞ」

「私のような無能者が唐に行けるとは思えませんが……」

「そんなことはない。そちならできる。朕が保証する」

「恐れ入ります」


前回の遣唐使は承和五年(八三八年)であり、約六〇年前であった。奈良時代のように頻繁に遣唐使を送っていた訳ではなく、既に遣唐使は忘れ去られていた。この時期に遣唐使を復活しようとした理由は新羅にあった。新羅人が対馬や北九州を頻繁に襲って略奪や放火を繰り返していた。これに対して遣唐使を復活して唐との関係を強化し、新羅に圧力をかけることを狙った。


道真は国内外の情報を収集し、交流を深めるために積極的に行動した。道真の祖父の菅原清公すがわらのきよきみや伯父の菅原善主すがわらのよしぬしが遣唐使判官として唐に渡っており、その時の情報も調べた。


菅原家は学問や文学だけでなく、焼き物や土木、呪術などの技術を持つ家であったが、これらは遣唐使として唐から持ち帰った知識を発展させたものである。菅原家が唐由来の呪術の秘法も保持したことは後に道真が怨霊として恐れられる一要素になる。


道真は外国との貿易を通じて文化や知識を取り入れ、それを日本の発展に生かそうと考えた。とはいえ、既に民間の商人らが積極的に船を出し、海外からの文物や商品を取り扱っていた。商人らは船を使い、海を渡りながら異国の市場に足を運び、交渉や商取引を行った。海外からの文物や知識がもたらされ、日本の文化や技術も海外に広まっていった。


道真は菅原家の書庫で遣唐使の記録を探していたところ、古い地図を見つけた。地図には古代の航路や港町が詳細に描かれていた。道真は興奮しながら地図を手に取り、そこに記されている港町の名前を調べ始めた。

「これは遣唐使の活動よりも以前の時代のものなのだろうか」

地図には古い時代の海外交易の痕跡が見受けられた。道真は興味津々で地図を解析し、古代の民間貿易船がどのように海外文化の流入に影響を与えたのかを考え始めた。道真は古文書や資料を駆使して、民間貿易船がもたらした文化交流の歴史を追求した。彼らは航海技術の進歩や商業ルートの開拓、外国との文化交流の機会が民間貿易船によってもたらされたことを発見した。


道真は遣唐使の廃止を提案した。その理由は以下の通りである。

第一に民間貿易が発展しており、遣唐使を送らなくても唐の文化を吸収できる。

第二に遣唐使の遭難や沈没の危険がある。

第三に唐は戦乱で国力が衰退している。

第四に遣唐使派遣に莫大な費用がかかり、財政を圧迫している。


道真の本音には京から出たくなかった。道真は讃岐守に任命された時も嫌がった。京から離れることを嫌う点で一貫している。京に住み続けたいと思っている。SDGs; Sustainable Development GoalsのGoal 11「住み続けられるまちづくりを」の精神を持っていた。



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