菅原道真は選択と集中を求めたい
選択と集中は大切である。あらゆる作業に役割を定義して、人をアサインすることはできないということは理解できる。選択と集中から外れた分野は取り組まないことが正しい。それによって注力分野に集中することができる。
無能公務員体質のスタッフが自分達の仕事を増やしたくないために役割を定義せず、個別に仕事を押し付けることは選択と集中に反する。役割定義に基づいて各自が仕事に取り組むことで、負担や混乱が軽減され、全体のチームワークが向上する。
要望があるから新たな役割を定義し、その役割に人をアサインして取り組むことがオーソドックスである。一方で要望があっても、取り組まないということも消極的であるが、一つの経営判断である。
ところが、無能公務員体質のスタッフは卑怯なことに、どちらも選択しない。自分達は何もしないが、能力のありそうな人に押し付けて実現しようとする。役割に応じて仕事に取り組むのではなく、個別でも仕事が回っていれば良いという浅薄な発想である。
無能公務員体質のスタッフの腹立たしい点は少しでも甘い顔をすると再現なくエスカレーションすることである。役割を定義せず、個別に依頼したならば個別の作業として取り組むことが正しい。一回限りのアドホックな作業である。ところが、無能公務員体質のスタッフは、それを認めない。
「今後同じような作業が来た際に取り組みやすくなるようにスキルやノウハウを獲得しないとダメではないか」
自分達は何一つしないのに説教だけは一人前である。継続的に取り組む仕事ならば役割を定義することが筋である。役割定義を怠っているから個別で作業することになった。個別で作業する以上、アドホックに進めることになり、毎回車輪の再発明になる。
業務を改善するための努力を怠っている存在は、役割を定義しないスタッフ側である。役割として定義されて取り組むならば、効率的かつ効果的な手順やプロセスを確立することができる。しかし、役割定義が怠られているため、個別の作業に取り組むことになり、結果として毎回同じ問題に取り組むことになる。
これが個別で作業する特徴であり、デメリットになる。個別という判断をしたのに、そのデメリットは引き受けたくないということは虫が良過ぎる。「白い黒猫が欲しい」という矛盾と同じである。無能公務員体質のスタッフは自身の責任を認めず、問題の根本的な解決に取り組もうとせず、他人にだけ良い結果を要求する。
自分達は何もせず、役割外の仕事を押し付けた以上、無能公務員体質のスタッフに口出しする資格はない。自分達の仕事をしたくないという無能公務員体質ならば、他人に押し付けた後のことは無責任にならなければ筋が通らない。役割に反する仕事を押し付けられて、使い潰されて休職や退職に追い込まれたエンジニアは少なからず存在する。役割外の仕事を押し付けるならば使い潰す覚悟を持たなければならない。
スキルやノウハウを持たせようとするスタッフはもっと悪質である。スキルやノウハウを獲得して組織に還元しなければならなくなると使い潰れることができなくなる。使い潰れる自由もなくなる。このプロジェクトが終わったら休もうという希望も持てなくなる。「役割外の仕事を押し付けたいが、使い潰れたら困る」は虫の良い要求である。




