菅原道真は渤海と交流したい
道真は元慶七年(八八三年)正月一一日に加賀権守に任命されている。この時は文書博士と兼任であり、現地に赴いていない。前年に渤海国からの使者である渤海使が風格ある船に乗り、日本海を渡り、加賀国に到着した。朝廷は渤海使を迎えるために華やかな行事が用意した。その中心的役割を道真が果たすことになり、そのために加賀権守兼任となった。この重責を受け、道真は大いなる歓喜に包まれた。その時の心情を詩に詠んだ。
「遥かに員外の刺史を兼ねること喜ぶ。恩沢極まりなし。士林これを栄とす」
喜びと感謝の念が道真の胸に満ち、才能が更に開花する日を信じていた。
渤海は靺鞨族の大祚栄により中国東北地方から朝鮮半島北部、沿海州に建国された国である。靺鞨族はツングース系で高句麗と同系統の民族であった。日本海を挟んで日本と向かい合っていた。渤海は日本に使者を送った。唐や新羅との対抗上、日本と友好を深める政策であった。
日本側は渤海使を朝貢と位置付け、小中華思想を満足させていた。しかし、漢文や漢詩の面では渤海が先進国である。道真は敬意をもって渤海使に接し、漢詩をやり取りした。
「渤海の詩には心打たれるものがありますね。我が国の詩も悪くないですよ。見てください!『渤海より風来りて、笑み交わす』。どうでしょう、これもなかなかでしょう」
渤海の使者達は、道真のセンスに驚きつつも、微笑み返した。言葉の壁を越え、笑顔や手の動きで気持ちを伝え合い、異国の友情が芽生えた。こうして、渤海と日本の友好が深まり、文化の交流が進んでいった。
渤海の使者が寺院を訪れると、庭園に美しい花が咲いていた。色とりどりの花々は、まるで詩のような言葉を奏でているかのようでした。使者達はその美しさに驚いて尋ねた。
「これは日本の詩の一部ですか?」
道真は微笑みながら答えた。
「そうですよ。日本の自然や風景、そして人々の心情を詩に込めることが、私たちの伝統です。この花々も、日本の美を表現した一節なんです」
「渤海の詩と同じく、日本の詩も心に響くものがありますね。文学の交流が、言葉の壁を超えて素晴らしい結びつきを生んでいるのですね」
使者たちは感嘆の表情で花々を愛でた。
寺院は日本の詩と渤海の詩が交互に飾られ、異国の風景や感情を分かち合う場となった。ある晩、渤海の使者たちは持参した楽器で、日本の雅楽と渤海の伝統音楽を組み合わせた素晴らしい演奏を披露した。庭園に響く音楽は、まるで二つの異なる文化が融合し、美しい調和を奏でているかのようであった。異なる国々の文学や音楽が、心の琴線に触れ、新たなる発見と感動をもたらした。言葉や音楽を通じた友情が、文化の架け橋となり、両国の絆を一層深めていった。
渤海は交易で栄えた国であり、渤海使には商人も同乗していた。商人は虎やテンの毛皮、朝鮮人参という日本では珍しい品々を商品として持ってきた。虎の毛皮は煌めく光沢を持ち、テンの毛皮は柔らかな手触り。一際美しい形状を持つ人参は、まるで自然の芸術品のようであった。
道真は、これまでの学問で養った洞察力を駆使し、輸入品の目利きをした。道真は心躍る気持ちを抑えながら、商人たちとの交渉に臨んだ。道真の目利きが冴えわたり、朝廷の蔵には良質な渤海の輸入品が増えていった。異国の輸入品は道真の生活に彩りを添え、心に新しい夢を育ませた。
今回の讃岐守への任命は、過去の加賀権守兼任とは異なるものであった。道真は未知の地での新たな役割に挑むこととなる。かつての歓びとは異なり、新たな地での義務に対する緊張が胸に迫ってきた。